東京魔人学園 蒼眸行 <その弐>








 翌日。
 あの会合の後、

「患者に負担をかけるんじゃないよ」

 という意見に追い立てられ、緋勇達は詳しい話を事件の渦中にいる少女・倉条夕魅那(そうじょう・ゆみな)から聞く事はできなかった。それで今日改めて放課後に桜ヶ丘病院を訪れることにした真神五人組である。なお、放課後の校門前には四人しかいない。

「そういえば醍醐、アン子には例の調査頼んでおいたのか?」
「ああ」
「アン子、スキップしながら取材にいったよね」
「アン子ちゃん大丈夫かしら」

 例の件というのは、最近赤子の誘拐及び失踪事件等がなかったかというものである。<瓶詰めの赤子>は夕魅那から何も聞いていない状態での数少ない手掛かりである。記者志望の情報通・遠野杏子に調査を依頼したのだが、猟奇的な内容ゆえに葵などは心配した。

「おまたせ」

 校門で待っていた四人に最後のひとり・緋勇龍麻が合流した。

「ひーちゃん、遅かったじゃねえか」
「うん。どこ行ってたの?」

「霊研」裏密ミサのアカシックスペース。

 そのひと言で男ふたりは一歩退いた。

「一緒に行きたかったか?」

 沈黙。

「龍麻、ミサちゃんに何を聞きに行ったの?」女性陣は平然としている。

「いや、珍しく留守だったんで無駄足だったんだ」

 手掛かりの少ない事件は霊研を尋ねるべし。過去の経験から学べばそうなる。だが残念な事に珍しく霊研に魔女はいなかった。またマンドラゴラやナイトシェードでも採取にいったのだろうか。「明日また訪ねてみるよ」と話をまとめ、歩き出す。





 桜ヶ丘病院には既に高見沢舞子と、もうひとり彼らの仲間が来院していた。

「わ〜い、ダーリンだあ〜」
「ハーイ、葵オネエチャンタチ」
「やあマリィ、元気そうでなによりだ」
「ウン! オニイチャンも元気ソウ」
「ありがとう」

 定期的な通院をしているマリィである。高見沢は看護学校の帰りにマリィを迎えに行くのが常になっていた。

「高見沢、早速で悪いんだけど、彼女に面会できるかたか子先生に聞いてきてくれないか?」
「は〜い、わかりました〜」

 パタパタと駆けていく高見沢。それを見送ってマリィは尋ねた。

「葵オネエチャン、誰か知り合いがいるノ?」
「ええ。昨日知り合ったの」
「あとで話してあげるから、マリィは先にたか子先生の所にいっておいで」
「ウン! あとでネ」

 バーイ、と元気良くマリィも病院の奥に消えていった。
 しばらくして、高見沢が後ろに大きな影を背負って戻ってきた。岩山たか子その人である。

「ひひっ、ひひひひっ、よくきたね」
「こんにちはたか子先生。早速ですが……」

 面会の許可をもらうだけなのになぜ先生が出てきたのか、不思議ではあったが気にせず切り出した。しかし先生には理由があったらしく、遮られた。

「まあ待ちな。別におぬしらの顔を見るだけのために出てきたのではないからな」
「はあ」

 怪しいもんだぜ、といったのは京一だろう。ロビーに集まる一同。

「まず言っとく事がある。あの患者、倉条夕魅那には今年の春以前の記憶がないそうだ」

 突然のことに全員が顔を見合わす。

「記憶喪失、ですか」
「理由もはっきりわからん。その記憶もないそうだからな」

 たか子先生は彼らと違い、医者としての質問をしたそうだ。神経や精神を侵しているものを取り除く為に。そしていくつかのことがわかったそうだ。

「患者は父親を二カ月前に亡くしている。母親はもっと前に亡くなったそうだ」





 夕魅那が最初に思い出すのは白い光景。目を開けているのに何も見えないような。それが最初の記憶。

「目の治療をしていたそうです」

 何でも彼女は大事故に遭遇し、失明寸前だったらしい。どの医者も匙を投げたため、彼女の父親が独自に治療したという。

「親父さんは医者だったのかい」
「資格は持っていたみたいですが、本業は……よくわかりません」

 何かの研究者だったような、そんな感じの人だったという。

「目の治療をしている間に昔の事を聞きました。父の事、母の事、私がどんな子だったかなんて事を」

 父は生粋の日本人だったが、母の祖母は北欧人だったらしい。母はその血を受け継ぎ、大層綺麗な人だったとか。
 父の話に符合する情景を思い出したりすることもあったので徐々に記憶も戻るだろう、そう思えました。

「そして包帯がはずされました」

 母がクウォーターなのは聞いていましたから、鏡に映った自分を見て、瞳の色が蒼くても別に驚きませんでした。
 光を取り戻した私が最初に見たのは山積みされた段ボールの箱でした。私が中学を卒業したのと同時に上京したのだそうで、私は記憶の有無とは関係なく周りに知人がおらず、また私を知る人と語らう機会も持てませんでした。
 高校に通い出してからはそんな事は考えなくなっていきました。新しい友達を作ればいい、そう思いましたから。

「ただ、中学までの友人から何の連絡もなかったのは寂しかったですね」

 以前の私は友達などいなかったのだろうか、と少し悩んだりしました。
 東京での新生活はうまくいき始めました。でもそれは今思えば私だけの事で、父は何だか様子がおかしかったのです。

「連絡はあるのですが、今何処にいるのかなどは教えてくれませんでした」

 それでも週に一度は家に顔を出してくれました。
 そしてあの日。父は亡くなりました。埼玉との県境にある、人里離れた山道で。

「自動車事故だったそうです」

 現場は確認しなかったが、唯一の親類として確認した遺体は間違いなく父だった。

「警察の見解では、道路に飛び出した猿かなにかが事故の原因ではないか、ということでした」





 父の葬儀が終わってからです。いろんな事が私の周りで起こり始めました。まず、父の持っていた別荘が荒らされました。次に私も知らなかった父の職場が……どこかのラボだそうですが……同じように被害を受けたそうです。怖かったですが、自宅付近は人も多かったのである程度安心もしていました。生活費も両親の遺産で充分でしたし……。
 父の死から一週間くらい後でした。遺品の整理をしていた時、父のデスクにあるコンピュータにメッセージが表示されました。仕掛けは時限式になっていたようで、メールを受けても開けないようになっていました。内容はただひと言「椅子の下」
 デスクの椅子の下の床は少しへこんでいて、細長いものが差し込まれていました。

「それがこの懐剣です」

 彼女の瞳を模した、蒼氷の柄と鞘。手になじんだそれを、たいして考えずに抜いてみました。

「そして周囲が変わりました。いろんな意味で」

 刹那の光輝。不思議に目を刺激しないそれが消えた後は、様々な情報の洪水が私の意識に飛び込んでいました。
 私を中心とした半径四メートル程度の球状の知覚。あらゆる角度から認識できる全ての事柄が瞬時に理解させられました。超感覚・<知覚球域>は意識を高める事でその半径を広げる事が可能で、懐剣の示唆するままに機能を確認していた私はあるものの存在にに気付きました。

「家の至る所に盗聴器があったんです」

 本当なら怖いはずです。でもあの時の私はあらゆる事象を冷静に受け取る事を強いられていました。
 この懐剣は普通の代物ではあり得ない。そして配置の位置・数ともにプライバシーを覗くだけにしてはあまりに大袈裟な盗聴器。そして父の行動と死、その後の騒動。これらを関連付ける鍵はやはり懐剣。
 結論を踏まえた上でひとつ失策がある。私はこの懐剣を見つける経過、音に対する警戒は一切していなかった。つまり……。
 いまや家屋以上に広がっていた<知覚球域>に反応があった。総数3、判別不明の接近物体。大きさは私の倍以上。
 迎え撃つには行動制限を受けない庭が最適だろう、私は庭に出て、あの異形たちを目の当たりにしました。

「正体についてはわかりません。懐剣の情報も異形については沈黙しますし」

 異形と相対したとき、反射及び運動神経・各身体機能の性能向上が意識され、また<凍える心の力>の使い方ももたらされました。
 異形の結界内で私たちは対峙し、私は三体の異形と結界の維持をする<瓶の赤子>を始末しました。<冷静な私>は不快ではあったものの、赤子を始末する事も躊躇せずに行いました。結界は消え、何事もなかったような庭の景観が残されました。害意を持つモノの存在が確認されなくなったので、身体を休めるべきだと判断した私は剣を収めました。そして「激しく動揺しました」
 盗聴器、父の死、見張り、異形、手にかけたモノ……。剣を手にした後のキーワード、非日常の出来事が私の心を苛みました。誰かに操られたわけでもない。知らなかったとはいえ私は<力>を得て、自らの意志で行動したのだ。ただ判断材料に感情的要素が抜け落ちただけで、判断自身はあくまで私が下したことを否定できなかった。

「懊悩に取り憑かれた私を異形が再び襲ってきたのは二週間ほど前……一度目から一カ月くらい後のことだと思います」

 あれから私は剣を抜く事はありませんでした。プライバシーのない生活は辛かったですけど、赤子を手にかけるよりはまだ耐えれる範疇でしたから。一カ月の間に剣が盗まれる事もなかったんです。

「あれが盗まれて全てが終わってくれればそれに越した事はない、そう思って父の書斎の机に置いておいたんですけどね」

 騒ぎのない日々が続き、あの出来事は一連の不審事とは無関係だったのかも、そういう希望的観測をしたこともありました。

「現実逃避ですよね」

 私の願いも虚しく、その日がやってきました。その日の夜、家の中に霧が立ち込めました。そう、結界のあれです。私は書斎に駆け込みました。剣を放り出せばもうこんなことは終わる、そう思ったんです。
 庭に出ようと思い、懐剣を手にして気付きました。剣を抜いていないのに<知覚球域>が展開し、肉体の各機能も向上していることに。剣曰く、前回の接触で同調の効率が良くなったからだとか。幸い<冷静な私>は沈黙していたので害はないと考えてそのまま庭に降りました。その時点で私を囲む蜘蛛は六体、さらに遠くに三体の存在を確認できました。
 どれが司令塔(剣曰く)か判らない、そもそも言葉が通じるのかすら判らない相手ですが恐怖より解放を願う心が勝り、私は懐剣を差し出しながら異形の一体に語りかけました。

「この剣が欲しいのなら持っていって、と」

 でも異形の動きは変わりません。警戒しながら威嚇する蜘蛛達に私は激昂し、

「早く受け取ってよ!」

 そう叫んでいました。それが引き金となったと思います、蜘蛛が群れをなして襲ってきました。剣には目もくれず、私に向かって。もうそのあとは断片的にしか覚えていません。迫る蜘蛛の前脚、弾かれる懐剣の鞘、閃光、氷雨……。気がつけば手にした剣と臭気、そして瓶の破片。<力>が行使されたのは明らかです。<冷静な私>は例え私が自失状態でも自己防衛機能が働くことに満足していました。
 剣を収めた私を悔恨や罪悪感が再びやってきましたが、一番心を侵したのはどうすればこの環境から逃れられるかわからないという閉塞感を伴った恐怖でした。 私は逃げました。あてもなく、ビジネスホテルを転々として(受験シーズンなので学生ひとりでも怪しまれない。年齢を詐称すれば)。そして二週間後、緋勇さんと出会いました。

「これが私の知ってる全てです」





 彼らは何も言えなかった。たか子先生の言う「彼女の精神と神経を苛むモノ」即ち、事故による記憶の阻害・肉親の喪失・侵されるプライバシー・異形。

「よくも正気でいられたもんだよ」

 先生が女性をほめる事は極めて珍しい。
 それはともかく。

「解決の糸口はやはり彼女の家にあると思う」
「……そうね、わたしもそう思うわ」

 結局彼らは夕魅那を慰める術は持たなかった。いや、言葉でなく環境を改善する行動を優先した、というべきだろう。

「うむ。盗聴と異形の襲来は同じ線の上に乗っていそうだしな」
「あとはアン子のヤツと……」
「ミサちゃん、だよね?」
「……」
「あとは如月かな」

 如月とは彼らの仲間である忍者の末裔のことだ。

「龍麻、如月に何を……」
「懐剣だよ」
「あっ」

 如月は骨董屋を営んでいる。

「どうもわからないことがあるんだ」
「なに、龍麻?」
「彼女の<力>なんだが……」

 龍脈の影響で大勢の<人ならざる力を持つ者>が目覚めた。緋勇たちも含めて、目覚めた<力>はその瞬間から使い方を知っていた(より巧く使うためには経験が必要だったが)。そして何より、その<力>を発動させるのに触媒のようなものはいらなかった。緋勇たちの道具はより効率よく<力>を使うためのものである。夕魅那のように<それがなければ力が使えない>わけではない。

「彼女の<力>は彼女自身のものか、その懐剣によるものか、これも割と重要だと思うしね」

 蜘蛛は剣に関心を示さなかった。これは剣が捜し物ではないことではないか。しかし剣は彼女の父親によって隠されていた。彼女の持つ<力>が目的なら家捜しの理由がわからない。そして彼女の<力>と剣は密接な繋がりがあるはずだ。何せ、剣がないと<力>が使えないのだから。いや、そもそも剣こそが<力>の源の可能性すらある……このように彼女と剣の関係には謎が多い。

「ただ、蜘蛛が剣には関心を示さなかったのが不可解なんだ……」





 如月に電話してくる、そう言って緋勇が席を外す。

「何か……すごいですね、緋勇さん」

 己の話を終えた後、終始無言だった夕魅那が感嘆の声をあげる。

「ああ。奴の鍛えられた洞察力は何も目で見たものだけに働くわけではないらしい」
「ひーちゃんもあれを学業に生かしゃいいのにな」
「あら、京一君、龍麻は成績もいいわよ」
「なんだとぉ」
「確か学年十位より下がったことはないはずですもの」

 学年一位指定席の葵がいうのだからそうなのだろう。

「きょーいち、自分の事をひーちゃんと言い換えちゃダメだぞ」

 ひと悶着。
「そういえばみなさんはどういう経緯でその……<力>に目醒めたんですか?」

 漫才のあと、今まで聞き損なっていた事を伺う。自分の事を話したためか、なんとなく気になっていたのだ。夕魅那の問いに彼らはこの春旧校舎で起こった事と龍脈についてざっと説明した。話の切りのいいところで緋勇が戻ってきた。電話にしては遅いように思える。

「ひーちゃん、遅かっ……」
「やぁ、待たせたね」
「如月!」

 病室に入ってきたのは緋勇ではなく、白皙の青年だった。

「来るのを待ってたんだ」

 如月が来ないと話が進まないからね、と緋勇は夕魅那の紹介と事のあらましを彼に告げた。

「では倉条さん、件の懐剣を見せてもらえるかな」
「はい……これです」

 ベッドの中でもぞもぞして、夕魅那は懐剣を出した。おそらくはこの環境でもいつも通り懐剣は腿にくくり付けてあったのだろう。

(桜ヶ丘の平穏な環境下でも彼女の心は安らいではいない……)

 やりきれない思いを緋勇は抱き、事件の早期解決の決意を新たにした。その視線の先で葵が頷く。彼女もまた、夕魅那の心を察したのだろう。

「さて拝見……」

 骨董屋の顔をした如月が懐剣を抜こうとし……抜けなかった。

「鞘から抜けない……?」
「そんなはずは……」

 夕魅那は困惑する如月から剣を受け取り、何の問題もなく抜剣する。黄昏を蒼い光輝が覆う。

「……」

 既に目撃した事のある緋勇と彼女をよく知らない如月以外は夕魅那の変貌に驚きを隠せなかった。気のやさしい娘然した彼女が一切の感情を失ったかのような冷たい面差しで周りを睥睨し、再び如月に向き直る。

「よく調べてください。私にもこの剣の由来は全く判りませんから」
「ああ、もちろんだ」

 改めて剣を受け取り……。

「これは僕の範疇外の代物だね」

 一瞥して結論を出した。

「どういうことだ、如月?」
「この剣は新しい、おそらく作られて二年もしないと思うね。そして造りそのものが荒い。素人じゃないんだろうけど、どちらかといえば西洋の剣を強引に仕立てたような印象を持っている」

 近年の出来で魔力付与された代物……これは僕というより裏密さんの領域だろう、そういって如月は辞去した。

「……やはり裏密は避けて通れないのか……」「……やっぱり裏密は避けて通れねぇのか……」

 何だか印象深いつぶやきの二重唱だった。





 翌日。
 放課後、五人組は霊研に向かった。もちろん希代の魔女・裏密ミサの知識を拝借するためだが、今回は口頭での情報収集だけではなく彼女を桜ヶ丘病院に連れていくという目的もあった。夕魅那から懐剣を借りることは彼女自身も難色を示したし、第一剣を扱えない(何故か葵は剣を抜く事ができたが<力>は発動しなかった)。彼女を連れ出すのはいろんな意味で難しいので結局こうなったのだ。
 ちなみにアン子の方は空振りに終わった。話題に上がった事もないようで、病院が秘匿しているのかについては引き続き調査中とのことだった。

「うふふふ〜、オカルト研へようこそ〜」

 突然の来訪にも彼女は慌てる事はない。牛乳瓶の底の如き眼鏡に遮られた目は如何なる感情も垣間見せない。

「みんなの聞きたい事もわかってるわ〜」
「話が早くて助かる」
「おっ、おい、ひーちゃん」
「どうした京一?」
「どうした? じゃねえ! なんでそんな平然としてられるんだよ!」と小声で怒鳴る。案外京一も器用なようだ。
「京一」
「お、おう」

 いつになく真剣な緋勇に気押される。

「習うより慣れろ、だ」
「はぁ???」

 な、なんだよ、つまり理由はないけどなんとなく慣れたってことかひーちゃんよ。そりゃねぇよこんなのにどーやって慣れろってんだ、大体オレは……。

「うふふふ〜、今日はオーソドックスにタロットを使ってみたわ〜」

 いつのまにか京一は忘我の彼方に取り残されていた。

「あのねミサちゃん……」
「わかってるわ〜、でも占いは場所を選ぶのよ〜」

 どうやら連れ出すのもお見通しらしい。

「起こりは魔術師のカード……炎は南を司る〜」新宿から見て中央区は南、そして彼女の父は研究者だったと聞く。
「過去は太陽の逆位置カード……力による災い〜」<力>? 彼女の<力>は氷のはず。何故太陽なのだろうか。
「現在は力のカード……<力>は<力>と引き合う定め〜」これはそのままだ。
「近い未来〜」裏密の動きが止まった。
「月のカード……月は魔力と不吉の象徴〜」あまりよくないわ〜、裏密の不吉な感想が入る。
「そして遠い未来〜」最後のカードに手がかかる……。
 ゴオッ! 一陣の風が卓上のタロットを吹き飛ばす。一同の視線が後ろ……霊研のドアに向けられ、そこに京一を見いだした。
「きょーいち、何してんの」
「いや、その、なんだ」

 問うまでもない。逃げようとしていたのは明らかだ。

「きょ〜いちく〜ん」
「な、なんだ裏密」

 彼女は怒っていない、しかしいつも以上に何かを背負っていたような気がした。

「ヒターナに気をつけたほうがいいよ〜」
「な、なんだ、そのひたあなってのは」
「タロットはヒターナの占い〜、占いは中断させたものを呪う性質があるの〜」
「ああ、知ってる知ってる。タロットカードは粗末に扱わないように、って注意書きがあるんだった」
「ひーちゃん! なんでそんなこと知ってんだ!」
「ちなみにヒターナはジプシーのことだ」
「んなこと聞いてねえ!」



 場が落ちついた後、一同は桜ヶ丘病院に向かった。その道行。

「さっきの占いなんだけど〜」裏密が緋勇に注釈を付けていた。
「最後のカードは星のカードだったと思うわ〜。でも、正位置か逆位置かはわかんない〜」

 幸福か不幸か、それは問題だ、な。





「倉条夕魅那です」
「裏密ミサちゃんよ〜」

 挨拶もそこそこに裏密は鑑定を行った。既に抜剣されたそれを見て、嬉しそうに声を上げる。

「うふふふふふ〜、よく出来てるわ〜、ミサちゃん以外にこんなのを造る人がいるなんて〜、うふふふふ〜」
「お、おい、裏密、何かわかったのか!?」

 興味は京一にだけわいたのではない。証拠に誰も彼の軽挙を咎めなかった。

「これは〜、練金術の技術を応用したものね〜」
「錬金術!?」
「いろんなアレンジが混じってるけど〜、月の光気を集めて造る魔力の短剣に似てるわ〜」

 周りの驚きをよそに剣を眺める。

「ミサちゃん、錬金術ってあの鉄を金に変えるっていう魔術だよね……?」小蒔でもこれくらいは聞いた事がある。
「うふふふふ〜、錬金術は〜、魔術だけじゃないの〜」

 当時の確立されていない学問の類が混同し合ったもの、というべきだろう。だから薬学のみを修めた錬金術師、なんてのもいた。本人がそう名乗ったわけではないが、そう認識された。

「だけど〜、錬金術を極めようとした術師のテーマは〜、新たに造り出すことだったの〜」

 金を云々というのは強欲な貴族たちをスポンサーにするための方便だった。

「賢者の石ができれば〜、金くらい造れたと思うけど〜」

 錬金術師の最終目的は二つ、ひとつは完全な人工生命、もうひとつがあらゆるものを造ることができるという賢者の石の精製。そう言われている。

「ホムンクルスって、知ってるかしら〜」
「精髄を腐らせるっていう……?」
「夕魅那ちゃんすごい〜」
「ほむんくるすって、何?」
「ひと言でいうと小人です。錬金術で造り出す小人……」

 小人? 夕魅那の心に何かが引っかかった。

「作り方には諸説があるけど〜、本に書かれてるのは間違いだから試しちゃだめよ〜」
「試したことあるみたいな言い方じゃねえか」
「うふ、うふふふふふ〜」
「……」

 小人にも色々質があって、自由に動き回れるものから、羊水入りの瓶でしか生きられないものまで様々らしい。

「瓶……?」

 急速に組み上がる推測。ホムンクルス、魔力、結界の維持、そして瓶。<冷静な私>は無感動に結論付けた。

「そうか、<瓶の赤子>はホムンクルスか。だから魔力供給に使えるほどの魔力を持ってたんですね」

 夕魅那の発言に幾つかの驚く気配が生じる。緋勇、葵、裏密は同じ結論に辿り着いていたのかそれには呼応しなかった。

「うふふふ〜、そうね〜、精髄提供者が術師本人なら充分魔力を持った子が出来ると思うわ〜」
「間違いない。アン子の調査が空振りなのが逆にそれを裏付ける結果になるわけだし」

 さらわれた赤子の事実はない、当然だ。あれは真っ当な手段で造られた存在ではなかったのだから。

「剣とホムンクルス……私の父も錬金術を修めていた、というわけですね」

 この剣を造ったのは父だろう。そして今回の一件は錬金術師同士の諍い、そうではなかろうか。裏密の推測だが、蜘蛛の異形も一種のホムンクルスで、他の生物の形質を併せる事で互いを補っているのではないか、ということだった。

「そうすると〜、ミサちゃんの知らない錬金術師がいたってことよね〜」

 悔しいわ〜、全く悔しそうでない口調なのだが裏密はそう言い残して去った。調査の確約を残して。



「つまりなんだ、その<敵>は夕魅那ちゃんの親父さんの研究資料とかを狙ってた、そういうワケかよ」
「おそらくな」

 個人が欲するのならばともかく同業者ならば、秘術の賜物である剣よりも製造課程等が記された設計図、ひいては研究資料を手に入れたいだろう。
 <敵>の狙いはわかった。ならばそれを逆手に相手を誘き出せばいい。

「明日は土曜日だ、放課後夕魅那ちゃんの家に行ってみたいんだが」
「私はかまいませんけど……」
「たか子先生の許可が出れば問題なし、か」
「大丈夫だよひーちゃん、代わりに京一を置いておくって言えば」
「てめぇ! なんて事いいやがる!!」

 京一の心配をよそにたか子先生は。簡単に夕魅那の外出を許可した。

「患者の環境改善が一番だからのう、原因を取り除ければ言うことないわい」ということらしい。

 斯くして事態は確信に迫ったかに見えた。




 翌日。
 昼下がりの午後、六人の訪問者が久しぶりに倉条家の門をくぐった。うちひとりはこの家の住人である。

「立派なお屋敷だねー」
 小蒔は率直な感想を述べた。夕魅那の家はまさしく「お屋敷」なのだ。彼女が庭で異形共と立ち回りを演じたというのも頷ける。この広さがあれば充分可能に違いない。
「これは時間がかかりそうだ」と大男が肩をすくめた。

 調査(というか捜索というか)の経過はあまり芳しくなかった。だいたい<敵>の錬金術師が長らく見つけられないものを素人が簡単に捜し出せるはずもない。

「ひーちゃんよ、如月のヤツでも呼ぼうぜ。こーいうの得意そうじゃねえか」
「声はかけたんだけど留守だったんだよ」
「ちっ」
「かわりにミ……」「よしひーちゃん急いで探そうぜなあ醍醐」「そ、そうだな」

 何だか熱心になった。

 かわって女性陣。

「美里さん桜井さんすいません、こんなことまで手伝っていただいて」
「あら、いいのよ、そんなこと」
「そーだよ水臭いなあ」

 彼女らは台所にいた。捜索ではなく夕食の準備のために。

「今回の捜索は必ず何か見つけなきゃいけないわけじゃない。彼女が一件の裏に気づいた、そう思わせるのが主な目的だからね」

 HR前の時間のことである。

「<敵>をおびき寄せるモノを見つけるんじゃねえのか」
「見つかれば御の字だけど、相手はもっと前から探していて、それでも見つけてないんだ。望みは薄いよ」
「行動そのものが必要なのね」
「葵の言う通り、こちらの行動そのものが相手の行動を誘う呼び水なんだ」

 今夜は長丁場になると思う、緋勇はそう締めくくった。



「今日で終わればいいのにね」

 もし<敵>が罠に嵌まり、親玉なり部下なり会話の成り立つ輩が現れたならば大いなる進展である。親玉が乗り出せばそれこそ一戦で決着を付ける事も可能だ(負けは考えていない)。

「そうね」

 無限回廊。夕魅那の陥った状況は今夜破られるのだろうか。たか子先生が言っていた。「あと一押しでその娘の心は砕けるかもしれない」と。宿星に押しつぶされそうになった葵にはその苦しさが理解できる。守らなくてはいけない、何としても。倉条さんはかつてのわたしなのだから。

「そうですね」

 不思議な感じだ。この人たちといると不安を忘れる。どんなことでもなんとかなる、そう思う事が出来る。私を囲む環境がこの出会いを仕立てたのなら、この件に関しては感謝したい。



 夕食の出来は誰もが満足するものだった。女性陣三者三様の腕前はいずれも劣らず、お互いを引き立てるような絶妙さを見せた。

「なんでだ!」そう京一は絶叫したものだ。
「なんで男の作った料理がこんなに旨いんだ!!」
「誰が男だ!」
「小蒔、男がエプロンなんてすんなよ、気味わりィだろ」
「没収」
「てめぇ卑怯だぞ!」

 賑やかさの絶えない食事風景に複雑な表情を見せる夕魅那。

「倉条さん、どうかしました?」
 最初に気づいたのは緋勇だった。
「あ、いいえ、ただなんかいいなって」

 曖昧な返事である。彼女が覚えている範囲での食卓とは、自分しかいない無味簡素なものしかなかったから。

「これからもこんな機会はあるよ、きっと」
「はい!」

 全員が夕魅那を注視した。ごく刹那驚きの色を見せた一同の表情は、次の瞬間には微笑みに取ってかわった。

「な、なにか私しました?」
「いい笑顔だったと思ってね」
「……誰のです?」
「夕魅那ちゃんの」

 え、と彼女は口を押さえ、先程の返事の際に見せた表情に思い至ったようだ。顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「夕魅那ちゃんカワイイ〜」
「小蒔、惚れんなよ」
「ボクは女だっ」



 ひとり座を外した夕魅那は洗面所で己の顔を見ていた。蒼い瞳がこちらを見ている。

「可愛い……?」

 彼女自身、己の容姿が傑出したものであるという自覚はない。

「あの人も、そう思ってくれるでしょうか」
 ようやく気付く。私は、緋勇さんに、惹かれている。剣を抜いているとき、心は凍っている。剣を収めたとき、心は大きく揺れている。病院でいたとき、心は安らいでいた。先程のように平素で接した事がなかった。だから気づかなかった。

「どうしよう……」

 知る限り初めての恋に答えはなかった。





 日付が変わろうとする頃。一同は待っていた。<敵>が動く、そのことだけを。

「……」

 椅子に座したまま、夕魅那は目を瞑っていた。その手には抜き身の剣がある。既に心を凍らせた彼女に迷いはなく、<知覚球域>を広げ警戒を緩めない。
 やがて、蒼氷の瞳が開かれた。

「来ました」

 あくまで事実を淡々と告げる。思い思いに刻を待っていた彼らが夕魅那を向く。

「異形確認……総数三十以上……それと」緊張が走る。
「明らかに異質の存在を確認」
「よっしゃあ」

 メビウスからの解放を予感させる展開。戦場となる庭に移動を開始する。

「緋勇さんの思惑通り事が運んでいます」
「ここまでは、ね」
「これで終わりにしようね、夕魅那ちゃん」
「桜井の言うとおりだ」
「オレに任せておけって、夕魅那ちゃん」
「みんな、がんばりましょう」

 戦意は充実していた。



 霧が視界に舞う。庭園に結界が張られた証拠だ。四方から感じる殺意。

「先手必勝! いくぜ!!」

 京一の木刀・阿修羅が口火を切った。

「剣掌……旋!」

 真正面から来た異形の数体がなぎ倒された。そのままの勢いで彼は渦中に飛び込んだ。

「白虎変!」

 醍醐の肉体に西方の聖獣が宿る。白い獣は後方に向き直り、咆哮する。虎咆を受けた蜘蛛の四肢は砕け、骸を晒す。しかし数に優る異形の内一体が隙を付いて醍醐にその強靱な前脚を振るった。

「ふん!」

 金属同士が打ち合うような音がした。彼の左腕が蜘蛛の前脚を阻み、その前脚は……折れていた。吠える蜘蛛、その頭部を虎爪が引き裂いた。

「いくよっ!」

 間近に蜘蛛が迫りながらも、小蒔は慌てない。弓をつがえる様はあまりに早く、狙いは的確に過ぎた。

「火龍ッ!」

 火行の気を込めた矢が蜘蛛の一団を焼き払う。射撃武器とは思えない奮闘ぶりだ。それでもやはり限界はあり、蜘蛛の一体が彼女の死角から迫る。攻撃の手を振るう。だがそれは叶わなかった。不可視の壁が蜘蛛の打撃を全て受け流したのだ。いや、<力>持つものなら見えたかも知れない。友人を守った天使の盾が。

「葵、サンキュー」

 葵は主に仲間の援護を担った。数に劣る以上、どうしてもこちらの消耗が早い。それを補うのは極めて重要な役割と言える。

「わたしに力を」

 白光が満ちて仲間を癒す。その面差しはまさしく聖女に相応しい。

「ハアッ!」

 その一撃で陣形が乱れた。一角が総崩れになった以上その攻囲陣は無意味、いや、むしろまとめて倒される羽目になる。そして現実に起こった。

「螺旋掌!」

 気のうねりが交差し、異形の内を駆けめぐる。荒れ狂うそれは出口を失い、体内での解放を求める。破裂という形で。

「ギャ!」

 断末魔はごく短い。堅牢な鎧を纏った蜘蛛が内側から破壊される。それは連鎖し、辺りの異形を一掃した。
 そして夕魅那は。

「我が力 風雪となり 道を阻む者を なぎ払わん……!」

 気勢が乗っていた。恐れるものはなかった。<力>はより使いこなせた。

「氷気流斬!」

 凍える風一陣、瞬く間に駆け抜けた。彼女の通過した背後に残された死氷のオブジェ。触れる程度の切り口すら、対象から一切の熱を奪い取った結果だ。

「我が力 塵芥となり 道を阻む者を 縛りつけん……!」

 戦場を既に移動している彼女の次手は広範囲に望んだ。

「霜氷陣!」

 見た目に変化はない、しかし異形の動きから機敏さが失われる。体表面に付着している霜が蜘蛛を蝕んでいる……霜氷陣の効果は確実に成果を上げていた。
 異形の半数が倒された時点でも、夕魅那たちにはまだまだ余裕があった。もはや数の有利などない、異形の敗北は決まったかに見えた。



「引け」

 聞き慣れない声が谺した。いや、それほど大きな声ではなかった。それでも喧騒やみならぬ戦場に響いた。普通ではあり得ない。また、戦場でも変化が生じる。汐が引くかの如く、異形達が退いた。その従順な態度から想像できることがひとつ。

「親玉のご登場ってわけだな」

 背後に先程下がった異形の群れが控えさせ、やがて現れる男。薄暗かった結界の中に充分な光量が現れ、男を隠す要素は消えた。

「どなたかは存じませんが邪魔は止めていただきたい」

 丁寧さの裏に尊大さが透けて見える。流暢な日本語を操るが、明らかに白人である。金髪碧眼、その長身ゆえか、それとも態度からか、見下す怜悧の目。黒衣を纏った、おそらくは錬金術師。

「てめえこそ何モンだ!」

 阿修羅をかざし、京一が吠える。

「これはこれは申し遅れました。わたくしはオーギュスト・バウアー、ギュスとお呼びください」
「オレは……」
「ああ結構。どうせ短い付き合いなのです。覚えるだけ無駄でしょう」
「それはこっちのセリフだ!」
「挑発に乗るな、京一」

 小馬鹿にした態度を崩さずに問いを行う。

「先程の問いに答えていただきたい。何故我が崇高なる探究と目的を阻むのかね、小国の猿たち」
「あなたの利益が大勢に不利益をもたらしそう、というのがまあ表立った理由かな」
「フム、視野の狭い輩のいうことは変わらないですね」

 視線を転じかけて、彼の視界に夕魅那が入った。

「おや、こんな所にいたのですか。最近見かけなかったんですが、壊れてないようですね」
「壊れかけたけれど」

 冷静である。

「全く……文時氏はどうやら研究成果の資料はすべてをあの世に持っていってしまったようですな……」

 嘆かわしい、そう言わんばかりの態度。文時は夕魅那の父の名である。

「ひとつ聞く。父の死にお前は関わりあるのですか」夕魅那の問いに怪訝そうな顔を見せるオーギュスト。
「忠実ですね……いいえ、残念ながら直接の関係はありません。文時氏の身辺を探っていたのは事実ですが」

 むしろ死なれて困っているのだ。彼の作った現物は残っている。しかし現物そのものを研究するのと、経過のすべてを記したものなり本人に協力させるなりでは大幅に手間が変わる。本人を確保できれば記憶を取り出すなりロボトミー化するなりいくらでも手を打てた。しかし彼はよりにもよって事故死してしまった。彼の研究を記したものを探したが何もそれらしいものは見つからない。

「これで答えになるかね……しかしよくぞ壊れないでいてくれた」

 もはや現物の入手で我慢するしかないようですな、酷薄な笑みを見せる。

「あなたが何者で、何を目指しているかは知りません。でもあなたの野望はここまで。あなたの欲するこの剣で終わらせましょう」

 夕魅那の心は揺るがない。



 しかし……。



「……ああ、ついでにその剣も頂きましょう。解析できれば持たせる事も出来るでしょうし」
「……ついで?」

 意外な言葉。

「ええ。わたくしの狙いは言うまでもなくあなたですからね」
「な……」

 心の氷がぐらつく。不可解な態度に対応できない。
 何か思いついたようにオーギュストが言う。

「なるほど……そこまでの完成度ですか……たいした技術だ」

 一息ついて、彼は言い切った。

「あなたは知らないのですね、自分がホムンクルスであることを」









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