それはある日の放課後
「ひーちゃん、明日のお昼何食べたい?」
小蒔のこの一言が騒動のキッカケであった。
先週交わしたお弁当を作るという約束。感情の行き違いにより思わずぶって(思い切り殴ってと世間ではいう)しまったひーちゃんへのお詫びであって別に隠すような事ではないし、皆の前で言っておけば、渡す時にこそこそしたり変にどきどきする事もないだろう。そんな心根で話した言葉は、周りの人々の胸中に小さな波を作った。
「納得行かねえな」
蓬莱寺京一がぼやく。この前のお詫びとやらで、小蒔がひーちゃんに弁当を作ってくるらしい。
彼は結局この前の事の顛末を詳しく聞いてはいなかった。頬を染め妙に歯切れが悪くなるひーちゃんへの武士の情、でもあるし、正直言って二人の様子を見ていれば大体の察しはつくからだ。
あまりに初々しいその姿に小学生だって最近はもっと進んでんぞ、とやきもきする事もあるし、醍醐や美里の気持ちを考えるとちょっと複雑でもある。が、それらはあくまで当人同士で考えるべき問題であり、それによって崩れるようなやわな友情、仲間ではないと京一は信じていた。そんなに間に余計な口出しする程野暮ではないし、そんな事せずともなるようになるだろう。彼が納得行かないのはその問題ではない。
なんか不公平じゃねえか?
そう、理屈ではわかっているのだ。お詫びというのが単なる口実でひーちゃんに弁当を作ってあげたい(当人達は真っ赤になって否定するだろうが)という気持ちがメインであるとか、それにとやかくいうのは馬に蹴られて死んでしまうべき奴なのだというのは。
しかし感情はそうはいかない。そう割り切れない。
「俺が何発小蒔に殴られたと思ってんだよ」とか「相手が誰であれ女の子(普段は美少年などとからかってはいるが)にメシ作ってもらえるなんて羨ましいぞひーちゃん」などなど… ま、簡単にまとめると「なんかおもしろくない」なのだが。
そこで、彼はちょっとしたいじわるを考え付いた。
勿論、あのうれしそうにしている二人の仲をどうこうしようという気は無い、ただ単純にちょっと困らせてやろうかな、といった軽いノリでありいじわるである。
「へへっ、まずはアイツん所にいって、と」
京一の笑顔は子供のそれと同じであった。そして、そのいじわるも。
「ふう、、」
美里葵がため息をつく。小蒔が明日龍麻の為にお弁当を作ってくる。
彼女はなぜそういった展開になったのか詳しくは知らなかった。この前の昼、席を外していた時に起こった出来事について一応の説明はあった。ただ、首すじまで真っ赤になってしどろもどろに話す小蒔があまりに愛らしく、また大変そうだったので、内容について深くツッコめなかったのだ。まあ雰囲気からしてちょっとした進展があったのは間違いない。
最近の二人は本当に見ていてかわいらしい。母性本能をくすぐられる、同級生に対して失礼かもしれないがその言い方が一番適している。小蒔に対しても、そして…龍麻に対しても。
龍麻に対しひとかたならぬ想いはある。ただそれは周りの人が指摘するような一般的な恋愛感情とは少し異なっているようだ。
家族と共にいるような安心感、霧島君が京一君に抱いているのと同質、更に大きいかもしれない尊敬の念、そして遥か過去から知っていたかのような親近感など、他の誰からも感じた事の無い、因果の存在を信じてしまう程の深い共感。
この気持ちの説明は葵本人にも上手く出来ない。
運命、縁、絆…単純に恋というには違和感があった。彼女が「菩薩眼」と「黄龍の器」の歴史や、その繋がり、宿星について知るのはこれからしばらく後の話である。
だから、先ほどのため息も想いが募って出たものではない。自分の好きな人達の今の歓迎的、そのはずなのだけれども……
「…やっぱり羨ましいのかしら?」
そう、あのホンワカした関係を大切だと思うし、それをどうにかしようという者は許せないだろう。しかし、それはそれとして
「私もあんな風にお弁当作ってあげたいなあ」とか「二人で一緒に嬉しそうに食べるのでしょうねえ」などなど…考えるたびに心が疼く。何と表現すべきか?妹に彼氏ができた時の姉、息子が恋人を連れてきた時の母親、それともただのやっかみ?
「何となく心が重い」というのが一番しっくりくる。このもやもやをすっきりさせるには…
そこで彼女はちょっとしたいたずらを考え付いた。
私があの二人をちょっと驚かせてあげましょう。たまにはいいわよね?修学旅行の時のおかえしもしていなかったし。
「ふふふっ、後で連絡とらなくちゃ」
葵の子供のような笑顔。そこに邪気は無く本当に楽しそうであった。
「しゅっ、しゅっ、しゅっ」
規則正しい息継ぎ音が醍醐雄矢の口から漏れる。龍麻が桜井に弁当を作ってもらう。
彼はそこに至る経緯を結構詳しく知っている。あの二人の説明、その後の互いの態度や目撃者の話など、生真面目な彼はそれらの情報をすべて丁寧に受け止め、頭の中で編集・構成を繰り返して、その日起こっただろう事をキチンとまとめて理解したのだ。
ヒンズースクワット、このひざの屈伸からなる単調なトレーニングをどれほど前から続けているのか、その足元に汗による水溜まりが出来ている。身体を動かす事により精神を落ち着かせていく、格闘家らしい思考法を実行しながら、彼は自問する…
桜井の心が龍麻に惹かれていっていると気付いたのは果たして何時だったろうか?
そして恐らく龍麻も桜井の事を…
少しだけペースを上げる。二人が幸せならそれで良いのかもしれない。祝福出来ない事もない。
ただそれで自分の中の正直な気持ちを押さえられる程、達観していないし、そう簡単に割り切れる程、悟ってもいない。多分しこりを残さぬ為にも龍麻と語り合う事になるだろう。もしくは桜井に心をぶつける方が先かもしれない。
いずれにせよそう遠くないうちになんらかの行動は起こそう。それによりおかしくなるようなヤワな絆でもあるまい。ただ今回の件に関しては…
「ま、いいんじゃないか」
本心がどうであれお詫びという形で行われる事に、手出し口出し出来るわけが無いしそんな事をする筋合いも必然性も無い。まあ心にもやもやはあるが、それを理由に何かしようと考えるのは筋違い、おとなげないというものだ。今度の文化祭でのレスリング部としての出し物について考える方が幾分かマシというものだ。
「しゅっ、しゅっ、しゅっ」
トレーニングに集中する。いつものメンバーの中では醍醐が一番大人なのであった。
そして次の日の昼休み
「ねえ、何かおかしくない?」
小蒔の困惑はもっともであった。授業が終わったというのに殆どのクラスメートが教室から出ようとしない。同じような疑問は龍麻も抱いていた。
「…なあ、あれって小蒔の後輩じゃないか?」
「えっ、あ、ホントだ。なにしてんだよいったい」
その他にも近くのクラスの連中や挨拶してくる後輩達があるいは廊下から、また直接教室にはいってきて、なぜかこちらの様子をちらちらと伺っている。鬱陶しい事この上ない。この奇妙な状況に京一がぽつりともらす。
「予想以上だなこりゃ」
「ん?なんか言ったか京一」
「い、いや、なんでもねえって!それよりメシにしようぜメシに」
あからさまに動揺している。その隣の葵の笑顔もこころなしか空々しい。何か知っているのか?龍麻が不信感と共に抱いた疑問をぶつけようとした時、
「ラッキー!間に合ったみたいね」
明るい声がタイミング良く響いた。教室に飛び込み、当然のごとくカメラ片手に現れたのは、新聞部部長遠野杏子であった。
その勢いに龍麻の問いはかき消されたが、不信感は更につのった。
何故にアン子が?ラッキーって?周りの連中と何か関係が?さまざまな疑問がつのる。
その表情に気付かぬのか、アン子はマイペースに話を進める。
「あら?いつものメンバーに一人足りていないようだけど」
「醍醐クンなら部の用事があるって行っちゃったけど…間に合ったって何に?」
「なーにいってんのよ桜井ちゃん、愛の手作り弁当を渡す決定的瞬間に決まってんでしょーが!」
言葉と同時に小蒔は硬直し、龍麻は立ち上がった。
「何でその事を…ってこら、逃げるな京一!あ、眼ぇ逸らしたな、やっぱお前か!」
「さ、さあ何のコトですかなひゆうさん、僕には全然わから…こ、こら首に手を伸ばすな!絞めようとすんじゃねえ」
「ずいぶんと余裕だな、秘拳を食らっても変らずにいられるか試してみるか?」
「て、落ち着けって眼が笑ってねえぞ、実は本気か?待てっていってんだろ」
拳で語り合おうとする龍麻とそれを止めるべきか悩む葵に挟まれ、ようやく硬直の解ける小蒔。
「ちょっとまって、じゃあここにいる人達ってみんな」
いいつつ見まわすと、それぞれが白々しく眼を逸らしすっとぼける。ある種のコントの様なその光景に、怒ったり恥ずかしがるよりまず呆れてしまった。
「なに考えてんだよいったい」
「あら、でもやっぱ気になるじゃない。あ・の・弓道部の主将がどんなお弁当を作ってあげるのかなって。ね、取材させてよ」
「あのねぇ…別に特別な物じゃないって、いつも家で食べているようなおかずを作って詰めたんだから」
変に凝った料理より、一人暮らしのひーちゃんには家庭の味の方が喜んでもらえるだろう、といった配慮のもと作られたお弁当である。おかげで味はともかく見た目は結構地味になってしまった。
「見てもつまんないと思うけど…」
いいつつちょっと確認。中身がよってないか、おかずが散らばってないか、蓋をほんのちょっとだけ開けて中を覗き込み……
「!!!!」 バンッッ!!
叩き付ける様にして閉じる。顔色が青、真っ赤、そして蒼白へと三段変化する。その様子を見て顔に疑問符を浮かべるアン子にも薄い笑みを浮かべた葵にも気付かず、飛燕の速さで京一の襟を掴んでいた龍麻の手を取る。
「ひーちゃん!!場所変えよ」
あまりの勢いとその剣幕にさすがの二人もあっけにとられる。
「それはいいけど、どうし」 「いいから急いで!」
強引にその手を引き、ダッシュで教室を後にした。残された者達はしばし呆然としていたが、
「あーーっ!逃げられた!追うわよ」
我にかえり慌てて追いかけるアン子と野次馬、その一連の流れを見守りながら、
「…へへっ、何かやったな葵」
「うふふ、京一くんこそ…」
両者とも笑顔が引きつっている。自分達のした事をすでに後悔している顔であった。
走る、とりあえず走る。兎に角あの場から離れなければならない。どこか人気の無い所へと、でも何処に?あ、前方に人影発見。あのボサボサ頭によれた白衣は…
「犬神先生!!」
「よう、どうした?廊下は走っていいもんじゃ…」
「すいません教えてください!最近学校で生徒が近づかないトコってどこですか?」
「なに?まておい」
「あと三秒でお願いします。3・2・1はい!」
「まあ…校舎裏か?他は文化祭準備で誰かしら人はいるだろうし…いったいどうし」
「ありがとうございました!」
みなまで聞かず走り出す。 首をかしげる龍麻を引っ張って走っていく。
「なんなんだあれは?」
その姿にハンターに追われる獣を連想しながら、犬神は頭をかいた。
校舎裏
旧校舎との境の更に端。あらゆる位置から死角となるスペースがある。
そのため不良グループが生意気な奴を呼び出すのに好都合であり、使用頻度は結構高いらしい。
幸い今日は不良達にその予定は無いようであった。もちろん一般生徒の姿も無い。
ようやく一息ついた所で、龍麻には言うべき事が色々あるように思えた。靴履き替えてないとか、二、三人突き飛ばしていなかったかとか、そろそろ手を放してもらえないかな、ちょっと勿体無い気もするけどとか。でもとりあえずは
「いったいどうしたんだ?突然逃げるように」
一番聞いておきたい事が口に出た。
「え?だって恥ずかしいじゃないか!あんな大勢の前で」
息を整えながらの小蒔の答え。顔が赤いのは走ったからか羞恥の為か?
「アン子もいたしきっと新聞とかに大きく載せられちゃうんだよ?」
「いやでも隠すような事じゃないし、新聞はまあ・・載ったら載ったでそれもいいかなって・・」
照れながら龍麻。最後の方はぼそぼそ呟くように。小蒔の顔の赤さが増す。
「そ、それでもダメ!あのお弁当は恥ずかしすぎるって!」
「あのって…作ったのは小蒔なんだろ?」
「そうなんだけど…」
「お前ら、こんな所で何をやっているんだ?」
突然の第三者の声。二人は驚いて振り向き…呆気に取られる。
「……何の冗談だ?醍醐」
見た目190cmぐらい、闘う為に鍛え上げられた身体、トレードマークの長ランに先ほどの声。どこをとっても、いつもの醍醐雄矢だった。顔の白いトラの覆面以外は。
「ほう、よくわかったな」
「あたりまえだ!」
「本当にどうしちゃったの醍醐クン?なんか辛い事とか嫌な事とか独りで抱え込むのは良くないよ?それともコスモレンジャーに入りたくなったとか…」
呆れ返る龍麻と真剣に心配する小蒔に、醍醐も照れくさそうに答える。
「いや…今度の文化祭でな、<きたれチャレンジャー!五分以内にマスクを剥がせたら豪華賞品プレゼント>というのをレスリング部でやるんで、取り合えず人気の無い所で覆面のかぶりごこちと視界の確認をしようかと」
堅物であり生真面目な彼であった。やると決まったからにはしっかりと役目を果たさなければ気が済まないのだろう。たとえそれがイロモノでも。
「未知の強豪が飛び入りしてくるかもしれんしな。そっちこそここで何を…」
その時、遠くから声が流れてきた。
(こっちだ)(本当か)(犬神先生はこっちへいったって)
一瞬脅える小蒔。その表情と右手に抱えた弁当を見て
「いけ、二人とも。ここは俺が食い止めておく」
「え?」「醍醐?」
「大方その弁当がらみなんだろう?丁度この視界でのスパーリングが必要のことに気付いたんでな。いいからまかせておいてくれ」
「ありがたいが、本気でやるなよ?」
「はははっ、安心しろ、無茶はせんよ。さあいったいった!」
「うん、サンキュ!醍醐クン」
再び走り出す。その背後から話し声が聞こえてくる。
「紫暮!何故お前がここに」
「文化祭での招待試合の打ち合わせで偶然な。決して写真の為ではないぞ…それより俺の名を知る貴様は何者だ?」
「ふ、我が名はホワイトタイガーマスク!ここは通さん、いくぞっ!」
真面目な彼はふざける時も真剣だった。
「小蒔、後ろの展開にすっごく興味があるんだけど…」
「ダメだよ、そりゃボクだって見てみたいけどさ…」
屋上
冷たい風と霊研部長が召喚した悪魔と何か交渉していたという噂(目撃者多数)により、人が滅多に近寄らなくなったこの場所へ唯一通じる階段の途中に、二つの人影が確認できた。
「何で紫暮が野次馬に混ざってたんだ?」
「うん、それに写真がどうとか言っていたけど何の事だろ?」
まあとにかくお昼ご飯が先であった。屋上への扉を開けると
「よお、やっぱりここにきたか」
先客がいた。
「「 京一 !! 」」
声がハモる。この騒動に何らかの関係を持つコイツがここにいるという事は……。
何かがあるとふんだ二人の間の空気が緊張する。武器があれば装備する所だが、生憎と今は矢の代わりにお弁当を、弓の代わりに龍麻の手を持っていた。
そんな中で、京一のとった行動は意表をついた。彼は両手をパンと合わせ、
「すまねえ!ひーちゃん、小蒔。このとーりだ!」
深々と頭を下げたのであった。
「京一、お前」
「どういう風の吹き回し?」
「まあ最初はお前らのファンの下級生とか呼んで、冷やかしてやろうかなって、軽い気持ちだったんだよ」
ところが。連絡先を調べる際、アン子に頼ったのが大失態だった。そのような美味しいネタを彼女がほおっておくハズも無く、持っているネットワークを最大限に駆使してこの話を大々的に広めてしまったのだ。最初は面白がっていた京一もその余りの広がりように、シャレにならないものを感じていた。
「…おまけに決定的瞬間を撮った奴に新聞未掲載のさやかちゃんの生写真プレゼントなんて言いだしやがってよ!」
「だから紫暮が張り切っていたのか」
ようやく合点がいった。いわば子供の茶目っ気だ。悪気もなさそうだし怒る気にもならない。だが、小蒔はまだ聞きたい事があるようで…
「ねえ京一、キミがしたのはホントにそれだけ?」
「ああ、他にもなんかあるっていうならそりゃ別の奴の仕業だ」
その事に付いてもなにか掴んでいるようだが、詳しく語らずに別の事を告げる。
「そろそろアン子達もここに来るかもな」
屋上へのルートは一本。今出たら鉢合わせしてしまう。
「俺が引き付けているうちに脱出しろよ、罪滅ぼしだ」
ちょっと格好つけていう京一に、向けられたのは疑惑の眼であった。
「信用できるのぉ?」
「さやかちゃんの生写真もあるしなあ」
「だあっ、友情を信じろって!悪ノリしすぎたって本気で反省してんだからよ」
それに、と、不安げに並んでいる二人を見て付け加える。
「馬に蹴られて死にたくねえしな…ほら、照れてないで扉の後ろに隠れてろ」
はたして数分後、野次馬を引き連れてアン子がやって来た。
「あら、京一だけ?あの二人は?」
「まだ来てねえよ…それより人数少なくねえか?」
「手分けして捜してんのよ、校舎裏の方でなんかあったみたいだし」
「そうか、じゃあここにはお前らだけなんだな、よし!今だ、行け!!」
「済まない」
「サンキュ」
合図と同時に扉の裏から出る。入れ替わりで校舎に入り、内側から鍵を掛ける。そして再び走り出した。その背後から話し声が聞こえてくる。
「裏切ったわね京一!私だけ悪者にする気?」
「うるせえ!やり過ぎなんだよ、もっと笑える程度にだなあ」
「言い訳は沢山よ!そっちがその気ならこっちにも考えがあるわ、頼むわよ!」
「ハーッハッハッ!!オーケーベイビー!!」
「……さっきから不思議だったんだけどよ、なんでてめえがここにいんだよ?」
「男が細かい事気にするんじゃない!さあ、やっちゃって」
「ボクのガンさばき、とくと拝むとイイネ!!」
「馬鹿野郎!こんな所で<力>使う気か?ちい、いくぜっ!」
ここに闘いの幕が切って落された。
「なんかある意味面白そうだな…」
「…そうだけど…いこ!」
旧校舎
そこに在るだけで薄暗く、寒さを感じさせる建物。立ち入り禁止にせずとも、こんな薄気味悪い所に喜んではいる物好きはいない。ましてやその目的がのんびりお弁当を食べる為などとは、もしかして二人が初めてではないだろうか?
「さっきのってアランだったよな?」
「うん、紫暮クンといい学校とかどうしたんだろ?」
ギシリッと床の軋む音。流石に楽しくお昼ご飯という場所ではないと承知している。
だが小蒔には人の来なさそうなポイントをもうここぐらいしか思い浮かべられない。
地下に行かなければ敵に遭う事も無いとはいえ、この醸し出される独特の雰囲気の中に好き好んで入って来る者はいない。そう信じていた。
「……なのに何で葵がここにいるの?」
困った顔をして立っている親友の姿に小蒔の頭はパニック寸前だった。
「本当にどうしたんだ?一人で旧校舎に入って?」
こちらは若干冷静な龍麻、素直な疑問を口にする。多分自分達の事を待っていたのだろうが。答える葵の歯切れが悪い。
「捜してたの…どうしても小蒔に謝りたくて…」
「ボクに?いったいなあに?っってまさかこれの事?」
「そう、そのお弁当の事…」
「ウソ!だっていつのまに?今日はずっと一緒にいたじゃないか、いつあれを?」
「それは…昨日弟さん達と連絡を取り合って…」
「あっっ…・・あ・い・つ・ら・あ!!!」
「怒らないであげて!私が悪いの、こんな風になるって思わなかったから」
怒る小蒔と宥める葵。いつもの光景なのだが、今回は宥める方に問題があった。
「葵も葵だよ!なんだってこんな事を…」
「本当にごめんなさい」
そのあまりの落ち込みように、文句を続けられなくなる。特に悪意の無いいたずらであり、もし立場が逆であったら同じような事をしていたかもしれない。修学旅行の前日、葵にした事を考えたら、偉そうに言えた義理じゃあない。
「…ま、いいか」
「え?」
「まあ、たしかに驚いたけどね。そこまで謝んなきゃならない事じゃないって」
「でも私」
「ほら不安そうな顔しないで、そんなのせっかくの美人に似合わないよ!ね?」
「…ええ、ありがとう。小蒔」
「いや、お礼を言われるような事でもないんだけど」
努めて明るく話す小蒔とつられて笑顔を浮かべる葵、そしていまいち話について行けず、ちょっと困惑ぎみの龍麻。とりあえず場が和やかになろうとしたその矢先
ギシリッ !
足音からして相手は一人、気配からして地下の化け物では無い事は確かだが、ここに一人で入ってくるような人物とは…
「まだだれかきているのか?」
「アランクンや紫暮クンみたいに?」
「あの二人だけの筈だけど、文化祭準備で午前授業だったのは」
さすがに授業をサボってまで来た訳ではないようだ。ではこの足音はいったい?
「兎に角、会って話をしましょう。二人は先に行っていて」
「何言ってんだよ、一人で行く気?」
「その方がいいでしょう?もしあれが先生だとしたらお説教されている間にお昼休みが終わってしまうわよ。折角のお弁当、食べない気?」
「だが危険人物だったらどうする?」
「その時は…いざとなれば<ジハード>で…と、兎に角!生徒会長として、文化祭での旧校舎利用について考えていましたと言うつもりだから、部外者はいない方が都合が良いの。ねえお願い、私に任せて!」
強引に押し切る。自分のしたいたずらに対してのお詫びがしたい。顔にはそう書いてあった。ならばその好意に甘えさせてもらおう。
「頼んでもいいかな?」
「無理はしないでよ!」
「うふふっ大丈夫よ、さあ」
再び走り出す。その背後から話し声が聞こえて来る。
「マリア先生!どうしてここに?」
「美里さんこそ、ここは立ち入り禁止なのにどうして?」
「まさか先生まで皆と一緒になって騒いでいるのですか?そんな」
「え?なにをいったい」
「だとしたら、私先生を止めなくてはなりません。いきます」
「もしかして話を逸らそうとしてない?それとも…」
なんとなくおかしな展開になっていった。
「あれって時間を稼いでくれているんだよな?」
「うん、本気じゃないとは思うけど…多分」
「どうしようひーちゃん、このままじゃお昼食べられないよ」
悲しみの瞳で訴えられる。引っ張られるままついて行ったが、もう人気の無い場所の心当たりが尽きてしまったようだ。ここまでくると皆意地になっていて、人の弁当でここまでムキになる必要があんのか。という正論はもはや通用しない。
五時間目サボる、放課後に食べる、といった手もあるが、この騒動を長引かせるだけかもしれない。となると……
「一ヶ所だけ、心当たりがある」
なるべくなら、行きたくなかった。あそこならなんとかなるだろうが、その後のことを考えると気後れしてしまう。
しかし、ここまで一生懸命の小蒔の為なら、こんな弱気ねじ伏せられる!…と思う。
「いこう、こっちだ!」
「うん!」
その表情に全幅の信頼が込められているのに深い充足感を抱きながら、龍麻はつかまれた手を引き、走り出した。
そしてオカルト研究会部室
文化祭に向け占いを休業してまで妖しい準備をしている裏密のミサちゃんに話を持ち掛けると、あっさりOKされた。
「それじゃあ部屋の鍵渡しとくね〜〜」
「ありがとねミサちゃん」
「文化祭って何をするんだ?」
「うふふふふふふふふっふふふ〜〜内緒〜〜」
明確に答えず部室を出る。なにか下準備をしに行くらしい。背筋が寒くなる。
快く部室を貸してくれた裏密に感謝の念はあるが、その交換条件の<ある実験の手伝い>に大きな不安を抱いた。何の実験?何をやらされるんだ?まあ悩んでも仕方無い。
「とにかく!ようやく二人っきりになれたわけだ」
「もうひーちゃん、その言い方って恥ずかしいよ」
「ああ、言ってから気付いた」
確かに二人きりだが、暗幕がかけられあちこちに謎の道具が置かれたこの部屋では、いいムードになり難い。とりあえず内側から鍵をかけ、取材される心配をなくす。
「さてと、もう手を放しても大丈夫だよ」
言われて始めて気がついたのか、慌てて手を放す。ずっと引きずり回していたのだ。右手が赤黒く見えたのは気のせいではない。
「ゴメン!痛くない?」
「平気だって、それよりご飯にしよう。そのお弁当に何かされていたんだろ?」
「それはっ!…見たらわかるよ」
震える手で蓋を開ける。なかを再確認し
「はいっ!」
目をあわされずに手渡されたその弁当を見て、龍麻の疑問は氷解した。
あれだけ走ったのに、中身は無事であった。おかずはごくシンプル。きんぴらひさしぶり、大きな卵焼きだな、と個々への感想はあるが、全体的に和風にまとめられていて、美味しそうである。そんな中でひときわインパクトがあるのは…
「ハートマーク……」
多分さくらでんぶであろう。ご飯の上にピンク色のハートマークが大きく描かれていた。おかずが地味めの色合いなので、目立つことこの上ない。これが葵と小蒔兄弟ズによるいたずらの正体であった。
ちなみに手順は
・葵の指揮により前日より道具、材料を揃え、作戦を練る
・弁当が作られ後は包むだけとなった時点で、弟が別の部屋に小蒔を呼ぶ
・気を引いている間に、妹がご飯(シンプルなごま塩)の上にハートの型を置く
・型にでんぶをいれ押さえてから蓋を閉めナフキンで包む
・もう一人の弟が登校時間ギリギリだと告げる
・慌てる小蒔に包んでおいたといって弁当を手渡す 以上
である。ちなみにでんぶは市販品、型はお菓子用のを葵が用意した。
「ドラマや漫画で聞いた事はあったけど、まさか実物をみられるとは」
照れながらも妙な感心、感慨を持つ龍麻。たしかにこれを人前で堂々と食べるのにはためらいがある。ましてやあの大人数の前で、となればその場から逃げるという選択もおかしな物ではない。
「なにいってんだよ、それより早く食べてみて。葵ほど料理はうまくないけど」
それでも一生懸命作った物であり感想も聞いてみたい。なんやかんやあったがようやく食べてもらえる!と思ったのだが。
「すまない、小蒔。すぐには食べれない」
「へ?どして?」
「もうしばらくすれば大丈夫だとおもうんだけど」
箸が持てない。物を掴めない。右手の痺れはいまや絶好調であった。
一般的に弓道家は握力が強い。凄まじい集中力で矢を射るのだから、握り込む力が強くなるのも道理である。そして小蒔は主将であり、特殊な<力>も持っている。
その彼女が必死になって握り締め、さらにそのまま引っ張って走ったのだ。龍麻だから痺れだけですんでいるのかもしれない。
「うそ、ゴメン!ボクのせいだそれ」
「ほら、そんな顔しないで、小一時間もすれば痺れもとれるから」
武術を学んでいるだけあって、自分の身体についてよく把握している。もっとも武術家が利き腕を痺れるまで取らせているのはどうかと思われるが、そこは龍麻の小蒔に対する優しさでもあった。
「でもどうしよう」
小一時間も待っていたら昼休みは終わってしまう。自業自得とはいえ、こんな形でこの騒動にオチがついてしまうのはどうもやりきれない。
そこで、小蒔は勇気を持って一つの解決案をだした。
「ひーちゃん!あの、あの、ね、…食べさせてあげよっか?」
冗談めかしているが、うわずった声とその表情が内面の緊張を物語っていた。
「え、え?」
思わず問い返したが、心の中は小蒔と同じ、いやそれ以上か。一人で亡者に囲まれた時だってここまで動揺はしなかった。
「だってほら、このままだとお昼休み終わっちゃうし、その右手ってボクがやっちゃったことだし、せっかく二人きり、わーっそうじゃなくて!うん、人が見ていないから恥ずかしくもない、ってやっぱ恥ずかしいか!でもその、えーと、、ダメ、かな?」
眼を合わせられない。自分が泣きそうな顔をしているのではないかと不安になる。
もしひーちゃんにいい迷惑だと思われていたらどうしよう!
…その心配は杞憂であった。すっ、とお弁当が差し出される。
「頼める、かな?」
「うん、もちろん!!」
今度はわかる。今すっごくいい顔しているはずだ!だってひーちゃんもそうだもん!
「でも自分のお昼は?」
「あ、平気。一緒に食べるから。まずどれにする?」
本当にようやく、お弁当が食べられそうである。
二人とも心の中で、このような状況を創って(追い込んで?)くれた京一や葵に深く感謝したのであった。
後日談
「何よ、結局スクープ出来なかったじゃない!アンタの所為だからね!」
「うっせえな、何度も言うがやり過ぎなんだって」
「ネタ振ってきたのはそっちじゃない!偉そうに言わないでよ」
しばらくの口論の末、埋め合わせとして文化祭でアン子の手伝いをする、と約束させられた京一が、龍麻と共に大変な目に合わされるのだが、それはまた別の話。
そして
「うふふふ〜〜、ひーちゃんどれからいく〜〜?」
「何だその両手いっぱいの薬ビンは!実験てまさか薬の人体実験か!?」
「うふふふふふ〜〜約束〜〜」
「何の薬だ!効果を教えろ、頼むから」
この謎の薬により、奇妙な体験をさせられる事になるのだがそれもまた別の話である。
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