人が生まれたときに持つ星を宿星という。もし星を詠むことができるならその人の人生を、星々の繋がりさえも詠めるなら世界の趨勢をも知る事が出来る……それが星詠みの<力>。こんな<力>いらない、最初は、いや、ずっとそう思ってた。でもこの<力>はわたしの大切な人の危機を教えてくれた、そして運命を変えてくれた。あの人は馬鹿な事をしないでほしい、そう言った。でもわたしは後悔していない。そしていまさら感謝する。星詠みの<力>があったことを。
世間には冬の気配が忍び寄る。そんな景色を校舎から見下ろしながら倉条夕魅那(そうじょう・ゆみな)はボンヤリしていた。決して活発とは言えない彼女はあまり校内に友人がいなかった。入学当時からこの数カ月、特殊な事情があってあまり他人との接触ができなかったせいもある。二週間の長期欠席の後、少しは他人と話せるようになったので、多少は改善されるだろう。なお、彼女に話しかける男子の数は急増したことを付け加えておく。
「夕魅那ぁ!」
慌ただしい声が走ってきた。背中にまで至る黒髪・アイスブルーの瞳は切れ長という夕魅那と対照的な女子生徒だ。ショートヘア、大きな瞳、太い眉毛……。同じクラスの楠木優子。学年一のスプリンターで、同じく学年一の人気者でもある。学園の聖女、というより小町という位置にいる。
「どうかしましたか? 楠木さん」
「あ〜っ、まだ敬語使う〜!!」
「あ……ごめんなさい。もう癖みたいになってしまって……直そうとはしてるんですけど」
「う〜ん、いい若いモンが良くない傾向だぞ!?」
よく動く表情、ハキハキした態度……一人称が<ボク>でこそないが、何だか彼女は少し前に知り合った先輩に似ていた。
「まあそれはそれとして……何か用事があったんじゃないんですか?」
「あっ、そうそう、夕魅那、勧誘の件、考えてくれた?」
「……ごめんなさい」
「いや、そこまで申し訳なさそうな顔しなくてもいいけど……もったいないなぁ」
非常に残念そうな優子。彼女は唱歌部の夕魅那を陸上部に勧誘していたのだ。この運動とは無縁そうな少女が類稀なる運動能力の持ち主である事を知っていたからである。
そしてそれが天性のものではないことを理由に発揮出来ないのが夕魅那。己の過去と出生にまつわる事件の後、彼女は<力>の制御触媒である懐剣を携帯しなくても、ある程度能力を扱えるようになっていた。というより意志に関わらず影響を与えていた、という方がより正しいかもしれない。例えば瞬時の判断が容易に行えるとか、運動能力が同世代の女子に比べて抜きんでているとか。かつて剣によってもたらされた能力の一部が身についてしまっているわけである。
(まあ生活に困るわけではないんだけど)
あれ以来、もう<力>に対して悲観はしなくなっている。いいことだと自分でも思える。……そういえばひとついい事があった。以前より遙かに巧く歌える。身体をより正確に扱えるようになった副産物だった。
「それはそうとして」
夕魅那の述懐の合間に話題は次に流れていた。どうやら勧誘はただの前振りだったらしい。
「夕魅那は知らないだろうけど、最近学校の近くに変質者がうろついてるんだ」
「……?」
確かに初耳だった。優子の話によると、夕魅那が休んでいた間、帽子を目深にかむりコートを羽織った長身の人物が校門前でまんじりともせず生徒を伺っており、気味悪がった生徒が教師に通報した時には既に姿はなかった、そんなことが欠席中に五度もあったという。
「きっと獲物を物色してたんだ、怖いよね」
物騒な事を嬉々として言う優子。
「それって、自分が被害者になった時のこと考えて言ってます?」
「あたしは大丈夫。走って逃げるし」
これから部活だから、そう言い残して西風の化身はグラウンドに走る。その後ろ姿を見送って、夕魅那自身も部活のため音楽室に足を向けた。
今日は居残りを命じられた。悪いから、ではなく見込まれたからのようだ。ソロでの指導を受けた後、「専門的にやってみないか」そう言われた。青蓮学院は芸術に力を入れている学校で、最近なら天才画家がひとり校内に生まれたのが記憶に新しい。
それはともかく、学校では二年生からカリキュラムによってコースが分けられる。夕魅那は志望コースを理系にしていたのだが、顧問から声楽科の選択を勧められた、とそういうわけだ。かなり名誉なことではあるのだが、全く考えた事もない勧めでったので、返事は保留にしたのは仕方ないだろう。
「どうしよう……」
憂い顔の理由はそういうわけであって、けっして夕闇にいるかもしれない変質者のせいではない。第一優子ではないが、夕魅那もそんな存在を歯牙にかける必要はないのだから。右腿にこそ固定はしていないが、懐剣は鞄に収められている。もう必要ないとも思ったが、先輩たちに「<力>は<力>を引きつける」と教わった。少なくとも<龍脈>が沈静化するまでは……。
夕魅那は思考を中断した。人の気配を感じたからだ。それがただの気配なら特に気にもかけなかったろう。しかしそれは大きすぎた。今まで気付かなかったのが不思議なくらいに。
「誰……?」
敵意は感じない、だからといって油断はしない。夕魅那は懐剣を取り出す。抜剣しなくても、今の彼女ならば自分の気配を消去することなど容易なのだ。己の存在を希薄にして、彼女は気配の先に移動する。どうやら音楽室と同じフロアのようだった。そうして夕魅那の行き着いた先は。
(美術室……?)
確かに気配はそこから発せられていた。覗いてみると……。
(いた。)
そこにいたのは三人。うち二人は青蓮の、いや、学生ですらないだろう。SPとかボディガードとか、そういう風体の男。あまり美術には関わりないと思われる人たちだ。
そして最後のひとりは見覚えはないが誰かはわかった。唯一人、場所にふさわしく絵筆をキャンバスに走らせる車椅子の青年。
(あのひとが秋月マサキさん……)
校内に知らぬ者はいまい。天才の名を冠された青年画家。
(わあ……)
夕魅那は思わず見とれてしまった。マサキの中性的な面差しに、ではない。彼が筆を振るうその絵に。描いている途中だったので何を表しているかはわからない。でもその青色を基調としたそれに何故か心を惹かれた。そのためか、彼女は<隠行>を忘れた。
「どなたですか?」
「……!」
全て遅かった。一種の陶酔から覚めた彼女の視界に映ったのは緊張して身構える二人の男と柔らかに微笑んでいる彼。
「あ、あの、下校時間を過ぎても、誰かなって」
意味は伝わるだろうが、混乱による彼女の言い訳はあまり日本語とはいえない。しかし手にした懐剣を袖に隠す事は忘れない。
「……ああ、もうそういう時間でしたか。気付きませんでした」
「す、すみません、お邪魔したみたいで」
未だ恐縮しきりの夕魅那に、こちらこそ何だか驚かしてしまってと答えるマサキ。そのあくまで穏やかな対応のおかげで彼女は随分落ちつきを取り戻していた。
「視えてる間は筆が止まらなくなって、よく時間を忘れるんです」
「みえる……ですか?」
「あ……その、イメージが、ね」
慌てて前言に補足をするマサキ。
慌てもする。マサキの言ったことは自身の<力>に関わっていたからだ。血筋によってもたらされた<力>……星詠み。いわゆる予知によって視たものを絵に表すことができる、それがマサキの能力。そのことを知らないうちに口走りそうになったのである。
(気が緩んだせいでしょうか)
その能力ゆえにマサキは常に狙われていた。そんな邪欲を持つ連中を寄せつけないため、いつも身辺を護ってくれていた三人の親しきひとが今日はいなかったため、一日気が張っていた。その糸がこの少女と出会ったときに切れてしまったようなのだ。
マサキは改めて少女を見やる。ひと言で表現すると類稀なる美少女、につきた。よく絵のモデル志望の少女たちと顔を合わす機会があったが、これほど群を抜いた美貌の持ち主は見た事がなかった。困惑の表情を見せる彼女と目が合う。その瞳は蒼い。
「そういえばまだ名前を言ってませんでしたね。僕は……」
「知っています。秋月マサキ先輩、ですよね?」
「はい」
「初めまして、私は……」
そこまでだった、言葉を続けられたのは。
ほんのひととき、電灯が消えた。それは常人であるならば気付かない、刹那の出来事だった。男ふたり、そしてマサキも緊張に硬くなった。黒服はマサキの前後に立ち、守りを固めた。
超感覚のフィールド<知覚球域>を展開させながら、夕魅那は思考を巡らせる。疑問が生まれたからだ。先程まではあの二人をマサキさんの世話役兼護衛だと思っていた。しかし認識を改めさせられた。さっきの出来事は普通のひとでは感知し得ない種類のものだった。なのにマサキさんを含めてここにいる全員がそれを捕らえたのだ。自分の挙動に気取られないよう注意を払って彼女は警戒をする。彼らに対しても。
(やはりこんな好機を見逃しはしませんでしたか)
後悔の念と共にマサキは経緯を顧みた。先日、自分を狙っていた者の一派・阿師谷一族が紆余曲折を経て血筋を絶やす結果となった。歴史を持った彼らの末路が裏世界に与えた影響は大きく、マサキを狙うものの動きが一時的にしろ沈静化したのだ。そうして今日、身辺を警護してくれていた三人がそれぞれの都合で傍にいれなかったのだ。そのうちひとりなどは自分の予定をキャンセルしてまでお供すると言い張ったが、マサキがやんわりと諭したのでその人物はやもなく引き下がり、代わりの手練れをこうして付けてくれたがしかし。
ちらり、と少女を伺う。巻き込んでしまったこの娘を守らないといけない、自分を守る護衛にそう告げようとした。
シャッ!
何かが護衛の顔に張りついた。それはあまりに唐突で、その男は反応出来なかった。そしてあがる音と悲鳴。音とは肉を引き裂く鈍いもの。悲鳴はただ呼吸のもれたもの。断末魔ですらなかった。
ゴトリ……重苦しい響きが惨劇の結末を告げた。知らせたのは落ちた首。血塗れで首無き台座におわすのは一体の人形。子供が抱えられるくらいのお人形さん。それが首無し死体に腰掛け、笑い、操った。
状況は理解出来た。しかし何がどうなってこの様な事態を演出しているのかは埒外だった。夕魅那は最初、自分にまつわる怪異かと思った。その判断のもと、自分に向けられた害意なり意志なりを警戒していた。そのために対応が遅れ、誤りの結果がこれだった。ひとりが死んだ、それもこの上なく呆気なく、無残に。そして死者を冒涜するかのようにあれは遺体を操り、もうひとりの護衛と向き合っている。
(これは私を中心にした出来事じゃない……むしろ私は舞台に加わっていないみたい)
生き残りの護衛が懐から何か棒のようなものを取り出し、動く死体に打ち掛かる。想像以上の衝撃を受けたように死体は吹き飛び、壁に叩きつけられた。
事態を鑑賞する夕魅那の意識は彼女の袖を引く人物に気をそらされ、そちらに向いた。
「ここは危険です。あなたは逃げてください」
マサキの真剣な声。
「秋月先輩はどうするんですか」
即答する夕魅那に驚きを禁じ得ないといった面持ちをするマサキ。この非常識な事態に巻き込まれたにもかかわらず、混乱もしなければ不安を解消する為の質問も行わない。まるで場馴れしているかのように要点だけを質してきた。戸惑いを残したまま答える。
「犯人の狙いは僕です。だから関係ないあなたは逃げれば……」
「残るつもりなんですね」
「……はい」
そのことに迷いはない。自分の選んだ道に後悔しない。そのために。
「だからあなたは」「だめですよ先輩」
逃走の勧めと否定は同時だった。あくまで冷静さを失わない響きで。
「まずひとつ、逃げれませんし」
扉に手を掛けてみる。しかしピクリとも動かなかった。
「次にふたつ、目撃者は許してくれるか疑問ですし」
その通りだと思う。<力>を欲する者はそれを振るうのに躊躇などしない。
「それにみっつ、もう遅いみたいですし」
指さす先に視線を転じる。護衛がじりじり後退し、そのさらに向こうには形の異なる人形の群れ。
「そして最後によっつ」
少女は袖口から何かを取り出した。
「助けられるひとは、やっぱり助けたいじゃないですか」
マサキの視線の先で少女の気配が高まり……蒼い閃光が照らした。
(<力>は<力>と呼び合う)
先達の意見は正しかった、ありがたい忠告を噛みしめながら夕魅那は懐剣を引き抜いた。光輝の刹那、意識が格段に明瞭・精密・冷静になる。そして知り得る全てが流れ込んできた。人形の容姿は見せかけ、正体は半具現化した霊体であり、術法に縛られた哀れな存在であることもわかった。哀れではあるが、生ける者に害するのであれば躊躇はしない。美里先輩であれば浄化もできようが、今の私には凍える刃の慈悲しかない。
「許して、とは言わない。その代わり私も容赦しない」
<力>を集め、示し、開放を求めた。
「我が力 風雪となり 道を阻む者を なぎ払わん……!」
亡者に向けられた冷たい風。それは肉体ではなく精神を凍えさせる……。
「氷気流斬!」
狂熱を一掃する蒼の颶風。愛らしい人形が苦悶する暇なく魂を凍結され、不浄霊は現世に留まる存在力を失い、迫り来る驚異の大半は支える力を祓われた依り代と共に滅びの道を辿らされた。
無論、全てではなかった。首無し死体に鎮座せしむ一体。狂気に晒されない怜悧なそれだけが残った。しかしその一体こそが先の一団の首領格なのは明らかだった。
マサキは事の推移を何とか理解することができた。いや、デュラハンの如き死体を従える西洋人形と蒼い瞳の<人ならざる者>……双方の隙も気負いもない対峙は、もはや傍観者たる者に反復の時間すら与えた。
襲撃は突然だった。護衛の一人……今川という陰陽師……は不意打ちに応戦する間もなく命を断たれた。もう一人の護衛……古屋……は術法を振るって立ち向かったが多勢に無勢。もはや助かる見込みはないように思われた。その時、この惨事に巻き込まれただけの少女が意外な行動を起こした。逃げる事を勧めた僕に対して、彼女は落ちついた立ち振る舞いで逃走は無理である事を示し、最後にこう言った。「助けられる人は助けたい」と。そして僕の目の前で<力>を振るい、御門配下の陰陽師が叶わなかった人形の大半をひと太刀で倒した……。
相対する者達に比べて正気を失っていたのが古屋という男。関東ではそれなりの実力を持つ彼が翻弄された相手と、それを苦もなく打ち払った少女。彼の自尊心など歯牙にかけない両者の攻防は彼から目的意識を完全に奪い、己の力を示す事にのみ執着してしまった。そこには判断も計算もない、ただ衝動がある、それだけだった。
「古屋さん!?」
目的……マサキの安全……を見失った古屋には制止は届かない。マサキを顧みることなく彼は結印を成し、術を解き放った。
火炎が人形と死体を包み込むのを見て、夕魅那は始めて気付いた。護衛の暴走とその取り返しの付かない軽挙に。
「下がり……」
間に合わないだろう、そう思いつつも口にしかけた警告。そして確認した。想像の通りである結果を。
轟炎はそのまま術者に跳ね返り、陰陽師を包み込んだ。消化するまでもない、男の身体は瞬時に炭化して炎の勢いは衰えた。人体の脂を燃やし尽くし、もう燃える部分がないからだ。
「ふる……や……」秋月先輩の声が物悲しく聞こえた。
それはともかく、と<冷静な>夕魅那は自らの愚挙による死者に一瞥すらくれず、<敵>の能力を見極める事に心を費やしていた。
(原理は不明……でも<力>の投射はしない方が賢明のようですね)
放たれた<力>が戻った、そう認識された。どの程度の<力>を跳ね返せるのかわからないし、試す気にもなれない。この場合取るべき手だては。
無言による均衡を夕魅那が破った。鋭い踏み込みで間合いを一気に詰め、そのままの勢いを駆ってひと太刀仕掛けたのだ。その一撃を刃をくい込ませながらも防いだのは死体の両腕。<力>の乗った一撃をくい止めたのだ、この人形は死体にもなんらかの<力>を与えているのだろう、警戒を怠らず間合いを操る。攻守入れ代わり、人形の操る死体が手足を駆使して夕魅那に仕掛けた。その動きは充分常人を超えたものであり、また威力もそうであったろう。推測で語るのはその全てを彼女が捌いたから。
ひたすら防御に徹していた彼女がタイミングを計る。この妖かしがどんな<力>で死体を操っているにしても、その身体自体は骨格や筋肉に制限された動きになっている。外部から干渉しようが関節の反対方向に曲がったりはしない。例え筋力の制限を超えたとしても、造形の制限は超えていない……夕魅那が再び仕掛けた。
さっき程の速度はない代わりに一歩毎に重心をずらした、相手に捕らえにくい動き。<敵>の反撃を受け流し、背後を取る。振り向きざまの裏拳もやり過ごし、跳ね上がりの突きを見舞う……絶叫。
「我が力 氷炎となり 道を阻む者を 焼き払わん……」
人形の右目に切っ先を刺したまま<力>を向ける。死体は反撃できないでいる。手足の関節が急に凍りつき、操る肉体の自由を奪っているがゆえに。
「極炎蒼閃!」
零距離による<力>は爆発的に人形内部に浸透し、半瞬で黄泉路へ送り届けた。
人形の敗因は、操っていたのが人だったことだ。夕魅那は前回の戦いで<人ではない>異形と何度も刃を交えた。その予想も付かない動きをする異形に対して、どれほどの反応を示そうとも今回の相手は人だった。動きが推測できる相手だったのだ。そして正確に動くが故に予測される、そのジレンマに気付かなかった人形は夕魅那の敵たり得なかった……。
戦いは終わった。美術室は惨々たる状況だったが。
校内に<知覚球域>を巡らし、気配がない事を確認した後、夕魅那は唯一の生存者に向かって話しかけた。
「護衛の方は残念でしたが、取りあえず危機は去りましたよ、秋月先輩」
向き直り……気を失っていることに気付く。気丈に振る舞ってはいたが、やはりこの惨状には耐えられなかったようだ。私とても抜剣していなければどうなることか。前回の戦いでは、人の形に似た者はそれこそ何体手にかけたかわからないほどだった。しかし人死には全く出なかった。今回のように死者二名、などという事は起こらなかった。
「ともかく起きてもらわないと」
事情を把握する必要がある。……とその前に一応彼に負傷箇所等がないか確認しておく方がいい。怪我人に尋問するのも、躊躇はしないが気分がよくない。<知覚球域>を狭め、彼に固定する。……外傷なし、精神波異常なし……。
「?」
超感覚は様々なデータを一瞬にして彼女に伝える。骨格、体脂肪率なども例外なく。そして体型も。
「この人……」
<冷静>でなければ飛び跳ねて驚いたかもしれない。肉体推測年齢十六。性別……。
この時彼女のセンサーは外に向いていなかった。そして彼らの技量も群を抜いていた。それゆえ接近者の感知ができなかったのは仕方なかったろう。
美術室のドアが乱暴に開かれた。車椅子と対峙していた夕魅那が顔を向けた先には二つの白い人影。同じ、いや、同じような制服に身を包んだ彼らから発せられる強い気と敵意。「何者ですか?」 つとめて気を乱さない。二人を視界に捕らえて見据える。貴公子然とした優雅な青年と、無頼漢じみた男。対照的な組み合わせだが、こちらに叩きつける殺気の強さは同等。
この時夕魅那はまだ知らなかったのだ、緋勇の仲間である御門と村雨のことを。
「それはこっちのセリフだぜ、お嬢ちゃん」
懐から何か取り出しながら、無頼の男……村雨……が凄む。今日の彼は一段と機嫌が悪かった。北区の骨董屋に出向いても店主が捕まらない、それならばとカモを見つけに真神の方へと足を向けても誰も見つからない、挙げ句に浜離宮に戻るとマサキが普通の護衛のみで登校していると言う。もし自分がどこかに腰を落ちつけてあれば連絡もついたろうに……骨董屋に逆恨みしつつマサキの学校に駆けつけると同じような顔をした御門と鉢合わせする、そしてこの惨状だ。マサキをこの上なく大切にしている彼にしてみれば、その大切な人を危険な目にあわせた自分と敵に対して怒りと憤りを持たずにいられない心境だった。そして敵は目の前にいる。
「死にたくなかったら消えろ」
自慢の花札をかざす。夕魅那にはそれが花札ではなく呪符に見えた。呪力に包まれたそれは危険極まりない代物に相違なかった。
「村雨、すぐに殺してはいけませんよ」
不必要なまでの典雅な振る舞いで制する。
「背後関係を話して貰わないといけませんから」
バチ……手にした扇子を閉じ、代わりに杖を手にする。それもまた<力>の込められた魔具のようだ。
(この二人相手に勝利し得るか)
極めて難易度の高い命題のようだ。とはいえ引く気はない。秋月さんを……彼女を助ける、もう決めた事だ。
「彼女は渡さない、邪魔者は……」「彼女だと!?」
村雨と呼ばれた無頼が驚愕する。
「てめえ、何を知ってやがる!」
「……」
マサキを彼女と言った事が何故か彼らを激昂させた。冷静だった青年ですら顔に赤みが差していた。そして村雨は。
「牡丹ッ!」
唐突だった。呪符に念をこめて放射したのだ。花札の牡丹を模った呪力が夕魅那に迫る。
確かに唐突だったが、不意をつかれたわけではない。懐剣に軽く<力>を込め、相手の念に干渉して軌道を少し逸らせた。牡丹の花は彼女を掠めることなく壁に消える。
「やはりあなた方も<人ならざる者>でしたか」
「てめえもか!」
呪符に杖……幸いな事に二人とも術を主体に攻撃を仕掛ける<力>の持ち主らしい。ならば。
氷刃を伴って二人に肉薄する。速度を重視した連撃を二人に見舞い、確信する。この二人、特に青年の方は体術を修めていない。
(勝機は見えた)
一度間合いから離脱する。攻めを単調にしないように。
「臨!」
御門が追い打ちをかけるが無駄に終わる。
「まずいですね」
「何がだ」
「鈍いですね……敵は我々が体術に優れていないことに気付いたようです」
「……まずいな」
「まあ、対策もなくはないですが」
「あるのか!?」
「一度だけ使える手です……それで勝負を付けないと……勝てないかも知れません」
「だがやるしかないんだろう、違うか!?」
「不本意ですが村雨の言う通りです」
「けっ……さっさと話せ」
再び夕魅那の猛攻。
「紅葉ッ!」「掌決!」
繰り出される術をなぎ払い、或いは体術のみで避ける。間合いを詰めさせないのなら、もっと攻撃範囲の広い術を使うべきだろう。しかし御門と村雨はそうはしなかった。彼女を間合いに引き込む為に。
あと一歩、いや半歩という所で夕魅那は違和感に捕らわれた。いや、既視感か。心のどこかで警鐘が鳴る。この感覚は以前感じたことのある<力>の高まり。<人ならざる者>が扱う合一の気……。
(まさか!)
自分を取り巻く力の渦に今更ながら気付く。間違いない、私は<方陣技>に陥っていた。抜け出すのは不可能、対策手段はひとつ、方策はふたつ……。
「我が力 氷の殻となり 道を阻む者を 塞き止めん……霊氷殻!」
方策のひとつを実行する。防御結界が彼女の左腕を覆う。全身にではなく、身体の一部に、である。それと同時に辺りを夕魅那を包みつつあった<力>に干渉する。より精度を高くする、その代わりに……。
陣は完成を見た。
「「陰陽霊符陣!」」
彼らの切り札が夕魅那を襲った。肉を切らせて骨を断つ、その策の終局。捕らわれた者は逃げようのない方陣技、御門たちも確かな手応えを感じていた。
「巧くいったな、おい」
「そうですね」
様々な意味での危機を脱した彼らに安堵の表情が浮かぶその視線の先で、荒れ狂う霊波の渦が消えていき。
そしてゆるりと立ち上がる影ひとつ。
「なんだと……!」「あれを受けて無事であるはずは……」
驚愕に答えて曰く。
「無事、という程ではありませんが」
夕魅那は左腕を差し出す。制服は無残に引き裂かれ、剥き出しになった白い腕は血に染まっていた。いや、今もその生命の流れは床に池を生み出す源になっているようだ。さらに<力>を感じ取れる者なら、彼女の左腕の気の流れ(或いはチャクラ、アストラル体)がズタズタであることも見て取れたろう。
「てめえ、<力>の矛先を……!」
「はい、一番必要のない部位に集中させました」
方陣技の影響を避け得ないと察した夕魅那の対抗手段は<被害を最小限に抑える>ことだった。それを行う方策は<威力を一点に集中させる><そのうえで威力を抑える>のふたつと判断した彼女は、<力>の集中場所を左腕とした。機動力重視かつ片手で扱える懐剣ならではの結論といえる。事前に防御結界を張り、そこで破壊の<力>を解放させた。方陣技の精度を上げる反面、作用領域を狭める干渉まで行って。そうして生き残った、多少の犠牲を払って。
(とはいえ……)
己の損傷状況を確認する。動脈こそ無事だったものの毛細血管は圧力に耐えきれず全損、流血は止まる気配もない。通常なら気脈を操ることで止血も可能だが、気脈そのものまで破損している今は何の処置も打てない……肩口あたりを縛るくらいしか。いや、それすらも。
(戦闘中では無理か)
長引けば失血による死が待っている。たくさんの人たちに救われたこの命を粗末にはできない、もはや手段を選ばずに。衝撃抜けきれぬ彼らに告げる、警告ではない、決意の程を。
「これで終わりにしましょう」
動揺の色ひとつ見せず、術式を編む。
「我が力 極氷たる蒼を力 無なるを意志となし……」
己の持つ<力>の全てを一度に解放する構成。結論から言えば、それは発動しなかった。
「やめてください!」
夕魅那の詠唱を悲鳴、いや、必死の叫びが制止した。マサキは方陣技の衝撃で意識を取り戻した。彼女の視界に飛び込んだのは自分を護ってくれる大切な人たち、そして彼らと対峙する窮地を救ってくれた少女。御門と村雨は全身に傷を負い、少女は左腕から夥しい血を流している。互いの状況から誤解が生じているのは明らかだった。
「やめてください倉条さん! 御門と村雨はわたしの大切な……!」
倉条さん? マサキは名も知らぬはずの少女に呼びかけた事に自分でも驚いた。それと同時に理解する。今日<力>のまま絵にした蒼のイメージ、あれが彼女を表していたものだと、だから彼女の登場と共にトランス状態が解除されたのだと。
その呼びかけは彼らの方にも変化を与えた。
(倉条?)
聞き覚えのあるその名字に御門は反応した。先日起こった錬金術にまつわる事件、あれに確か一門の司書だった倉条文時が関わっていた。そしてその娘が狙われていたとか。その娘は存在を凍らせる<力>を持っていたとか……。
(この少女が倉条の娘、なのでしょうね)
そして夕魅那は。
(御門?)
その名は面識のない恩人と同じ響きを持っていた。先日の事件では様々な人の手を借りた。そのひとりに関東の陰陽師を束ねる存在である御門という人がいた。
(陰陽師で御門……本人か、少なくとも関係者でしょう)
ふたりの戦意が削げるのを、ひとり蚊帳の外な村雨が怪訝そうに眺めやっていた。
無益な争いは終わった。
「おや……今日は診断の日だったかい」
「あ〜〜、夕魅那ちゃんだあ〜」
和解した一行は桜ヶ丘病院を訪れた。もちろん治療のためだ。御門の呪符などでは到底回復できなかった。特に夕魅那の左腕は外傷はともかく、霊的損傷は深刻にすぎた。院長ですら「こいつはひどい……誰だい、こんなひどいことをした奴は」と顔をしかめたほどだった。夕魅那には笑って誤魔化すしかなかった。しかし全てを誤魔化せたわけではなく、ことの顛末は洗いざらい白状させられた。彼女だけではなく、他の三人も含めて。
「秋月家を狙う輩かい……多過ぎて見当も付かないだろうねえ」
国の混乱を狙う者、<力>そのものを欲する者……その数は限りない。
「今に始まったことではありません……いずれにしても撃退するのみです」
「夕魅那ちゃんがいて〜、よかったですね〜」
余裕の仮面をつける御門に、邪気のない高見沢のひと言が痛烈に見舞われる。今回の不手際は一歩間違えば取り返しの付かないものになる所だった。なにしろ護衛はその任を全うすることなく絶命、マサキを護ったのはあくまで偶然その場に居合わせた夕魅那なのだから。
「……その件については改めて礼を言わせてもらおう、倉条夕魅那さん」
「そ、そんな、私こそ恩ある方に刃を向けてしまい、申し訳ありません」
滅多に人に頭など下げない御門の礼に夕魅那は慌ててしまう。
「いえ、本当に助かりました。ありがとうございます」
マサキにも礼を言われ、彼女は戸惑う事しきりである。
「照れるなよお嬢ちゃん、御門が頭下げるなんて滅多に見れねえ代物なんだ、よく見といた方がいいぜ」
「村雨、それはどういう意味ですか。私は礼儀を重んじているのですが」
「何言ってやがる、ホントのことじゃねえか。お前さん、政府のお偉方に目礼ひとつしないだろう」
「礼儀は人を見て行うものです。彼らはそれに値しない、それだけのことです」
呆気に取られる夕魅那。水と油のようなこのふたりが、まるで打ち合わせをしていたかのような会話の応酬を始めたからだ。また、それを見てマサキがクスクスと笑う。
「気にしないでください。あのふたりはいつもああですから」
「はあ……」
終始申し訳なさそうな表情を見せていたマサキがようやく笑みを見せた、そうさせたのはあのふたりなんだ。そう気付いた夕魅那はこの雰囲気を壊すようなこと(なぜマサキが性別を偽っているのか、秋月家の狙われる理由とは何か、などを尋ねる)はしたくない、そう思った。
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