闘いの無い時は 5



3−C教室にて


「京一を好きな女の子?」
「京一が好きな、ではないのか?」

ある日の昼休み、取材と称していきなり現れたアン子の質問は、龍麻と醍醐の意表を突いた。ちなみに当人は呼び出しを食らって職員室、女性陣は別の教室の友達と食事している。

「まあね、あのバカを好きになる物好きがいたら、の話しだけど」

メモ帳片手に肯くアン子、その瞳に興味の色が見える。紙面を賑やかしてきた京一の特集を組むのだ。売り上げ増大の為、記者としての腕を見せる為にも、資料は集められるだけ集めておきたい。

「もちろん新聞に載せる時は実名伏せるわよ、いないならいないで面白いし。どう友達から見てそういうのわからない?」
「そう言われてもな……」
「好きな、なら舞園なのだろうが……」

首を傾げる二人、しばらくして龍麻が何かを思い出すように言った。

「裏密はそうなのかな?お気に入りみたいな事は言ってたけど」
「……なんか研究対象として、って前置きがつきそうね」

言いつつメモ帳に書込む。まあこれは予想できた。

「下級生からの人気も凄いな、この前も手紙貰っていたぞ」
「へえ、それは初耳ッ!」

意外ではあった、遠巻きに憧れるのではなく行動に移した子がいたとは。慌てて書込むが、まあここまでは予想できた。というよりこれくらいしかいないだろう。
そう思いメモ帳を閉じようとしたが……

「そうだ、藤咲がこの前『京一、悪くないわね』って言ってたな」
「そ、そうなの?」

それってやっぱり…そうゆうことよね。
思いつつ新たに書込む。

「……天野さんも最近ではまんざらでも無さそうだな。前なら京一のノリをはぐらかしていただけだったが……」
「嘘でしょ!?」

驚きで書込む手が止まる。あまり信じたくは無いが、発言者が冗談の通じぬ彼では……。

「そうだ、葵はどう思っているんだろ?転校してきた当初は『この二人実は付き合っているのかな』と思ってたんだ」
「……さあ……」

その可能性は……強く否定も出来ない。
何かを書込みかけ、かすかに文字が震えている事に気付き手を休める。

「……思い出した。この前の失踪の際、料理店の女の子の所に身を寄せていたらしいぞ」
「………………」

何も書込まない。
相づちすら打たず無言でメモ帳を閉じるアン子、明らかに冷たくなったその瞳に、龍麻と醍醐もつい無口になる。


こういった最悪なタイミングの時に彼は戻ってきた。


「おおい、二人とも、飯にすん」

バンッッッ

皆までいわさず顔面にクリーンヒットするメモ帳。投げたアン子はしばらくそちらを睨み付け、

「……フンッ!」

そのまま息を荒げて出ていってしまった。
訳もわからず目を白黒させている京一を見つつ、同時に息をつく龍麻と醍醐。

「……自分の気持ちに気づいてなかったのかな、さすがに『それはアナタです』とは言えなかったけど」
「京一も好きになるのは得意なのに、その逆は壊滅的に苦手だからな」
「何の話だよ、おい」

話しの展開を知っていれば『両方下手くそな醍醐に言われたくない』と言い切っただろうが…とりあえず何も解らぬなりに、メモ帳片手にアン子を追う京一であった。





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如月骨董品店にて

お買い物途中特別集中講座

タイトル<好きな人のオヨメサンになる方法>

講師 藤咲 亜里沙
生徒 マリィ・クレア


「いい、まず自分がオヨメサンになりたい人と、二人で一緒にお酒を飲みに行く所から始めるの」
「……あの、マリィおサケ飲めないんダケド……」
「いいのよ、自分は飲まなくても。上手く断りつつ相手が眠るまでどんどん飲ませるの、目薬を入れるとより効果的という話しもあるわね、ここまではいい?」
「ハイッ!」
「よろしいッ、次にその眠った男と一緒にお家に帰るのよ。これは相手の家でも自分の家でもいいわ。もし遠いようならどこかに泊まる事」
「お泊まりスルノ?タノシソウ……」
「あ、でも起こしちゃ駄目よ。家に着いたらそのまま彼をベットに寝かせて……ここが重要よ……そのベットにはいりこんでその人の腕枕で眠るのッ!!この際相手と自分の服を脱いでいるのがベストね」
「……ハズカシイよ……」
「ほらほら、オヨメサンになりたいならがんばんなきゃッ!後は、起きるだけ。その日上手くいかなくても、何日かしてから『アレが来ないの』っていえばOK。……まあ駄目だった時でもお金をいっぱいもらえるわよ」
「『アレ』ってナアニ?」
「あ、それはねえ……」


「こらッ」


さすがにツッコまずにはいられなくなった如月。これ以上自分の店でおかしな事を吹き込まれてはたまらない。

「小さい子に何を教えているんだ、まったく」
「あら、いいじゃない。本人楽しんでいたみたいだし」

確かに質問してきたのはマリィだが……教えが偏っている事が問題なのだ。後で他の仲間に『誰に』ではなく『何処で聞いたんだ、そんな話』と言われた時、この店の名前を出されたら……、店の評判を守る為にもこれ以上講義を続けさせる訳にはいかなかった。

「大体実際にあんな手段を使った事があるのかい?」
「うふふ…ま、さすがに一歩間違えたら犯罪だからね、それにあんな卑怯な手を使わなくてもいろんな手段はあるから」

冗談半分で話していただけ。洒落のつもりで言っていた事に、そんなに目くじらは立てて欲しくない。

「ほう……あれを見ても冗談で済むと」
「えっ?なによ……」

彼らの視線の先には先ほどまで話していたマリィと……いつ来たのか、彼らの中心人物がいた。

「ネエネエ龍麻、おサケ飲モッ!」
「あっ…とマリィ、ちょっとまってね」

言いつつこちらを睨む彼の瞳は冷たかった。

「あれでも洒落のつもりだった、と」
「謝るわよ、ちゃんと」

本当は結構真剣に教えていたのだが……それを言うとさらに話がこじれそうなのであえて黙っておく。
しかし藤咲の頭の中では、既に次の講義の内容が浮かんでいるのである。
彼女に教えがいのある生徒をほっぽりだす気は全然無かったのである。





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九月 オカルト研究会部室にて


『今朝から見つからない腕時計のある場所を占ってもらおう』

軽い気持ちで立ち寄った葵は部屋に入った瞬間に後悔した。付き添ってくれた小蒔の顔色を見るとどうやら自分と同感のようである。

「うふふふ、オカルト研へようこそ〜」
「ゴ、ゴメン。なんか取り込み中だったみたいだね」

いつもと同じ笑顔の裏密にいつもより引きつった笑顔で返す小蒔。まあ目の前で怪しげな儀式を目撃してしまったのだから動揺も隠しきれないのだろう。

「何を……しているの?ミサちゃん」

葵の質問も当然なのだが……、
よくわからない魔方陣の上に何か乗せられている。その四方に正体不明の液体の入ったコップが置かれ、更に前には裏密が何やら呪文らしきものを唱えながら水晶玉を覗きこんでいる。
少なくとも普通じゃあない事をしているのは確かだ。まともに答えてくれるハズはない。但し一般の人ならばという前置きが付く。


「恋のおまじない〜〜」


一般的でない裏密の、意表を突く答え。人間界での色恋沙汰などなんの興味も無さそうなのだが。
思わず黙り込んだ二人に、更に続ける。

「昨日骨董品店に行った時〜〜……」

どうやら説明してくれるらしい。それによると、彼女が目をつけていた呪符が全て何者かに買い取られていたのだそうだ。
自分以外にその呪符の真の価値が解る人物とは?店主に聞いても教えてくれないので、とりあえずその彼が他に触っていそうな品、及び支払いに使ったであろうお札を手に入れ、そこに残る残留思念からもっとも力の強い者を見つけて……

「うふふふ〜〜〜」

確かにわずかな残留思念を探る為にはこれくらいの大仰な仕掛けは必要だろう。興味だけでここまでするとは流石ミサちゃんというべきなのだろう。またそうまでして捜した相手に何かしたいと思うのもわからないではない。しかし

「……恋のって……さっき呪文で『わが下僕に』と言っていたような……」
「それよりボク、その赤い液体がなんか気になるんだけど……」
「うふふふ〜ミサちゃん白魔術に興味無いし〜〜……」

あくまでにこやかに喋っていた裏密が不意に黙り込む。どうやらなにか異変が起きたらしい。
その手元の水晶玉に人影が浮かんだ直後、


ビシッッ!


真っ二つに割れたそれからは、何の力も感じられなかった。

「ミサちゃん!」
「大丈夫?どしたの一体」

慌てて近寄る二人に、返ってきた反応はやはり変わった物だった。

「……うふふふふふふふふふふ〜〜〜……」

先ほどまでの声と同じ、しかしその質は明らかに違う笑い声。何故か悦びに満ち溢れているそれは、付き合いの長い二人も滅多に聞いた事が無い物であった。

「ミサちゃんの<力>を跳ね返すなんて〜〜面白い〜〜」

妙に生き生きとしている。眼鏡がキラッと光ったように見えたのは、錯覚でも無さそうだ。

「長い黒髪に白の学生服〜〜今度は本気でいっちゃおうかな〜〜」

その独白に声も無い二人。どうやらある意味無敵を誇っていたミサちゃんにライバルが出来たらしい、その瞬間に立ち会ってしまったのは幸か不幸か?

「うふふふ〜この<力>の感じからして東洋系〜…敵対勢力かな〜?」

恋のおまじないはもうどうでもよくなったらしい。ただひたすら楽しそうな裏密の姿に葵と小蒔はただただ冷や汗を流すだけであった。



ちなみに某所では


「……何、古臭ぇ呪符並べてやがんだ?」
「フッ…村雨程度ではこの符の真の価値はわからぬのでしょうね」
「ヘッ、いってろ……そんなことよりさっき妙な<力>をオマエんとこから感じたんだけどよ」
「あれですか……どうやら私個人の事を探ろうとする輩がいるようです。<力>を返した時姿を垣間見ましたが……すぐに結界をはってしまったようで」
「天下の御門 晴明に居場所を悟らせねえたあ、やるじゃねえか……敵か?」
「いえ……そんな無粋な者ではないでしょう、あのたおやかなお人は」
「…………へッ??…………」

夢見がちな瞳の御門という珍妙なものを見せられ、珍しく呆気にとられる村雨であった。


双方顔をあわせるようになるのは、これから数ヶ月後である。互いへの気持ちに若干のズレがあったが。





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桜ヶ丘病院前にて


「どうしたんですか?いったい」

霧島の顔に困惑が浮かぶ。何故自分がここに呼ばれたのかよくわからない。

「えーっとねえ、お話があるのォ。でももうちょっとまってね」

呼び出した張本人……高見沢は変わらぬ笑顔。なにか時間を気にしているようだった。
言われて更に困惑の色を深める霧島。彼にはわからない事が多かった。何故ここに呼び出されたのか?高見沢さんが何の用なのだろうか?いつもなら腕を組んでこようとするのに、今日に限って何故ちょっと距離を置くのか……。

「あのねェ」
「えッ?」

不意を付かれてちょっと驚く霧島にかまわず、高見沢の問いかけは続く。

「霧島くんの〜一番大好きな娘ってだぁれ?」
「!!!」

今度は完全に驚いた。呼び出された理由の中で、こういった事を聞かれるという可能性は……ちょっとは考えたが、まさかな、とあっさり否定していたのに……。
彼女の口調も笑顔もかわらず、ただその瞳だけは真剣だった。それを見て霧島も腹を決める。いいかげんに返していい質問ではない。

「……さやかちゃんです」

言い切る。これは、この気持ちだけは誤魔化せない。たとえこの答えに目の前の人がどんな反応を示そうが……。
その気持ちをどう受け止めたのか、高見沢の様子に変化は無い。心なしか視線が柔らかくなったくらいか。そして更に質問を続ける。

「……じゃあ、さやかちゃんの一番好きな人はァ?」
「……え?」

咄嗟に反応できない。さやかちゃんの……好きな……?
ここで何故、ハッキリ自分だと言い切れないのか、確かに京一先輩や龍麻先輩のようなスゴイ人達と比べては見劣りするかもしれないけど、彼女への想いの強さなら誰にも負けていない。それに僕は彼女の騎士、そばで守れるだけでも嬉しいんだ……。
でも……さやかちゃんの気持ち、か……。


思考の深みにハマッていく霧島に後ろから声をかける人影。


「霧島くんッ!大丈夫ッ!」
「え……えェッッッッ!!」

なんでここにさやかちゃんがッ!確か今日は新曲のレコーディングのはずだったんじゃ?あれ……泣いている、の……?

「さっき『霧島くんが倒れた』ってスタジオに電話があって、……ここに運ばれたって聞いたら、じっとしていられなくなって……」
「でも、今日のレコーディングは……」
「お仕事も大事だけど、私には霧島くんの方が大切なのッ!」

言い切る舞園。先ほど高見沢の問いに答えた霧島と同じ表情だった。
そのまま抱きしめたい衝動に駆られるが……。

「やっぱり霧島くんなんだぁ」

その声に背に回しかけた手が止まる。もしかして……。
ここで働いている彼女からの電話なら『倒れた』という話しも真実味を増すだろう。時間を気にしているように見えたのも理由がつく。それにいきなりさやかちゃんが現れてもその声に驚きが無い……でも。

「どうして、です……?」

理由がわからない。何故こんな事を?
彼の疑問に、答える声はあくまで軽い。

「だぁッてェ〜、お姫様がピンチの時、いつでも王子様は現れるでしょォ!!」

ここでいうお姫様はさやかちゃんで、王子様って…僕の事かな。

「じゃあ王子様がピンチの時、お姫様はいつでも現れるのかなぁッって……ゴメンネェ〜〜」

言いつつ走り去ってしまった。
取り残され、呆気に取られる二人。病院の入り口を見ると、珍しい事に<本日休診>の札がかかっている。つまり……からかわれたのかな?それとも……。
まだ事情は飲み込めていない。しかし思わぬ所で互いの気持ちを確認しあった二人には大した問題ではないように感じられた。

好きな人が目の前にいる。それだけで頭も心も満たされてしまうから。





「よッ、お疲れさん」
「あれ〜ッ京一くんだぁ〜、どうしたのォ?」

そんなに病院から離れていない公園。木刀片手の彼に会うとは流石の高見沢にも予想外であチた。

「稽古をつけてた時、諸羽の様子がおかしかったからな。『病院に用がある』っつってたし……ちょっと気になって様子見にきたらよ」
「じゃあさっきのずっと見てたんだぁ、エッチィ」

ちょっと膨れる高見沢に苦笑で返す京一。
実をいえば様子がおかしいと感じたのは諸刃にだけではなかった。この前旧校舎に降りた時、高見沢が何か悩んでいるように思えたのだ。彼のおねえちゃんに対する野生のカンの鋭さは半端ではない。
もしかしてなにか関連があるのかと、やまをはったら、大当たりであった。

「しっかし今ごろ諸羽のヤロウさやかちゃんとよろしくやってんだろうな……からかいにいってやろうか」
「ダ〜メッ!折角舞子が二人っきりにしてあげたんだからァ」

最近さやかちゃんが忙しくてあんまり話していない、と寂しげに話していた霧島を見かねての彼女の作戦だった。無事成功して本当に嬉しい。自然と笑みもこぼれる。
しかし、それを見る京一の瞳は、彼女の心にある別の感情をとらえていた。

「……もしも、さやかちゃんが遅れたり来なかったりしたら……どうしてた?」
「ナ・イ・ショ」

明るく切り替えす高見沢。楽しそうな顔は……変わらない。
それを見る京一の笑顔は優しかった。

「おしッ、んじゃラーメンでも食いに行くかッ!今日は俺が奢ってやる」
「ワ〜〜〜イッ、ありがと〜」

飛び跳ねるように歩き出す彼女、さり気なくその横に並び付け加える。

「その前に」
「えッ?」
「胸と背中、どっちがいい?」
「……何?」
「好きな方貸してやるって言ってんだ……無理すんなよ」
「………………」
「ま、俺じゃ役不足かもしれねえけどな」
「そんな事無いよォ……えへッ、じゃあ背中借りちゃおッかな……」

その背にぴったりとくっつく。両手は前にまわされ、後ろから抱きしめる体勢となった。


「背中、おっきいね……」


小さな呟き。しかしすぐに鳴咽に変わる。



いつもの、子供のような大泣きでは無い。
小さく震え、すすり上げ、しゃくり上げる。歳相応の、涙。

「嬉しいんだよ……これ、嬉し涙なんだよぉ……」
「ああ……」

別に無理に笑顔を作っていた訳ではない、嬉しいのは本当だ。ただ……彼女の霧島への気持ち、それは全てこの涙に集約されているだろう。こんな時下手な言葉…慰めはかけない。自分で気持ちに整理をつけるべきだ、彼に出来るのはせいぜい泣き場所を提供するくらいだった。

『どんな理由であろうと女の子を泣かせたんだからな』

心の中で呟く。

『これでさやかちゃんと上手くいかなかったら師弟の縁を切るぜ、諸羽』

今ごろ想い人と仲良くしているであろう霧島に、心の中で静かに宣言する京一であった。





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再び3―C教室にて


放課後

部活か試験か旧校舎での闘いか。
机に突っ伏して居眠りしている小蒔の顔には疲れの色が見える。
葵が生徒会の仕事を終えるまで待っていようと座っていたのだが、どうやら身体は睡眠を欲していたようだ。
その寝顔には疲れの他に、苦しみも見て取れる。あまり夢見は良さそうに無い。

そして実際、彼女は悪夢を見ていたのであった。

それは今まで見た悪夢……人形に襲われたり、仲間がいなくなってしまったり……とは少し違う。登場人物の中に自分、桜井小蒔がいるのだ。自分の意識は第三者の視点として別にあるのだが……登場人物の小蒔もまた、彼女自身であった。
そう、彼女自身。葵の気持ちを知っているハズなのに、彼への想いを募らせていく自分。そんな気持ちを誤魔化そうと、自分らしくない行動をとる自分。彼のそばにいたい、その背を守りたいと思いつつ、その足を引っ張るような失敗をしてしまう自分。仲間に、親友に、嫉妬をしている自分。何かに対して怯えているようにも見える。
第三者の目で見た時、最近の自分はこんな風に見えていたのだろうか、だとしたら。


『こんなボク、嫌いだッ!』


泣きたくなる。自分が弱いと感じる。否定したいが、確かにあれは自分自身。端から見て恥ずかしくなってくる。
別の人が見れば可愛い、初々しいという考えも浮かぶだろう。
しかし、桜井小蒔という性格から見た今の自分自身は……。


『こんなボクッ……』


仕方ないとはわかっている。こうなってしまった理由は自分自身にあるし、そういった状況を楽しんでいた面があるのも事実だ、それでも……。


『嫌いだッ!』
『好きだよ』


突然声が、いや、まるで夢が割り込んできたような感覚。彼女にとって、しかしそれは不快な物では無かった。


『たとえ小蒔が自分自身を嫌いでも……』


暖かい。先ほどまで否定の対象でしかなかった自分の姿を肯定しはじめている自分がいた。これも自分だと、きちんと認められる。


『気持ち、変わらないから……』


彼女にとって、これは悪夢では無くなっていた。大切な何かに許されたような、こんな自分もまた自分らしいんだ、と考え直せるような、不思議な感覚。
そんなことあるわけない、でも、この声って……まさか……でももしそうだとしたら………ボクも…………好き、だよ…………………





「小蒔、風邪ひくわよ……起きて……」
「ん……あれ……葵……?」
「遅くなってごめんなさい」

いつもと変わらぬ教室、いつもと変わらぬ親友の笑顔。
数秒寝ぼけた後、今の状態を把握する小蒔。窓の外の暗さから、どうやら結構寝てしまっていたらしい。瞳が潤んでいるのは、先ほどの夢の影響だろうか……内容を思い出し、少しだけ頬が赤くなる。でも、あの声っていったい……?
首を傾げる小蒔に微笑みかける葵。落ち着くのを待って再び声をかける。

「さ、いきましょう。皆の校門で待っているから」
「へっ?なんで」

確か今日は二人で帰る予定だったハズだが。

「さっき龍麻にあってね、京一くんや醍醐くんと部活終わったら一緒にラーメン食べに行く約束しているから、一緒にどうかって」
「あ、そうなの?でもひーちゃんは何してたんだろ」
「ちょっと旧校舎で修行してたって言っていたけど……」
「ふーん、そうなんだ……」

言いながらもちょっと気が重い。

「もしかして、葵を個人的に誘ってたりして」
「うふふ、そんな事ないわよ。ちゃんと教室で寝ている小蒔も誘っておいてと言ってたわ。熟睡していたから起こすに忍びなかったって」
「う、うあ。寝顔見られたの?なんか恥ずかしいなァ」

ひとしきり照れる小蒔であったが、ある可能性を思い付き全身を硬直させる。

「ねえ、葵……ボク、なんか寝言言ってなかった…?」
「私はすぐに起こしちゃったから……どうしたの?顔が赤いけど」
「な、なんでもないよ。ウンッ!」

まさか…でも、説明は付く…じゃああれって本人……まさか……。

何かを考え込むように黙ってしまった小蒔。葵はそんな考える彼女の手をひくようにして教室を離れるのであった。急がないと待ち合わせている三人が気の毒であった。



その頃校門で



「チックショー、さみいぞコラ、何やってんだよあいつらはッ!」
「まあそう言うな京一、いくらなんでもそろそろ来るだろう」
「でも確かに寒くなってきたな……上着かけてあげたほうが良かったかな……」
「?何の話だよ、ひーちゃん。さっきからなんか嬉しそうだしよ」
「ああ…何か良い事でもあったのか?」
「ちょっとね」

教室での事はしばらく……小蒔にも……黙っていよう。
そう考える龍麻の顔は、確かに嬉しそうであった。心の片隅には、次は起きている時にという野望が浮かんだのだが……当人がその野望に気付き実行する事になるのはまだ先の事のようである。




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