「この国での活動はあまり円滑に進んでいるとは言い難いな」
彼の意見に否定的な反論を唱える者はいない。胸中様々な思いが交錯していようとも、事実を飲み込まざるを得ない。
「活動を妨げられた同志は生死を問わず全て状況を報告できる者はいない」
生き残った者はふたり存在する。しかしひとりは精神を破壊され、もうひとりは自ら精神を侵しつつあった。その他の同志についてはおそらく・・・。
「子細はわからん、しかしこの国のユーザーが邪魔だてした確率が高いな」
「オンミョウとか名乗る魔術師の結社か」
「馬鹿な」
「侮るでないぞ、若き同志達よ」
「老・・・」
年齢を重ねた深い響きが静寂を呼んだ。
「この国の人間は古き時よりレイラインを御する呪法に長けておったのだ、それを忘れるでない」
鬼道がその名を歴史に記して約二千年、神代の頃より数え上げればどれほどの年月となるのか。
「現に、我等が至高への道を幾度となく阻止したのじゃ。油断はならんぞ」
一同、頭を垂れる。
「しかし老、このままでは辺境の島国に大地の<力>を・・・」
「人種の偏見はともかく、今この時に世界を変革し得る存在は好ましくないの・・・」
「ならば、抹殺すべきです!」
ひと際若い声が上がった。様々な感情を乗せた視線が彼に集中する。
「言うのは簡単だが成すのは難しいな。相当の戦力を差し向けなければ・・・」
「出来ます。僕の部隊とそれを補佐する部隊をつけていただければ」
同志の言葉にも力強く応じた。彼にはそれだけの勝算があるのだろう。
「ラムサスよ、詳しく話してみよ・・・」
ある月夜の頃。
山肌に雪すら残る寒空の下、冷月の明かりを唯一の光明として彼は見晴らしの悪い山林を警戒しながら歩いていた。もともと随行していた仲間達はもはや姿も見ない、おそらくは既に倒されてしまったのだろう・・・。
此度この場所にいる理由、それはいわゆる仇討ちというやつであった。
事の起こりは数時間前、彼らが師事していた人物の元に若い女性が訪ねてきたらしい。師匠(そう呼ぶことにはいささか抵抗を彼は覚えていたが)が近侍すら下がらせてその女性と何やら密談していたと聞いた。様子を見に行った同門の者が興奮気味の師匠の声を耳にしたと言う。推測語が続くのは全く興味なかったからだ。師匠のことも、訪ねてきた人物も。
それから幾許かの時を経て再び様子を窺った者が見出した光景は、ふたつとなって血溜まりに伏した師匠の姿のみだった。あの女性の姿はなかった。死因は刃物による一撃、背骨すら障害なく輪切りにしてみせた達人の所業。
そして今に至る。
男はその優美な外見とは裏腹に健脚で、足場の悪い山道を何の痛痒もなく進んでいた。
(もともとあんな奴ら、アテにしちゃいなかったがな)
そして外見と反して高潔さに欠けていた。そもそもあんな連中と同レベルに思われていることが癪にさわっていた。
男は元々師匠に恩義を感じてなどいなかった。<力>を見抜く眼力はたいしたものだと思えたが、全体利益のために個を捨てるよう語るようなヤツだったからだ。それでもこの山狩りに参加しているのはある理由があった。師匠の離れが荒らされ、仕舞われていたはずの神具が失われていたからだった。男が師匠から受領したこの弓と同等と思われる、<力>ある武器が。
(それに興味があるだけだ)
男の理由はそういうものだった。そしてもしそれを得ることが出来るであれば、とも考えていた。躍起に女を追う連中や死んだ師匠と男は異なっていたのだ、男は己のために<力>を磨いていたのだから。
(オレはヤツラ違う、オレはもっと高みに・・・!)
思考を遮ったのは冬の風にも負けない音量を伴った悲鳴。聞き覚えはある、オレよりひとつ年を経ただけのつまらない男の声だ。
(無様な)
しかし敵は、狩りの相手である敵はなかなかに賢いようだ。
「何故ならオレを避けているのだから」
「そういうわけではありません」
彼は振り返った。そこには人影、独り言に答を被せた女の姿があった。月光と両者を分かつ木々の影で顔かたちなどはよくわからない、しかし微かに漂うのは血臭。おそらくはその手にした剣から滴るものが・・・。
彼は素早く得物を構える。本当に一瞬の動作で矢筒に手を伸ばし、それをつがえ、焦点を合わせ終わる。熟練した動き、それは決して弓道の試合などでは見られない、戦う技術。
武器よりも鋭い射抜くような眼光を受けても、その女は身じろぎひとつしない。それがまた彼には気に入らなかった。彼は決めた、容赦せずにこの女を射殺する・・・。
<力>を己自身と弓矢の両方に込める。弓はそれに呼応するように威を強めた。オレが特別に受領した、この弓で・・・。
解放する。
「光束矢!!」
闇を貫いた。<力>の燐光が光の束となった。あらゆる障害を貫通してその一矢は狙われた女に届く、一切勢いを失うことなく。
轟音が鳴り響いた。爆発音といっても差異はなかろう。着弾した先で<力>が破壊の形を取ったのだ。彼は勝利した。
そのはずだった。
寸毫の気配もさせず土煙から飛び出した人影が、手にした白刃を閃かせたのだ。その攻撃に反応し、咄嗟に弓で受け流しを行えたのは上出来だった。
しかしそこまで。
あまりに鋭い一撃は、剣の腕に劣る彼の防御を完全なものにさせ得なかった。弓は断たれ、彼も地面に叩きつけられたのだ。
「まあまあの腕前でした・・・少なくとも他の者達よりは」
言葉も出ないまま、迫る剣先を見つめる彼。
「待ってよ、芹理姫さん」
場違いな明るい声がした。身動き取れない彼の視界にはその声の主は見当たらない、しかし声の効果は確認できた。死をもたらすはずの凶器が遠ざかったのだ。
「お前か・・・」
「だよ」
奇妙なやり取りだった。
「彼はボクの仕事なんだ」
「つまり、それを・・・?」
「そう、命令されたんだ。出雲様に」
「そうか、ではまかせる」
颯爽として芹理姫と呼ばれた女はその場から消えた。あと幾人仲間が残っているかは知らないが、間違いなく全滅するだろう。
「大丈夫かい?」
先程の声の主だろう。心配そうに彼を窺うのはどこか幼さを残した少年。身長も高い方ではなく、どこか小動物を思わせた。
「ごめんなさい、あなたの弓、壊れちゃったみたいです」
身体の自由が戻り、ようやく身を起こした彼に少年はおずおずと彼の弓だった破片を差し出した。
「でも凄いや。芹理姫さんの剣は特別な物なのに、普通の弓で一撃防いだなんて」
「天之麻迦古・・・神の名前を持った、特別な弓だったのさ。オレにしか使えない代物だった」
少年は敵のはずだった、自分を殺しかけた女と知己なのだから。なのに少年に敵意を持てなかった。その言葉に含まれる感嘆の響きが心地よかった。もっと褒めさせるべく己の優秀さを伝えた。
しかし、今まで憧憬の眼差しをしていた少年の瞳が曇った。そう、天之麻迦古の弓について語ってからだ。少年は謝った、謝りながら言いつのった。
「あの・・・ごめんなさい。でも、でも言います。その弓は・・・その・・・本物を模ったものなんです」
「な・・・」
彼は言葉を失った。
「形を真似て、術式を以て神様の<力>のごく一部を込めたものなんです・・・だから」
彼の心に虚しさの、そして怒りの嵐が吹いた。師は、いや、あの男はオレをたばかっていたのか。オレは踊らされていたのか。彼の中で師への反発心が急速に高まった。もともと押しつけがましい存在ではあったが、自分の力を認める点だけは信じるにたる男だったというのに。
彼は不思議に思わなかった。なぜ自分がこうまで少年の言葉に耳を傾けるのか、その言葉を鵜呑みにしまうのか・・・。
疑念は芽吹く予兆すら示さなかった。少年が行動に出たからだ。
「あなたの師という人は嘘をついていたんだ・・・酷い人です」
そう言って彼に背負っていたものを渡す。受け取った彼にはわかる、それが弓を収めるケースであることが。彼は心の命ずるままにケースを開ける。そこに収められた弓はあまりに神々しく、あまりに力強い波動を放っていた。
「本物の天之麻迦古です。ボク達の主、出雲様からのあなたへの贈り物です」
神気にうたれたのか、唖然としたままの彼。
「な・・・何故、オレにこんなものを・・・?」
絞り出したような声にも、少年は変わらず答えを返す。
「出雲様が言うには、<力>はあるべきところに返すべきだ、<力>はあるべきところに往くべきだ・・・だって」
<力>はあるべきところに・・・反芻する。ならばオレの、オレの<力>があるべきところは・・・。
「少年」
「なに?」
「お、おおい!」
彼は呼び声のした方向を見る。この空間にいなかった闖入者を。
「そうか、お前はまだ無事だったか・・・」
その男は安堵の色を見せながら近付く。呼びかけられた彼は弓を握りしめる。手に吸いつくようにしっくりとした感触に彼は笑みを浮かべる。彼を知る者が今まで見たことのない、喜悦を孕んだ笑み。
その男の足が止まる。戸惑ったのだ、危険人物の抹殺任務だというのに笑いを見せた彼に、そしてその現場にいる素性の知れない少年に。
ゆらり、と彼が立ち上がる。
「お、おい、どうしたんだ!?」
尋常ではない彼の名前を呼びかける。それが引き金となった。
「オレの名を、気安く呼ぶな!」
神速の動き、おそらく男には自分の身に起こったこともわからなかったろう。ただ光の束が目を焼いた、それだけが・・・。
そして山が鳴動した。
全てが収まった後、その惨状を彼は一層の笑みを湛えた表情で眺めやっていた。直線に穿たれた山肌の溝は彼の<力>の証。彼がいずれ手に入れようと欲していた<力>が今その掌中にあった。
「流石です!」
少年は己のことのように喜んでいた、彼がさらなる<力>を得たことを。ふと、その少年の言った言葉が思い出させる。
(<力>はあるべきとろこに往くべきだ)
それが見えた気がした。
「少年・・・この弓のように、オレもオレのあるべきところに案内してくれ。お前の主とやらのところに」
「わかったよ!」
ふたりは連れ立って歩き出した。少年が先に行く、その後ろから彼が声をかけた。
「少年・・・お前の名は?」
「ボクは稲葉博斗・・・あなたのお名前は?」
「狩野偏也だ。偏也でいい」
偏也は考えもしなかった。彼の手にした天之麻迦古、それが師匠のものであったことを。師匠がそれを受け継ぐ素質を見抜き、心身を磨かせるためにレプリカを与えたこと、そしていずれは正式に譲ろうとしていたことなどの一切を。
人の心は伝わらぬことが多い、だからこそ言葉が生まれた。しかしその言葉に<力>を付与させることができたならば、それは恐るべき武器となり得る。稲葉博斗のように聞く者を思いのまま導くことも可能となるのだ。
稲葉博斗。話術を以て人心を操る、<因幡の白兎>の宿星を背負いし者・・・。
大晦日を間近に控えたこの日、寒々とした蒼穹の色を曇らせるものはなかった。冷え冷えとした風の吹く中、移動以外に好んで屋外に留まる者もいない。しかし何らかの目的があって活動するのであれば埒外であった。
「はっ!」
そういった気候であるにもかかわらず、その彼は汗を吹き出させ、肩で大きく息をしていた。しかしその両目は生き生きとし、その状況を楽しんでいるようにも見える。彼は手にした得物で果敢に斬り込んだ。普段愛用しているものではなく刃を潰した練習用のフルーレ、彼がクラブ活動で使用しているものだった。フェイントを交えての右方斬り上げ、それすらも相手の小さな刃に阻まれた。腕を伸ばしきった状態であれば力押しに持ち込むことも可能だがそれすら許されない。勢いが殺されるのは半瞬にも満たない間で、次の半拍で剣の流れは意図した方向と異なる所へ導かれているのだ。その作らされた隙に彼の首筋にあてがわれた小さな剣。
もはや彼の何敗目なのかわからなかった。ひとつわかっているのは、彼が零勝であることのみ。
「そろそろ一息入れた方がいいでしょう」
刃を引きながら小休止を提案する彼女は、まったく呼吸の乱れなど見られない。その意見が彼のためなのは明らかだった。
「はい、夕魅那さん!」
彼・・・霧島諸羽もそれを受け入れた。
前世がスサノオである彼は、その<力>をより鍛えるためにこうして努力を重ねているのだった。ここはほんの十日ほど前、彼らに関わった事件で出会った蒼い瞳の魔人・倉条夕魅那の自宅である。その事件で彼が手も足もでなかった敵に対して互角の攻防を見せた夕魅那に霧島は傾倒し、こうして弟子入り(自称)して稽古をつけてもらっていたのだ。この日は稽古を願い出た五日目くらいだったか。期末試験の終わった時期である。割と時間の出来る一年生同士ということもあり、彼は繁く足を通わせていたのだった。ちなみに何故京一のもとに出向かないかというと、進路を決める大事な時期でもあるために遠慮していたのだ。
ふたりはテラスから屋内に戻り、そこで様子を窺っていた面々に声を掛けられた。
「お疲れさま、霧島くん」「夕魅那、少しは疲れなさいよ」
霧島を労ったのは舞園さやか、夕魅那を茶化したのは御名砂志津華である。この四人はその事件で知り合ったのだ。より正確を期するのであれば霧島・さやかのふたりに大きく関わる事件で、と表現するべきか。夕魅那と志津華は偶然巻き込まれたに過ぎない立場だった、出会いの時点であれば。
「で、今日のところは何勝何敗だったのかな?」
随分と影が取れ、ごく普通の年齢に合った言葉づかいがしっくりとした志津華が問い掛けた。彼女もかつて<力>で事件を起こし、その縁で夕魅那と出会って今に至る魔人。
「三十六勝零敗」
「・・・それって本当に稽古になってるの?」
一方的に打ち据えることを稽古とは呼ばない、そういう意味の発言。
「人間、そう簡単に培った自分を変化させられない・・・そういうことです」
「はあ?」
首をかしげる志津華にそれ以上の説明はされなかった。夕魅那が休憩のために懐剣を鞘に収めたからだ。それは氷解を意味する動作、彼女がその豊かな感受性を取り戻す儀式。
「諸羽くんは真面目ですから」
今までと異なる、優しげな笑みである。人格が交代したわけではない、<力>によって凍りついていた心が働き出したに過ぎない。
「諸羽くん、汗だくで気持ち悪いでしょう。よければバスルームを使ってください」
「そんな、僕が押しかけてきているのに」
「気にしないでください。友達は助け合うもの、でしょう?」
さやかの騎士を自認する彼とても、その笑顔には魅力を感じずにはいられなかった。顔を赤らめて礼を言う、その様子を形容できない表情で傍観していたのはそのさやか。
夕魅那の家なのだから当然彼女が霧島の世話を焼き、バスルームへ案内していった。さやかと残された志津華は・・・。
「あの・・・お茶のおかわりでも?」
さり気なく世話など焼く志津華。見ていて怖いのだ、彼女の、特に眉間辺りが。世間に知らぬ者のいない、実力派アイドルとはいえど彼女も普通の女の子なのだ。恋もすれば嫉妬もする・・・ここ最近志津華はそういったことでの真理に至りつつあった。
(でも、実際のところは彼女のひとり相撲だと思うんだけどね・・・)
夕魅那はまだそういった異性への感情を彼に対して向けていない、志津華もその優れた感受性でもってそう推測していた。だからといって未来は誰にもわからないが・・・。
二時間後、霧島・さやかの両名は夕魅那宅を辞去した。何でもこれから明日の紅白についてのリハーサルがあるのだとか。アイドルというのも大変である。
「ねえ、志津華さん」
「なに?」
いいかげん同居人くらい呼び捨ててほしいな、などと思いながら先を促す。
「いつも思ってたんですけど、私達が稽古をしている間、退屈じゃないですか?」
「・・・んー、別に」
割とスリリングだわよ、とは口にしなかった。霧島がここにくること自体はあまり嬉しくない、しかし彼が<力>をつけたいという理由が自分を護るためである・・・そういった複雑な心境に囚われたさやかと会話するのはそれなりに気をつかい、また他人事としては面白いのだ。もっとも夕魅那にその嫉妬の炎が燃え移りでもすれば、達観して見ていられるのかどうか・・・。
「さて、と。今日はまだ何か用事あったっけ?」
「私はこれからお節料理の仕込みに入るんですが」
「・・・黒豆ある?」
「マサキさんを招待してはいるんですが、来てもらえるかどうか微妙らしいんですよね・・・」
「黒豆は・・・?」
「やっぱりお忙しい方ですから・・・」
「くろまめ・・・」
「子供ですか、あなたは」
「アスプ、いるか?」
その者の声量であれば、この程度の空間に聞こえないはずがない。しかし彼はあまり返事を期待しなかった。何故なら、彼女の精神は均衡を崩し・・・。
「・・・ラムサス?」
存外しっかりした声が返された。
「アスプ、お前に<力>を借りに来た」
「・・・あたし・・・に?」
「お前の研究成果を使わせてもらいたい」
「・・・話だけは聞いてあげる。返事はそれからね」
感情の起伏がない彼女の応対にラムサスは驚きと安堵を抱いた。あの狂乱は一時的なものだったのか・・・彼はそう認識してしまった。あまりにも強い感情はその表現力を失ってしまう、狂気こそ外側でなく内側から冒すものであることを彼は知らなかったのだ。
彼女は偏也とすれ違った。あまり好意的な様子ではなかったが、一度殺しかけたのだ、仕方ないと彼女は理解していた。出雲様の役に立つのであれば問題ない。
「失礼いたします」
宇都志出雲の有する最強の戦士にして彼の伴侶たる根州芹理姫はひとつの報告を携えていた。今の彼女は戦士ではなく、有能なる出雲の世話役である。
「失礼いたします」
相変わらずの秘書然とした物腰で彼に接する。企業の重役室のような一室に彼、宇都志出雲はいた。
宇都志出雲、アジアに巨大マーケットを持つウツシ・コングロマリットの御曹司にして、出雲神話の長という前世を背負った若者。その中性的な容姿の彼はひとつの大望を持ってしまった。人心乱れし今世を、かつての神々が正しく導く世界に戻すこと。
「芹理姫、何かの報告かい?」
彼の物言いは努めて柔らかい、とても社会を根底から覆すことを企てる人物とは思えない程に。しかしそういったことはよく宗教家に見られる、それも危険な思想を持つ者にこそよく。
「はい、出雲様。我々が調査していた他国の組織についてですが・・・」
「うん、連中だね。尻尾くらいは掴めたのかな」
「残念ながら。しかし彼らの活動についてひとつの報告がまとまりました」
「聞かせて」
「はい・・・今春より動静の著しい龍脈のことは既に承知される通りですが、ここ数日<力>そのものが急激に高まりつつあります」
「・・・<器>が目醒めるんだね」
「おそらくは」
<黄龍の器>については彼らも知っていた。そもそも彼らは大きく乱れたこの国の龍脈を御するために集ったのだから。
「ま、今回は仕方ないよ。諸羽君が協力してくれなかったからね」
龍脈についてはあと数日でおそらく決着がつくだろう。誰がその<力>を制するにしてもさほど重要ではない。その座はいずれ賛意を示してくれたスサノオが担うのだから・・・。
「取り敢えずは神州の地盤が揺らぐことにはならないよ・・・でもそれが報告かい?」
「いえ。ご報告は先程申し上げた通り、その背後で蠢く異国の組織についてです」
「詳しく聞かせて欲しい」
「はい・・・彼らの活動について、影くらいは捕らえることができました」
彼女は報告を簡潔にまとめる。曰く、龍脈の高まりが最も見られる上野周辺で彼らの動きが活発になっているとのこと。
「上野・・・東京の鬼門か・・・積羽はどんな判断を?」
「はい、可能性はふたつ示されました。ひとつは龍脈の<力>を何らかの形で手に入れる、あるいはある程度の吸収を試みる」
「それはないね。万が一そんなことを試みても自滅するだけだ。放っておいても害はないよ」
芹理姫も彼の判断に同意する。<器>の要素無くして最大に活性化した龍脈を手に入れることなど不可能だ。しかし、手に入れることはできなくとも・・・。
「もうひとつの可能性・・・自分達のものにならない龍脈を暴走させ、<力>と<器>の両方を始末する」
「それだ。いかにも彼ららしい、粗暴な策だね」
「積羽もその可能性を重要視しておりました・・・いかがいたしましょう?」
思案に浸っていたのは僅かだった。もともと解答はでていた、それをどう指示するかだけが問題だっだのだ。
「芹理姫・・・僕はこの国の行き先をあんな連中に決められるのは嬉しくない」
彼はやはりそう決断した。
「連中に思い知らせてやって。神州に蘇った神々の<力>を」
「御意」
「ねえ夕魅那、明日の予定は何かあったっけ?」
「ええと・・・特にはないと思いますけど・・・って、まだ水揚げしちゃだめなんです!」
料理する夕魅那とその周囲を彷徨う志津華。夕魅那の手際よさに感心しながらあまり作業には積極的に参加しない。どちらかと言えば邪魔していた。
志津華は料理を作れないのだ。包丁ひとつ満足に操れない。そのわけは彼女の才能が関係した。ピアニストにとって指は何よりも大切なもの。万が一指を怪我して神経のひとつでも傷ついたとすれば・・・そう計算した彼女の両親(だった人間)が何もさせなかったというわけだった。
「お願いですから、調理中の物には手を触れないでください・・・」
色々な意味で疲れを見せつつあった夕魅那に志津華はいたずらっぽい笑みを返した。
「実はさ・・・さっきさやかさんにこーいうもの預かったんだけど」
そういって示したのは首から下げるカード、ライブなどでよく見受けられるスタッフカードという物だった。いわば関係者の印。
「明日の紅白、よろしければいらしてくださいだって」
志津華も知らない裏事情、実はその提案をしたのは霧島だった。あの事件以来様々な世話を受けていた彼ら(実際は彼、のような)がせめてもの感謝の気持ちを込めて、と気を回したのだった。
「はあ」
「・・・何だか気が乗らないみたいだけど?」
まさか夕魅那もさやかちゃんの敵意を感じ取っていて、それで警戒しているのかも・・・そう勘繰る。
「私・・・あまり歌手って知らないんですけど、いいんでしょうか?」
「う〜ん・・・わたしも人のこと言えないわ、それは」
勘繰りは勘繰りに過ぎない、そう知った志津華である。
「これが・・・お前の手掛けた<作品>達か・・・」
彼・・・ラムサスは調整槽に浮かび上がった数多くの<作品>に感嘆の声を洩らした。
「フウム・・・たいしたものだ」
この時も彼は彼女の変質に気付かない。かつてであれば他人の称賛に何の反応も返さないなどということのなかった女性だったのだが、そのような素振りはまるでない。そう、他人の思いなど無関心であるような・・・。
「・・・これが最新作・・・C−108OG」
彼女は一番奥に置かれた槽を軽く叩く。分厚い特殊ガラスの音がこもって聞こえた。ラムサスは導かれるままそれを視る・・・。
「こ、これは・・・!!」
最も大きな感情は驚愕だったろう、しかしその裏にあったものは恐怖、嫌悪など。激しい拒否の感情が彼の中で鼓動を早める。
「・・・元々の魔力が高かったから、中々の傑作よ、フフフフ・・・」
彼女の笑い声は闇に帰するのが相応しいものだった。
ギィ・・・車椅子が軋んだ音をたてる。アスプと呼ばれた彼女の表情が凍りついたのを、未だショックを隠せないラムサスは見るべきだった。その妄執に囚われ正気を失った者が見せる強張った形相・・・彼は幾度となく気付くべきことを見逃した・・・。
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