Sweet or Bitter第六話








「さて、それじゃ行こうか、次のフロアへ……」

京一のおかげ(?)で僕も敵に通用する技を編み出し、更に旧校舎を潜る事にする。
次のフロアも先程と同じく、仄暗い向こうから蝙蝠の羽音が聞こえてきた。

「……いるな、ここにも」
「うん。さっきよりも多い……」
「だが、数が多いって言っても、倒せねえ敵じゃないからな。一気に間合いを詰めていくぜ、ひーちゃん」
「わかった。京一も出遅れないようにね」

ゆっくりとした歩法で蝙蝠達との間合いを詰める。
歩法の最中にも呼吸法による錬氣をし、体内の氣を高める。
歩きながら、移動しながらの錬氣は難度が上がるが、これが出来ないととても実戦の場では使い物にならない。
その為の歩法というのも、僕が学んだ武術にはある。
京一もそれに類する歩法は学んでいるようで、静かに呼吸法を続けながら僕と一緒に間合いを詰めてきている。
やがて蝙蝠が僕たちに気づき、臨戦体制を整える。
が、遅い。

「けぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「哈ッ!」

京一と僕の気合いの声が重なり、間合いに入った蝙蝠が数匹、同時に弾け飛ぶ。
いくら数が多くとも、互いの連携というものを知らない蝙蝠達では僕らの敵じゃない。
僕と京一はあの戦いの時、幾度と無く共に死線を潜り抜けてきている。
それは無論僕と京一だけじゃないけれど、僕らの場合は互いに得手とする間合いが似ているせいもあってか、近い位置で戦う事が多く、自然お互いに補い合う事も増えていた。
あの時は、僕ら2人に醍醐がいて、後ろから小蒔と美里が援護してくれて……
ふとそんなことを考えてしまい、隙が出来たのだろうか。
僕の間合いにいた蝙蝠の1匹を仕留められずに逃がしてしまった。

「あっ!」
「ん? 逃がしたか……どうしたひーちゃん、らしくないぜ。集中を切らせるなんてよ」
「うん、ゴメン……ちょっと気、抜いてたかな……」
「まあ、大事ないだろ。蝙蝠の1匹ぐらい、逃がしたところで……」

京一がそう言いかけた時だった。
僕の逃がした蝙蝠が逃げていった方 ――― 仄暗いフロアの奥から闇が染み出してきた。

「なッ!?」

驚愕する間もあればこそ、僕らのいた位置も闇に包まれた。
今までフロア全体を覆っていた、仄かな闇とは明らかに異なる、文字通りの漆黒の闇。
すぐ隣りにいるはずの京一の姿がどうにか視認出来る程度、といったありさまだ。

「こいつは……ちょいとヤベェな」

確かにかなりまずい状況だ……僕らは今、氣を読んで戦う術をほぼ封じられている。
この上視覚を封じられたとなると、後は頼れるのは聴覚のみ…………
対して蝙蝠は闇の中でも問題なく戦闘できるはずだ。

「今……蝙蝠が襲ってきたら……」

そう、思わず言った瞬間、僕は後悔した。
イヤな予感は口にするものじゃない。
闇の染み出してきた方角から、無数の ――― 今までに無い程の数の、蝙蝠の羽音が聞こえてきた。

「ちぃッ! 音だけで戦うしかねえ!」

蝙蝠独特の篭ったような、湿った羽音が迫ってくる。
近い!
ともかく、蝙蝠の牙にやられてはならない部位 ――― 目や喉、その他正中線の急所をかばう構えを取り、羽音から距離と方向を判別しようとする。


――― そこか!?


だが、闇雲に僕が放った勁を纏わせた掌打は、ただ空を裂いただけだった。


キキッ!


耳障りな鳴き声。
頬を薙ぐ風。
鋭い痛みが走る。
思わず頬に手で触れると、ぬるりとした感触があった。
血だ。
切られた。
だがこの程度でひるむわけには行かない。
羽音の方向にとにかく手を出すが、当たるはずも無い。
たまに当たってもかする程度だったりして、致命打にはなっていない。

「クソッ、このままじゃ!」
京一の声が聞こえる。
あちらも苦戦を強いられているようだ。
なんとかしなきゃ、なんとか ――― !

「ひーちゃん、右側面上段! 京一は左袈裟!」

突然背後から、良く透る声が響いた。
僕と京一以外に誰が、などと考えるより先に、その声の通りに右上段に勁を乗せた足刀を放つ。


ギキッ!
ギァ!


足首に伝わる確かな手応え。
僕の足刀に当たったらしい蝙蝠が、絶命の声を上げた。
声が重なっていたのは京一が仕留めた蝙蝠のものか。

「ひーちゃん、左側面中段! 京一正面に抜き胴から逆袈裟!」

突如として現れた声の指示に従う。
信じられない事だけど、声の指示した攻撃をすると、その先に蝙蝠がいる。
――― 信じられない?
いや、声の指示を疑おうともしない自分がいる。
そうだよ、だってこの声は ―――

「散って!」

声が言うと同時に、僕と京一が左右に散る。
背後で、微弱ながらも確かな氣の奔流を感じる。

「必殺ッ! 九龍烈火ァァーッ!」

背後から放たれた紅蓮の炎に包まれた矢が、いつのまにか僕と京一によって一ヶ所に追いつめられていた蝙蝠達を一気に焼き払った。
蝙蝠が全滅すると同時に、フロアの闇が晴れていく。
緊張が解け、肩で息をつく僕と京一の耳に背後から声が聞こえる。

「まったく……相変わらず、考え無しに突っ込んじゃうんだから、二人とも」

僕は今、どんな顔をしているんだろう。
喜怒哀楽で現せるほど、単純な表情だろうか。
怒りと心配と、でも照れくさくて、嬉しくて。

「小蒔!」

振りかえった僕の顔は、どんな顔だったんだろう。





「ひーちゃんのバカ!」

ぺちんっ。
駆け寄った僕を出迎えたのは、小蒔のそんな言葉と(軽くではあったけど)平手だった。

「何でボクに知らせてくれなかったのさ!? なんで京一と2人で、こんな危険な事に首を突っ込むの!? そんなにボクは信用できないの!?」
「小蒔…………」
「あー。待て小蒔」

返答に詰まった僕に、京一が助け船を出してくれた。
流石は親友、此処一番で頼りになる!

「ひーちゃんだけに知らせる、って判断したのは俺なんだ。だから、お前に話さなかったって責められるのはひーちゃんじゃなくって、俺だ」
「京一は黙ってて」
「はい…………」

親友様の理路整然とした(?)助け船は、機嫌の悪いお姫様の一睨みで轟沈してしまった。

「もしボクがひーちゃんに黙って旧校舎に潜ったりしても、ひーちゃんは平気なの……? ボクが心配するほど、ひーちゃんはボクを心配してくれないの……?」
「小蒔……ゴメン。でも、僕自身寝耳に水だった、っていうのもあるんだけれど、それよりもこの件は僕の手で解決しなきゃならない事なんだ」
「事情……聞かせてくれる?」
「……うん。ちょっと長くなるんだけど……」

京一から、そして犬神先生から聞かされた今回の一件の顛末を、僕の知る限り小蒔に話した。
話しづらい事ではあるけれど……こうなってしまった以上、もう小蒔に騙し通せるはずも無いし、何より……小蒔には知っていて欲しい。

「……マリア先生が……」
「2年前、僕が救えなかったあの時からずっと、マリア先生は現世を彷徨っていたんだ。そして今回、旧校舎に引かれた……これも宿星の導きなら、腹が立つけど……僕がやらなきゃならないと思うんだ」
「でも……だからって、ボクに言ってくれたって」
「それは、その……ゴメン」
「あーはいはい。その辺にしようぜ、2人とも」

僕が小蒔に話すのをただ黙って聞いていた京一が割って入った。

「わかってやれよ、小蒔。ひーちゃんだって男だぜ。惚れた女の前じゃ、いいカッコしたいものさ。それを『助けてくれ』なんて、簡単にゃ言えないだろ?」
「ちょッ、京一! 惚れたとか、そういう……!」
「あーもーいまさらナニ照れてるんだか、この男は。で、それよりも小蒔」
「……えッ、な、なに?」
「……お前もいまさら照れてるんじゃねえよ。俺もいくつか聞きたい事があるんだけどよ。まず、何でお前ここにいる? おまけに弓持って」
「え、あ。ボク、さっきひーちゃんの家に忘れ物しちゃって、取りに行ったんだ。そうしたら、ちょうど2人が出てきて。ちょっと脅かそうかな、とか思って隠れて様子見てたら、ひーちゃん、手甲持ってるから……久々に手合わせでもするのかな、と思って、つい……」
「後をつけた、ってか。ったく……で? 弓は?」
「うん、2人が旧校舎に入るのが見えたから、ついていくならボクも得物がいるなって思って」
「お前……わざわざ家に戻ったのか!?」
「そうだよ。だから追いつくのに時間かかっちゃったんだ」
「はァ……じゃ、もう一つ質問。さっきの蝙蝠の位置、なんでわかった? 俺らにはまったく見えなかったんだが……正確な指示だったじゃねえか」

そう、僕もそれが気になっていた。
九龍烈火で蝙蝠を仕留められたのは、小蒔の技の性質上それ程不思議じゃない。
僕や京一と違って氣をそのまま中空に放つのではなく矢に込めて射るのだから、この『陣』の中でも蝙蝠の氣の鎧を打ち貫けたのだろう。
だけど、あの闇の中で蝙蝠の位置を正確に把握できていたのは一体……

「え? だって、ボクの『力』は目にも作用してるもん」

こともなげに小蒔が言う。

「目に? え、な、なんで?」
「ほら、ひーちゃんや京一の『力』は肉体的な能力、あるいは氣の増加、でしょ? 武道家として、剣士としての『力』。ボクは射手としての『力』が顕現したみたいで、正確に標的を見る、目が強化されてるみたいなの」
「そうだったんだ……」
「雛乃もそうだよ。おかげで夜、境内の見廻りが楽だってさ」
「あ、そ、そう……」
「まあ、雛乃ちゃんの事はこの際置いといて、だ。闇を見通す目に、蝙蝠を楽に射抜ける弓。なあひーちゃん、どうだい。どうせ帰れって言っても聞きゃしないし、このまま連れていっちゃ?」
「え……あ、ああ。そうだね、まあ、僕は良いけど……」
「………アリガト、ひーちゃん。勝手についてきて、ゴメンね?」
「それはいいって。僕らも助けられたんだし」
「ひーちゃん……」
「あー、いちゃつくのは後にしろ。今は一刻も早く先に進もうぜ」
「ご、ゴメン。それじゃ、下に降りようか」

千人力の援軍を得た僕らは、地下への階段を降りていった。





「哈ッ!」
「そこだッ!」
「チェストォォォッ!」

小蒔が後方から支援してくれたおかげで、その後はかなり楽に進んでいく事が出来た。
僕もそうだったけれど、小蒔も弓の稽古は欠かしていなかったようで、あの頃以上の精度で矢が蝙蝠を貫いていく。
だけど、その後のフロアにいた蝙蝠の数は多く、もしも此処でも闇に包まれていたら、如何に小蒔の指示があっても辛かったと思う。
仄暗いながらもなんとか敵を視認出来るのが幸いした。僕と京一で間合いを急激に詰めてくる蝙蝠を撃ち落とし、間合いの離れた蝙蝠は小蒔が次々と射抜いていく。

「ひーちゃん、左だ!」

京一の声に、とっさに左を向くと1ダースほどの蝙蝠が固まりとなって僕に向かって来ていた。
距離、タイミング的に小蒔の援護は間に合わない、京一のフォローも ――― なら!
僕はとっさに判断し、瞬時に錬氣をして丹田に勁を溜め、呼吸と体幹の動きで勁を全身に移動させる。

――― やや弱いか? いや、このぐらいの勁でも、1匹ずつにはいけるはず!

集中力を高め、神経を昂ぶらせる。
我ながら、京一の叫びからここまで、1秒足らずで出来たのは凄いと思う。
1ダースほどの蝙蝠の群れが僕の間合いに入る ――― 今だ!!

「てりゃあああああっ!」

気合いの声を上げ、呼吸を止める。 貫手、拳、掌、肘、足刀、膝、踵、靠 ――― 可能な限りの打突部位で、蝙蝠の群れに攻撃を加える。
一呼吸の間に無数の打撃を撃ち込む、八雲という名を冠する型だ。
その一撃一撃に勁を纏わせ、本来ならば人体の急所を穿つ打撃を1匹ずつの蝙蝠に向けて叩き込む。


ばぱぱぱぱぱぱぱぱっ!

あの群れを落とすにはこれしか無い、ととっさに思い付いたにしては、身体が動いた。
全身に分散させたため、撃ち込む勁が弱かったのか何匹かは仕留めるに至らずに弾き飛ばしただけだったけど、これだけ間合いが開けば!

「伏せて!」

阿吽の呼吸。
小蒔の声が響くのと、僕が伏せるのとの間には寸毫の隙間も無かったと言い切れる。
そしてその直後、僕が弾き飛ばした3匹の蝙蝠に立て続けに矢が刺さり、仕留めた。





「ひーちゃん、大丈夫か?」

フロア内の蝙蝠を掃討してから、一息ついたところで京一が言った。

「僕は大丈夫。怪我はないよ」
「いや、そうじゃなくってさ……さっきのでかい群れに襲われた時、八雲使ったろ、勁纏わせて」
「うん。あれ以外に、あの群れを落とす方法が浮かばなくてさ」
「いや……あんなに一気に勁を放出して、大丈夫なのかな、と」
「そう言えば……」

言われるまで気に留めなかったけど、あの頃の僕だったら、あれだけ集中して勁を放ったらもっと激しく疲労しているはずだ。僕よりもこの技に慣れていて、更に上手く立ち回っていた為に放った数の少ない京一でさえ良く見ると額に汗が浮かんでいるというのに、一方の僕は全然疲れていない。
元々、僕と京一の氣の総量はさして差はなかったはずなのに。

「なんでかな。全然疲労感が無いや」
「差、つけられたのかな……俺も劉とかなり厳しい修行したんだけどな……」
「うーん、感じた限りじゃ、むしろ京一の氣の方が大きかったと思うんだけど……」

これはお世辞でも謙遜でもない。
仲間の中でもっとも勁の使い方に長けていた劉と二年間修行してきただけあってか、京一の氣の器、その練度はかなり広がっている。無論僕も負けじと修練は積んでいたつもりだけれど、氣は京一の方が成長したようだった。
でも、実際のところ僕には疲労はまったく無く、京一はやや疲れている。これは一体……
あ……もしかしたら。

「これのおかげ……かな」
「これ……って親父さんの手甲か?」

今僕の両手にはまっている、鈍色に光る手甲を指して言った。
父さんの形見の手甲 ――― 今までのそれとは明らかに異質な氣の巡りを持つ手甲。
氣の質が違うとか、総量が違うとかいう次元でなく、もっと別の……

「最初に装着した時、何かいつもと違う感触がしたんだ。こう……氣を上乗せするんじゃなく、僕の中に入り込んでくるような……」
「氣が、中に入り込んでくる?」
「そう……としか言えない。あの頃使っていた手甲は、その氣の大きさに差はあっても、どれもが僕の氣に上乗せする形でその内包した氣を貸与してくれていたんだ。でも、この手甲はそうじゃなくて僕の氣自体に作用してくるような……」
「きっとアレだな。手甲の氣とひーちゃんの氣が似ている……いや、もしかしたらまったく同質のものなのかもな」
「? どーゆうことさ、京一?」
「『陣』だよ。って、小蒔は聞いてなかったか。さっき犬神から聞いたんだけどよ、『力』と『力』が共鳴を起こすと、通常では考えられないぐらいに強力な効果を引き出す事があるんだと」
「……あ、ひーちゃんと京一と醍醐クンが、たまに起こしていた氣の爆発みたいな感じのやつ?」
「そう、それだ。あれと同じことが、ひーちゃんと手甲の氣の間で起きているとしたら……」
「父さんの手甲……父さんの氣が宿っているから、僕と手甲の間で『陣』が発生している……?」
「ま、推測だけどな。もっともらしい事並べただけで、根拠はなんにもねえよ。それに、原因はこの際いいじゃねえか。ひーちゃんが底無しに氣を放てるってのは紛れもねえ事実で、困るどころか助かるんだしよ」

京一の、いささか楽観的とも言える意見に僕と小蒔は苦笑しつつも、その意見が正鵠を射ている事を認めていた。
今はとにかく、戦力となるべき事は喜ぶべきだろう。
何があるか解らない、と言うのが正直なところなのだから。

「おし、それじゃ先行くか。気ぃ引き締めてけよ!」





そのフロアに降りた瞬間、僕は怖気に包まれた。
――― 恐い。ここには何かがいる。
本能的とも言える恐怖が、僕を包む。

「……ひーちゃん?」

内心で冷汗とも脂汗ともつかない汗を流している僕に気付いたのか、小蒔が声をかける。

「大丈夫? 顔……真っ青だよ?」
「小蒔、京一、気をつけて……何かいる」
「え? ボクは何も感じないけど……」
「俺も、特に……蝙蝠もいないみたいだし、これと言っ ――― 」


ざうっ!


風を薙ぐ音がしたのは、言葉の途中で京一の身体が弾け飛んでからだった。

「!?」
「京一ッ!」

まるで蹴られた空缶のように吹き飛ぶ京一。それでも壁に叩き付けられる寸前に身を捻って受け身を取ったのはさすがだ。
が、すぐに起きられるような軽いダメージではないのか、京一はその場にうずくまったままだ。
けど、僕も小蒔も京一に駆け寄る事は出来なかった。
目の前の紅い瞳に射竦められていたから。
いまし方、京一に回避の予備動作も取らせずに弾き飛ばした人 ――― の姿をした者が、僕と小蒔を見つめて、そう、睨むでもなく、ただ静かに見つめていたから。

「……お久しぶりね、蓬莱寺君に桜井さん、それに……」

あの時と寸分違わない、でも全然違う顔が、僕らを見つめていた。
あの頃と同じ、でも一回も聞いた事の無い声が、僕らに話し掛ける。
仄暗いフロアの中でも、その真紅の唇だけは、何故かはっきりと見て取れた。


「……待っていたわ、緋勇君……」
「マリア……先生……」









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