「――真神の旧校舎、さ――」
京一はそう言ったきり、いくら理由を聞いても答えてくれない。
『行けば分かる』
の一点張り……一体、旧校舎に行かなくちゃならない理由って、何だろう。
理由も分からずに行きたいところじゃないけれど、京一の真剣な――そう、あの頃の、戦いの直前に見せた真剣な表情を見てしまっては、反論も出来なかった。
ともかくも家に戻り、父の形見の手甲を取って、再び外へと出る。
「歩いて行くか。時間もあるしよ」
僕のアパートから真神学園までは、ちょっと距離があるけれど歩いて行けない距離でもない。
京一の言葉通り、僕たちはぶらぶらと歩きながら真神へと向かった。
既に桜が舞う季節とは言え、やはり日が沈むとちょっと冷え込む。上着を羽織ってきて正解だったかな。
「なあ、京一」
「ん」
「……旧校舎に、何があるって言うんだ?」
「……そうだな、着いてから言うつもりだったケド……黙ったまま歩いてるのも味気ねえし、話しちまうか」
いつに無く静かな調子で、京一は話し始めた。
「まず……ひーちゃん、旧校舎についてどう思う?」
「え? どう、って……旧陸軍の研究施設、じゃ無いの?」
「んー、まあそうなんだけどさ。そうじゃなくて、あそこに集った異形のモンスター達。何処から来てるんだろう、とか考えた事はないか? 特に……一度戦った魔物が出てきた時とか、さ」
「あ……」
言われてみれば。
あの時は不思議な事が数多く起こっていたから特に気にもとめていなかったけれども、確かに龍脈の乱れというだけでは片づけられない異常さが、あそこにはあったと思う。
「確かに、今思えば変な事が多かったケド……でも、それがどうして今行かなくちゃならない事になるんだい?」
僕の質問に、京一は直接は答えずに更に問題を提起した。
「あの魔物達があそこにいる理由と、もう一つ――あいつら、なんで外に出てこなかったか、って言うのも、この際関係あるんだ」
「………」
言われてみれば、の疑問が、京一の口から次々と出てくる。
いや、もともと京一は凄く鋭い勘働きを見せる事があるケド、これは、それとはなにか違う……
「……そういう風に僕に聞く、って言う事は、それに対する答えを京一は既に知っているんだね?」
「ご明察。つっても、俺が自分で調べたりしたわけじゃねえケドな。まあ、どうやって俺が知ったかはこの際置いておこう。旧校舎の事だけどな……」
明日には新月になるであろう細い月を見上げながら、京一が話したのは、こういうコトだった―――
旧陸軍の実験場として霊的な処置を施され、また、龍穴にまつわる重要な位置を占める事からか、真神学園旧校舎は非常に霊的な、あるいは魔的なエネルギーの集約しやすい場所となっていた。
高レベルのエネルギーが集約すると、更にそのエネルギーに引かれてまたエネルギーが集まり、そうやってどんどんとエネルギーは膨れ上がっていく。
京一や小蒔、美里、醍醐、そして僕が――それにあるいはマリア先生や犬神先生も――"力"を持つ者、持つように選ばれた者達が真神に集まったのはそれのせいもあるのかもしれない。
結果として、真神に集まった僕たちは仲間達と共にあの戦いに辛くも勝利して、東京を護った。
龍脈の乱れはおさまり、それを利用したいくつかの企みも防ぐ事が出来た。
問題は、その後……僕たちに倒されたはずの彼ら。
旧校舎で戦った時にも、幾度か見かけた事もある、彼ら。
そう……死者の怨念もまた、旧校舎のエネルギーに引かれているらしいのだ。
そこまで聞いた時、僕は思わず目をみはった。
「まさか……九角や柳生が!?」
「有り得ない事じゃねえな。なにせ、黄泉返りの外法を使う張本人達だ。そいつらもいたって、俺はおどろかねえだろうな」
「…………」
京一らしからぬ、奥歯にものが挟まったような物言いに僕はちょっと苛立った。
あっ、っと思った時にはもう、言葉が口を衝いて出ていた。
「いったいなにがあったって言うんだよ、京一。らしくないよそんな言い方。大体、前触れも無しに返ってきて、それで何事も無かったように変わらないそぶりで、そのくせ僕に何も言わずに旧校舎に来いだなんて……」
一気にそこまで捲し立てた僕の目の前に、封筒が突き付けられた。
京一がいつのまにか懐から取り出したものらしい。
宛名は……中国の京一?
「これ……」
「……3日前に届いた。犬神からだ」
「犬神先生が?」
京一はその封筒を僕に押し付ける。
「…………読んでくれ、ひーちゃん」
「……いいの?」
「ああ。その為に、持ってきたんだしな」
「じゃ、じゃあ……」
人宛ての手紙を読んでしまう事にちょっと後ろめたさを感じながら、僕は京一の恐いぐらいに真剣な顔と声に気圧されて封筒を受け取り、中の便せんを取り出した。
犬神先生の、読みやすいけれども素っ気無い文字が目に入ってきた。
『元気にしているか、蓬莱寺。犬神だ。
まあお前の事だから、地球上何処にいても病気ひとつせんだろうがな。
挨拶はこのぐらいにしておこう。実は、お前に話しておきたい事がある』
その後、犬神先生の手紙は旧校舎の説明へと進んでいった。
さっき僕が京一から受けた説明と、ほぼ同じだ。
問題は……その次。
『俺は、とある人との約束で旧校舎を護り続けてきた。
まあ、その約束自体はこの際置いておく。
問題は、俺が旧校舎を護っていたという事と、その為に今回戦う事となった敵の事だ。
今回、旧校舎に『引かれて』来たのはマリア・アルカードだった存在だ』
―――――!?
その文字を網膜で認め、頭の中で単語に直して文章として構成し、心で理解するまで数瞬の時間が必要だった。
「え…………マリア先生?」
「………………」
僕の呟きに、京一は何も言わなかった。もっとも、なにか言っていたとしてもその時の僕は気づかなかったに違いないけど。
とにかく、僕は手紙を読み進んだ。
『おそらくは、蓬莱寺も緋勇か桜井から聞いたと思うが……彼女、マリア・アルカードは古の血脈を引くものだ。そして、あの戦いの最中龍脈の力を、そして緋勇に宿る『黄龍の器』の力を手に入れようとしていた。
もっとも、何処までその目的を貫き通すつもりだったのかは分からんがね。
結局、あの戦いの時に彼女は倒れた。
……彼女は……気高すぎた。
そして彼女は返ってきた。旧校舎に『引かれた』思念として。
都合の悪いことに、俺が彼女を発見したのは新月の夜だった。
満月時であればひけを取ったとは思わんが、まあ愚痴ても仕方ないな。
さて、ここからが本題だ。
蓬莱寺、お前に頼みがある』
まだ深夜というわけでもないのに、周囲は不思議と静寂に包まれていた。新宿の夜をこんなに静かに感じたのは初めてだ……
恐いぐらいの静けさの中、僕は手紙を読み進む。
『彼女を――マリア・アルカードを、無間の死から解放してやってくれ。
これは、闇の世界に息づく俺には出来ない事だ。
光の側に生きるお前達にしか、出来ない事だから。
何故わざわざ中国のお前に、と思っているだろう?
答は簡単、緋勇の事だ』
「……僕の?」
突然自分の名が出てきた事にやや驚いた。
『緋勇の事だ、おそらくはマリア・アルカードの死を自分の責任だとでも思っている事だろう。
そんな奴に知らせる事は、俺にも出来ない。
日本にいる他の奴では、緋勇に知られる恐れがある。
だから、緋勇ともっとも親しく、そして今現在、緋勇と接していないお前に頼む。
緋勇が残してしまった哀しみの痕を、お前が消してくれ。
俺が出来なかった仕事の後始末を押し付けるようで悪いが、他に頼める奴がいない。
恩師を気取るわけじゃないが、良ければ一度だけ頼まれてはくれないだろうか』
手紙はその後日本で京一と落ち合う日時を告げて終わっていた。
「……………………」
読み終わった僕が無言で手紙を返すと、受け取りながら京一が口を開いた。
「悩んだんだぜ、俺も。犬神の言う通り、ひーちゃんには知らせないほうがいいのかもしれねえ、って」
歩き出しながら、京一は言葉を継いだ。
「けどよ……それが本当にマリア先生の、ひーちゃんのためになるのか、って思ったらよ……だって、それだと逃げてるだけじゃねえか? そんなの、ひーちゃんらしくねえからよ……」
足元に転がっていた空缶を、京一が蹴飛ばした。
無人の道路に転がり、甲高い音を立てて空缶は転がっていった。
「俺、出過ぎた真似をしたのかもしれねえ。でも、知らせなかったら、俺、ひーちゃんに顔向けできねえ……」
「………………」
痛いほど伝わる、京一の気持ち。
ああ、僕は本当に、良い友を得たんだな。
あの頃と変わらない、ぶっきらぼうな物言いだけど、その裏に隠れた優しさがとても嬉しかった。
こんな時、言葉というのはもどかしい。
億の気持ちを伝えるのに、たったこれだけしか言えないんだから。
「……ありがとう、京一」
「ひーちゃん……」
「もしも僕に黙ってこの事件を片づけてたら、僕、きっと京一の事を軽蔑してた。本当にありがとう、京一」
「よ、よせよ。俺ぁ別に……」
柄にも無く、照れた様子で京一がそっぽを向いた。
「さぁて――それじゃあ行こうぜ、ひーちゃん!」
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