闘いの無い日に・3 後編



「信じられないよ、調味料だけじゃなくてお米やお味噌まで無かったんだよ!冷蔵庫の中は野菜ジュースとミネラルウォーターがほとんどだし、ひーちゃんって普段何食べてるんだろ?」
「特に料理を趣味としていない野郎の一人暮らしの台所なんてそんなもんだろ」

洗面台の前に立って答える京一。手を洗うのに背が届かないちびひーちゃんを持ち上げ支えている。

「…この台所の条料理の腕を振るえなんて無茶もいいトコだよ!まったく」
「…言う割に、なんか豪勢じゃねえか」

ひーちゃんを下ろし自身の手を洗う。自分の家では滅多にしない行為であった。
文句をいいつつ並べられていく料理は、見た目も量も申し分ない。子供が好きなハンバーグをメインに、野菜サラダやら何かのスープやら芋の煮っころがしやらひじきやら…京一が名前も知らぬような料理も何品かある。どれも空きっ腹に直接訴えかけてくる魅惑の品々だ。

「へへへ、ボクもつい意地になっちゃってさ!近所のスーパーまで調味料とか買い足しにいったんだ。そこでやってた百円市でいろいろ道具も仕入れたし…家で下拵えしておいたしね」

確かに台所にはボウルやらフライ返しやら、新たな道具が使われていた。
その事をちょっと自慢げに話す小蒔の顔からは先ほどまでの暗さが消えている。
…実はこの部屋で得た悩みや疑問を京一に相談…というよりも、心の中のわだかまりをつい漏らしてしまったところ…

『歯ブラシ?そりゃ俺んだけど』

『あの写真って…さとみちゃんだったか、確かそっちのに一緒に写っているハガだかヒガとかいう奴と付き合っているとかひーちゃん言ってたぜ…』

…あっさりと沈む心を引き上げてくれたのであった。

うん!やはり一人悩むのは良くない、譬え京一といえども不安な時は人に頼る事も必要だ。そう、仲間とはかけがえのないものであって…そもそも心とは…

安堵感の為か、なんか哲学的なことまで考えが飛躍してしまっていたが

「あっ、だめだよ!いただきますしてから。…こら京一、ひーちゃんがまねしちゃうだろ?もっと行儀良くしなきゃ」

すぐ現実に引き戻される。この二人との対応に追われるうちに、先ほどまでの悩みや思考の哲学的発展など、どんどん薄れていった。




「…何でこんな男女の作ったメシが旨いんだ…?」

しみじみと、本当にしみじみと京一が漏らした。

彼の前の料理はあらかた無くなっている。
最初は、これだけの量をとても三人じゃ食い切れねえだろ。と思っていたが、気が付けばすばらしい勢いで箸を動かしている自分がいた。
これで不味いといっても説得力は無い。

「へへへ、まあね」

前半はちょっと引っかかるが、<旨い>と言っているのだ。許しておこう。素直に誉めれぬ照れ隠しだと思っておく。

「親が店の仕事で忙しい時、ボクが弟達にご飯を作ってたからね、葵みたいに本格的に凝った料理は出来ないけど、こういった家庭の味なら得意なんだ。…どう、美味しい?ひーちゃん?」
「うん!おいしい!!」
「よかったぁ!あっ、お口のまわり汚れちゃったね。ほら、拭いてあげるからちょっとお口閉じていて」

兄弟相手に鍛えられているのか、慣れた手つきで世話をする小蒔の姿につい思いついた事を口にしてしまう。

「…なんか良いお母さんになるのかもな」
「え?…な、何?」

問い返され、自分が何かえらく恥ずかしい言葉を口走ってしまったように感じられ、慌てて言い直す。

「別に、料理が出来て世話好きの美少年なら立派なお婿さんに…」
「それはお嫁さんだ!京一…」

振り上げようとした腕がひかれる。袖を小さな手が掴んでいた。

「えーと、ケンカは…ダメなの?」
「うん、そうなの」

ちょっと口調を真似て答えるちびひーちゃんに、逆らえなくなってしまっている小蒔。

「ホントにケンカ嫌いなんだね。大きくなったらあんなに強くなるのに」
「大きくなっても喧嘩好きってわけじゃねえけどな…」

いいつつ何か思う所があるのか、ちょっと考え込む京一であった。




「…じゃあボクがひーちゃんをお風呂に入れちゃうから」
「そうしろよ、手慣れてんだろ?」

それこそ兄弟を世話した経験が生かされるのだろう。自分が一緒に入っても自分の身体を洗う時くらいの、いってみれば大雑把にしか対処できないと確信している。
何しろ色々と準備万端な小蒔に対し、結局自宅に寄れなかった京一の準備は途中で寄ったコンビニで入手したパンツ一枚だけだった。

その心構えに免じて、小蒔にちびひーちゃんの面倒を見させてあげようではないか!うん、正しい判断だぞ、俺!

…風呂くらいゆっくり入りたい、とか、なんかめんどそう。…単純な本心はこんなモンだったが。

「…男同士の裸の付き合いを楽しんでこい」
「水着を着るっていってんだろ!!」
「男同士ってトコでまずツッコめって」

まったく!人の事からかって。一緒に入るったって身体洗ってあげるだけなんだから。
大体そんな意識する事ないんだよ、子供とはいえひーちゃん…逆だ、ひーちゃんとはいえ子供なんだから。家の弟たちと何ら変わりは…

ちびひーちゃんの一人でボタンを外そうと悪戦苦闘している姿を見ているとどんどんいとおしくなってくる。


やっぱ違うのかな…


「ゴメン京一、ボクが着替えている間ちょっとひーちゃん見てて」

ふう…あんな小さい子が気になっちゃうなんて、やっぱ変だよね…そりゃあさ、あれはひーちゃんなんだけど…いや、ひーちゃんだからか…でも子供だし…

着替えながら堂々巡りになっていた思考が、せっぱ詰まった声に中断させられた。

「おい!ちびひーちゃんがおしっこしたいってよ!トイレ使わせてくれ!!」

ちなみに脱衣場にトイレへの扉がある。

「わぁーー!!ダメだって!今着替えの真っ最中!そっちでなんとかして!」
「できるかあ!!素っ裸のちびひーちゃん外に連れ出せってのか!? チクショーこうなったら窓から…」
「それもダメだって!!ちょっと待って、とりあえず着なおすからひーちゃんだけ中に入れて!京一が入ったらただじゃおかないからね!!」
「だ、誰が入るかっ!!」

世話に追われて悩むどころではなかった。




「長ぇな、あの二人…」

どたばたも収まり、ようやくお風呂に入ってから数十分、いまだに出てこない。

自分ならばこの半分、いや3分の1の時間で済ませたろうな、ひーちゃんが一緒でも。そう考えると小蒔に世話を任せたのは正解だったな。
しかしひーちゃんも例え相手がアレであれ、女の子と風呂に入れるたあ、羨ましいじゃねえか。いっそ俺も裏密から…って、いかんいかん、やはり風呂なんてモンはイベント時にばれるかばれないかのスリルの中で…

風呂へのこだわりについて考える京一の背中に飛びつく影がある。

「よいしょっ」
「…多分親愛の情なんだろうけどな、ちびひーちゃん。なんか濡れてねえか…?」

お風呂上がりのちびひーちゃん、着替えどころかまだ拭かれてもいない。当然そのまま抱き着かれた京一の学生服は湿っていき…

「…そろそろシャレになんねえから離れてくれ、な」
「でもきょういちおにいちゃん、ぎゅっっ、てされるのすきなんだよね」
「まあ綺麗なオネエちゃんになら…ちょっとまて、誰が言ってた?そんなこと」

言われて向いた視線の先に小蒔がいた。笑顔…だが眼は笑ってない。
「なんのつもり…」と言いかける京一を遮って話してくる。

「ここのお風呂って狭くってね。おまけに洗面台まであるから、ちっちゃいひーちゃんと二人だけなのにすごく窮屈でさ」
「ほお…」
「それで石鹸を取ろうとしたら、右手の甲を洗面台に思い切りぶつけちゃって」
「それで?」
「そしたらさひーちゃんがさ、痛がっているボクの手を取って、ぶつけた所を舐めはじめたんだよ」
「……」
「驚いていたら<なめたらなおるんだって!>て言うじゃないか、誰から聞いたか興味を持っても不思議じゃないだろ?それでケンカはダメだっていうからさ」
「…これはちょっとした仕返し、か?」
「あまりひーちゃんに変な事教えないように!さ、そのバカはほっといてこっちにおいで。拭かないと風邪ひいちゃうよ」

…言い返そうにも京一の方が分が悪い。敗北を認めざるを得なかった…。




「おい、まさかもう寝んのか?」

風呂から上がった京一がうめく。まだ九時ちょいすぎ、夜遊びの好きな彼にはこれからという時間であった。ちなみに勝手に龍麻のジャージを借りている。

「別にボクらは起きててもいいんだけどね。ひーちゃんがもう限界だよ」

確かに、小蒔の弟のお古パジャマに着替えさせてもらったちびひーちゃんの瞼は、今にもくっつきそうになっている。一日の疲れに、満腹感と暖まった身体が足された今、この年頃の子が睡魔に打ち勝つべき術は無い。

「無理しなくてもいいよ。お休みひーちゃん」
「…うん…おやすみなさい…おねえちゃん、おにいちゃん…」

そのままベットに転がり、すぐに静かな寝息を立てる。

「やれやれ、まだあの二人も来てねえってのに」

醍醐のプロレス観戦も、葵の御食事会もようやく終わったくらいであろう。

「仕方ないって、主役が眠たがっているんだし。…でも本当に可愛いね。聞き分けいいし、明るいし、人懐っこいし…」
「まあ、な」
「ん?…どうしたの京一、このひーちゃんに何かあるの?」
「…いや、別に…それよりどうすんだ?ホントにお前らここに泊まるの?」
「え?あ…そうだなあ、この部屋五人が寝泊まりするのにちょっと手狭だし…実を言うとボクもこんなに早くひーちゃんが寝ると思っていなくて…」
そんな時、 それは二人の不意を付いた。
夢を見るにはまだ早い筈、だがその口からは低くしゃくり上げる音が聞こえ…その閉じた瞳からは涙がこぼれていた。

夜泣き?それとも薬の副作用?それともただ寝ぼけているだけなのか?

「おとうさん…おかあさん…」

記憶が混乱しているのだろうか?

「どうして…?…いらないこなの…?」

あまりの展開に二人とも動けない、声が出せない。どうすればいいのだろう?
この時小蒔に反応することを促したのは、理性ではなく感情だった。
理由はわからない。でも悲しませたくない!
目の前で小さい子が、ひーちゃんが泣いているのだ!!そんなの…嫌だ!!

小蒔の動きは自然だった。ベットに座り泣きじゃくるひーちゃんを引き寄せ…

そのまま胸に抱く。うずめてくる頭を抱きかかえる。

「大丈夫、そばにいるから」

耳元で宣言する、心からの言葉。その優しい声はちびひーちゃんを落ち着かせる。

「そうだ、お前は一人じゃあ無い」

合わせるように京一、これも心からの言葉であった。
胸の内で、しゃくり上げる音が小さくなっていく。

「…ありがと…おねえちゃ・・んおにい…」

再び、今度こそ深い眠りについたのか…その顔は安らいでいる。

「京一…何か知っているの…?」

しばしの静寂の後、そのままの姿勢で小蒔が訊ねてきた。その眼はちびひーちゃんの髪にうずめるように伏せられている。そんな二人をじっと見つめながら京一は応じる。

「なんで知っていると思う?」
「さっき何か言いたそうだったじゃないか…」

その声は暗く、何かを我慢しているようにも聞こえる。

「そうだったな」

目を瞑り、記憶を探っていく京一。

「前にちょっと話していた事があってな…」

妖夢の事件から少し経ったくらいだったか。あの頃はまだ名前で呼んでいた…

「なあ龍麻、お前はいじめられた事ってあるか?」

その質問はなんとなくだった。これだけ腕が立ち、心の強い奴がいじめられる事は無いだろうと、予想してもいた。だから

「ああ、昔ちょっとな。…あれもいじめって言うんだろうな…」

との答えにちょっと驚かされてしまったのを覚えている。

「…なんでまた」
「まあ、家庭の事情でってヤツかな。子供って時々残酷だから…」

…その時は詳しくは聞かなかった。興味はあったがなんとなく気軽に話せることじゃあないと思ったからだ。それから今日まで、泊まった時や事件の後、旧校舎に潜る最中などにちょっとづつ家庭の事情やその当時の話を聞かせてもらっていた。あるいは彼にとって隠す様な事ではなかったのかもしれない。

「…その器量と性格だ、周りの大人達にさぞ可愛がられたろうな…他の子供たちにとっては、贔屓されてるとか比較されるとか、まあ面白くはねえだろ」

本人には関係ないし、ただのやっかみなのだろうが…

「そんな中で今の両親と血が繋がってない事が知られたんだ。考えなしのガキが悪いとも想わないでいった言葉がどれだけ心を重くさせたか…俺には想像も出来ねえ」

『いらないこだから』
『きらいになったから』
『すてられたんじゃないか』

もちろん大人達は叱ったし、今のひーちゃんもあまり気にしてなかったと言っていた。
しかし…

「人懐こいのもケンカを嫌うのも、見捨てられたり嫌われたりする事への恐怖心の裏返しじゃねえかな、まあ元々性格が優しいんだろうけど…どうした?部屋に来た時よりもへこんでるぞ?」
「ん…なんか、さ…写真の時もそうだったけど、ボクひーちゃんの事全然知らなくて…御両親の事は聞いた事あったけど、それを泣くほど気にしていた時があったなんて…」
「そりゃあ自慢げに話すような事じゃねえしな」

『惚れた女の前で弱いトコは見せたくはねえよな、ひーちゃん』

心の中で付け加える。

「それでも京一は知っていたじゃないか!…それで、ひーちゃんに何でも話してもらえる京一の事が、急に羨ましくなって…目の前でひーちゃんが悲しんでいるのにそんな嫉妬なんかしている、ボク自身がやな奴に思えてきて…」

声がくぐもる。微妙に肩が震わせながら心情を吐露してしまう。

「何言ってやがる!…俺にはお前の方がよっぽど羨ましいぜ」

いつもの冗談交じりではない、京一の怒ったような、でも優しい声。もしかしたら初めて聞くかもしれない。

「俺に出来んのは一緒に行動して話を聞くくらいだ。お前みたいにひーちゃんを癒す事は出来ないんだよ」
「癒す…?葵じゃないのそれって?」
「そうじゃねえって」

漏れる苦笑。安らかに眠るちびひーちゃんに目を移す。

「現に今癒したじゃねえか…。俺は共に歩き闘って、共に悩んだり苦しんだりしか出来ない。でもおめえは一緒に歩いたり闘ったりしながら、悩み苦しむひーちゃんを支えたり安らぎを与えたり出来るんだ!…嫉妬してえのはこっちだぜ、まったく」

照れくさいのか、言い切りそっぽを向いてしまった京一の言葉に、小蒔は元気が戻ってくるのを感じていた。彼なりの慰め、優しさのおかげだろう。ひーちゃんが彼を親友とする気持ちがわかったような気がする。

「…けっこうカッコイイね、京一」
「何だ、今ごろ気付いたのか?」
「うん、これでバカで女好きで間抜けなトコがなければ、本当にカッコイイのに」
「…言ってろよ」

笑いあいながら、二人は心で同じ様な事を考えていた。

『これからもひーちゃんを頼むぜ!』
『これからもひーちゃんの事ヨロシクね!』

想われている当人は安心しきった顔でおやすみしていたのであった…




翌日3−C教室にて

「いやぁ、<眠り姫>じゃなくて<シンデレラ>だったとはな」
「たしかに効果は一日と言っていたけど零時丁度に効き目が切れるなんて」
「いきなり十代後半の肉体に戻るのだからな」
「パジャマ破れちゃったしね…布団掛けといてよかったぁ」
「何で教えてくれないのよぉぉぉっっ」

いつもの会話にアン子の絶叫が付け加えられる。彼女が事の顛末を聞かされたのは今日の朝。こんな美味しいネタを逃すとは一生の不覚であった。

「…で、中心人物のあれはどういうことよ?」

今回ある意味貴重な体験をした龍麻は朝から机に突っ伏している。見た目はいつもと変わらぬ高校生だ。

「なんか朝から頭が痛てえとか言ってたな。薬の後遺症か?」
「大丈夫?ひーちゃん」

確かに龍麻は頭が痛かった。ただそれは薬の副作用による肉体的なものではない。


『なんだって全部覚えてんだよぉ…』


精神的なもの。昨日の出来事すべてを鮮明に覚えているという事実が頭痛の種であった。そう、ご飯も、お風呂も、トイレも、そして泣きじゃくった事もすべて…!!

子供として自分がした行為が高校生としてどれだけ恥ずかしいものであったか、今朝から誰とも眼を合わせられない所から察せられる。さらに恐いのは、全てを覚えている事を知られた時の周りの、特に世話してくれた二人の反応であった。

「おいおい、ホントに大丈夫かよ」
「保健室行く?ひーちゃん」

今朝から何となく仲の良い二人が覗き込んでくる。
自分が昨日の事を全て覚えていると知ったらどう対応するのだろうか?怒るのか、笑うのか、無視するのか…まったくわからない所がすごく恐い。
ただ、たとえどうなるとしてもこの二人にはどうしても言っておきたい言葉があった。そう、昨日お世話になったちびすけとして…


「ありがとう…おにいちゃん、おねえちゃん…」


そして、きょとんとした二人に、微笑みかけたのであった。




後日談

桜ヶ丘病院にて、マリイに薬が渡される。

「こっちが肉体年齢を上げてぇ、こっちが下げるのぉ」
「アリガトウッ!!コレでマリイオオキクなれるんダネ!!」
「一日だけよぉ、使い方まちがえないでね〜…こっちの精神年齢を下げる薬は〜」
「フッ、これで子供たちの気持ちを完全に把握出来るな」
「へん、そんなもん使わなくても、俺っちは子供のハートをわしづかみだぜ!!」
「…レッドもブラックも使う必要ないんじゃないかな…」

とにかくこの薬を使ったマリイがちょっとした騒動を引き起こすのだが、それはま た別の話。



そして
「うふふふ〜これがミサちゃんとっておき〜。文化祭でも使う秘薬よ〜」
「頼むから勘弁してくれ…」


どうにか人体実験を免れた龍麻が、文化祭でその秘薬の効き目とやらと関わってしまうのだが、それもまた別の話である。




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