それはある日の昼休み
「ひーちゃんのバカッーーーーー!!」
叫びと同時に、小蒔の鋭い右ストレートが放たれた。
がすっっ!
武術の達人である筈の緋勇龍麻が反応できない。
周りの者達が顔をしかめる程の鈍い音をたてて、その拳は彼の右頬に炸裂した。
崩れ落ちる龍麻に目もくれず小蒔は教室を飛び出す。
この間約3秒、突然の出来事であった。
「・・・んで?なにやったんだ?ひーちゃん」
顔を覗き込みんで尋ねる京一。右手に木刀、左手には購買のパンの入った紙袋。新製品ゲットの為、チャイムと共に教室を出ているので途中経過を見逃している。
「なんでニヤついてんだ、京一」
確かに、心の友が唇から血を滲ませて床にへたり込んでいるというのに、妙に楽しげであった。
「まあなぁ、いつも俺ばっか殴られててなんか不公平とも思ってたし」
ふざけた口調で場の空気を和らげようという、彼なりの心くばりでもあるのだが…
「しかし龍麻が殴られるとはな、本当に何があったというんだ?」
難しい顔をして醍醐が問う。彼も京一に付き合っていたので結果しか見ていない。
あそこまで桜井を怒らせた事とはいったい?
それらの問いに龍麻は無言である物を指差す。その先には…
「・・・なるほどな」
「むうっ」
弁当箱が落ちていた。蓋がはずれ、中身が半分ほどこぼれている。周りにはタッパも転がっている。
「誓っていうがわざとじゃないぞ」
そう、全ては偶然であった。
こちらへきた小蒔が落ちていたプリントに足をとられたのも、その身体を支えようとだした彼の手が胸に当たりそうになったのも、そして慌てて下げたその手が弁当箱に当たり結果叩き落としてしまった事も。
「全部偶然だったんだ」
軽く首を振りながら立ち上がる。顔の傷より心が痛い。
とりあえず落ちている弁当箱を拾う。
「まあ大体の理由はわかったが」
まだ醍醐の顔から困惑は消えない。
「あそこまで怒るか?昼飯落とされただけで」
「ま、よっぽど腹へってたんじゃねえか?なんか今日の昼が楽しみみたいな事いってたしよ」
いいつつ龍麻に首をむける。ちょうど、拾った弁当箱とタッパをナフキンに包んだ所だった。
「俺ちょっと小蒔を捜してくる」
「なんなら一緒に行ってやろうか?美里もつれてっ・・・てなんだまだ帰ってきてねえか」
ちなみに、葵美里は授業終了と共に職員室へ行っている。生徒会としての話があるらしく、まだしばらくかかるだろう。確かに皆が一緒なら心強いが…
「一人でいくよ、謝るだけだし」
少し強がる。本当はあそこまで怒った小蒔にどう謝ればいいか見当もついていない。だが、それでもこれは、一人で謝るべきことだと思った。
そんな気持ちを察したのか、教室を出ようとする龍麻の胸元に紙袋が押し付けられた。
「これを持っていきな、ひーちゃん」
「京一・・・」
「いいか、まず満腹にさせて様子を見るんだ。威嚇してきたら反省し敵意の無い事をしめせ。目をそらすなよ」
「小蒔は動物じゃないって。いいのか?昼飯」
「ヘヘッ気にすんなって、醍醐から半分貰うからよ」
「ちょっとまて・・・と、まあしかたあるまい。早く行ってこい龍麻」
「ありがとう、二人とも帰りにラーメン奢るから」
いくらか気が楽になる。足取りも軽い。
「やれやれ、、、どうした大将、しかめっ面して。一緒に小蒔捜したかったとか?」
「違う!ちょっと疑問があるだけだ」
「なんだよ、いってみ」
「うむ、お前や龍麻のような腕の立つ者を一撃で沈められる桜井のストレートについて・・・」
「やっぱ聞かねえ。この格闘おたくが」
それともこいつなりのジョークかな、不安を隠す為の…
心配症の友の心をなんとなく察する京一であった。
真神学園屋上
吹く風に冬の冷たさが混ざりはじめるこの時期、雲が多いこんな日に外で昼食をとろうという物好きは少なく…
さらに最近では霊研部長が屋上で悪魔を召喚しているという噂(目撃者多数)も流れ、普通の生徒はここに近づかなくなっていた。
しかしだからこそ、一人で頭を冷やそうという者にとって絶好の場所なのかもしれない。
そう、ちょうど今の小蒔のように・・・
「何やッてんだろボク」
空を見上げるその表情に、いつもの明るさ、元気さは無い。そこに浮かぶのは苦悩、羞恥、後悔、自己嫌悪、そもそもの発端はあのお弁当だった。
弟達の遠足が重なり母のお弁当作りを手伝った。その際、自分の作ったおかずがけっこう余ったので、みんなにも味をみてもらおうといつもより多めにつめた。
うん、ここまではいい。なにも問題無い
みんなを驚かせようとお昼まで黙っていた。そしたら、葵は職員室に呼ばれちゃうし京一と醍醐クンはチャイムと同時にどっかいっちゃうし、残りはひーちゃんだけで、
…ここ、ここいらへんからおかしいんだ…
なんか急に恥ずかしくなっちゃうし、美味しく出来ているか心配になってきたし、妙に緊張して声かけ辛くなるし、
やっぱ変だよ、どうしちゃったんだろ
ひーちゃんが席立ったから急いで近づこうとして、足をすべらせて、転びそうなボクをひーちゃんが支えてくれようとして、その手がお弁当に当たっちゃって、落ちて、
ダメ、ダメだって
そしたらそれまでの感情がおもいっきりはじけちゃって
ものすっごく恥ずかしくて!
照れ隠し、、、八つ当たり、、、
「アタマ痛くなってきた…」
落ち着いて、冷静になる程に、自分が嫌になってくる。
思いっきり!グーで!ひーちゃん悪くないのに!
これが京一だと、むこうの自業自得な所があり、そんなに気にはならない。でもさっきのひーちゃんは…
思いっきり痛い。拳も、心も。
「謝んなきゃ」
そう、謝らなきゃダメだ。でもどうやって?あんな事しておいて何て言えば?許してくれる?ひーちゃん優しいから、でももし嫌われちゃってたら?そんなの絶対やだ!
思考が錯綜する。悩むのは嫌い、でも悩まずにはいられないし……
「小蒔?」
「うわぁっ!!」
驚いた!何に驚いたってまず急に声をかけられた事、そしてその相手に!
「ひひひっひーーちゃん!!?」
「あ、あのさ」
えーと、えーとぉ、、何言えばいいんだよぉアタマん中ぐしゃぐしゃだって、で、でもでもとにかく…
「ゴメンッ…」 「ごめんっ…」
…へ?なんで?なんでひーちゃんが謝んの???
驚いたのは龍麻も同じだった。
小蒔を見つけるまで彼は苦悩していた。あんなに怒っていた小蒔に何と声をかければいいのか?どう謝れば許してくれるのか?もし許してくれなかったら?いっそのことアランみたくハーッハッハッ、ヘイコマーキって…
とまあ考えに全然まとまりが無かった。しかし今、驚きが去っていくと……
ホッとしていた。
会えて話せた時、互いに謝り謝られた時、そして怒っていない、嫌われてないとわかった瞬間に!!
胸が暖かくなる感じがした。安心感。それまでの苦悩がどんどん薄れていく。
そして、その感覚は龍麻だけの物ではない。小蒔もまたく同じであった。
「ここにいるってよくわかったね」
いつもの笑顔。まだほんの少しだけ恥ずかしいけど、
「アン子に聞いたんだ、こっちへいくのを見たって」
普通に話せている。それだけで幸せな気分になる。
二人はとりとめもなく話し続ける。貰ったパンの事や、教室での事、お弁当の事も会話の流れの中で、自然に話し合えた。それが不意に途切れる。
「ひーちゃん、血がっ!」
「へ?」
嬉しくて唇の傷をすっかり忘れていた。話してて開いたのか?慌てて小蒔がハンカチで傷を押さえる。その顔に、また負の感情が浮かんでくる。
「ゴメン、やっぱりボク…」
「大丈夫だって」
ハンカチごと包み込むように彼女の手を取る。小さく、外にいた為冷たく、拳の所が痛々しく腫れてしまった手。
「小蒔だって傷ついた…」
「そんなこと…」
ほんの少しだけ握る力を強くする。悲しい顔は見たくなかった。互いの気持ちが伝わる。
「お互い様、だろ?」
「・・・うん」
微笑み合う。なんだか嬉しかった。
そんな時双方同時に気付いた事がある。
男女二人、近い位置で向かい合い手を取って互いの眼を見ている。周りにだれもいない屋上。そして今のこの雰囲気。シチュエーション。これって…
気付いたのが同時なら、その事を意識してしまったのもまた一緒、同じタイミングだった。二人とも耳まで真っ赤になってしまった事により、互いが同じ考えだと知らせ合ってしまった。
無言、だがそれぞれの心は千々に乱れている。
(うわっ小蒔眼が潤んでいる!反則だそれ、かわいい、どうする、でも口切ってるし、いやそうじゃなく、醍醐に悪いか?それでも、えーと、やっぱ俺小蒔の事が、)
(ひーちゃん意外とまつ毛長いってそうじゃなくって、うそ?拒めない、拒みたくないしってわーっ何考えてんだよまったく、あー、ゴメン葵、ボクやっぱひーちゃんが、)
時が止ったかのようだった。教室での時とは違う、幸せまじりの混乱、息苦しさ。
「えっと…小蒔…」
「…うん…ひーちゃん」
無意味に名前を呼び合う。この時点で頭の中は真っ白になっていた。止っていた時が少しづつ動こうと…
パシャッ パシャッ
止った時が更に凍り付いた。
普段なら聞き逃していたかもしれない小さな音、しかしあの張り詰めた雰囲気の中で、それは銃声のように二人の耳に響いた。その音、シャッター音から連想されるある人物への恐れとともに。今のって…
龍麻は顔を強張らせ、ゆっくりと入り口首を向けるが、すでに人影は無い。いや黒髪が見えたか?
「ねえひーちゃん」
尋ねる小蒔の声も引きつる。
「ボクがここにいるかもって誰に聞いたんだっけ?」
「・・アン子だな、当然俺がこっちにいくのも知っているし」
二人の脳裏に自分達が一面トップを飾る真神新聞が浮かぶ。入口から写真を取ったとするとこの体勢はまるで抱き合ってるかのように見えるだろう。新聞の常連であり、隠れファンクラブまである元・謎の転校生と、下級生人気なら生徒会長を凌ぐといわれる弓道部の部長とのツーショット、相当の売り上げとなるであろう。
「…でも一流ジャーナリストを目指す者がそんな二流ゴシップ誌のような記事を」
「部費の為に書かないハズ無いって…」
「…急いで追いかけよう!」
「うん!」
…こうして時は動き出す。片方はちょっと惜しかった、と思い、もう片方は写真欲しいなあ、と思っていた。ただなんとなく握られたままの二人の手については
(もうしばらくこのままにしておこう)
お互いに同じ思いなのであった…。
後日談
結局二人の必死の説得と迫力により新聞への不掲載とネガの押収に何とか成功。しかしその際出された交換条件により、文化祭の日二人は大変な目に合わされる事となるが、それはまた別の話。
そして
「ダメだって、床に落ちたんだよ、そのお弁当」
「でも半分くらい無事だし、タッパもあるし、それに小蒔の料理って食べてみたいし・・・」
「それなら今度作ってきてあげるから、今日は一緒にこのパンを食べよ、ね!」
こうして約束された小蒔の手作り弁当が、ちょっとした騒動を引き起こすのだが、これもまた別の話である。
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