人は生まれながらにして星を持つという。その宿った星に従って、人はある程度の運命を決められているという。そんな馬鹿な話があろうか。それではどう足掻いても運命は己自身では変えられないではないか。例えばここで自殺してもそれは決まっていたことだというのか。人を殺したとすると、それも予め決まった事柄で、殺された人もそこで死ぬ運命だったというのだろうか。認められない、だって、だってそんなことを認めたら。私の、私のしたことは・・・
そんなことは、なんとしても
否定してやる
治療もひと段落した桜ヶ丘病院。言い争っている村雨と御門、微笑むマサキ、そして本来この場では闖入者であるはずの倉条夕魅那(そうじょう・ゆみな)。その組み合わせのいるロビーに5人目が加わった。その女性は慌てて・・・いや、慌てているのだろうか。確かに駆け足で、挙動事態は急ぐ人のものなのだが、なんというか全くの無表情なのだ。
(まるで<冷静な私>みたい)
白いブレザーはあの二人と同じ皇神の学生であることを示していたが、なんというか、あまりにも大人っぽい顔立ちと体付き。とても同年代の女性には見えない。
「晴明様・・・秋月様・・・よくぞご無事で」
やたらに堅苦しい言葉づかいと仕草。心配を意味する発言と合わない落ちつきはらった動作。
「おいおい芙蓉、オレの心配はナシかよ」
「いたのですか村雨」
「これだ」
苦笑して夕魅那に片目を瞑る。こういう女だよ、という声が聞こえた気がした。
そこで芙蓉と呼ばれた女性が私に視線を向けた(私の場合は本当に気にも止められなかったらしい)。冷静に観察されているのがよくわかったので、私も改めて彼女を観察した。<知覚球域>を展開、得られた情報が脳裏に流れ込む。
(・・・あれ?)
異質な反応である。目に映るものが偽物であるような感覚。整理された情報は<人ではない>という事実。呪を根幹に置いた造られし者。
「この方は・・・?」
だからといって偏見を持たないでいられるのは前回の事件の経験があるからだろう。
(私の両目だって、人のものじゃないんだし)
「紹介しましょう、私が西の棟梁・安倍様から預かった式神十二神将の一、天后・芙蓉です」
「式神、ですか? わかりました。私は秋月さんの後輩にあたる倉条夕魅那と言います。よろしくお願いします、芙蓉さん」
確か式神というのは陰陽師の使う人外の存在だったと思うが。聞き違っただろうか。
「こちらこそよしなに」
丁寧と優雅が挨拶を交わした。
御門は彼女の事を「秋月様の恩人」と芙蓉に説明した。全くの事実だったが、夕魅那は恐縮しきりだったことを付け加えておく。
「今回の刺客が何者か知りませんが、巧く我々の隙を突いてきたものです」
呑気な意見にも聞こえるが、その手は落ち着きなく扇を開閉している。客観的に判断しても(そもそも御門は性格上あらゆるものを過大に評価しない)、今回の一件は致命的になりかねない出来事である。何度も述べるが夕魅那の存在は本当に偶然で、彼ら3人だけでは完全に出し抜かれたのだ。
「悪いコトってのは重なるモンさ」
賭事が即ち人生である村雨は苛立ちを隠せない。最後の最後で悪運を拾ったとはいえこの勝負決して勝ったとはいえなかった。「誰もいない状況」で(彼は今日の護衛は当てにしていなかった)「マサキが襲われ」、その現場には「間に合わなかった」のだ。こんな敗け戦はあの時・・・薫がマサキになった原因・・・以来のことで、だからこそ腹立たしかった。
超然としているような芙蓉だが、彼女とても御門、秋月、そして不本意ながら村雨の共に過ごす時間が何より大切なものと考えていた(自身は感想ではなく判断だと結論づけている)。その安らぎ(あくまであの3人の、である。自身は含んでいなかった)を壊しかけた敵に彼女は誅罰を下すことを厭わないだろう。
「倉条さん、改めて秋月様を襲撃した敵のことを詳しくお教え願いたいのですが」
「はい。・・・襲撃してきたのは西洋人形を模った霊体の群れでした」
見た目は人形だった。しかし夕魅那には超感覚<知覚球域>があり、理解し得る情報は自然に流れ込む。
「依り代は髪の毛を使っていました。髪を媒体にして彷徨える魂を半実体化させ、それを何らかの方法で操っていたようです」
<知覚球域>を以てしても、それらを操る糸は手繰れなかった。或いはもっと単純な手を使っていたのかもしれないが、思い込みによる推測はしなかった。
「人形ですか・・・他に何かありませんか」
「そうですね・・・彼らを束ねる人形だけは明確な意思を持っていました」
「意志・・・?」
それは最後の人形を倒したときである。消滅するさなかの強い意思ではなく、常に反復する意思が流れ込んできたのだ。それはこう告げてきた。
「否定してやる」と。ただ不可解な部分もあった。その意思はあまりにも単純な思考であったような気がした。半瞬の接触のため、確かなことは言えないが。
「否定。日本政府の混乱を狙う輩でしょうか・・・?」
「あり得るな、連中はマサキに頼りきってるからよ」
連中とは政府中枢の人間のことだ。人はいつになっても占いや予言に頼る。ましてや当たる予言況んや。
「どこかの国が手練でも雇って送りつけた・・・なんて筋書きかもしれねえな」
情報量は少なく、狙われる覚えは数知れない。しかし誰が狙うかはわからない。それが彼らの日常。
(ここにも私なんかと比べ物にならない宿星を背負った人がいる)
夕魅那の終わった戦いとは別に、一生が宿星との戦いの人物。彼女が出会うのはマサキが3人目。
「・・・対策としてはやはり秋月様には浜離宮の結界にいて頂くのが最も安全に・・・」
「御門、僕は学校に出るよ」
「秋月様・・・」
「単位が足りなくなる。僕も兄さんのために卒業式には出たいしね」
反論は遮られた。マサキのひと言はそれほど重みがあった。もはや彼らに出来ることはいかなる刺客からもマサキを護る、それしかなかった。
「わかりました。ここは秋月様のご意向に添うしかありませんね・・・芙蓉には今回の不埒者の調査を命じます」
「御意」
「まったく・・・こうなるとマサキは強情だからな」
不平をもらしているようにも聞こえる彼らの表情はとても豊かで、幸せそうにも見えた。彼らが<護衛と要人>の関係でないのは想像がついていた。その認識に新たな面を加えねばなるまい、マサキさんは彼らのすべてを賭けて護るべき存在なのだ。
「マサキ、そっちのワガママを聞いてやるんだから、こっちの言い分も聞け。オレたちが四六時中護衛をすることに文句はねェな?」
「村雨、それは」
「甚だ無礼な言い方でしたが、村雨の言ったことの内容は正論でしょう。私も同伴します」
ただ他校の生徒が付き添うだけでも目立つだろうに、御門と村雨・・・この好対照なふたりとなるとその効果はいかほどか。本人たちもわかっているようで、普段外出時に付き添うのは芙蓉と彼らのどちらかが通例だったのだが、今回は外聞を気にする余裕はなかった。マサキを第一に考える御門と村雨の意見は一致しており、これもまた翻させるのが難しい強固な意志だった。
「あの」
両者の間に妥協案が提示される。
「よく事情はわかりませんが、私でよろしければ力になりますけど」
全員の視線が集い、その雰囲気に夕魅那は戸惑う。そんなに意外な申し出だっただろうか。
「何故です」と感情のない声で質したのは芙蓉だった。
「あなたには秋月様の学友でもなければ古くからの知人でもない。手助けを申し出る理由はまったくないはずですが」
その理路整然とした物言いに、夕魅那は困った笑みを浮かべる。
「う〜ん・・・理論立てて説明出来ないんですけど・・・<情けは人のためならず>って言いますでしょ?」
私の縁に関わる事件に、偶然出会った緋勇さんたちは何の見返りも望まずに助けてくれた。その姿勢を少しでも見習いたいんです・・・なんて恥ずかしくて言えなかった。それゆえの照れ隠しなのだが、ほとんど見破られただろう。マサキさんはにこやかに、御門さんは扇で口許を隠した。村雨さんはニヤニヤ笑って、芙蓉さんは何やら考え込んだがもう何も言わなかった。
私は俯いて表情を隠すしかなかった。
「はっきり言いましょう。これ以上ない申し出です。貴女の<力>の程は私たちが身をもって経験していますから」
御門と村雨、2対1でも引けをとらない<力>の持ち主。味方であればこんな頼もしい人材はそういない。さらに都合のいいことに彼女はマサキと同じ学校の生徒なのだ。護衛を努める条件で、これ以上を望むのは無理だろう。
「ではこうしましょう。倉条さんに秋月様の近辺を護っていただき、私と村雨のどちらかが付き従う・・・これが考え得る最上の組み合わせでしょう」
夕魅那については学校の方に巧く言いくるめておくので常時マサキの近くにいてほしい、とのことだった。
「巧くって、どうするんですか?」
「声楽科を推薦されているあなたは暫く秋月マサキのもとで芸術について考えてみたい・・・といった具合にまとめておきますよ」
「・・・そんなことまでご存じなんですか?」
「調べがつくことは全て調査する・・・そういうことですよ」
明日からの打ち合わせは終わった。マサキたちは「しばらくお世話をかけます」と挨拶をして帰途についた。
そして夕魅那は。
病室にいた。
「お前さんを呼んだのはほかでもない」
偉丈夫の名医・岩山たか子院長が前置きする。
「確かお前さんは精神に干渉出来る<力>を持っておったな?」
病室といっても夕魅那が寝かされたわけではない。3人部屋であるそこのベッドは全て埋まっていた。閑古鳥鳴く入院病棟には珍しいことだった。
「ここ、産婦人科でしたよね?」
「ああ・・・この患者たちは別件の方さ」
言われるまでもない、彼らは全て男だった。取り立てて共通点のない、若者から中年の男性。残念というか幸いというか、たか子先生の目に止まる容姿の者はいない。
「この患者たちは突然同じ症状が出てね、たらい回しされた挙げ句ここに来たんだが」
霊的治療で有名な桜ヶ丘はこういったことが割と多い。特に今年に入ってからは。
「どんな病気なんですか?」
「簡単に言うと記憶喪失に似ているんだが・・・妙な症状なんだよ」
それは患者が目覚めてからわかるという。まず、人間の顔の見分けが付かなくなる。次にある記憶がなくなっていることに気付く。ある記憶というのが、
「対人関係らしいんだよ」
つまり他人との関わりや名前、それどころか面識の有る無しすらわからなくなる。
「暫定的に<突発性置去症候群>とか言われてるらしいが」
「ちきょ・・・って置き去りのことですか?」
「ああ。置き去りにされた子供の状態に似てるんだとさ」
迷子の子供には周りの人間は全て他人であり、区別がない。そういったことを言いたいらしい。親等が見つけてくれるか、自分で何とかしないと抜け出せない環境・・・。
「・・・それで私に患者さんの心を探れ、と?」
「そういうことだよ。ワシもどうにも手を出しかねているのが実情でな」
彼女にそう言わしめることは滅多にない。驚きと共に嬉しさがあった。あれほど迷惑をかけた私を頼ってくれたのだ。全力で応える決意をする。
「わかりました、取りあえずやってみます」
懐剣を抜き放つ。精神の波が無くなり、極めてクリアな状態になる。
「誰からにしますか」
「一番若いのにしとくれ。体力があるやつを」
「はい」
剣をかざして<力>を込める。爆発的な<力>は必要ない、その分正確・精密な集中が求められる。<力>のセンサーを・・・送り出した。
(同調成功。・・・寒い光景ですね)
言葉で言えば空虚な娯楽の残骸だらけといった所か。暗くも明るくもない、察する所満足も不満もないという状態なのだろう。
(取りあえずは記憶を司る部分に着目を・・・)と<力>の矛先を向けて・・・
(これは何だろうか)
極めて場違いな存在があった。あえて、とか言うなれば、とかなどの婉曲表現を使うにはあまりに難解なものが記憶層の一部に被さっていた。そう、それは。
(アイマスク、としか表現できないか)
目隠し、のアイマスクである。ご丁寧にアイマスクの表面には閉じた目のプリントが施されていた。悪意なのか凝り性なのか、これを仕掛けた人物の評が分かれる所だった。
(それはともかく明らかに<力>の関わる事象なのは間違いない)
たか子先生に報告する為、一旦心を自身に戻した。
「アイマスク・・・? なんだいそれは」
やはり困惑で迎えてくれた。説明の必要があった。
「聞いての通りです。記憶を司る精神の一部にアイマスクのような<力>が干渉して、<記憶を目隠し>しています」
「記憶の封印ねえ・・・それはお前さんの<力>で外せそうかい?」
「正直、あまり試してみたい気はしません。記憶を壊したり、自分の<力>で封印された氷を割るのとは同一視できませんから」
夕魅那は慎重だった。たか子先生も予想していたようで、「だろうね」と頷いた。
「やはり原因を調べて解決するのが先か・・・調査の方はどうしようかね」
「申し訳ないのですが、私は秋月さんとの約束がありまして」
「聞いてるよ。・・・あの連中でも呼ぶか」
などと既に事前の手を考えている。その思考の途中で思いついたのか、不意に夕魅那に質問をした。
「この<力>を使った奴は未熟なのかね?」
「何故です」
「記憶の一部を覆ったんだろう? 全てではなく」
「アイマスクがその通りの意味だとすれば、あれは確信犯だと思いますが」
「なぜそう言いきれるんだい?」
「誰だかわからない、誰も覚えてない・・・人との関わりに<目隠し>させてるんですよ、この<力>の持ち主は」
「なるほどね・・・」
再び思考の海に沈む前に、今度は夕魅那が聞いた。
「この症状が発生している地域は限定されているんですか?」
「そうでもないんだよ。一番多く発生した場所は港区だが、他にも何件か別の区でも病人は出ておる」
「関係が掴めないんですね」
「でないとお前さんに頼ったりせんよ」
「どうかね、彼の様子は」
「だめですな。手の施しようがない。あれはもう処分したほうがいいでしょう」
「それならばあたしにくださいな」
「どうするのかね? レディ?」
「廃品利用はこの星に対する負担を減らす行為・・・あたしにまかせておきなさい」
「秘密、ということかね」
「そのほうがありがたみが増すでしょ?」
「まあ好きにすればいい」
「ありがと」
「それはそうとあの件ついては報告を受けていないが」
「う〜ん、もう少し様子を見たかったんだけど」
「ああ、だいたいは把握しているのだがね」
「いい人材ではあるが、いささか難のある相手だったさね」
「テンサイだって?」
「コドモだよ」
「それにもうひとり<力>を持つ女がいて、そっちがねぇ」
「そうか。ならば暫し様子を見てみることにするか」
「彼を退かせた存在についても気にかかるしな」
「そうだな」
翌日。
夕魅那の自宅前から一台の高級車が出発する。運転手を除いた乗車人数は。
「なんだか肩が凝りそうです」と落ちつかない夕魅那。
「すみません、車椅子を乗せるにはこれくらいの広さがないと」謝るマサキ。
「・・・」必要以上の口を開かない芙蓉。
「ま、あんまり気にすンな」気楽な村雨。
「お前は気楽過ぎますよ、村雨」村雨を窘める御門。
芙蓉は途中で降り、裏世界の動きを調査することになっており、今日は御門が夕魅那と共にマサキを護ることになっていた。村雨は学校の近くで待機し、有事には駆けつける手筈だった。
「では倉条様、よろしくお願い致します」
芙蓉は念を押すかのような丁寧さで降車していった。そして次に青蓮の校門前。
「じゃあお嬢ちゃん、こいつとガンバッてくれよ」
村雨が降り、散歩に出掛けるような態度で反対方向に歩いていった。
「では我々もいきますか」
「はい」
残りの3人が降車する前。「ああ、これを貴女に渡さなければ」と御門は一冊のノートを夕魅那に手渡す。
「これに一日ごとのレポートをまとめるように、という条件が付きました。まあ適当に頑張ってください」
ノート片手に付き従う美少女と、彼女の前を行く車椅子の美少年、それを押す白面の貴公子。まるで絵画の世界から抜け出したかのような図式だったのだが、夕魅那本人は好奇の視線にさらされていてそれどころではなかったのが実情だ。
3人が3人とも目を引きつける容姿だったのは割と誤算だったかもしれない。有名人扱いに慣れたマサキと他人を気にしない御門、ただただ赤面して付いていく夕魅那は結果的にはマイペースで教室に向かったが、その騒ぎは前日までの比ではなかった。
余談ではあるが、性格的・環境的な理由でに目立たなかった夕魅那がこの日を境に校内で有名になった。その眉目秀麗さが拍車をかけ、学校を代表する聖女の座に持ち上げられるのは今少し時を必要としたが、話の筋には関係ない。
とにかく、人の目を引きつける以外は特に変わった出来事もなく、夕魅那はレポートを書きつつも半日が平穏に過ぎた。
昼。
彼女らは外に出た。校舎の外ではなく、本当に校外に出た。近くにキャンピングカーが止めてあり、そこで食事を行うという。
「食事そのもの、或いは食事を摂っている時間そのものにも気をつけねばなりませんから」ということらしい。
夕魅那は御門の言ったことが気になったのか、食事前に懐剣を抜いておいた。抜剣しなくとも<知覚球域>を使うことは出来るが、反撃はままならないからだ。
そこには朝別れた芙蓉と村雨の姿があり、賑やかな食卓となった。談笑を交えながらの食事時。わたしは昨日思いついた疑問を尋ねた。そんなたいした内容ではない(例えば素性を偽っていることとか、秋月さんの<力>とかは聞かない事にしている)。
「秋月さん、昨日のことなんですけど、私が御門さんや村雨さんとの戦いを止める時に私の名前を呼びましたよね? 私をご存じだったんですか?」
「ええ、それはあの時僕が描いていたのがあなたの絵だったんですよ」
「・・・はい?」
「そういえば話してませんでしたね。僕には未来を視て、それを絵にする<力>があるんですよ」
マサキはあっさりと口にした、自らの<力>を。
「ちょうどいい機会です。僕の話を聞いてください」
それは夕魅那の聞かなかったことの大半を説明付ける内容だった。星を詠む能力、つまりは未来の行く末をある程度読む<力>を持つ家系に生まれたこと、未来を改変した代償に足を失ったこと、<龍脈>の影響で<力>がより強まったこと、その<力>を巡って争いが絶えないことなど・・・いままではっきりと語られなかったことの殆どが話された。
「・・・私になんか話してもよかったことなんでしょうか」
「ええ、なんていうか、その、同い年のあなたに聞いてもらいたかったんです」
誰も口を挟まなかった。御門も、村雨も、芙蓉も、マサキの意志に従ったのだ。愛する人のためにマサキはこの道を選んだ。しかしながら彼・・・いや、彼女もまた弱い心を持つ人間だった。心の内を聞いてもらいたいこともあろう。ましてや・・・。
今の話でたったひとつ語られなかったことがある。それを察して夕魅那はこう答えた。
その前に彼女は懐剣を鞘に収める。マサキに心を伝えるために。
「私でいいんでしたら、愚痴でも弱音でも聞きますよ。その・・・女として」
言えなかったことを正確に読み取って彼女は答えた。マサキが持ち得なかった同世代の、同性の友人・・・夕魅那はそれになった。
「どうしたよ御門、不景気でいて嬉しそうな複雑なツラしやがって」
「自分の顔を鏡で見ることです村雨」
「む・・・」
なんというか、混沌としてはっきりしない気分をふたりは共有していた。彼らにとってマサキ・・・秋月薫は大切な存在だった。何としても護らなければならない人だった。しかしその立場は彼らと彼女とを決して対等にできない壁を作ったのだ。彼らと芙蓉は確かにマサキにとって安らげる存在であった。しかし友達というのはそれだけではない存在なのだ。共に泣き、笑い、時には反発したり和解したりするのが友。マサキにはいままで望めない存在だった。
緋勇たちとの邂逅から知己は得た。しかし彼らもまた背負うものの大きさ故にマサキを巻き込むことをよしとしなかった。さらにマサキと個人的に親しくなることは、マサキに対しての取引材料に使われかねない。様々な事情が相成って今に至っていた。
それが今日変わった。
マサキの<力>を欲することなく、また事情を呑み込んでおり、遠慮をすることがない。例え怪異に巻き込まれても耐性のある精神と自ら切り開く<力>を持っている。その上マサキの危機を救うという行動まで示してくれた。まさしく<宿星>が巡り合わせてくれた縁に相違ない。
「女ってのが、気がきいてるじゃねェか」
「そうですね」
「あのコがヤバい性癖でも持ってなきゃ安心ってモンだろ?」
「下品ですよ村雨」
「だからよ、箱入り娘を取られたようなツラすんなよ」
ふたりの共感した思いは、まあ嫉妬の一種だろう。彼らがなることのできないものにあの娘がなった。マサキにとっては喜ばしいことだが、なんとも複雑だった。
男が席を外したキャンピングカーの中で、女性陣がそんな会話など知らずに笑いあっていた。
「・・・それでその優子さんが言うことには・・・」
「そうなんですか?」
「らしいです」
いつもは柔らかい微笑みを浮かべるだけのマサキも、この日だけは明るい笑顔を見せていた。それが何ともいえず夕魅那には嬉しかった。
(笑うことも出来ないなんて・・・前の私みたいで、辛さはよくわかります)
プライバシーのない日々、微かな吐息にさえ気をつかったあの頃を思い出した。
その辛い思い出が引き金になったわけでもなかろうが、それはそういうタイミングにやって来た。
夕魅那の<知覚球域>にそれは引っかかった。
触手、あるいは粘り気のある糸。そういった代物として認識した方がわかりやすい。決して目には映らない、実体をもたない糸のようなものが忍び寄っていた。
食事後に収めた懐剣を素早く抜くと同時に仕掛ける。相手の判断のつかない間に、こちらが有利なうちに。
「我が力 これに流れよ!」
それは<力>を昇華させずにただ流し込んだだけの行為。威力は遙かに劣るが気取られぬように先手を取るために略式で行った。雷に打たれたような挙動で震え、触手は霧散する。その消え方は西洋人形の消滅の際と似ていた。
「何事ですか!?」
<力>を感じ取ったのだろう、外にいた2人が顔を出すなり詰問した。その剣幕にも<冷静>さはなんら動じない。
「何かが仕掛けてきました。霊体の触手のようなものが・・・」
言葉を止めて剣先を2人が入ってきたドアを示す。
「詳しい話はあとで。あのお客を先に出迎えないと」
夕魅那とマサキ以外は始めて見る、人形独特のかすかな笑みを浮かべた死霊の群れ。
「少しは楽しませてもらいましょうか?」
「こっちは待ってたんだ、楽しませてくれよ・・・」
正体の見えない敵の先制に2人は正面から受けてたった。今まで直接関われなかった<敵>が向こうから現れた、その事実が2人を高揚させたのは無理らしからぬだろう。
「宿・霊・元、いでよ地龍ッ!」
大地のエネルギーが荒れ狂い、
「赤短・舞炎ッ!!」
呪符の炎が巻き起こる。御門配下の陰陽師は術を跳ね返されて絶命したが、流石にこの2人は格が違った。互いを補う連携の巧みさも、水と油のような彼らからは想像もつかないもので、危うさなどは微塵も感じられなかった。
<力>の行使は彼らにまかせ、芙蓉と夕魅那はマサキを護ることを重点においた。
そんな中、夕魅那の心中で疑問が育つ。彼女だけがあることに気付いた。それは能力の差ではなく、純粋に経験の差である。それも戦闘の経験ではない、今相対する敵との接触した経験。
(この人形は問題ない、昨日と同じ物だ。だが先程忍び寄ったあれは)
蔓植物のようなものではなく、粘着感を伴う質の糸。正体は看破できなかったが、人形とは異なる性質だった。
(そう、あれは生きたモノだった)
何度も言うが、人形は依り代に憑かせた死霊なのだ。それに対して<糸>は生きた<力>をその接触で感じ取れた。
これらの意味するところは何か。
対策の根元が揺らぐかもしれない、夕魅那の冷静さと知性は急速に事態の組み立てをやり直し、改めて全体像を眺めやった。
一番有力とされたのは常時マサキを狙う政治関連の刺客だった。マサキの死は即ち国の混乱を意味したから、国の内外から抹殺或いは拉致の危険が付きまとう。そういう目的を持つ連中の刺客は最も多いと聞いた。
しかし、と夕魅那はもっと根底から異なる悪意や確執などを思惟にいれる必要性を感じつつあった。さほど根拠のない、いわば勘のようなものだが、ただ彼女は経験から知っていた。己の思い込みを全く違う方向から否定された場合、それに対しての反証を持たない場合は取り返しのつかない事象を引き起こすことがあるという事実を。
村雨の降伏勧告が聞こえる。
「観念しな」
夕魅那がひとりで倒せたものを、この人数で凌げないはずもない。ましてや御門と村雨は術者、実体なきモノは彼らの得意とするところであり、得物のひと振り毎に数を減らす人形はたいした手間もかけずに一体を残すのみになった。
誰ひとり油断せず囲む魔人たちの中で、その人形は大声をあげて泣き出した。赤ん坊が火をつけたように泣く、という表現を使うことをためらうくらいの騒ぎ方で恥も外聞もなく喚き続けるそれ。
ひとしきり騒音をたてた人形は泣き出したのと同じように唐突に静かになる。
「ミ、ミ、ミ、ミトめない、みとメナインダ・・・」
泣き、喚き、次には呟きを洩らした。その声も徐々に音量を増す。
「ミトメナイ! ミトメナイ!!」
それは怨みでもなく、単なる愚痴のような台詞。一部の皮肉屋は「どうせ<私が負けることなど認められない>などと主張するのでしょうね」と見下した。
しかし彼の予想は外れる。
「みとめられないよ! いちぶのにんげんだけがひとのうんめいをみて、それをかってにかえることができるなんて!!」
「え・・・」
内容に一番の理解を示したのは、呻きをあげたマサキ。
「みとめられないよ! ひとがうまれたとたんにおきることがきまってるなんて! そして!!」
マサキは。
「なにもできないひとたちはそのなかでいきてるのに、なんでかってうんめいをかえるんだよ!!」
その叫びに。
「そんなの、そんなのって」
何も。
「そんなのってれーるのうえをはしらされてるだけじゃないか!!!」
言えなかった。
「うんめいなんてなければいいんだ! もしあったとしても」
その言葉は。
「そんなのだれもみちゃいけない、ましてかってにかえちゃいけないんだよ!!」
彼女を傷つけた。とてもとても深く。
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