Sweet or Bitter第伍話









「さぁて ――― それじゃあ行こうぜ、ひーちゃん!」

景気よく言った京一の言葉にしたがって、僕たちは再び真神学園への道を歩き始めた。
新月まで間も無い、糸のように細い月が、空々しく光っていた。
道すがら思い出すのは高校3年の春――真神学園に転校した時の事だ。
美里と出会い、京一と出会い、醍醐と出会い、マリア先生と出会い、犬神先生と出会い、そして ――― 小蒔と出会った。
その他にもたくさんの人と出会って、そしていくつか辛い思いもした。
真神で過ごしたのはわずか1年間だけど、僕のこれまでの長くない人生の中で良い意味でも悪い意味でも、最も輝いていた時期だと思う。
僕たちの手で助けられた人、助けられなかった人。
僕を助けてくれた人、僕の手で倒した人、僕が ――― 殺した人。
やり残した事があるなら、ケリはつけてしまおう。
僕の手で。
京一は、それをわかって僕に知らせてくれたんだと思う。
本当に妙なところで気の回る……あの頃と変わらない。でも、間違いなく大きくなっている僕の親友……





「変わらねぇな、ここも」

真神学園に辿り着き、校門から校内を見て京一が言った。
懐かしさが湧いて出たのか、その目は和んでいる。
かく言う僕も、卒業以来ここに来るのは初めてだから、おそらく京一と似たような顔をしていたに違いない。

「さってと。思い出にふけるのは後でいいな。まずは犬神の野郎からの頼みごとを、ささっと片付けちまうか」
「旧校舎で落ち合うんだったよね」
「ん、そのはず。時間もそろそろだな」

久し振りに歩く真神の敷地内を、何となく足音を忍ばせながら旧校舎に向かう。
敷地内のそこかしこに植えられた桜が、夜風に吹かれてゆれている。
夜桜には色気がある ――― そう言った人がいたけど、確かに夜空に映える桜には、ちょっとした色気と言うか、艶めかしさがある。
何となく二人とも無言で、桜を見ながら旧校舎へ向かった。
分かってるんだ。
これから向かう先にいる人 ――― 戦わなくてはならない人の事を。
僕が遣り残した事。
救いきれなかった人。
あの時、この手が……もっと長く、もっと早く、もっと強く動いていれば……


どんっ!


いつのまにかうつむいていた僕の背中を、京一がどやしつけた。

「らしくねえぜ。あの頃のひーちゃんは、戦う前にうつむいたりはしなかったろ」
「……そう……だね。ゴメン」
「胸張れ、とは言えねえけどさ。せめて、前向いていこうぜ。後ろめたい事は、これっぽっちも無いんだからよ」
「……ありがとう」

この夜、何度目かの励ましを受けていると、やがて旧校舎に着いた。
この場所には、相変わらず……何とも言えない、不気味な氣が漂っている。
戦いの後も、それは変わらない。
陰とも陽ともつかない氣……ただ、とても哀しい氣……

「……遅かったな、蓬莱寺」

突然、声がかけられた。

「うわっ! お、脅かすなよ犬神! 気配を消して人の後ろから現れるんじゃねえ!」
「あ ――― 犬神先生。お久しぶりです」

京一の言う通り、いつのまにか犬神先生が僕らの後ろに立っていた。
相変わらず、神出鬼没な人だ。
僕の記憶の中の姿と寸分変わらない、よれよれの白衣にくわえ煙草、けだるそうな顔。
あれ、髪が伸びてる。後ろ髪が少し伸びているみたいに見えるな。大方、切るのがおっくうなだけなんだろうけどね。
ただ、何だろう……氣が弱く感じる。
そんなことを考えていると、犬神先生は僕の方を見て言った。

「来たのか、緋勇……まあ、そんな気はしていたがな」
「なんだよ、そりゃ。俺が連れて来るのが分かってたってコトか?」

見透かされたように言われたのが面白くないのか、京一が口を尖らせて言う。
それに対し、犬神先生は口の端をかすかに歪めて笑った。

「五分、と踏んでいた。お前が話す可能性がな。話してしまえば、緋勇の事だ。何を置いてもここに来るだろう、とも、な」
「ちっ。相変わらず面白味のねえ先公だぜ……」
「先公、ではなく先生 ―― だろ?」
「俺は、もうここの生徒じゃねえぞ」
「ふっ……まあいい。それで緋勇。話は聞いたか?」
「あ、はい。京一から」
「そうか。その上でここに来たという事は、俺の頼みを了承してくれた、という事か?」
「……はい。自信はありませんけど……」
「自信か。2年間、戦いから離れていたからか?」
「いえ……それはどうってことないんですけど、僕に、マリア先生を救えるかどうか……」
「救えるかどうか、か……」

思わず出てしまった本音に、犬神先生は軽く笑い、そして表情を一変して厳しく変えていきなり僕のむなぐらを掴んだ。

「!?」
「……思い上がるなよ、緋勇。誰かを救う事の出来る人間なんて、厳密な意味では存在しないんだ。在るのは、誰かの行いによって救われる人だけだ」
「…………?」
「救われる側に強さが無かった場合、誰が何をしようともそいつを救う事などできやしない。他の人間に出来る事は、そいつが自分で自分を救う事の後押しだけなんだよ」
「先生……」

初めて見る犬神先生の激しい一面に、僕は思わず言葉を失った。

「だが、それでも……それでもお前は、お前達は2年前、多くの人間を救った筈だ。違うか? 多くの人間が、自らを救う事の手助けをした筈だ。それは、お前が黄龍の器だからとか、お前達に『力』があったからとか、そういう問題じゃあない。だろう?」
「…………」
「難しく考えるな。不要に気負うな。誰かを救うかどうかなど考えずに、遣り残した事を片づける事だけ、考えろ。そうすれば、自ずと結果は付いてくる」

そっと手を放しながら言う犬神先生の顔は、いつもの茫洋としたそれに戻っていた。

「そうそう、昔っから言ってるだろ? ひーちゃんも醍醐も、難しく考え過ぎなんだよ。今出来る一番の事をやれば、その結果には、後悔したとしても、納得は出来るモンな」
「蓬莱寺、お前は考えが足らん」
「あ、ひっでー! 人がせっかく、親友様にアドバイスをしたのにそれを茶化すか!?」

そんな絶妙な掛け合いをする京一と犬神先生に、僕は思わず笑いを誘われていた。

「……彼女は……マリア先生は、50階の付近にいるはずだ」

しばしの間和んだ空気を断ち切るように、犬神先生が唐突に話題を変えた。

「先の戦いの時、俺は彼女らを80階付近まで押し戻すのが精一杯だった。その後、50階に結界を張っておいたが、俺の『力』は月齢に大きく左右される。明日には新月になる……彼女の力ならば、新月で弱りきった結界を破るのは造作も無い事だろう。そして、その事を彼女は本能で悟っているはずだ」
「つまり、新月になると同時に結界破るため、50階付近に潜伏している……?」
「そう考えるのが妥当だ。推測に過ぎないがな。あるいは50階よりも深くで、万全の体勢を敷いて待ち受けているかも知れん」
「罠……って事ですか」
「罠とは言い切れないが、陣を敷いているかも知れん」
「陣?」
「結界の一種だ。『力』の共鳴を人為的に引き起こし、通常よりも大きな効果を得るものだ。お前達も、幾度か目にしているんじゃないか?」
「ああ、アレじゃねえかひーちゃん。ほら、俺とひーちゃんと醍醐で、氣が共鳴する事があったろ?」
「経験しているのなら話は早い。お前達のそれは『力』と『力』の共鳴によるものだが、俺が危惧しているものは結界の作用によって、その『場』に効果を現すものだ。その効果までは想像が付かんが……自らの力を増幅させるぐらいの事はやってくるだろう」
「その陣を崩す方法は有りますか?」
「無い事はないが……日本最高クラスの陰陽師ならば、だが」
「御門クラスなら、ですか……」
「なぁに……真神のイイ男元NO.1と元NO.2が揃ってるんだぜ。どんな罠が有ろうとも、目じゃねえさ」

神妙な顔で考え込んだ僕と犬神先生の思案を吹き飛ばすように、京一がおどけて(いるんだと思うけど)言った。

「イイ男ってのは、簡単にゃあ死なないのさ。俺もひーちゃんも、まだまだ死ねねえさ。何があっても、な」
「京一……そうだね。僕らは、まだ死ねない。待ってる人がいるんだから……」
「そゆこと。さしあたっては、今度の花見があるしな?」
「ふ、調子のいい奴等だ」

たしなめる、という風でもなく、犬神先生が言った。 その口に浮かんでいる笑顔はいつもの皮肉めいたそれとはちょっと違った、弟か息子を見て苦笑しているような、暖かい笑みだった。
だけどその笑みが浮かんだのもほんの一瞬で、すぐに真顔に戻ると真剣な口調で言葉を続けた。

「……すまんな。本来ならば、俺自身が出向けば良いのだが……先の戦いで、腕をやられてな」
「腕を?」

さっき感じた、奇妙な氣の弱さはそれかな。
そう言えば、犬神先生の左腕はだらんと垂れ下がったままだ……

「普通の怪我ならば、月齢に関わらず1週間もすれば完治するんだが……相手が悪い。真の闇の血脈だからな。簡単には治癒しない」
「気にすんなって。もともと、俺達二人で行くつもりだったんだしよ」

特に気負った風も無くそう言うと、京一は木刀を袋から取り出し、軽く一振りした。
中国でどれぐらいの修練を積んだのだろう。
何気ないその素振りの中に、以前とは比べ物にならない氣の充実と、剣士としての練度の高まりを感じる。
でも、僕だってこの2年間、漠然と時を過ごしてきたわけじゃないつもりだ。
実戦からは遠ざかっていたものの、紫暮の道場や拳武館にお邪魔しての稽古は欠かした事はない。
京一の技と氣が著しく昇華した事を何となく嬉しく思いながら、父さんの形見の手甲を取り出して両手にはめる。


――― !? なんだコレは!?


紫紺の紐で手甲を止めた瞬間、清冽な氣が両腕から肩口を経て脊髄へ至り、頭頂から爪先まで駆け抜けた。
明らかに、今まで使ってきたどんな手甲とも違う。今までの手甲は、その程度の差こそあれ内包した氣を僕に貸与してくれた。
僕の氣に上乗せする形で手甲の氣を加算し、尋常の攻撃では歯が立たない相手にも錬氣した打撃を撃ち込む事が出来るようになっていた。
だけど、この手甲は違う。
手甲自体に内包された氣はそれ程巨大に感じないものの、僕の中に入り込んで ――― 染み込んでくるのを感じる。
不思議な感覚だ……最初に着けた時にも感じたけれど、僕自身の氣を十二分に引き出してくれそうな気がする。
体内に巡る清冽な氣を確認するように、軽く掌を開閉する。
大丈夫だ、これなら、いける。

「準備はいいかい、ひーちゃん? 実戦から離れてたからって、旧校舎の奴等は手加減しちゃくれないぜ」

京一の問いかけに、軽く拳をつくって答える。

「いつでもいいよ。京一こそ、旅の疲れが出たとか言わないでよ?」
「へっ。さぁて……それじゃ、行くとするか。美人を待たせるのも、失礼だしな!」





旧校舎内は、かつてと変わらずさまざまな氣に満ちていた。
ただ ―――

「……静かだな」

そう、京一の言うように、恐ろしいまでの静寂が僕らを包んでいた。
かつては浅い階層でもさまざまな化生達が僕たちを待ち受けて、息をつく間も無い戦闘を強いられたというのに。

「いないわけじゃあ、ねえんだけどな……」
「うん……確かに、そこかしこに潜んでいる」

そう、いないというのであれば、まだ納得もいく。
けれど、明らかに化生達の気配は感じる。
なのに殺気がまったく感じられない……

「まァ、あっちに戦う気が無いんなら、それに越した事はないけどな」
「そうだね」

その方が時間と体力、貴重なものを両方ともロスせずにすむ。

「それでも油断だけはしない方がいいよ。なにが起こるか分からないんだから」
「分かってるって」

周囲の気配に神経を張り巡らせながら、ゆっくりと階段を降りていく。

「それにしても……なんとかなんねえのか、この長い階段」

京一がそんな軽口を叩くのは昔のままだ。
意識しているのかは分からないけれど、この軽口がみんなの緊張をほぐし、リラックスさせてきている。
戦力としてはもちろん、ムードメーカーとして、京一が僕らに欠かせない存在であったのはそのためだ。

「ま、エレベーターをつけるわけにもいかないしね」
「地下100階を超える建造物にエレベーターが無いなんて、建設基準法とかに違反するんじゃねえのか?」
「二次大戦中にそんな法律、無かったと思うよ」

そんな軽口をかわしながら階層を降りていくうちに、異変を感じたのは30階の辺りだった。

「なんか……変だね」
「ああ……空気が重いぜ。それに……」
「化生の気配が消えた……」

そう、どういう訳だか、先程まで確かに感じていた化生の気配がぷっつりと消えていた。
いや、これはむしろ……

「……消えたんじゃなくって、僕らに感じ取れなくなった……?」
「……だな。この、まとわりつくような重い空気。犬神の言っていた『陣』って奴か?」
「参ったな。敵の気配が感じ取れないとなると、戦いづらいかも……」
「ああ。でも、ある程度近づけば読めるみたいだぜ」

確かに京一の言う通り、僕らはお互いの氣は読める。
これなら、近接戦闘になりさえずれば何とかなるかな。

「っと、階段だ。えーと、次が……50階だっけ?」
「そうだね。そろそろ、本格的に気を引き締めていこう」
言われるまでも、と言うように、京一が木刀を構え直してにやりと笑った。
50階への階段を降りている最中、その異変に気づいたのは京一が先だった。

「……おい、ひーちゃん。なんか……変じゃねェか?」
「なにが?」
「階段の先さ。明かりが、まったくねえ」
「え!?」

京一の言う通りだった。
いつもなら、階段を半分も降りれば次の階の明かりがおぼろげながらも見えてくるはずなのにどういう訳だか降りるにしたがって暗くなっていくようだった。

「これって……松明が消えてるのかな」
「そう単純ならいいんだが。ことによると、これも『陣』かもしれねえな」
「氣が読めない上に、視認出来ない、か……」
「なぁに。接近しちまえば、こっちのもんだろ。足音を聴くなり、方法はある。ひーちゃんなら闇稽古、やったことあるだろ?」
「うん、拳武館で何度か」
「なら、行けるだろ……着いたか」

階段が終り、50階に到着する。
これは……明らかに変だ。
壁など、そこかしこの松明は(誰が着けたのかは知らないけれど)着いたままだというのに、僕らが踏み込んだフロアは夜明け前の海岸のように仄暗かった。

「薄暗いな……だが、この程度なら……ん!?」

そう言いかけ、京一が緊張するのが分かった。
同時に僕も右半身を引いた構えをとって右手を顎の下、左手を水月の前に置く。
拳はつくらず、掌のままだ。

「……いやがるな。わんさと」

京一の言うように、仄暗いフロアの先に、無数の何か ―― おそらくは蝙蝠だろうか ―― が飛んでいるのが見えた。

「まだこっちには気づいてねえな。ひーちゃん、この距離で決めちまおう」
「わかった。もつれると不利だからね」

相手からの反撃を受けない位置からの先制攻撃。
こちらの人数が少ない以上、傷つくのは避けなければならないので、これが最良の戦術だ。

「シィィィィィィ……」
「コォォォォォォ……」

京一と僕が同時に息吹による練氣を始める。
自分の足元から氣が沸き上がり、丹田に集中し、勁に変じていくのがわかる。
2人の錬氣が、同時に臨界点に達した。
今だ!

「キィエェェェェェェッ!」
「おりゃああぁぁぁーッ!」

京一の剣掌・鬼勁と、僕の秘拳・鳳凰が同時に発動する……ハズだった。

「!? なんだ!?」
「勁が……出ない!?」

そう、確かに放ったはずの僕らの勁は、身体から放たれた瞬間に霧消したのだ。

「馬鹿な、錬氣は充分だったはずだぜ! なんで途中で消えちまうんだ!?」
「まさか……これも『陣』の効果!?」

言葉を交わせたのはそこまでだった。
お互いに氣は読めないものの、今の一瞬、爆発的に生じた氣はさすがに蝙蝠の群れにも察知されたらしい。
それとも、気合いの声を聞かれただけかな。
いずれにせよ、迎撃しなくてはならない。

「こうなったら仕方ねえ。ひーちゃん、行くぜッ!」
「わかってる! 間合いに入った奴から落とす!」

キキッ!
羽音に混じって、そんな鳴き声が聞こえた。
蝙蝠の大軍が、僕らを覆うように飛来する。

「はッ!」

間合いに入ってきた一匹に、掌底を叩き付ける。
タイミング・角度・速度とも、ほぼ理想の形で撃てた。
ただの蝙蝠なら、これで落ちるはず……
そう思ったのと、異常な手応えに驚いたのと、どちらが早かっただろう。


――― なんだ今の手応えは!?


まるで、分厚いゴムの固まりに包まれた鋼鉄造りの何か巨大なものを撃ったような感触が、僕の掌に返ってきた。
今の感触からいって、蝙蝠にダメージはない。
現に、今僕に撃たれた蝙蝠は後方に弾け飛びはしたものの、これといったダメージを受けた風も無く再び体勢を立て直し、僕の方を伺っている。


――― 一体、今のは……


そう考える間も無く、矢継ぎ早に次々と蝙蝠が襲ってくる。

「ちぃッ!」

幸いと言うべきか、蝙蝠の飛来する軌道自体は単調だったので叩き返す事は出来るものの、その打撃のどれもがさしてダメージを与えたようには思えない。
横目で京一の方を見ると、どうやらあちらも同じような状況のようだった。
木刀が一閃するたびに数匹ずつの蝙蝠が弾き飛ばされているのだけれど、いずれもまた体勢を直すと共に再び襲い来る。

――― これも『陣』のせいか? それともこの蝙蝠自体が強力な呪法で力を上げられているのか!?

おそらくは後者だろう。
通常の打撃が通用しない相手には術なり氣なりを撃てば良いのだけど、今、僕らの氣は封じられている。
どうすれば……!

「くっそ、仕方ねえなあ! 取って置きだったのによ!」

不意に京一の声が聞こえたので、再びそちらに視線をやる。
いつもの八双から、平正眼に構えを変えていた。

「せっかく、後でひーちゃんをおどかそうと思ってたのに……ありがたく思えよ、蝙蝠ども!」

京一の氣が膨れ上がる。
発勁か鬼勁を撃つつもりか?
ダメだ京一、今僕らは氣を飛ばせなくなって……

「……ハァァァァッ!」

僕が制止の声を発するより早く、京一が気合いの声を上げる。
爆発的に膨れ上がる氣。
そう、さっきもこうだった。このあと、剣先から放った勁が空中で消えて……

「落ちやがれェェッ!」

と、京一は高めた氣を放たず、そのまま蝙蝠の群れに斬りかかっていった。

――― 京一!?

木刀が一閃、二閃。
文字通り木刀の軌跡が煌くと、やけに硬かった蝙蝠が数匹、消滅した。

――― い、いまのは?

「けぁぁぁぁぁぁッ!」

僕の疑念が解決するいとまも無く、京一の振るった木刀が、次々と蝙蝠を消滅させていった。





やがてそのフロアの蝙蝠が全て片付くと、フロアを包んでいた仄暗い闇が掻き消え、通常の明るさに戻った。

「どうやら、あの蝙蝠が闇を生み出す触媒だったみたいだな」

京一がそう言ったけれど、僕が答えたのはそれとは別の事についてだった。

「京一、さっきの斬撃、あれは……」
「……あー、なんだ。俺の2年間の修行の成果、って言うところか。もっともったいつけるつもりだったんだけどな」
「あれは……勁を剣から飛ばすんじゃなくて、剣に纏わせた?」
「……いきなり見抜くなよ」
「そうか、凄いよ京一! あんな発想が浮かぶなんて……」
「いや、つーか。もともと中国拳法の発勁ってのは、相手の身体に密着させた掌なり拳なり得物なりから相手の体内に勁を撃つ、ってものだろ。俺らの場合、いきなり『力』を得た事によって発勁を『放つ』事が出来ちまったわけで。順序が逆だけど、これならスゲエ威力が得られるんじゃねえかな、と思ってよ。劉と試行錯誤して、修得したんだ。ま、こんなに早く役に立つとは思わなかったけどな。俺ってやっぱり、先見の明があるっていうのかね、これも才能って奴か?」
「えっと。さっきは…………」
「……なあひーちゃん、聞いてる?」
「たしか、こう……」

京一の説明を半分ほど聞き流しつつ、僕は錬氣に入る。
体内で練った氣を勁として放つ、のは同じだが、この場合は相手に掌が当たった瞬間に放つ……要はタイミングの問題だ。
手ごろな石を拾い、構えを取る。

「コォォォ……」

息吹きによる錬氣。
足元から沸き上がる氣を丹田に集め、勁と成して溜める。
石を中空に放り、素早く右半身を引いた構えに戻る。
石が目の高さを通過した刹那、全身にたわめたバネと、丹田に溜めた勁を爆発させる。
左足を軸にし、身体に螺旋の動きを生む。
生じた動きのベクトルを増すように右足を踏み込む。
顎の下、右肩の近くに引き付けた右掌を足元から発生した螺旋の動きに乗せて放つ。
同時に、爆発させた勁も、同じベクトルを通じて掌に到達させる。
全身が一つの大きな螺旋を生み、右足が、床が陥没するほどの震脚を生む。
震脚の響きと同時に、右掌が中空の小石を捉える。


パンッ!


風船を割ったような乾いた破裂音が響き、小石が砕け散って消滅した。

「あ……出来た」
「『あ……出来た』じゃないだろぉぉぉッ!?」

初トライで密着型の発勁を成功させてしまい、思わずポツリと呟いた言葉に京一が激しく突っ込みを入れる。

「なんでさっき見た技をいきなり出来ちまうんだよぉぉぉぉ」
「いや、だって……ねえ。出来ちゃったものは仕方ないし……」
「ったく……コレだから天才ってのは……つくづくひーちゃんが恐ろしいぜ」
「あはは。僕が天才かどうかは置いといて、この際、敵に通じる技が増えたんだからよしとしようよ」
「ちぇっ……まあいーケドよ。ひーちゃんが強くなるのは、俺もイヤなわけじゃねえし」
「さて、それじゃ行こうか、次のフロアへ……」









前に戻る 次を読む SS選択に戻る 茶処 日ノ出屋 書庫に戻る 店先に戻る