元旦に相応しい、彼女に贈られた再会の喜び。
「夕魅那ちゃん、その振袖似合ってるぜ」
「どうもありがとうございます!」
実際、白・黒・蒼の調和を見せる彼女は美しかった。しかし彼らは知っている、彼女の本当の魅力は挫折を乗り越えた心の美しさであることを。
「ホント、こんなコだったら着物もラッキーだよな」
「・・・何が言いたいんだよ、京一」
「別にィ」
「・・・」
少し険悪になった。
「ところで、そっちの彼女はドコノドナタ?」
「きょーいち、相変わらず女の子に目は早いねェ」
「てめッ、オレが誤解されたらどうすんだ!?」
「ふんッ、ホントのことだろッ」
仕返し。
そんな彼らの変わらぬ様子も、夕魅那に自然な笑みを浮かばせる。その雰囲気こそが、彼女の心を癒したのだった。
「ひーちゃん、夕魅那ちゃんに話さなくてもよかったの?」
夕魅那を見送った後、小蒔がそんなことを言い出した。
「夕魅那ちゃんなら、きっと手伝ってくれると思うけど」
彼女は寛永寺での、おそらく決戦になろうだろう戦いのことをいっているのだ。
実際、彼女の<力>は非常に強大なものだっだ。御門・村雨のふたりを同時に敵にまわして互角以上の戦いをしたことも彼らから聞いていた。その上、あの御門が「たいした女性ですね」と褒めたのだから。
「・・・俺としては、彼女を巻き込みたくないんだ」
それが緋勇の本音だった。彼女自身の辛い戦いを終えた夕魅那を、訳もわからずこんな凄惨な戦いをさせるのは・・・。
「そうね・・・そうよね」
彼と葵だけが他の事情を知っていた。それは、夕魅那が実の父親に実験体として扱われ、<力>を得たという事実。彼女が<力>を振るう回数が増えれば、そのことに思い至るかもしれない、という事実・・・。
彼らふたりの意見は往々にして決定事項となる。
夕魅那はこうして寛永寺での、柳生との戦いに加わることはなかった。
しかし・・・。
自宅にて。
振袖から普段着に着替えた夕魅那は、そのままエプロンを身に纏い、おせち料理の準備を始めた。ちなみに「手伝う」と言う志津華の意見は丁重にお断りした・・・。
「・・・」
することのない志津華、仕方なくピアノでも弾くことにする。さて、何がいいかな・・・。
「ふふ」
ちょっとした冗談で、こんな日にまったく似合わない曲でも弾いてしまおう。
鍵盤に柔らかく触れる。静かな旋律が鳴り響き、そして・・・と。
「♪」
荘厳、というより勇壮な曲が音を作り出す。全くもって、本当に正月に違和感をもたせる。いや、たしかにいい曲だし、演奏も素晴らしいのだが・・・。
「・・・なんでワーグナーなんですか・・・」
「なんとなく」
嫌がらせに応じて、夕魅那がキッチンから顔を出してきた。志津華の弾いた曲はワーグナーの『ワルキューレの騎行』。わかりやすく表現すれば『地獄の黙示録』のメインテーマに使用された曲。
「いい曲じゃない?」
「ご近所に感想、聞いてみます?」
「やだ」
「勝負の時間だな」
「・・・」
笑みを以って答えとするアスプ。彼女の目はあくまで彼女の子供達に向けられていた。
「僕は先行する。アスプ、守りは頼んだぞ」
「・・・ああ、皆殺しにしてあげるさ」
「頼もしいな・・・では」
様々な形で与えられたヒント、最後のそれもラムサスは見落とした。彼女の狂気に、彼はその人生を狂わされるだろうことに。
ほぼ同刻。
「不安要因がひとつございます」
「団体での行動のことかな」
宇都志出雲とても自分達の欠点については知っていた。彼の元に集っている彼ら。ひとりひとりは<神>の名を持ち、<力>を備えた兵である。しかし、彼らは(一部の者を除いて)経験でいえば素人なのだ。敵味方の入り乱れた戦場でどれほどの働きが出来得るのか・・・それが出雲と芹理姫の不安要因。
「今回、それもまとめて確認する・・・そういうことだったよね」
「御意」
訓練はしている。あとは実戦での心構え、決意だろう。
「此度はあの方もおいでいただくことになりますが・・・」
「仕方ないよ、怪我人は出るだろうし、彼もそんな状況を見逃すわけもないからね」
「・・・」
実際の指揮については芹理姫が行う、そういう手筈で準備は進められていた。
「では出雲様、そろそろ・・・」
「うん・・・勝利の報告以外は聞かないよ?」
「全ては出雲様の御為・・・」
三が日は夜とても夜にあらず。
「何か面白そうなテレビでもあったかな、と」
新聞とにらめっこしているのは志津華。どうも深夜映画の魅力に憑りつかれたようだ。
「そーいえば夕魅那、明日とか何か予定あったっけ?」
「特には・・・」
「そうよね・・・割と時間を持て余してる気がするわ・・・」
志津華のそれは単なる平穏の確認だったはずだ。しかし運命とやらの存在はそれを聞き逃さない。彼女と友人に素敵な贈り物を用意したのだった。
カタカタ・・・。
物音がする。室内のあらゆる小物が揺れている。彼女達も揺れを感じた。
「地震・・・?」
「そうみたいね」
昨日経験したほどの揺れではなかったが。
「最近微震が多いって聞くけど、昨日のアレで大地も力を消耗したのかな?」
「さあ・・・?」
揺れの収まりと同時に電話が鳴った。夕魅那はパタパタと音を立てて小走りで応対に向かう。そのまま平穏が戻った、志津華はそう思って新聞を見直す。
が。
「マサキさん!? どうしたんですか、マサキさん!!」
只事ではない空気がやってきた。新聞を放りだし、志津華は駆けつけた。
「どうしたの、夕魅那!」
電話を手ぶらホンにする。マサキの声がスピーカーから流れ出した。その様子は焦燥に駆られたもの。
「もう、おふたりに頼むしかないんです! 僕の頼みを聞いてください」
マサキは現状を、この東京を覆っていた怪異の決着が上野・寛永寺で行われることを話した。
「緋勇さん達が・・・」
「はい、御門や村雨、芙蓉も出向いています。でも・・・」
そこで一瞬詰まる。
「でも、大変なことがわかったんです! 僕達は<黄龍の気>を巡っての戦いにだけ注意を払っていました。だから、その<力>を手に入れる存在の動向を探っていたんですが、もっと別の存在がいたんです」
星見の<力>が囁いたのだ。
それは最初から<器>なしに<力>を手に入れることのできない事実を認識していた存在。その資格のある者達が<力>を得ることを嫌う存在。もし、望まぬ結果になろうものなら、<力>ごと抹殺を企てる存在。
「彼らは高まった<黄龍の気>を暴走させ、<器>もろとも皆を吹き飛ばすつもりなんです! 夕魅那さん、志津華さん、どうか、どうか皆を助けてください! 僕にはどうすることもできないんです・・・」
声が上擦った。マサキが泣いていることが伝わる。
依頼されたふたりは了解の返事すらしなかった。そんなものは必要ないのだ。
「詳しい場所を教えてください」
「夕魅那さん・・・!!」
「感謝は後で聞くから、取り敢えずは話を煮詰めましょう?」
「志津華さん・・・はいッ!!」
十分後。ふたりは暗色系統の服装に身を包み、闇に紛れて倉条家の門を出た。向かうは上野・・・。
世間では連日して起こった強い地震のためか、人々は外出を控えていた。
(成る程、あれが『龍の身悶え』というわけか・・・)
「ならば狂える龍の間近に集う人間は、どうなるものかな・・・?」
彼は今、その魔方陣の核にいた。上野・寛永寺を取り囲む、そして北東へと異なる道を開いたその魔方陣の中枢に。
「魔狂陣・・・起動」
ラムサスは己の魔力を送りこんだ。それは術式の発動を意味する儀式。
常人には目にも映せない、青白い光が刻まれた線上を走る。これでいい、後は時間が全てを解決してくれるだろう。東京の鬼門であり、此度の<力>が集うこの場所が僕の呪法で一瞬『央界』、即ち大地そのものとなる。そして作られた『央界』に対となる『鬼門』の魔方陣を用意している。法則を狂わされた<力>はその『鬼門』に流れようとするだろう。しかしそれは仮初のもの、大地の<力>に抗う術もなく消し飛ぶに違いない。
だが一瞬でも暴走した大地のエナジーは膨大な量である、<力>の集積ポイントであるテンプル・カンエイ程度を軽く破壊することは必至。勿論、その場に集った黄色い猿どもとて同じこと・・・。
後は時が満つるを待つのみ。
「フ、フフフ、ハハハハハハハ・・・!」
「楽観的なのだな、他国の輩は」
刃が打ち込まれた、言葉の剣となって。
「何!?」
気配などなかったはずだ。それが今は影すらも存在する、まるで始めからその場にいたかのような自然さで。
「貴公が東京に跋扈する外の国の輩なのはわかっている。せめて名くらいは聞いておきたいが・・・?」
凛とした女性の声だった。
「外の国の輩、ではない。『天の叡智』だ」
「・・・?」
「我々の組織名だよ。死に行く猿には聞かせるにも惜しいが、餞別というヤツだ。ありがたく耳に染み渡らせておけ」
驕慢に満ちた態度、しかしそんな姿勢も彼女には何の感銘も受けない。
「・・・墓標は無銘でかまわないと受け取る」
シャキン! 僅かな月明かりにも映える刃をラムサスは目の当たりにする。ユラリ・・・切っ先が微かに動き・・・。
シャッ!!
ギイイイイイイイィィィィ!!!!
風音と人ならざる悲鳴が重なった。重い音を立てて落ちたのは形容できない四足獣。発達した牙や爪が凶悪なフォルム。
「化生ですか」
刃を振るった彼女は気にした風もない、目の前に横たわった大きな異形に止めを刺す。殺気の接近を感知した彼女はそちらを見ることもなく一閃、頚部を半ば切断したのだった。その状態でも絶命せず蠢いていたその異形も普通ではなかったが。
「・・・ラムサス・・・待たせたわね・・・」
三人目の<魔人>は獣に腰掛けていた。乗騎用なのか、手綱代わりの鎖を首につけた、その彼女の<子供>の一体に。
「アスプか・・・危ない所だった、礼を言う」
「・・・」
艶然とした態度で応じた。彼女自身にはともかく、その<子供>は牙を剥いて<兄弟>のひとりを斬り捨てた女性を睨んでいる。
「獣使い・・・か?」
「・・・フフフ・・・それもいいな」
アスプはもっと複雑な<力>の持ち主だった。
「・・・あたしは『魔術師』さ・・・」
その定義は広い。錬金術師も死人使いも占術師も魔術師である。
『反キリスト』、もしくは『キリスト教と異なる教義のもの』『異端』・・・それらの総称、そう捉えることもできる。
組織『天の叡智』幹部・アスプは様々な術を修めた師、まさしく『マスター』だったのだ。その<力>は<アストラル体>への分離はおろか、失われしキマイラ(合成魔獣)の作成技術にまで及んでいたのだ。
そう、彼女の<子供>達はキマイラなのである。
「・・・殺してあげる」
気配が急激に増した、ちょうど眠っていた獣達が動き出したように。そしてそれは比喩ではなかった。
ザワッ・・・。
アスプの背後に沸き立った、数知れぬ異形のキマイラ達。
「・・・」
「フ、フフフ、ハハハハハハハ・・・!」
圧倒的な状況に酔いしれたか、再び耳障りな笑いを上げるラムサス。彼自身はいわゆる『マジックユーザー』である。高次元体との接触で<力>を求める。彼の扱える魔物はせいぜいがゴブリンやグレムリンといった小鬼であり、魔方陣の増幅などの補佐は得手な反面、直接的な戦力に乏しい。だからこそ彼はアスプのような<力>ある魔人の助けを欲したのだ。
「道具を持った猿よ・・・我ら新たな世界を求める人間の叡智の<力>、受けるがいい」
彼の命令は魔獣達の欲望と等しかったらしい、その言葉に応じて一団が動いた。
「シャアアアアアアアアア!」
巨体を生かした猛撃が迫る!
「・・・ふ」
涼やかに彼女は唇を持ち上げた。
轟!!!!
光が視界を焼き尽くした。真っ白な闇が覆った。
「ギャッ!」
断末魔はごく短いものだった。
闇が暗さという本来の意味を取り戻した時、三体ほどのキマイラ達は砕かれた屍と成り果てていた。その光景にか、それとも光に怯えたのか。キマイラ達は猛り声をあげているもののすぐさま行動に出ることはしなかった。
「い、今のは!?」
ラムサスという男ははっきりした性格だった。優勢だと信じた時は強く、劣勢だと感じたときはこのように。
「第七騎兵隊の到着・・・お前らのセンスではそんなトコだろうよ」
先程とは逆の立場である。今度の援軍は彼女の側。
「・・・まだ合図は出していないはずですが、狩野さん?」
「堅いこと言うなよ」
頑強なキマイラを一撃で屠った剛弓の使い手がニヤリと笑う。典雅な顔つきが醜く見える。彼の他にも数名の人影が従う。それら全てが<神>の名を継ぎし者達。
「あなた方の所業を見逃すほど、我々は甘くありません・・・さて・・・」
彼女の剣先が下がった、それは無形の構え。
「出雲様のご命令・・・遂行します」
根州芹理姫は宣誓する。
ひとつの戦いが始まった。<龍脈>を巡る戦いの裏で、ひとつの戦いが。
玲瓏たる月明かり、それに勝る冷たき光が車内を蒼く染め上げた。
「・・・」
意識は高まる。その拡張された<知覚球域>は確実に上野を、寛永寺を包む<力>の流れを掴んでいた。
「どう? 夕魅那」
「もう敵は始めてしまっています。<力>が流動しているのが感知できる・・・」
彼女達の異常な会話にも車の運転手は何ら干渉しない。この車は御門家の所有物で、当然彼もそういう関係者なのだ。
「そのまま500メートルほど進んだ先を右に」
「はい」
彼は夕魅那の誘導に完璧に答えて運転してくれた。
ふたりが降り立ったのは、常人では近付くことを躊躇うだろう<力>の結界の前。こういう人払いの術式は昔からの伝統なのだ、中で誰にも知られぬための儀式などを行う場合。
「いいかしら?」
「もちろん」
志津華の返事を受けて、夕魅那は手にしている懐剣を振り下ろした。
空間が切れる、そのような感覚。
そして、結界が割れた。
「濃密な<力>の気配を感じます・・・油断しないように」
「ええ!」
戦いは新たな局面を迎えるだろう。ふたりの<魔人>の介入によって。
戦いとは、必ず敵を倒して勝利せねばならないものではない。戦略的視点での勝利を求めるのであれば、戦闘そのもので負けても問題ないこともある。例えば、今回もそうだった。
「いいか、お前達は敵を倒す必要はない。撹乱し、時間を稼げばいいんだ」
配下の小鬼や邪妖精達にそういった指示を出すラムサス。彼にとっての勝利とは<龍脈>の破壊である。この国の<神>達との決着はいずれつける必要もあろうが、今回はその機会ではないようだ。ならば全力で発動した計画を完遂させなければ・・・!
「アスプ! 無理に戦わせることはない! 守らせろ!!」
「・・・」
それでいいのだ、もう左程の時を置かずして任務は終了するだろう。大地は荒れ狂い、この国のユーザー達が多く屍を晒すことになるだろう。この功績をもって僕は更なる階梯を上がるのだ・・・!
一方、魔獣に腰掛けたまま感情の起伏を見せないアスプ。その魔獣が警告を発した。低い唸り声で威嚇。
冷たい風が吹いた。
「ギ・・・!」
ラムサスは見た、彼の邪妖精達が抵抗の間もなく氷の像と化するところを。
「ゲエエエエエエエエ!!!」
または炎で焼き尽くされる小鬼の群れを。その対照的な光景を視野に収めながら、彼は遠ざかっていた死の気配が背後に現れたという事実を飲み込まざるを得なかった。
「な、なんだ!?」
「彼よ」
「へえ、あの人が『魔方陣の柱』なのね」
「な!!??」
彼の誰何に答えず、そのふたりの少女達はラムサスにとって恐るべきことを口にした。娘達は彼がこの『魔狂陣』を支える存在だと知っていた・・・!!
「<力>の流れを辿ればわかること。驚くには及ばない」
凍えるような瞳が僕を見た。美しくも冷たい氷の瞳が。
「そんな、そんなわけが・・・」
「あっ!!!」
彼の声を大きく遮ったのは志津華だった。彼女は気付いたのだ。その震える指先で魔獣を従えた女性を示す。
「あの人・・・あの人よ、わたしと貴雄くんに<宿星>のことを教えたのは!」
「・・・!」
御名塚貴雄。才能が呼んだ不幸から免れようとして<力>を用い、同じ境遇だった志津華を裏切ってまで自由を欲した少年。信じていた『お姉さん』に殺められた少年。
一度しか出会ったことはない、しかしわかった、気付いた。その『お姉さん』はこの女性だった。
「貴雄くんの仇、この機会に討つ!」
この偶然の出会い、彼女は逃すつもりはなかった。
当のアスプといえば、既にそういった自我から脱却している彼女。志津華の怒りもその彼女には遠い世界のこと。
「・・・フフフ・・・」
そう、他人からの怒りなどでは彼女は意識をまともに向けはしなかった。しなかったが・・・こういう立場ではどうだろうか。
「・・・!!」
さ迷う視線が動揺の色に染まる。薄ら寒かった笑みが凍りつく。熱などなかった双眸に炎が宿る。ギリギリギリ・・・歯をくいしばる音がした。
「お前・・・!!」
口からは血を吐いた。噛み切った唇から濁った血が流れ出したのだ。
「お前は・・・あの時の・・・あたしの・・・あたしを!!」
殺意は夕魅那に向けられていた。
「・・・あの時の<アルトラル体>だった<魔人>ですね。霊波に覚えがある」
狂熱にも揺るがない氷の姿勢。志津華の発言で敵のことを思い出していたのだ。志津華に憑依し、利用価値のなくなった少年を殺害した非道の者と記憶している。<氷気流斬>を掻い潜って逃げおおせた相手。
夕魅那にとってはそれくらいの認識でしかない。だがアスプには・・・。
「覚えがある、だと!? ふざけるな!! あたしは・・・お前のせいで・・・両足を失ったんだよ!!」
そう。夕魅那の<氷気流斬>は確かにアスプを滅ぼすのに足らなかった。だが、その<アストラル体>としての存在力を大幅に削り取ったのだった。彼女の生体エナジーを、存在としての<力>を。
その代償は皮肉にも半身不随、そういう形で現れた。彼女がかつてその<力>を狙ったマサキと同じように。
彼女が魔獣に腰掛けているのは決してポーズではない。自らは歩けなかったからなのだ。
「生きているだけありがたいと思いべきだ。御名塚貴雄くんを、あなたはどうした?」
「はっ! それがどうした、あたしにはどうでもいいことなんだよ!」
造物主の意思を受けてか、魔獣達が攻撃姿勢に入る。獰猛な視線が集中する。
「アスプやめろ、今はこんな小娘に関わるんじゃない」
「うるさい!」
倦怠感も破滅願望もどうでもいい、今の彼女は歪んだ復讐心が脳を焼いていた。
「骨まで食らいつくせ!!!」
号令一過、獣が跳ねた。
「戦闘開始・・・志津華」
「了解! 迅き風の精霊よ、渦旋を以て顕現せよ!」
竜巻が起きた。<魔人>達はその強風に霊気を感じ取ることが出来るだろう。風の精霊達が巻き起こした輪舞の烈風。
『ギャアァァア!!』
迂闊に飛びかかった魔獣達は空気の壁に跳ね返され、さらに運の悪いものは空高く舞いあがって行った。羽根なき彼らの末路は墜死だろう。
それらに構わず夕魅那は術式を編む。
「我が力 氷の刃となり 道を阻む者を 切り裂かん・・・」
風は地面を抉ってはいない、<冷静>な夕魅那はそういう条件を巧みに利用できる<瞳>を持っている。
「剣氷陣!」
彼女の<力>は地面に突き立てられた懐剣を通じて獣達を捕らえた。
「なんだと!?」
前触れなく凍りついたアスプの<子供>達。彼女達の<力>を知らないラムサスの動揺は一層激しくなる。
「アスプ、何をしている! 戦力を効率的に動かさなければ意味がないだろう!?」
今の彼女は怒りにまかせてキマイラをけしかけているだけだ、ラムサスの私見にも一理ある。しかし無駄な行為だ、今までも、そして現在も彼女はラムサスの思惑の外にいたのだから。そのことに彼が気付いていなかっただけだ。
ようやくそのことに思い至った彼は決断した。彼女を見捨てる、そうせざるを得なかった。
「くそッ」
彼はあさっての方向に走り出した。戦場から抜け出すつもりなのだろう。
「夕魅那ッ!」
「わかってる、しかし・・・」
「逃さない、逃さないよォォォォォ!」
怨念が彼女達に立ちはだかる。それは簡単に振り払えるものではなかった。
群れの数は馬鹿にならない、その牙や爪にしても人間の肉体を破壊するには有り余るくらいだ。
訓練されているのか、その獣達の動きは統制が取れていた。造物主がいないほうが、その性能を発揮できているのは奇妙なことだ。
「シュウウウウァァァ!」
狼に似たキマイラが波状で責めたてる。損害を承知の上での陣形。
「諏訪!」
鋭い芹理姫の指名に応じ、屈強の大男が進み出る。そしてその両掌を地面に叩きつけた。
「掌破!!」
衝撃が走る。地を駆けていたキマイラ達の足を止めるのに充分なくらいの<力>。
「狩野!」
「・・・」
無言で偏也は神弓・天之麻迦古を手にする。その鏃は体勢を崩したキマイラ達の中心に据えられた。
「輝雨降矢!!」
光の<力>が撒き散らされた。容赦なく降り注ぐ光の雨がキマイラをズタズタに引き裂く。
彼らがそれぞれが己の役割を果たした結果、その獰猛な牙達は誰ひとり傷つけることも叶わなかったのだ。
「それが、あの女の指揮によるのが気に入らん・・・」
これが偏也の心。その裏側には一度殺されかけたこととは別のこだわりがあった。その名は顕示欲・・・。
刃の冴えは途切れることはない。この戦いは多くのものがかかっている、それは東京であり、そこに住む大勢の人々であり、そして彼女の大切な人達である。
「だから私は勝利します・・・必ず」
前脚を刃に受け流されていく。夕魅那の体術<鏡氷過>、そは相手を映し、滑らせる氷の如し。
「我が力 雹塊となり 道を阻む者を 貫かん・・・雹魔弾!」
大百足の甲殻すら突き破るのだ、獣毛の皮などひとたまりもない。ボロ布の体で血溜まりのひとつとして加わった骸は背後の数匹と運命を共にした。
「風よ 炎よ 反目し協調するを望む・・・」
優雅なタクト捌き。奏でられるのは美しきメロディではなく、<力>の現出。巻き起こるのは拍手ではない、風と火のラプソディ。
「戯れよ妖精達!」
吹きつける風、それは発火性質の<力>だった。その風に身を撫でられるが早いか瞬く間に白い炎によって絶命して逝く妖魔達。妖精の生み出す破壊の<力>は、同じ世界に棲みし小鬼達を躊躇なく焼き捨てた。
「小娘達、小娘達!!」
鬼の形相、今にも燃えあがりそうな凶眼。
「殺す、殺してやる!!」
「手駒もなしに?」
「この<子>がいるもの・・・フフフフ」
強気な志津華に対して、余裕ありげに彼女が示したのは己が腰掛けた獣。
「この<子>は今までで一番の出来・・・きっとあたしの期待に答えてくれるわ・・・」
歪んだ形での愛情がそこに垣間見えた。アスプの傑作、C−108OG。その首輪を外し、足としての役割から解放する。
「小娘達を引き裂け、オーギュスト!!」
「!?」
夕魅那は見た、<知覚球域>での確認など必要なかった。彼女に爪を振るった人面有翼蠍尾の獣、マンティコア。その顔は紛れもなく錬金術師のオーギュストだった。かつて相対し、<力>と記憶の封印を以って退けた<魔人>。
「・・・そうか、オーギュストの言っていた<組織>か」
驚きなどは刹那にも満たない時で消えうせた。今の彼女はあくまで<冷静>に思考を保つ<魔人>。
「オーギュストやあなた方・・・この国で何を企んでいる?」
「ギギギギギギギ!!」
以前夕魅那を嘲笑したその男の口は言葉を吐かなかった。そこから生み出されるのはもやは獣声。噛み砕き、引き千切るためにしか用いられないもの。
伝説の魔獣と化したオーギュストはその名に恥じない能力を持っていた。鋭さと力強さを併せ持つ前脚と顎、その攻撃に加えて変則的な尾の毒針攻撃。正攻法と奇襲を同時に行えるマンティコア、あたしが最高傑作を自認するに相応しい。
なのに。
「なぜ、なぜだ!! なぜ殺せない、なんで殺せないんだ!?」
アスプは苛立ちを加えて絶叫する。標的はあらゆる角度から繰り出される爪をかいくぐり、牙を避ける。そこまではいい、しかしその不意を突いて迫る毒針を完璧に予測して刃で食い止める・・・それに至っては理解できなかった。
「・・・」
アスプは彼女の<知覚球域>を知らなかったのだ。卓越したセンサーに奇襲は意味をなさず、その<力>により毒針を懐剣であしらうこと数度、夕魅那はついに反撃に出た。
「我が力 風雪となり 道を阻む者を なぎ払わん・・・!」
その言葉はアスプにとってもっとも憎むべきもの、彼女の半身を奪った<力>。
「オオギュストオオオオオオオ!!」
これまでにない<母>の叱責が彼を動かしたのか、C−108OGというマンティコアは己を顧みずに突進をかけた。既に<力>を蓄えたであろう夕魅那もそれに対して駆ける。
「ゴギャアアアアオオオオオオ!!」
「氷気流斬!!」
怒りの炎と凍てついた氷の意思が激突した。
オーギュストは白くなった。その何色とも知れぬ血液を体外に撒き散らすことなかった、その首以外の四肢、翼、尾を失った獣は。
そして夕魅那は・・・。
「やった、やった、やったぞ!! やったぞオーギュストオオオ!!」
歓喜の元はアスプ。彼女は見た、夕魅那の右頬に走った一条の傷を。爪あとではない、牙のものでもない、ならば・・・。
「毒を受けて死ね! 死ねェェェェ!!」
それは毒を持つ尾針の一撃によるものに違いなかった。
「・・・」
その彼女には何も答えず、夕魅那はその血をそっと拭った。
「夕魅那・・・」
心配げに窺う志津華にも、彼女はそのままの態度を崩さなかった。そう、まるでなんでもないことのように。
「志津華、あの男を追いましょう」
「でもっ、その傷・・・」
己のことのような焦りを感じている志津華に
「氷の厚さ分だけ避けきれなかった、それだけのことです」
夕魅那はそう事実を表現した。
「氷? ・・・あ」
示したのは斬り捨てられて転がる蠍の尾。それは彼女の<力>によって凍り付いていた、その切断面と、その・・・針先が。
「凍ってるじゃない!」
「防戦していたときに凍らせておきました・・・だから問題はないんです」
<冷静>な夕魅那はマンティコアの武器で最も脅威となるものが毒針であると判断、それを封じて後反撃に転じたのだ。その辺り、魔人・倉条夕魅那に抜かりはなかった。
志津華とアスプの心境は一変する。特に至福から絶望の釜へと突き落とされたアスプは、そのはけ口をそれに求めた。
「このっ! コノッ! 役立たずめが!!」
這って近付き、動くことすらままならない様子のC−108OGを詰り殴打する。それは無様であり、滑稽でもあった。
それを複雑な顔つきで眺めている志津華に夕魅那が先に促す。
「放っておきなさい」
「・・・そうね」
ふたりは逃げ失せたラムサスを追ってその場から立ち去った。貴雄くんの仇と思っていた相手の変わり果てた様を見て、志津華はもうそんな気が無くなってしまったのだ。
ひとりの<魔人>が復讐心を捨てた、しかし運命の歯車は志津華の意思とは関係なしに、アスプという人間を裁こうとしていた。
足が動かない、そのためにアスプは両腕を力いっぱい振るってマンティコアだった達磨を殴りつづけていた。その仕打ちを獣が受け入れている理由はひとつ、彼女が<母>であるという刷り込みによるもの。
もし、それが失われれば、どうなるのだろうか。
「・・・!」
少し離れた場所で魔力が弾けた。
「この役立たず! キマイラになっても、あんたは役に立たなかったよオーギュスト!!」
眉間に放たれた拳、それが受け止められた。いや違う、咥えられた。
「!?」
驚きは時として人間に冷静さを与える、今まさにその時。あり得ないはずの行動に彼女は狂熱から急激に覚醒した。そして感じる、その激痛。
「ぎゃあああああああ!!」
食いちぎられた右腕が、白一面に映える。彼女の上げた悲鳴は時間をかけずして収まる。四肢を失ったマンティコアが顎の力だけで這い寄り、身悶えしていたアスプの頭蓋を噛み砕いたからだ。死体は物を言えない。
その食事が彼にとっても最後のものであった。何の疑問も湧かず、その獲物を漁っていた彼に<力>が振るわれたからだ。首を落とされ、人と獣を分かたれたそれもまた物言わぬ物体と化した。
「・・・」
全てを見ていた人物がいた。正気を失っていたアスプを誘導し、ラムサスの計画をリークさせ、彼の計画を阻止しようとするこの国の<力持つ者>達との戦いを起こさせた人物が。
「人材が多い・・・やはり、この国の<ユーザー>達は侮れないか・・・」
彼はラムサスとアスプに期待していなかった。だから利用した、<力持つ者>達を間近で確認する機会へと。今後の展開でその情報を生かす為に。
水色の瞳で戦場を一瞥し、彼は闇に溶け込んでいった。
死屍累々の光景が彼女達の前に晒される。獣達の死に方は様々だが、共通点がないわけではない。それは<尋常ならざる>破壊によって肉体を損傷していること。
「芹理姫様!」
「何か?」
曇りひとつ付着しない、彼女の神剣にも等しき返答。それは既に勝利を確信しているものの態度。
「一帯の魔方陣、未だ活動を続けています!」
「・・・そうか、やはり術者を始末する他ないな。博斗」
「うん?」
「あの男は何処に逃げた」
「あっち」
死と魔力、死霊達の集う混迷の中、事も無げに一方向を指差す。探知能力、それも稲葉博斗の<力>。
「余力ある者はわたしに続け、行くぞ」
彼女は待たない、告げると同時に動き出していた。誰が従うかなど確認もしなかった。
陣に<力>は満ちた、もうまもなく狂龍はカンエイにて顕現するだろう。
「常に正しき者がその叡智を受け取るのだ・・・フフ、フフフフ、ハハハハハハハハ!!」
背後に接近する気配を感じ取ってもなお、彼は涌き出る哄笑を抑えることはなかった。
やがて追いついたふたりの<魔人>。冷たき切っ先がラムサスの頬を掠める。v
「この魔方陣を止めなさい」
怒りのない、それだけに冷ややかな双眸が彼を射抜く。凍りついた右頬を引きつらせながらも嘲笑でもって応じるラムサス。彼にあったのは自分の置かれた立場ではなく、その達成感からなる陶酔。
「もう遅い! 『魔狂陣』は既に僕の制御下すら離れた! 狂いし巨龍を御することは、もはや誰にも叶わないのだ!!」
彼にあったのは惑乱にも似た感情。寛永寺の<魔人>達や<器>は間違いなく命を落とすことになるだろう。
「この『魔狂陣』そのものを破壊するか消滅させるか、そうでもしない限り誰にも止められない! ハッハッハッハッハ!」
冷静であれば誇らしげに聞こえるだろう言葉。しかし今の彼には品位も何もない。
「・・・」
夕魅那はそんな男に意識を割いたりしない。懐剣を構え、その氷の瞳を閉じて<力>を周囲に走らせる。<知覚球域>でこの上野を揺るがす<黄龍の気>を、それを狂わせる『魔狂陣』を把握するために。
二分ほどか、彼女は微動だにせず<力>を使い続けた。言うまでもなく<知覚球域>はその情報量に比例して術者に精神的負担を増大させる。その中から自分が欲する情報だけを感じ取る、それも寛永寺を覆う範囲の、そして圧倒的な<力>の奔流。その両者は夕魅那の精神を著しく消耗させていく。
しかし、それでも。
「あなたを始末すれば、あるいは止まるんじゃない?」
志津華はラムサスを締め上げる。彼女自身自分の発言を信じていなかったが、何かに(出来れば事件の張本人に)この怒りをぶつけたかったのだ。そしてこの男はそれに相応しい。
彼女の意思を受けてか、その周りに四大精霊が具現する。その一体一体が彼などを一瞬で始末でき得るだろう。
「止めなさい、志津華」
志津華の手がラムサスを取り落とす。昂ぶった精霊達も本来の世界に帰っていく。
「そんな男の為に手を汚すのはもったいないでしょう?」
あなたの手は音を、音楽を作り出すためのもの。
「でも・・・」
こういう場合、夕魅那の態度は余裕なのか焦る感情がないだけなのか判断に困る。それでも彼女の落ち着きは心強いのだが。
「ハッ! どうやら諦めたようだな!!」
彼女の平常心を諦観と受け取ったのか、茶化す言葉をぶつける。
「この魔方陣を消滅できれば問題ないのだな?」
その質問に訝しげな視線を一瞬寄越すラムサス。しかしそんなことは不可能だ、その思いが再び嘲りの感情を呼び起こす。
「出来るものならな」
頷く夕魅那。その様子に志津華は何かを受け取ったらしい。
「夕魅那・・・?」
「志津華、これから言うことをよく聞いて」
その通り、夕魅那はある結論を導き出したのだ。
「私はしばらく戦闘能力をかなり減退させることでしょう。だから・・・」
「だから?」
「少しの間、私も護ってほしい」
ポン、と志津華の肩を叩く。そして後ろに下がらせる。これから紡ぎ出す<力>のために。
「何をしても無駄だ・・・」
ラムサスの声など届かない、今の夕魅那に感覚として渡されるのは『魔狂陣』の情報のみ。目を閉ざす、耳を塞ぐ、肌撫でる寒さを忘れる・・・自身の五感すらもその能力を最小限に抑えている。意識を精密に、<冷たく>するために。
「我が力 極氷たる蒼を力 無なるを意志となし 抗う全てを絶つ・・・」
天を指す氷の刃が、ただ静かに振り下ろされた。それは死神の鎌の如し。
「蒼世・氷無界」
空が凍りついた。蒼き帷が全天を支配した。闇の色が蒼く染められた。そして・・・一切の狂波動が消滅した。
芹理姫の足が止まる、その<蒼>の波動を身に受けたためだ。
「今のは・・・!」
(あれは間違いない・・・あの女だ・・・!)
再び疾走を試む・・・が。
「これは・・・」
彼女は自分を、一帯を包み込んでいた結界、魔方陣の全てが消失したことに思い至る。
破壊ではない。破壊であれば自分にも可能であろうが、その衝撃により魔方陣のエナジーが解放され、想像を絶する被害を撒き散らしただろう。
解除でもない。解除であれば臨界に近いエナジーがその威を徐々に和らげる等の兆候があったはずだ。
その現象はまさしく『無』の創造。
(そんな<力>を振るう女・・・倉条夕魅那・・・今のわたしに勝てるのか?)
ギリ・・・唇を噛み締め、彼女は<蒼き気配>に背を向けた。
(作戦は終了、各自の生存を確認の上、撤収・・・)
今のわたしは出雲様の任を以って最上とする、そんな言葉が言い訳にしか聞こえない・・・。
「そんな・・・ことが・・・あってたまるか!!」
目の前の事実を否定することしか、彼にはできなかった。今まさに弾けようとまでしていた『魔狂陣』、それが痕跡すら残さず、存在したことすら確認できないまでに滅された。蓄え、狂わせた<力>と共に。
そして。
「夕魅那ッ!」
その場に崩れるように座り込んだ夕魅那は生気に欠けていた。
「はは・・・上手くいきましたね、志津華さん」
「夕魅那、あなた・・・」
彼女は懐剣を抜いたままである。しかしそこにいるのは<魔人>ではない、普段のお人好しで我を強く出せない倉条夕魅那だった。
「はい、あの『蒼世・氷無界』は<力>を使いきってしまうんです」
己の<力>を以って存在を『無』に昇華させる、それが『蒼世・氷無界』。夕魅那が使うことができる最大最強の<力>。
「何てデタラメな威力の<力>よ、それは・・・」
凍らせるということは原子の運動エナジーを操ることとはいえ、原子をエナジーに転化した上に相殺する・・・そんな<力>、向けられた相手に抗う術はない。
「あっ、あの人が逃げます!」
夕魅那の指摘は正しかった。あらゆる試みが失敗に終わったラムサスはその現場から逃避を選択したのだ。
「志津華さん、追ってください」
「でも、夕魅那、<力>が・・・」
「そのうち回復しますから、早く!」
「わかったわよ、その辺うろついちゃダメよ!」
子供に話しかける母親のような台詞を残し、志津華は妖精の加護を得て空を飛んだ。ラムサスに逃げおおせることはできまい。
「でも・・・疲れた・・・」
ハア、とため息が漏れる。
月天が寒々とした冬の一夜。地震や都庁を凌駕する双子塔の出現、人々はさぞかしこの夜の中、不安に怯える時間を過ごしていることだろう。しかしそんな中で自分達の、東京の未来のために戦っている<彼ら>のことを知っている、思っている者はそう多くないに違いない。
「私、緋勇さん達の役に立ったかな・・・?」
だといいな・・・。
空からの追跡は早々と逃走者を捉えた。その背中に一応呼びかける。
「いいかげん諦めて投降なさい」
聞く耳持たないらしい、そもそも聞こえているのかも怪しい。
「わたしは夕魅那ほど人間に優しくないわよ」
最後通牒の言葉も効果なし、その時点で志津華は優しくなくなった。タクトが背中を指定する。
「育みし大地の妖精よ 意思を以て顕現せよ!」
ラムサスの駆ける大地が波打った。地震ではない、その一部分の地面が水のようなうねりを見せたのだ。立つこともできなくなった彼を、土で作られた幾つもの腕が捕まえる。振りほどくことはおろか、身動きひとつできない。
「手間かけさせないでよ」
地上に降り立つ、あくまでも軽やかに。
「さて、取り敢えずは夕魅那の所に・・・」
殺意!
「水の盾!!」
イメージを全開にし、水の加護を求めた。僅かな差で間に合う、正体のわからない<力>が<盾>に激しく打ちつけられる。必死に耐える志津華、その威力が唐突に止むまでの間に<力>を見極めようとしたのだが、それは叶わなかった。
「・・・なんだっていうのよ」
ラムサスの引き千切られた死体。口封じの遺留品を前に、彼女はそう言葉を吐く以外になかった。
「死者が出なかったのは僥倖だな」
人員を確認しながら芹理姫はそう思った。これだけの行動、おまけに団体での作戦だったのだ。勿論負傷者はいるが、誰もそれが原因で命を落とすことはないだろう。それもひとえにあの方の・・・。
「博斗・・・あの方はどちらにおられる?」
「え!?」
彼女に付き従っていた稲葉はうろたえた。何かを隠しているかのように。
「・・・」
無言の圧力。それに戦闘要員ではない彼が耐えれるはずもなかった。
「あの・・・他にも怪我した人がいないかって、その・・・」
「あの方をひとりにしているのか!?」
「く、苦しい・・・」
彼の苦悶など気にかけない。そのまま襟を締め上げたまま命令する。
「どこにおられるのか、早く捜せ!」
頷くしか出来ない彼。このままでは死ぬかもしれない、そう思いながら<力>で探査し・・・。
僅かながら<力>が回復したようだ。全身を覆っていた疲労感はまだ残るものの<知覚>ははっきりしている。だからこそわかる、この一帯にまだ生き残っている魔獣がいることも。
ガサ・・・。
植え込みの向こうから誰かが現れた。そう、誰かだ。獣や邪妖精の類ではない。
「あれ・・・まだこんな所に人がいる」
彼を一言で言い表せば、風体の上がらない青年医師、それが適切ではなかろうか。実際はもっと若いのだろうが、あまり手入れされていない髪、眼鏡は威厳よりも頼りない印象に協力している。白衣のように思えるコートもそういった装い。
「君、こんな所で何を・・・?」
「・・・」
言葉を返すか否か、それを決める前に。
「グルルルルルルルルル!!」
彼の背後から、それが飛びかかった。半身を血に染めた異形の獣、誰も命令を下す者がいなくなったというのに。いや、だからこそその獣欲にまかせて。
「ッ!」
彼女の氷が反応する。その青年の腕を左手で掴み、遠くに投げやる。その動作と並行して右手は紡がれた<力>を集めていた。
「我が力 氷炎となり 道を阻む者を 焼き払わん・・・極炎蒼閃!」
突きの一撃!
獣は息の根を止められた。しかし万全の状態とはほど遠い彼女もまた、その前肢の爪を避けきれなかった。白い頬に三本、血の筋が走ったのがその証拠。
「ふう・・・」
毒などがないことを確認し、夕魅那は一息ついた。だが・・・。
「ああああっ、なんてこと!」
「?」
さっきの青年がなにやら騒ぎ出した。
「僕のせいで、女性の顔に傷が!!」
「・・・そんなことですか・・・」
「何をいってるんです、狭い間隔で出来た傷は、現代医学の技術では傷痕を治せないんですよ!?」
事実である。よく不良がカミソリをニ、三枚指に挟んで相手を傷つける意味がそこにある。縫合しようにも、糸を通す幅がないので上手く縫えないのだ。
夕魅那の場合、志津華に頼めば治るのでまったく気にしていなかったのだが・・・。
「治しますからじっとしててください」
「?」
返事を待たずして彼はその手を傷のある箇所にかざす。その掌が燐光を放つに至っては夕魅那も口を挟まずにはいられない。
「あなた・・・<力>が」
「君と同じようにね」
<力>による治療はすぐに終わった。<知覚球域>でも確かに傷がなかったように治っているのがわかった。そのかわり。
「あなたの顔・・・」
「この辺りですか?」
彼が自分の頬を撫でる。そこにはうっすらとみみず腫れ、ちょうど夕魅那の傷のように。
「こういう<力>なんですよ、僕の能力は」
相手の病気や怪我などを薄い形で引き受ける、または相手に生命を分け与える<力>。
「どうもこの辺りには僕の知り合いはいないようです・・・では失礼。かばってくれたことに感謝します」
「弱い人の為に、その<力>を使ってほしいものですね」
「・・・? もちろん、そのつもりですよ。世のため、人のために」
彼はそう言い残して去って行った。それと入れ替わりのように志津華。
「どうしたの?」
何もない方向を眺めていた彼女に問う。
「私達以外にも<魔人>が関わっていたみたいよ、この一件に」
彼のあの純真さ、あれは本当に心が美しいからだろうか。それとも自分が正しいことをしていると信じているからだろうか。
彼と彼女はそこで鉢合わせた。
「やあ、芹理姫さん」
「竦凪(すくな)様、おひとりで出歩かれては・・・」
「もう懲りたよ。危ない目にもあったし」
ポリポリ、と後頭部を掻いた。
「もう怪我人はいないかと思って」
「全員揃いました。後は出雲様の元に帰るだけです」
「わかった」
芹理姫に先導され、彼は神へ至る道を歩き出した。
彼の名は彦根竦凪(ひこね・すくな)、出雲神話でオオクニヌシのパートナー、スクナヒコナを宿星をする者。
この日、東京の未来を左右する戦いがあった。そのことを知る者は少ない。
しかしその彼らも気付かなかった。
その戦いの裏で刃を交えた、彼らを葬る、或いは護るために戦った<魔人>達の存在を。
未だ暗躍を続けるであろう彼らのことを。
1999年、1月2日。ひとつの戦いが、<黄龍の器>を巡る戦いが終幕を迎えた。
それは冬の一夜の出来事。
だが、やがて春が訪れる。
新たな始まりを告げる春が。
「まあまあの出来映えだったわけだね」
「被害も想像以上に低い割合でした」
「うん・・・連中、その『天の叡智』だっけ? そいつらも思い知っただろう、神たる者の<力>を・・・ねえ芹理姫」
「御意」
「ラムサスの計略、どうも失敗したようじゃな」
「仕方ありますまい、相手の<力>を侮りすぎたこちらの負けです」
「アスプが死んだのは痛いな」
「正気を失っていた、それこそ仕方ない。幸いデータは残っている、キマイラの研究に少々遅れが出る程度だ」
「準備の時が必要、ということだな」
「ペルセポネが地上に現れるのを待ちますか、老?」
「各員の判断にまかせる。それぞれの精進を期待する」
何も、何も終わっていない。
そのことを知る者は・・・あまりにも少ない。
第一部 <魔人学園編>完
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