東京魔人学園 蒼眸行 <その参>








 天井。ここ数日で見慣れた病室。あの時も気がついて最初に考えたこと。あの時は戸惑いや不安、恐怖など心の動きに疑問は感じなかった。あの人たちとの語らいに幸せを感じた事を変とは思わなかった。
 この心が造られたものと知らなかった時は。涙がこぼれた。よく出来ている。そう判断する、計算する、数式に当てはめる、理論的に分析する……。そういったものなのだ、この心のようなものは。

「もういい……」

 瞼を閉じた。再び涙がこぼれる。よく出来ている、私が<誰か>ではなく<何か>であることを誤魔化せるくらいに。





「……ああ、ついでにその剣も頂きましょう。解析できれば持たせる事も出来るでしょうし」
「……ついで?」

 意外な言葉。

「ええ。わたくしの狙いは言うまでもなくあなたですからね」
「な……」

 心の氷がぐらつく。不可解な態度に対応できない。
 何か思いついたようにオーギュストが言う。

「なるほど……そこまでの完成度ですか……たいした技術だ」

 一息ついて、彼は言い切った。

「あなたは知らないのですね、自分がホムンクルスであることを」





 思考が止まった。何も考えられない。いや考えるのを拒否している。そうでないと論理的思考をしてしまう。

「いやはや、まさかホムンクルスに自我を与えるなどとは酔狂な……しかし考えようによっては確固たる信念をもたせることが出来ると……その方がいい場合もありますか……」

 嬉しげな表情。彼は心底嬉しいのだ。そして私を助けてくれた人たちは戸惑いを隠せない様子で視線を交わしている。意外な成り行きを見守っている。

「私がホムンクルスというのですか」
「そうです」
「その結論に至る経過を聞きたいものです」
「いいでしょう」

 あっさり肯定を返す黒衣の術師。

「あなたは今年の春以前の記憶がない。何故ですか」
「事故の後遺症だと聞いてます。それに少しですが思い出した事もあります」
「それは文時氏があなたに教えた事がある過去でしょう? それとも何も予備知識のない、例えば過去に友人と話した、文時氏が知り得ない記憶ですか?」

 答えられない。

「文時氏の奥方、絵里衣と言う女性の祖先をご存じか」

 否定する。

「彼女の祖先には偉大なる魔女ケイト・ウェザードがいたのですよ」

 魔女狩り発生前、希代の錬金術師として讃えられたという。後にキリスト教が記録を抹消するまでは。

「文時氏は近年、偉大なる彼女の墓前を訪れた。そしてかつて彼女だったものを持ちかえりました。何のためでしょうね?」

 推測は出来るが言葉として扱うには重い。

「文時氏の作ったラボは、恐竜を蘇らした映画にあるような技術を研究するものでした。何の遺伝子を研究してたのでしょう?」

 口は聞けない。

「文時氏のひとり娘・夕魅那嬢は中学卒業間近、登校しなくなった。卒業式すら出席しなかった」
「それは事故に……」
「一ヶ月以上の治療を行う必要のあった重傷にも関わらず、該当する事故・事件等はいかなる警察・病院にも記録されていない」
「医師たちは匙を投げたと……」
「それでも診察記録は残るだろう。違うかね」

 満足げに笑い、オーギュストは懐から一枚の写真を取り出した。もったいつけているようで、表はこちらに見せていない。

「わたくしは文時氏に対する切り札として息女の拉致を考えていた。ゆえに夕魅那嬢の調査もしていた」

 投げて寄越す。

「それは去年の秋撮影したものです。……よく撮れているでしょう……特に美しい瞳が印象的だ」

 確かに私が写っている。鏡で見るのと同じ顔だち、切れ長の目、そして輝く瞳……それは流れる黒髪と同じ色で……。同じ。



「目……目が……」


 蒼くない。これは……私は……。

「さて、質問だ。……あなたは誰だね?」

 氷がひび割れる。

「そもそも人なのかね?」

 目の前の風景が曇る。

「わたくしの見た夕魅那嬢はあなたのような魔力は持っていなかった」

 静寂の中、声だけが聞こえた。

「いや……」現実を。
「あなたはホムンクルスだ、そうだろう?」
「いやあああああああああああああああああ!!」





「何があったんだい」

 桜ヶ丘病院での第一声はこうだった。異形の者との関わりを絶つために退院した夕魅那が、目の焦点も合わぬ自失状態で連れられてきたのだ。共にいた一同に問いただすのも当然だった。
 口の重い一同から話を聞くには時を労した。

「そうかい……それは気付かなかったよ」

 弱々しく呟いて、たか子先生は診察に向かった。静寂が満ちる。

「どうするよ、これから」

 良くも悪くも最初に意見するのは京一の役目だろう。

「あの男は放っておけない……彼からはジル・ローゼスと同じ匂いがした」

 ジル・ローゼス。狂気のナチズム信奉者。マリィ・クレアは彼のために人生をねじ曲げられた。

「そうだな。奴はホムンクルスを戦いに使っているからな」
「ええ……」
「みんな……それよりも夕魅那ちゃんは……」

 小蒔とてもそこで口を閉ざした。自分たちが口にできることか、判断が付かなかった。
 彼女はホムンクルスである。オーギュストはそう言った。傍証をいくつか上げ、最後に決定的証拠を突きつけた。瞳の異なる自分。彼女は意識を無くし、彼は去った。

「壊れては困りますから。事実を受け止めた頃合いを見計らって参上します。……ではご機嫌よう」

 彼女を守る事については変わらない。ただ彼女にどう接すればいいのか。それがわからなかった。





 翌日。
 結局彼らは病院で朝を迎えた。仮眠は取ったものの、気は晴れなかった。

「アレ、オネエチャンタチ……?」
「あら、マリィ、どうしたの?」

 診察にしては早い。

「ナンデミンナ病院ニイルノ?」
「ええ、ちょっとお友達が……」
「アッ、このあいだ言ってたヒト?」

 言葉を濁す葵に気付かず、マリィは元気に答えた。

「オネエチャン、紹介してくれるッテ言ってたノニ」
「ごめんなさい、マリィ。また……」「ダ〜リ〜〜ン!」会話が途切れた。

 ナースステーションから高見沢の大声が響いたからだ。

「ダーリンに電話〜」
「誰から?」
「え〜〜っと、御門っていうひと〜」

 御門とは彼らの仲間で、関東一円を束ねる陰陽師の棟梁である。政界・財界に通じる大物でもある。何事か、と電話を代わる。

「緋勇ですが」
「お元気そうですね」

 超然とした物言いが聞こえた。

「そちらからの連絡なんて、どうしたんです?」

 緋勇の言うとおり、これは極めて珍しいことだ。問いにたいして意外な答えが返ってきた。

「裏密さんに倉条家のことを伝えて欲しいと言われましてね」
「倉条家をご存じなんですか!?」
「一門の者ですから……もういませんがね」
「一門……倉条家は陰陽師の家系なんですか!?」
「正しく言えば宗家の司書を担っていたのです」
「書籍を扱っていた……どのような本を?」
「色々ですよ。陰陽のものだけでなく、外より入ってきた様々な魔道書なども含まれましたが」
「では……倉条文時氏は自由にそれらを閲覧できた立場なのですか」
「まあ出来たでしょう。知識においては抜きんでて優秀でしたよ、彼は」

 そういえば裏密が言っていた。あの剣は錬金術を応用して造られた、と。元々陰陽師畑の人間に何があったのだろうか。礼を言って電話を終える。いまいち不透明だった人間関係に光明が見えた。夕魅那を救う手掛かりにはなるまいが。



「……知識はあったが<力>がなかったてことは……」
「学問である錬金術に傾倒したとしても不思議はないな」
「でも自分には魔力がなかった……」
「そしてひとり娘が亡くなった」
「それで昔の人の……?」
「合わせたんだろう」



 緋勇たちが情報を統合していた頃。マリィはとある病室の前にいた。

「ダッテアタラシイFriendをショーカイしてほしいんダモン」

 彼女は許可なく夕魅那の病室に入ろうとしていた。

(ミンナノFriendダモン、イイヒトに決まってるヨ)そう考えていた。

 まずはドアをほんの少し開ける。診察中だったら怒られるからだ。中に先生がいない事を確認して入る。

「ハーイ!」

 返事はなかった。やや拍子抜けした彼女はベッドからこちらを見ている女性に気付いた。なんだかぼんやりしている。

(朝ダモンネ、起こしちゃったのカナ)

 勘違いした。そして彼女は夕魅那の懊悩を知らない。だから普通に接した。

「オハヨウ、オ姉チャン!」



 壊れかけた……いや、もう壊れているといっても差し支えあるまい……彼女に声が聞こえた。それはとても明るい、なんだか心地よいものだったので、虚ろな私はそれに引かれた。認識はできる。女の子だ、女の子。少しだけ見覚えのある……辛い事とは無関係の子……だから反応した。

「誰……ですか?」
「マリィダヨ、オネエチャン」
「マリィ……ちゃん?」
「ウン! オネエチャンハ?」
「夕魅那……」
「ワカッタ! ユミナオネエチャン!」

 よろしくね、と言う彼女は屈託ない。私とは大違い……。

「マリィちゃんは……いくつ?」常套句の質問だった。しかしマリィは少し顔を曇らせた。
「16……」

 僅かながら、夕魅那の目に光が灯った。

「え……?」
「マリィはオ薬で子供のままダッタノ」

 たどたどしくマリィは夕魅那に緋勇たちと知り合った経過を説明した。幼少の頃<力>が原因で誘拐された事、非人道的な扱いを受けた環境、<できそこない>と言われつづけた日々……その内容は夕魅那の狂気をある程度抑えてしまった。そんな過去を背負いながら、笑う事が出来る彼女に圧倒されたためだ。

「デモ今は幸せダカラ……ソシテ葵オネエチャンや龍麻オニイチャンタチハ……」

 二人の名前に心が脈動した。何か聞かなければならない、そんな気がした。
 夕魅那は気付いていない。心が活動していることに。

「マリィちゃん……お願い、詳しく教えてくれないかしら……その二人の事を」

 そうして夕魅那は知った。あの二人もまた生まれながらにして過酷な宿星を背負っていることを。なのに……。

「何故、あの二人はあんなに優しくできるの……?」

 己の矮小さを思い知った。器が違うのだと思った。彼女の思考が再び闇に沈もうとした。

「ソレはコウ言ッテタ。ミンナがイルカラ、助けてくれるカラ、わたしも助けるコトができるッテ」
「私でも……あの人たちを助ける事が出来るのかしら……」

 自問だった。答えはないはずだった。しかしマリィは事も無げに答えた。

「モチロン! ダッテFriendダモン!!」

 思わずマリィを抱きしめる。

「ありがとうマリィちゃん、私を助けてくれたのはあなたよ……」

 涙が出た。私が何であろうと、これは私が流した涙だ。そう思う事が出来た。





 ロビーでは一同が苦悩していた。夕魅那の様子を伺うにもどう応対すればいいのか、結論がでなかった次第だ。

「葵オネエチャン!!」

 暗雲をマリィの声が貫く。

「あらマリィ、遅かった……」

 一同は驚愕に彩られた。マリィはひとりではなかった。彼女はマリィと手をつなぎ、恥ずかしげに微笑んでいた。

「倉条さん……」

 夕魅那は彼らの前まで来て、深々と頭を下げた。

「みなさん、ごめんなさい。 ご迷惑とご心配をお掛けしました」
「ユミナオネエチャン、ナンデ謝ってるノ?」
「心配をかけてしまって……マリィちゃん、さっきも言ったように私はマリィちゃんと同い年かそれ以下なんですけど」
「ダッテユミナも<マリィチャン>って呼んだヨ!?」
「そうですか? 記憶が曖昧なもので」
「昔のコトデショ!? 忘レテルノハ」

 呆気に取られた。脱け殻だった夕魅那が知らぬ間に立ち直っていたのだから無理もない。

「あの……夕魅那ちゃん?」

 おそるおそる京一が話しかける。

「はい?」
「いや、その、なんだ」
「私でしたらもう大丈夫です……マリィちゃ……マリィに教えられましたから」

 そして、と彼女の瞳は二人……緋勇と葵に向けられた。

「お二人の宿星についても……」

 現世を左右する運命を背負った二人。この二人に一生(いや、来世ですら同じかも知れない)付き従う宿星に比べたなら、私などは<人間ではない>だけにすぎない。私の運命は私にのみのしかかる。この二人のように万人に影響を与えるものではない、その程度のものだ。このくらいで負けていては、この二人に、葵さんに並ぶこともできない……。
 立ち直った私を見て、二人は喜び、一瞬、ほんの一瞬お互い視線を交わした。優しい、とても優しい視線……おそらく、もっと前から気付いていたと思う。緋勇さんと葵さん、この二人の絆の深さ、互いを大事に思う心の強さ……間に入る余地などないことに。
 失恋しました、でもそんなに悲しくない。葵さんだからかな? という納得もある。何というか、言葉にできない思い。そんな気持ちが表情にでていたのだろうか、視線を転じた先にいた小蒔さんが私に頷いた。その表情は私と同じ……そして共感。

(そうか、小蒔さんも……)小蒔さんは葵さんの親友だという。身を引いたのだろう、私より遙かに早く。

 まあ個人的感傷はあとで同じ境遇の人と分かち合うとして、今は我が身を縛る因縁に決着を付けなければならない。それには私一人では難しい。……正面から頼むしかないか。改めて畏まる。

「……それで申し訳ないんですけど、もう一度私に<力>を貸していただけないでしょうか?」



 日曜の昼は慌ただしく過ぎた。情報がまとめられ、対策が練られる。現在わかっている事は(推測を含めて)以下の通りである。



・倉条文時氏は錬金術を実践していた
・それをオーギュストという錬金術師が狙っていた
・文時氏は古の秘儀を改良してより人間に近いホムンクルスを生み出した(それが夕魅那らしい)
・ホムンクルスの種は妻方の祖先である魔女だという
・その魔女は<瞳の魔力>を行使する魔女だったという
・その後文時氏は事故により亡くなった
・彼の研究資料を狙っていたオーギュストは次に完成したホムンクルスである夕魅那を欲している
・彼らの詳しい接点や、文時氏が何故錬金術を研究したのかは不明である



「まあ、もうそんなことはどーでもいいみてぇだけどな」

 京一が呟く、その先には憑き物の落ちたような夕魅那の姿がある。相変わらず遠慮がちな態度はともかく纏っていた影はもうない。過去についてはもうどうでもいいらしい。ただ完全に決別するには、事件を終わらせないと「なんだか落ちつかなくて」だそうだ。協力を惜しむ輩はいなかった。むしろ今日まで蚊帳の外だったマリィすら「ユミナのためにガンバル!」と戦闘意志を表明するに至る。これから夕魅那の家に向かうのは昨日のメンバーにマリィを加えた七人。
「まあ、がんばっといで」「いってらっしゃ〜い!」という声援を受け、倉条家の屋敷に陣を張るが如く。
 夜を待つ課程は、家捜しはしなかったが昨日と変わらない。至福の夕食を終えたあと、談笑を行ったのも昨日と同じだ。違うのは知識の量、そして交錯する思い……それだけだろう。





 約束をしたわけではない、そして正々堂々と戦うと言った覚えもない。それでもオーギュストは現れた、軍勢を引き連れて。

「これはこれは愛しの姫君、御健勝でなにより」

 彼の周りには見たことのないホムンクルス……蜘蛛ではなく蟷螂……が四体、影の如く従っていた。

「そうでなくては、わたくしの出し得る全ての戦力を繰り出した価値がないというもの」
「総数六十四」

 冷徹に事実のみを告げる。しかし臆する者はひとりとていない。お互いを信じるがゆえ。

「姫君はもちろん、みなさんもご招待いたします。わたしのラボにね」
「……あなたがホムンクルスの秘儀を欲するのは何故だ? 知識欲には到底見えないが」
「生物兵器は売れる……それも兵を持たない組織にはなおさら……これで答えになるかね?」
「結構……」

 腰だめに構える緋勇。それに応じて各々戦闘態勢を整える魔人たち。

「では、最後の宴を始めましょう……行け」



 火蓋は切って落とされた。





 戦いは熾烈を極めた。量に劣る魔人たちは戦況を一度に覆す機会を中々得られずにいた。

「きりがねぇな」

 一体を屠り辺りを伺う。倒した骸と、それ以上の異形を目の当たりにして京一がぼやく。

「どうする、龍麻」

 最低限の防御で消耗を抑えつつ醍醐が質す。

「方陣技が妥当かな」

 手甲を異形の血に染め、穏当に意見を返す。反対意見はない。

「方陣技って何ですか?」
「<力>を合わせるんだ。まあ見ててごらん」

 攻撃の質が変わる。牽制が主体となり、異形全体の動きをコントロールしているように夕魅那には見えた。この変質に異形は対応しきれず、ある形に追いやられた。即ち挟撃。
 その形が見えた時、夕魅那は気付いた。それぞれ質の全く違う<力>が融合し、新たな<力>となる様を。

「「うなれ! 王冠のチャクラ! はああああああああああああ!!」」

 辺りに異様な<力>が満ちた。それは無秩序な奔流と化し、不用意に誘導されていた一群は光に呑み込まれ、屍を無残に晒した。

「「アポカリプス・ケルブ!」」

 天空より神々しい炎の輪が降り注ぐ。もがく暇もなく禍々しき異形は浄化の炎に身を焦がし、跡形もなく焼き尽くす。

「「楼桜友花方陣!」」

 花が咲くが如く、穏やかな<力>が顕現する。その<力>は光でも炎でもなく、精神を蝕んだ。もともと自我のない造られし存在は抵抗すらせず、<力>の導くままに行動した。魔人たちに背を向け、彼らを守る行動を取ったのだ。同士討ちを演じ、異形は一層の数を失う。



 流れは変わった。



「な、なんと!?」

 オーギュストの顔から余裕の笑みが完全に消えた。消耗戦術を狙った彼の思惑通り、戦況は膠着状態だったはずだ。彼らは<力>を使い切り、そのまま数の流れで勝利したはずだった。それがたった三度、三度の攻撃で戦況が一変した。いや、一挙に不利になった。
三度の攻撃で兵数は半分以下と激減した。質が劣る部分を互いに補う戦法を行うには手が足りない。
 彼は事態を乗り切る策を練る、その隙もなく。

「オーギュスト」

 冷たい声。狼狽した身にしみ入る吹雪。目を向けるまでもない。標的であり、わたくしを狙うモノ。

「夕魅那……!」

 濁った目が彼女を見据える。平然と受け流す蒼氷色の瞳。

「そうだ……貴様さえ捕獲出来ればいいんだ……」

 左右を固める四体の蟷螂が動く。

「マンティス! 殺すなよ!」

 死の鎌を持つホムンクルス……マンティス。それらは四身一体の妙技を見せた。
 一体が左袈裟懸けに出る。受ける瞬間胴薙ぎが狙う。受けを放棄してかいくぐる。足元に迫る一撃を回避するため、蟷螂を土台に後方へ飛びずさって距離を置く。ニ体が上下、ニ体が左右に展開する。……付け入る隙がない。

「マンティスは精神結合を成功させたホムンクルス! その連携に隙などないわ!!」

 勝ち誇るオーギュスト。紳士の仮面の無くした彼は、単なる顕示欲の強い小悪党でしかなかった。

「……」

 とはいえ彼の言う通り、隙がないのは事実だ。威力の強い<力>を集中することもできない。回避運動を強いられ、後退を繰り返した。
 <知覚球域>の背後に反応がひとつ。この力強くも優しい<力>は……。

「緋勇さん」
「手を焼いてるようだけど、俺も手伝うよ」

 閃く。蟷螂は連続攻撃を主とするがゆえに、ひと所にまとまる瞬間がある。そして敵を一気に殲滅する技……。

「緋勇さん、<力>を貸してください」
「もちろん、そのつもりだ」

 構える。こちらが二人になったことで判断が鈍ったのか、一瞬動きが停滞した。その隙をついて攻撃を仕掛けたが、あくまでも牽制である。要領は先程見た通り、敵を動きを制限することを考える……。弾かれた何体かが蟷螂の陣を乱す、それを確認して後退。連携の姿勢を保つ為に彼らは集い……。

「いくよ!」
「はい! ……我が力 黄龍の意となり 道を阻む者を 滅ぼさん……!」

 未知の<力>が宿る。光を伴う冷たき風、凍てつく光輝……。存在を得た<力>は己を誇示するかのように振る舞った。

「「黄龍氷雅陣!」」

 光が満ちるのと同じ速度で、世界が凍った。錬金術が生み出した異形の群れは、美しい氷のオブジェと姿を変えた。それらは凍っているというより、クリスタルの細工を施した芸術品のようですらある。そしてその観客の声。

「ば、馬鹿な……」

 ひび割れた嘆息。感嘆ではなく、単なるただの嘆き。もはや立っている事すらおぼつかない黒衣の錬金術師。
 氷の世界で動き得るのは敗者たる彼と、勝者たる魔人たち。

「やったな、夕魅那ちゃん」
「方陣技とは驚いたな」
「やったね、葵」
「ええ、これでやっと……」
「ユミナ、やったネ!」

 蒼い世界でみんなが喜びの声をあげた。彼らの目が讃えられるべきものに向き、沈黙を見る。そこにはオーギュストに対峙する夕魅那、彼女から一歩退いて見守る緋勇がいた。

「こ、殺すのか、おれを殺すのか、や、やめろ、ねえ、やめてくれよ」

 頼るものを無くした男は卑屈になった。だが、いかな態度も<冷静な私>の心を動かす事はできない。すべきことはひとつ、私をつけ狙う存在を排除する事に他ならない。

「……あなたは私の事を誰かに話しましたか?」
「い、いや! まだ報告の段階ではなかったので……」
「その報告すべき相手の素性は?」

 彼の顔色がこれ以上なく青ざめた。混乱のために余計な事を口走ったことに気付いたからだろう。それを追求する。

「あなたの所属している組織は?」
「……」

 いくつかの問い掛けを完全に黙秘で返した。

「質問は無意味と判断……では差し当たっての始末を付けましょう」

 凍てつく刃が冷たく輝く。

「こ、こ、こ」
「私がホムンクルスだということは、憲法を遵守する義務はない、そういうことでしょう?」

 子供のように泣きわめくオーギュスト。それを冷やかに見下ろし、剣を振り上げる夕魅那を止める気配。

「……嘘ですよ、緋勇さん。命までは取りません」

 何か言われる前に、白状する彼女。でも、と続ける言葉はあるが。

「でも、見逃すつもりも許すつもりもありません。事件の再発は防ぎたいですから」

 <力>が宿る懐剣を、ためらいなく降り下ろした。目標は彼の外側ではではなく……。
 今、彼女の<力>はオーギュストの精神に触れていた。感情や思考ではなく彼の<力>の源及び記憶に切っ先が向けられる。

(我が力 冷気となり 道を阻む者を 凍てつかせん……)

 精神を凍らせる、即ち<力>と記憶の封印を行う。<凍てつく心の力>は他者の精神にまで及び、これを可能としたのである。

(これで終わり……)

 <力>の触手を引き戻す、その時。奇妙なモノを自分の心に見た。
 氷。大きな氷。感情ではない部分を凍らせる、大きな氷殻。この氷の覆う部分は確か……。

(記憶?)

 何故こんなものが私の心にあるのか、そして何を覆っているのか。あるいは<力>の反動によるものかも知れない、障害であれば排除するべきだ、そう判断する。横一文字の太刀筋通りに氷殻は割れる、そして私は意識を保てなくなった……。





「結論から言おう、お前さんは人間だよ」

 たか子先生は言い切った。その言葉に疑問を挟む余地はない。夕魅那もみんなも驚いた。

「わしと、西洋魔術に詳しい娘の見立てだから間違いない」

 事実関係が引っ繰り返った。とてもいい方向に、だ。
 オーギュストに精神の封印を施したあと、前触れなく夕魅那は倒れた。介抱後、意識を取り戻した彼女は言いようのない表情でみんなにこう告げた。

「昔の記憶がほとんど戻りました……おかしいですよね」

 その騒ぎに乗じてか錬金術師の姿は消えていたが、誰もそのことを気にしなかった。桜ヶ丘病院に急行して、その出来事をたか子先生に告げた。先生は裏密を呼ぶように言い、夕魅那の検査に入った。その結論が、今言った通りである。

「でも私に魔力はなかったって……それに瞳の色も」

 オーギュストが彼女をホムンクルスと断定した事柄、それを指摘するとたか子先生は複雑な顔を見せ、「つらいかも知れないけど、よくお聞き」そう言ってある事実を告げた。曰く、

「お前さんの目……それがホムンクルスから移植されたものなんだよ」



 あくまで推測の域を出ないことを含んで説明された。夕魅那が事故にあい、失明の危機にあったのは事実だろう。それが現在の外科技術では治療不可能であることを見取った文時氏は、最初から病院には頼らず自分の手で何とかしようとしたのだ。幸か不幸か自分は彼女の先祖のホムンクルスを研究している、それも希代の魔女をベースにしたものを。それが出来れば錬金術を駆使しての眼球移植も不可能ではない、彼はそれを実行し、成功した。ただ、魔力を持たない身の彼女にその<力>は精神の一部を凍結させることになったのではないか……。

「……と言ったところだろう」

 娘可愛さが事の発端だろう、そういうことだ。

「父が……私のために……」

 目が事の発端。それは過去を示す太陽の逆位置カードに合致した。
 涙ぐむ夕魅那。父の娘を思う気持ちに不幸な偶然が重なり合い、さらなる不幸を演出してしまった。

「ところでお前さん、失明のきっかけは思い出せんのか」
「はい……それだけが思い出せません……」

 そうか、たか子先生は頷き、一同に「お前たちは早く帰れ」と注意を促して病室を出た。





 翌朝。
 まだ空も明るくなりきらぬ時間、夕魅那は世話になった人たちに別れの挨拶をしていた。

「お別れ、といってもこう頻繁に会えなくなるだけで、中央区にいるんですけど」

 二週間無断欠席していた彼女は、今日から真面目に学校に通う事にしたのだ。欠席した理由については医者が都合をつけた。

「本当にお世話になりました」
「たまには顔だしな。原因は取り除かれたとはいえ、まだ精神は復調しちゃいないからね」

 患者の回復が嬉しいのか、珍しく女に優しい先生である。

「みなさんのお力添えなくして解決はありえませんでした。ありがとうございました。如月さんや裏密さん、御門さんにもよろしくお伝えください」

 出会ったころと比べて随分明るくなったが、行儀よさは崩れないようだ。

「相も変わらず堅いねぇ」「お前も少しは見習え」「まったくだよ」「お前が言うか、この美少年!」



「マリィ、あなたがいなければ私の心は壊れてしまったと思います。改めて礼を言わせて、ありがとう」
「マリィも病院にくるから、また会おうネ」



 そして……夕魅那は緋勇と葵に向き直った。

「緋勇さん、あなたと出会ってなければ、今の私はありません。見ず知らずの者に親切にしていただいたこと……決して忘れません」

 なんとなくではあるが、彼が見ず知らずの私を懸命に助けてくれた理由はわかる。もちろん、彼がそういう人であることが一番の理由だと思う。でももうひとつ。
 私の<力>の源は瞳。そして、彼と深い縁を持つ美里さん……彼女の<力>も瞳に関わるものだと聞いた。私と美里さんは似ているのだ、<力>の波動が。聞けば誰も使えなかった私の懐剣を、美里さんは鞘から抜く事はできたらしい。おそらく追い詰められた私を美里さんになぞらえて見てしまったのだと、そう思う。

「美里さん、緋勇さんの歩む道は大変なものだと思います。……どうか二人で乗り切ってください」

 頬を染める美里さん。でも否定はしなかった。よかった、きっと私にはできないことだから。

「でも、私の<力>が必要だったらいつでも呼んでください。少しでも恩返ししたいですし……みなさんにも会いたいですから」



「それではみなさん……お元気で」

 何度も振り返り、倉条夕魅那の姿は雑踏に消える。その背中に暗い影はなかった。





 昨夜。
 夕魅那の診察後、解散を言い渡した院長のもとにその二人は顔を出した。

「なんじゃ、おぬしら」

 緋勇と葵、二人を見たときなんとなくやって来た理由はわかった。

「たか子先生……俺たちは本当の事を知っておきたいんです」
「……何のことだい」
「倉条さんが万一知ってしまったときに備えて」

 ジロリと二人を睨む。まったくこの二人の眼力は……隠し事もできやしない。

「……どこに嘘があるってんだい?」
「彼女の事故のあたりから、です」

 事故にあい失明、偶然娘に適合するホムンクルスが既に用意されていた……偶然にすぎる。そして懐剣。始めから彼女に使わせる事を前提にして作られているあれは、彼女が魔力を持っていることを前提に作られている。つまり彼女が<力>を得る事が予定調和になっていることを意味していないか、そう考えた。

「……当りだよ、そこだけがわしの創作さ」

 わかったからには教えるさ、知り得た事から導き出されたことを。そして万一の時は、もう一度あの娘を救っとくれ……。

「娘の懐剣……あれの作成には古代中国の呪法が使われておる。ある鍛冶屋が妻の髪を火の神に捧げて刀を鍛えたという話がある。それを真似たんじゃろう、文時という外道はね」
「つまり、それは……」

 葵の声は震えていた。あまりに酷い……。

「そう……事故で失明したなんて真っ赤な嘘、その外道はよりにもよって娘の両目を神に捧げたんだろう、呪法のために」
「なぜ、そんなことを……?」葵を支える緋勇。
「順が逆だ。その外道はいらなくなった眼球を使って、ついでに剣をつくったんだよ」
「いらなくなった……?」
「ああ、外道の真の目的は、ホムンクルスの目を娘に移植して魔力を得られるかを確かめることだった……そうとしか思えん」

 <力>のない文時は錬金術を学んだ。それを<力>を得る手段ではなく、ステップにした。<力>を持つものを造り出し、取り込む事を考えた……。

「<力>持つホムンクルスを造り、まず娘で試した。巧くいったので次に自分のためのホムンクルスを造る……その準備をしていたところで死んだんだよ」

 ホントのことは言えんわな……吐き捨てるように呟く。

「あとひとつ、外道の死因だが」
「確か山道で猿を轢いて事故を起こしたとか」
「御門家筋から聞いたがその猿らしい生き物の死体は体毛がなく、まるで赤子のようだったらしいよ。そして」すっと指で示す。
「両目がなかったらしい」
「ケイト・ウェザードの復讐……」

「あの娘は無意識で事実に気付いておるフシがある。だから両目を失う前後だけ記憶が怪しい」

 助けてやっとくれ……そう聞こえた。





 葵が祈っていた。葵とは違う、辛いものを知らずに背負った<瞳>の持ち主に加護があるように、と。








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