其処は小さな部屋だった。
錆びた鉄の扉以外には窓も無い、灰色の狭い牢獄。
半ば切れかかった蛍光灯が、点滅しながら淡い光で中を照らしている。
「ぅ…ぅあぁぁ…うぅ…」
部屋の中に呻き声が響き渡る。少年の声。
果たして部屋の中心には、1人の少年が座っていた。
いや、座らされていた。
椅子に縛り付けられる形で。
部屋の中には人影がもう2つ。1つは引き締まった筋肉が特徴的な若い男。もっとも、外見通りの年齢では無いのだが。
そしてもう1つは、男に寄り添う様に立っている少女。こちらは逆に、実際よりかなり大人びた妖艶な笑みを浮かべている。色素を持たないことを表す白い髪と肌が、そしてそこだけ鮮やかな色彩を持つ紅の瞳が、その美貌を引き立てていた。
「…さあ、お前が何をしたいか言ってみろ」
男――緋勇弦麻が少年に向かって問い掛けた。
「…うああぁぁ…うぉぉ…ぅあうぅ…」
再び少年が声を上げる。何かに耐えるような苦悶の呻き。
「お前の為したい事を口にするが良い」
もう一度弦麻が問う。
「…ぐ…ぎぃ…ぁがぁぁ……し……たい…ぃぁぁ…」
何事かを呟く。
「何だ?もう一度言ってみろ」
「……殺……した……い……」
今度ははっきりと意味を持った言葉が吐き出された。
弦麻の顔が面白そうに目を細める。
「ほう。誰を殺したいのだ?」
「…………う…………ま……」
「もう一度」
「……ひ…ゆう…た…つ…ま…」
「もっとはっきりと!」
「俺は緋勇龍麻を殺す!殺すッ!殺すッ!!殺すぅッ!!!」
弦麻がようやく満足そうな笑みを浮かべた。
「ならば、お前のしたい様にするが良い――――よ。お前に『外法』の力を教えてやろう」
その日、龍麻・小蒔・京一・醍醐・劉の5人は、新宿区内のとある喫茶店へ来ていた。
「…れ?ふぉれはらろーふんら?」
真っ先にコーラを飲み干して、残った氷を口にほお張る京一が龍麻に訊いた。それを見て小蒔がちょっと嫌な顔をする。
「うん、それなんだけど、やっぱり龍山先生や道心先生に相談するしかないと思うんだ」
それを聞いて、京一が龍麻を鋭く睨む。
「おい、ひーひゃん。お前あんなこほ言わへへ、まがあのぎぎいどおはよいにひてんのかよ」
「もう、みっともないから口に物入れたまま喋るの止めなよ、京一ッ!」
堪り兼ねて小蒔が口にする。
「うるへえぞ、小蒔ッ!――あ…」
怒鳴ったはずみで口から飛び出した氷が、小蒔の服に飛ぶ。
「わッ!汚いッ!この――!」
「お前等、いい加減にしないか!」
「アンタ等、ホンマに変わらんなぁ」
醍醐と劉が呆れた声を出す。それを聞いて京一と小蒔はきまり悪そうにそっぽを向いた。と、京一が不意に真顔に戻って龍麻に言った。
「それよりさっきの話だけどよ、あんなジジイども放っておいた方がいいんじゃねぇか?どうせ奴等にゃお前が『黄龍の器』である事以外興味ねぇようだし。でなきゃあんな言い方は出来ねぇと思うぜ」
「…ウン、ボクもそう思う。正直言って、おじいちゃんがあんな酷い事言うなんて思ってもみなかった。あれは、酷すぎると思う…」
京一の言葉に、さっきまで喧嘩していたはずの小蒔が同意する。しかし、龍麻は彼等に向かって微笑みながら言った。
「ありがとう。でも、きっとアレは本心じゃない。アレは僕が、僕の心が弱いから焚き付けるためにわざとあんな言い方をしたんだと思う。あの時は気が動転してしまっていて気付かなかったけど、きっとアレが道心先生の優しさだったんだと、そう思うよ」
「ま、そう言われてみれば、確かにじいちゃんはひねくれとるからなぁ。まったく、素直じゃない年寄りは扱い難いで」
劉が頭を掻きながら龍麻の言葉に頷く。
「どちらにしろ、この先龍麻の親父さんと闘う事に為るんだからな。昔仲間として共に闘って来た先生達の助言を得る事は、敵を知る上で重要なことだと思うぞ」
「…そっか…、そうだよねッ!おじいちゃん達、1年前の闘いではあんなにボク達の事考えてくれていたんだもんね。今度もまた、きっと力になってくれるよねッ。ひーちゃん、キミの力にさッ」
「まったく…。お前等ジジイの事を良く考え過ぎだぜ。あんなのはただのひねた酔っ払いのクソジジイだと思うけどな」
「京一ッ!」
「ぐはぁぁぁッ!」
京一の入れた茶々に、小蒔が拳で答える。
それを見て、醍醐がため息をつきながら龍麻に訊いた。
「ところで、美里は如何するんだ?この先の事を考えたら、彼女の治癒能力は欠かせない物の様に思えるんだが…」
「醍醐クン、その事なんだけど実は――」
小蒔が以前桜ヶ丘での話を聞かせた。
「――なるほど、な…。しかしそれではまた、俺に対する態度と同じではないのか?ましてや美里は『菩薩眼』の宿星を持ち、お前を護ろうとする気持ちは人一倍強い。マリィも俺と同じ『四神』の宿星を背負っている上に、お前の事を実の兄の様に慕っている。お前が彼女達を闘いに巻き込みたくないと言う理由は分かるが、それはやはりお前のエゴだと思うぞ」
「醍醐クン、そんな言い方…」
「いや、いいんだ小蒔。確かに醍醐の言う通りだと思う。けれど、それでも葵を今回の闘いに加わらせては――いや、彼女に逢わせてはいけない気がするんだ」
「彼女?もしかしてあの時の――」
「綺堂朱羅ちゃんか!?」
突然、京一が会話に割り込む。
「全く、お前は女の話となると…」
(しかし、きどう、か…。まさかな――)
不意に浮かんだ疑問を心の底に押し込める醍醐。
「そう言えばひーちゃん、彼女を見た時少し様子が変だったよね。あの時は何でもないなんて言ってたけど、本当は何か感じたんでしょ?」
小蒔が訊く。その言葉には、僅かに怒りが感じられた。
「…ごめん。実は彼女を見た時、初めて葵にあった時のような感じがした。魂が惹き付けられるような不思議な懐かしさが…。」
「…葵と…?」
小蒔の呟きに頷きながら、龍麻が続ける。
「ただ…葵の持つ暖かさとは違う、底知れない冷たさも同時に感じたんだ。同質でありながら、相容れない何か。だから、よくは分からないけど彼女は葵と逢わせてはいけないと思った」
暫し沈黙が流れる。
「…まあ、龍麻がそう言うのならそうするべきなのかも知れんな」
「…ウン、そうだね…」
「…小蒔?」
「あ…ウウン、何でもないよッ。あ、ボクちょっと用事思い出したから、先帰るねッ!」
そう言って小蒔は慌しく店を出てしまった。
「…ひーちゃん」
少しして、呆然としている龍麻に、京一が目配せする。
「あ…、ゴ、ゴメンみんな。すぐ戻るからッ」
龍麻が慌てて後に続く。
「…全く…。あいつ等のは月9のドラマ以上にまだるっこしいんだからなぁ」
「アハハ、そら言えてるわ」
「ハハハ、まあ、それがあいつ等の良い所でもあるしな」
ため息混じりに呟く京一に、劉と醍醐が笑いながら同意した。
やがて京一もつられて笑い出した。
「へへへッ…」
「アハハハハ…」
「ハハハッ!」
男3人で大笑いしている姿を、ウエイトレスがちょっぴり気味悪そうに見ながら通りすぎていた。
「小蒔ッ!」
龍麻は程無く小蒔に追いついた。
「…ひーちゃん…。来て…くれたんだ…」
「どうしたんだ?さっきの話気にしているのか?そりゃあ、ああ言う風に感じた事、黙っていたのは悪かったけど…」
「ウウン、そんなんじゃないよ。ただ…羨ましかっただけだから」
「羨ましいって?」
「ひーちゃん、その場にいない葵の事、解っちゃうんだもん。だから、ひーちゃんの事もボクなんかより、葵の方がずっと良く理解しているんじゃないかなァって。そう考えたらちょっぴり羨ましかっただけ。…ゴメンね、変なこと言って」
「…確かに、葵の方が僕の事解っているかなぁ」
「え?」
龍麻の言葉に、小蒔がハッと顔を上げる。しかし、すぐに寂しそうに俯いて呟いた。
「…そっか…。そう…だよね…」
しかし、そんな小蒔の肩を、龍麻がグッと抱き寄せて言った。
「だって、葵は僕が誰より小蒔を大切に想っている事、知っているからね」
「――!」
「それとも、僕が小蒔の事、あまり解って上げられていないのかな…?」
「…そんな事…ないよ…。ひーちゃんは何時だってボクの事想ってくれているのに…。ゴメンね、ひーちゃん」
そう言う小蒔に微笑いかけると、再び小蒔の耳に唇を寄せて囁いた。
「じゃあ、みんなの所へ戻ろうか」
「ウン!」
そう頷く小蒔の顔は、明るいいつも通りの笑顔だった。
2人が喫茶店へ戻ると、待ち人が1人増えていた。
「やあ、待っていたよ」
細身の青年が、龍麻に声を掛ける。
「あれ?壬生、どうしたの?」
「最近少し気になる事が分かったのでね」
「と、言うと?」
「以前、君達と一緒にいた少年なんだが…。ほら、霧島君に似た所の在る…」
「葉桐クン?」
小蒔が横から口を出す。
「ああ、そうだったかな」
「彼が如何したんだ?」
「居なくなったらしい」
龍麻達の顔色が変わる。
「!?」
「一昨日、あの時の事や、それ以前の話を詳しく訊こうと思って真神まで行ったんだが、彼はここ数日登校していない。聞いた話では自宅にも戻ってはいないらしい」
「どういう事だ?」
「さあ、そこまでは分からないが…少なくともたまたま家出したとかいうワケではなさそうだね」
「オイ、俺達にも詳しい話をしてくれねぇか?」
横に居た京一が少しばかり不機嫌そうに口を挟んだ。
「あ、ゴメン」
龍麻は今までに起こった事件のあらましを全て話した。
「…全く、聞けば聞くほどとんでもねぇ《力》を持っている様だな、お前の親父さんはよ」
龍麻の話が終わった後、京一が大きく息をついて言った。
「ああ、俺達も気を引き締めないとな」
醍醐も流石に緊張した面持ちで答える。
「それでも、僕達は負ける訳にはいかないからね。――とにかく、彼を捜さないと。壬生、悪いけど君も協力してくれないか?」
「フッ、その気が無ければわざわざ新宿まで来る訳はないだろう?」
壬生が当然とでも言う様に、肩をすくめて見せた。
「すまない。じゃあ、行こう」
龍麻の言葉に、全員が頷いた。
その後、結局龍麻達は、2手に分かれて捜索することにした。
龍麻・小蒔・劉組は学校周辺から花園神社辺りを、京一・醍醐・壬生組は中心街を主に捜して、最後に中央公園で待ち合わせると言うのが、醍醐の考えた案である。
「ほな、はよ行こか」
劉が、妙に嬉しそうに龍麻と小蒔を促した。
「オイ、劉!てめぇひーちゃんの足を引っ張るんじゃねぇぞ!」
対照的にかなり不機嫌そうな京一が、腹立たしげに言う。
「何ピリピリしてるんだよ、京一ッ!もしかしてひーちゃんと違う組になったのが悔しいの?」
「バッ!何馬鹿な事言ってやがんだ、小蒔ッ!俺はただなぁ、久しぶりに会ったんだから、親友としてひーちゃんとつもる話もとだな――」
「なあんだ、やっぱりそうなんじゃないか。キミ、あんまり女の子にモテないもんだから、変な趣味に走ったんじゃないの?大体、遊びに行く訳じゃないんだから、つもる話も何も無いだろッ!」
「うるせぇッ!ンな事分かってんだよッ!大体変な趣味はひーちゃんだろう。選りによってお前みたいな男と付き合うなんてよッ!」
「なんだと――!?」
拳を振り上げた小蒔だが、背後に凄まじい鬼気を感じて思わず振り向いた。
「京一…?今なんて言ったのかな…?」
見ると、龍麻がものすごい形相で睨んでいた。
「例え君でも、小蒔の悪口は…」
「わ、悪かったッ!だから落ち着けひーちゃん!よッ、小蒔ッ!新宿一の美少年…いや、美少女ッ!!」
「…あのね…」
流石に小蒔も呆れた顔をする。
「フッ…バカバカしい、サッサと行こうか」
壬生が付き合い切れないと言う様に踵を返す。
「そうだな…オイ、京一ッ!さっさと来ないと置いて行くぞ」
醍醐も疲れたように、京一に一声掛けると歩き出した。
「チッ!オイ待てよ、醍醐。壬生ッ!」
仕方なく京一も後に続く。
「まったく、相変わらずバカなんだから…。じゃ、ボク達も行こッ!ひーちゃん、劉クン」
小蒔が小さく溜息をついてから、気を取り直した様に言った。
「そうだね。よし、行こうか弦月」
「へへッ、ま、ワイに任しときッ!」
「…劉クン、キミもなんだか怪しいよ…」
半眼で小蒔が呟いた。
再会は、意外なほど早く訪れた。
「葉桐ッ!?」
真神学園で訊き込みをしようとしていた3人の前に、唐突に葉桐光輝(はぎりみつき)が姿を現わしたのだ。光輝は意味ありげな笑みを1つ残すと、そこを走り去った。
「待て、葉桐ッ!」
龍麻達が慌てて後を追う。そして、彼が入って行った先を見て、3人が驚きの表情となる。
「ここは…旧校舎ッ!?」
かつてこの地を巻き込んだ闘いの始まりとも言える場所。今や終生の友となった京一・醍醐・葵、そして龍麻にとって最愛の女性(ひと)である小蒔が初めてその《力》に目覚めた場所。その後に出会った多くの仲間達と共に潜り、自らを高め合った場所でもある。
「何故葉桐がここに…?」
「とにかく後を追うで、アニキッ!」
劉の言葉に頷き、龍麻が走り出した。劉と小蒔も後に続く。
3人が地下へ降りると、光輝ともう一人、綺堂朱羅が待ち構えていた。
「君は…ッ!」
「フフフッ、覚えていてくれた様ね、緋勇龍麻君」
色素を持たない少女が、妖艶な笑みを浮かべて彼等を出迎えた。
「何故葉桐をッ!?」
「あら、もう気付いていると思ったけど?」
「父さんが"7つの大罪"にそって、なんの関係も無い人達を犠牲にしてきた事は知っている。けど、何故葉桐がその対象に選ばれるんだ!?」
「決っているじゃない。彼が最も大きな罪を背負っているからよ」
そう言って、朱羅は大きな声で嘲笑った。
「彼に何の罪があると言うんだ!」
「気付かない?彼、ボクシングやっていたそうね。禁欲生活で押さえ込まれた食欲と性欲は、人一倍強かったんじゃない?お友達を酷い目に遭わされた怒りは激しいみたいだし、《力》に目覚めたおかげで普通の人とは違うなんて傲慢な気持ちも持っている様ね。その一方では貴方に敵わないと言う嫉妬を持ち、そのクセ貴方を追い抜く為の努力もろくにしてはいなかった。どう?誰よりも多くの欲望を抱えた彼が、貪欲を司る最後の『贄』として選ばれるのに充分だとおもわない?」
朱羅はさも当然とでも言う様に、倣岸な口調で言い放った。
「そんな…そんな事って!そんなの人なら誰でも持っている普通の感情じゃないかッ!」
小蒔がたまらず声を上げる。
「彼に罪があると言うのなら、全ての人間に罪があると言うことじゃないか?」
龍麻も憤りを押さえ切れぬ様子で非難する。しかし、
「当たり前じゃない。今の人間に生きる価値があると思うの?でなければ、私だって…!」
相変わらず嘲るような口調で、しかし激しい怒りを込めて朱羅が言った。
「人は必ずしも悪じゃない!君に何が遭って、何に絶望したのかは知らないけれど、今君達のしている事を認める訳にはいかないッ!」
「ハッ、アンタ達の戯言なんてどうでもイイの。私はあの人の力になるだけ。さぁ、そろそろ終わりにしましょう。――葉桐君、あの人達を殺したいのでしょう?好きにしていいのよ」
朱羅が光輝の耳に、唇を寄せて囁く。
「…あぅぅ…うあぁぁあッ…うがああああぁぁぁぁッ!!」
その声に反応するかのように、光輝が咆哮を上げた。と、同時に龍麻達に向かって駆け出した。光を伴った拳が龍麻目がけて突き出される。
「クッ…!」
以前見たより遥かに速い。完全に避けたつもりの龍麻だったが、拳撃の鋭さに浅く胸を切られて鮮血が滲む。
「ひーちゃんッ!!」
小蒔が悲痛な声を上げる。
「大丈夫、かすっただけだよ。しかし――」
(まさか、これほどの強さとは…。どうやら、以前一緒に闘った時は、無意識の内に《力》をセーブしていたんだな)
更に容赦の無い攻撃が龍麻を襲う。
「葉桐クン、止めてよッ!どうしてキミがひーちゃんを殺そうとするんだよッ!!」
しかし小蒔の声も耳に入らぬ様子で、光輝は次々と光の軌跡を生み出して行く。一方龍麻は、かつての仲間を攻撃できず徐々に追い詰められていた。と、それまで静観していた朱羅が口を開いた。
「あら…、やっぱりお友達とは全力で闘えない様ねぇ。でもまだ貴方には、死んでもらう訳にいかないのよね、龍麻君。仕方ないから、彼には貴方が闘い易い姿になってもらおうかしらね」
その紅の瞳に輝く妖しい光を目にし、龍麻の脳裏に突然その言葉の意味が浮かぶ。
「…な…ま、まさか…!止めろッ!止めろおおぉぉぉッ!!」
しかし――龍麻の悲鳴を嘲笑うかのように、目の前で光輝がその姿を変化させ始めた。
『あががががぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
一際大きい咆哮を上げ、光輝の身体が大きく膨れ上がって行く。張り裂けそうなほどに発達した筋肉は鉄の様に硬質化し、髪はまるで鬣の様に長く伸びる。そして、その額の中心には鋭い角が突き出していた。
「…お…鬼…!?」
小蒔が呆然とした声を出す。
「あら、別に珍しくは無いでしょ?この間だって見せてあげたし、ましてやほんの一年前にはもっと沢山の鬼と闘って来たのだから。フフッ、それじゃあ私はコレで失礼させてもらうわね」
「ま、待てッ!君は…一体何者なんだッ!?」
「…フフ、今度逢えたら教えてあげるわ。だから頑張ってね」
そう言うと、再び妖艶な笑みを残して朱羅はその場を立ち去ってしまった。
「待てッ!」
慌てて後を追って駆け出そうとする龍麻。しかし――
「ひーちゃん、危ないッ!」
小蒔の声に龍麻は、咄嗟に身を捩った。その瞬間、それまで龍麻のいた場所へ"光輝"の拳が突き刺さる。鬼と化した彼の攻撃は、スピード・破壊力共にそれまでの数倍の威力を伴っていた。
「アニキ、あの女の事はひとまず諦めやッ!今はそいつを斃さなアカンでッ!」
「劉クン、だけどアレは…!」
「小蒔はん、アレはもうアンタ等の知っとる葉桐クンやないッ!それはアノ娘との闘いで分かっているンとちゃうンかッ!?」
龍麻への愛を利用された少女が哀しい最期を遂げたのは、つい最近の事である。2人の脳裏に辛い記憶が蘇る。
「非情な事を言うとるのは自分でも分かっとる。けどな、それでもワイはアンタ等を死なせとうはない!その為なら、アンタ等を護る為なら、ワイは相手が誰であろうと闘うつもりやッ!!」
「劉クン…」
「…すまない、弦月。僕はまた同じ過ちを犯すところだった。2人とも力を貸して欲しい。彼の魂を救う為にッ!」
「…ウン、葉桐クンはボク達の仲間だもんね…。ボク達が助けてあげなくちゃねッ!」
「ワイは18年前からアニキ、アンタと共に闘う為に生きてきたんやでッ!今更水臭い事言わんといてぇなッ!」
「よし、行くぞッ!」
龍麻の声と共に3人は駆け出した。
闘いは何時もに増して熾烈を極めた。鬼と化した"光輝"の戦闘力も然る事ながら、何時の間にやらこの旧校舎に潜む妖魔の類が彼等の周りを取り囲んでいたのだ。"光輝"の拳を躱しながら、剣鬼の斬撃を受け鬼火に勁を叩き込む。しかし、圧倒的な数の敵に対しながらも、3人は確実に敵の数を減らして行く。そして――遂には最後に1人だけとなった"光輝"へ、龍麻が満身創痍となりながらも渾身の力を込めて放った『秘拳・鳳凰』が突き刺さった。
『うあああああああぁぁぁぁぁッ!!!!』
断末魔の絶叫が止むと、そこには傷ついた1人の少年が倒れていた。
龍麻が駆け寄って光輝を抱き起こす。
「葉桐、すまない…。僕は君を――」
「緋…勇…先輩…、ありが…とう…ござ…いまし…た…」
龍麻の言葉を遮って、それだけ言うと、光輝は消えた。
その存在の欠片も残さずに。
しかし、龍麻はもう涙は流さなかった。
「――行こう。小蒔、弦月。彼女は葉桐が最後の『贄』だと言っていた。次はおそらく父さんが出て来るだろう。結局僕は誰一人救う事は出来なかったけど、父さんを…いや、緋勇弦麻を許す事は出来ない。絶対に――」
一方その頃中央公園では、既に京一達3人が龍麻達を待っていた。
「…遅いな、龍麻達は」
醍醐が不安げな表情で呟いた。
「ああ、もしかして向こうが当たっちまったんじゃねぇか?」
「うむ、捜しに行った方が良いかも知れんな」
醍醐の言葉に京一が頷き歩き出そうとした時、不意に壬生が2人を制止した。
「待て。どうやらこっちにもお客さんが来た様だよ」
その言葉を聞いて、2人も素早く当たりに気を配る。そして――
「フッ、流石は拳武館の暗殺者。よく気がついたな」
声と共に、1人の男が姿を現わした。
外見上は20代後半、引き締まった筋肉がしなやかな虎か豹を連想させる。そしてその顔は、彼等の友人によく似た面影を持っていた。ただ、その目に宿る凶々しい光を除いて。
「ま、まさか手前ぇ…!!」
「お初にお目に掛かる。俺が緋勇弦麻、龍麻の父親だ」
「何故、アンタはあんな事を繰り返すんだ!龍麻が――」
「止めろ、醍醐ッ!!」
弦麻を問い詰めようとする醍醐の言葉を、京一が遮った。
「何を言っても無駄だ。あの眼はとても説得で改心させられるような眼じゃねぇ。完全に腐り切った外道の眼だぜ。――しかし、まさか手前ぇが直接俺達を殺りに来るとは思わなかったぜ」
「ふむ…蓬莱寺京一、中々鋭いな。馬鹿だと言う情報は少し訂正して置いた方が良いかな?」
面白そうな表情で京一を見ながら、弦麻が言う。
「…手前ぇ、何で俺の名を…!?」
「知っているさ、『息子』の友人の名前くらいはな。鳴瀧の下で育った、拳武館最強と云われる暗殺者・壬生紅葉。四神・白虎の宿星を持ち、今は龍山に師事する醍醐雄矢。そしてお前が京士浪の弟子で法神流の使い手、蓬莱寺京一。どうだ、何処か間違いはあるか?」
弦麻が薄い笑みを浮かべ、嘲る様に言った。
「ところで先程の言葉には少々語弊があるな。別に俺はわざわざお前達を殺しに来た訳ではないぞ」
「…じゃあ、どう言うつもりだってんだッ!」
「そろそろ龍麻と決着をつけるつもりなんでな。その――準備運動だ」
「なッ!?て、手前ぇッ!!」
「悪いが俺達も、アンタを龍麻と闘わせるつもりは無いんでな」
「僕達を『準備運動』等と甘く見た事、後悔させてあげますよ」
弦麻の言葉に、3人がそれぞれ怒りを露わにして動いた。
「裏・龍神翔ッ!!」
まず壬生が跳んだ。しかし――岩をも砕くほどの威力を持つその蹴りを、弦麻は片手で受けとめた。
「なッ!?馬鹿な…ッ!」
流石の壬生も驚きの表情を見せる。
「良い蹴りだ。さすが鳴瀧が直々に教えただけの事はある。筋も良い。数年経てば師を超えるほどの使い手にも成るだろう。だが、まだ甘いな――はあッ!!」
「ウッ!!」
至近距離で烈しい氣の塊をぶつけられ、数メートルも吹き飛んだかと思うと、壬生がそれきり動かなくなる。
「壬生ッ!チッ、白虎変ッ!!」
四神の《力》を身体に呼び醒まし、醍醐が咆哮を上げる。
「次は醍醐雄矢か。――はッ!!」
弦麻が鋭い掌打を打ち出す。しかし、
「まだまだッ!!」
白虎として覚醒した醍醐には、さしたるダメージは無い。
「フッ、流石四神を名乗るだけはある。だが、これならどうだ?――たあッ!!」
「何ッ!?」
弦麻の氣が、突如激しい炎となって醍醐の身体を包み込んだ。声を出す間もなく身を焦がされる醍醐。
「龍山に師事するのなら、少しは風水についても学んでおくべきだったな。お前の持つ宿星白虎は金気。そして火気は金気を剋する。ならば自らの氣を火気に変えて放てば、いかに強靭な身体を持つ白虎といえど斃すのはそう難しいことでは無い」
「クソッ、ここまでか…」
力尽きる醍醐を横目に、弦麻は京一へと振りかえる。
「さて、残るはお前だけだ、蓬莱寺京一。あの京士浪が後継者と認めた程の男の《力》、とくと見せてもらおうか」
「…化け物めッ!なら、喰らいやがれッ!奥義、円空旋ーッ!!」
「フム、中々良い気だが――」
「オラァッ!!」
「!!――うぅあッ!!…こ、これは『鬼勁』か…。馬鹿な、法神流は本来陽気を用いて力と為す剣法。ましてやあの京士浪が弟子に陰気の使い方を教えるはずも無い。と、すると貴様はその年齢(とし)で独自に陰気の使い方を身に付けたと言うのか…。フッ、フハハ、フハハハハハッ!!面白い、ならば俺も新しく手に入れた《力》を見せてやろう!!」
そう言うと、弦麻の身体に凄まじい量の氣が凝縮されていく。
「何ッ!?こ、こいつは――うッ…くそォッ!!」
不意に京一の身体を激しい衝撃が襲った。
「どうだ?俺の手に入れた《力》は?」
「そ、そんな…この《力》は…渦王須の…ッ!!」
それだけ言うと、京一の意識は暗転して行った。
「フッ、少々物足りないが、中々楽しませてもらったぞ。あえてお前達に止めは刺さん。その傷で生き延びたら、お前達は次代を担うに相応しい修羅となっていよう。フハハハハハ――!!」
そして哄笑を残し、弦麻は姿を消した。
後にはピクリとも動かない3人だけが残されていた。
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