闇。
全てを覆い尽くす漆黒の帳。
人は誰もがそれに恐怖し、時に愚かな争いを生む。
逃れ様の無い、本能的な恐怖。
夜の闇ならば、人の作り出す偽りの灯でも照らす事が出来る。
しかし、それが人の心の闇ならば如何するのか――
『きゃあああぁぁぁぁッ!!』
若い女性の絶叫が上がる。
しかし、続いて何かを叩いたような乾いた音が響き、闇はまた静けさを取り戻す。
ところがしばらくして、今度はくぐもったような呻き声と湿った音、肉と肉がぶつかるような何処か淫猥な響きが聞こえ始めた。
そして数刻。
かちゃかちゃとベルトを直しながら、繁みの中から1人の男が現れる。
年の頃はおそらくまだ17,8というところか。
くちゃくちゃと噛んでいたガムを、ペッと地面に吐き捨てる。
その男――藤木凍矢(ふじきとうや)が歩いていると、目の前に若い男が立ちはだかった。
20代後半くらいか。
筋肉は引き締まり、そのしなやかな身のこなしは、何かの武術を体得しているであろうことを容易に想像させる。
「あ、アンタか…。驚かすなよ」
藤木は、普段は固く引き締められている口の端を僅かに緩めると言った。
彼が『獲物』を手にした時以外で笑う事は滅多に無い。
「フッ、愉しんでいるか?」
男が皮肉げな笑みを浮かべて訊いた。
「まあ…な。すぐに悦んじまうのが少しばかり物足りねぇけどよ」
「不満か?」
「クックッ…。いや、悪かァねぇぜ。嫌がる女を愉しみてぇ時は《力》を抑えればいいだけだからな」
「フッ、せいぜい愉しむが良い」
「あァ、だが何でアンタは俺にこんな《力》をくれたんだ?」
「…お前が余計な事を知る必要は無いが…、いいだろう。お前のその欲望が必要とだけ言っておこうか。だからなるべく沢山《力》使ってもらいたいだけだ」
「…フ、ン…。まあいいや。じゃ、俺はもう行くぜ」
最後にもう一度ニヤリと笑うと、藤木は立ち去った。
その後ろ姿を見送りながら、男は笑みを浮かべて誰へともなく呟いた。
「…その罪、欲望…より大きく膨らませるが良い、我が『贄』よ――」
「ようッ!来てくれたんだな」
その日桜ヶ丘へ駆け付けた龍麻と小蒔を、僅かに翳りを浮かべながらも雪乃が笑顔で迎えた。
「それで雛乃はッ!?」
「ああ…。まだ病室で付き添ってる。――ッたく、ふざけやがってッ!」
小蒔の言葉に答えながらも、雪乃が腹立たしげに目に見えぬ相手に悪態をつく。
実はこの僅か1月足らずの間に、雪乃達姉妹の母校、ゆきみヶ原高校の女生徒が立て続けに乱暴されるという事件が起こっていた。犠牲者の数は既に10数人に昇っていると言う。更にその近隣の学校でも数人の女子が被害に遭っていた。
警察や付近の住民達でも警戒し、注意を呼びかけていたが一向に被害は減らなかった。
そして昨夜、雛乃の弓道部の後輩であった1人の女生徒が事件に遭ったのだ。
龍麻達は雪乃からその話を聞き、犯人捜しに協力する為に駆け付けたのだった。
「で、状況はどうなんだ?」
しかし、龍麻の問いに雪乃は首を横に振った。
「…わかんねぇ。兵庫の奴も協力してくれて毎日荒川周辺を見回ってくれているんだけど、今ン所手掛かりは何も…」
「そっか……って、兵庫って紫暮クン?目黒からわざわざ荒川まで毎日ッ!?」
「…そう言えば…雪乃が最近紫暮の道場によく来るって、壬生から聞いてたな。てっきり身体を動かすのが目的だと思っていたんだけど…」
小蒔と龍麻にそう言われて、雪乃が思わず顔を朱くする。
「ば、馬鹿野郎ッ!へ、変な勘違いしてんじゃねぇよッ!!」
「エーッ!?別に隠す事ないじゃん」
「とにかくそんなんじゃねぇッて!そんなことよりも…」
「…事件の事か…」
強引に話題を換えようとする雪乃に、しかし龍麻は呟く様に答えた。
「…ああ、本当は龍麻くんも兵庫も男だからこういう事を頼むのはどうかと思ったんだけどよ」
「だけど女の子だけじゃ心配だからね」
「ああ、俺みたいのはともかく、ウチの学校はお嬢様学校って奴だからな」
「ナニ言ってんだよッ!雪乃は美人なんだから気をつけないとダメだよッ!」
雪乃の言葉に小蒔が怒った様に忠告する。
「僕も気をつけた方がいいと思うよ」
それに龍麻が同意した。
「な、何だよッ!2人して…。いいんだよッ、俺はッ!まあ、そうなれば俺が直接その変態野郎を叩きのめしてやれるけどな。それより雛の方が心配だよ」
『――私は大丈夫ですわ』
その時、丁度雪乃の後ろで声が聞こえた。
「雛ッ!」
「雛乃ッ!その…大丈夫…?」
「ハイ、小蒔様ご心配頂いてありがとうございます」
そう言って雛乃が深々と頭を下げる。
「そ、そんなの気にしなくていいって。ボク達友達なんだからさッ。ネッ、ひーちゃん?」
「うん、ショックを受けてるって聞いていたけど、思ったより元気そうで安心したよ」
「龍麻様もわざわざありがとうございました」
再び頭を下げる雛乃。
「もうッ!だから、気にしなくていいってばッ!」
腰に手を当て呆れたように言う小蒔の横で、龍麻が苦笑を浮かべた。
「それより2人とも、早速で悪りぃんだけど今から手を借りていいか?」
「当たり前じゃないかッ!ボク達その為に来たんだから」
済まなそうな顔で言う雪乃に、小蒔が当然だという様に答えた。
「へへッ、サンキュ」
その言葉に雪乃も僅かに笑みを浮かべた。
その後、ゆきみヶ原高校の前に着いた所で雪乃が口を開いた。
「じゃあ、2手に別れようぜ。雛ッ、行くぞ」
「アッ!ちょ、ちょっと待って、雪乃!」
雛乃を伴って歩き出した雪乃を小蒔が呼びとめた。
「ねぇ!ボク雪乃と一緒に行くッ!ネッ、ネッ、いいよねッ!?」
「エッ?…い…いや、まあ…オレはその…別に構わないけど…」
小蒔の勢いに押されて思わず頷く雪乃。
雛乃も目を丸くしている。
龍麻だけは小蒔の意図を悟り、しょうがないとでもいう様にため息をついていた。
「ねッ、雪乃?」
龍麻達と別れて少ししてから、小蒔が雪乃に声を掛けた。
「あ?」
「紫暮クンとは何時からなのッ!?何処まで行ったのッ?」
「ぶッ!!な…な…」
突然先ほどの話を蒸し返されて言葉が出てこない雪乃。
と、小蒔の好奇心に満ちた眼を見て自分と組みたがった理由に気が付く。
(し…しまった…)
思いきり後悔するが後の祭である。
「ねぇねぇ!」
「ど…どうでもいいだろッ!そんな事ッ!」
「エーッ!?いいじゃん!教えてよッ!」
小蒔は諦める様子が無い。
「…お前…彼氏が出来て性格変わったんじゃねぇか…?」
雪乃がため息をついた。
「…しょうがねぇなぁ…。兵庫と付き合い始めてからはまだ3ヶ月くらいしかたってねぇよ。オレはその頃ちょうど失恋したトコでさ――」
「え゛え゛え゛ッ!?雪乃が失恋!?誰ッ!?ボクの知ってる人ッ!?」
雪乃の言葉に、先程とは比べ物にならないくらい小蒔が驚く。
「…あ…アハ…ハ…。…いや、それは…エート…まあいいか」
言い淀む雪乃だったが、結局気にする事でもないと思ったのか答えた。
「龍麻くんだよ」
「エーッ!?ウソッ!ひーちゃんッ!?」
「ハハ…そんな顔すんなよ。もう過ぎた事だからよ。まあ、とにかくその頃は流石に元気無さそうに見えたんだろうな。たまたま道で会ったアイツがさ、何か辛い事が在ったんならアイツの家の道場へ来て、一緒に汗を流さないかって言ってくれてさ。始めは本当にただ身体を動かしてスッキリする為だけだったんだけどな。けどアイツ、見た目は結構大雑把なイメージ在るけど、意外に色々気を使ってくれたりしてイイ奴なんだぜ」
話ながら雪乃が嬉しそうに笑う。
「へへッ、雪乃いい顔してるよッ」
「バカ。…と、こんな話してる場合じゃないよな。早く変態野郎を見つけないと」
照れくさそうに雪乃がそう言った時――
『ククククッ、変態野郎ってのは誰の事だァ?』
突然声が聞こえて、2人の前に見知らぬ男が現れた。
高校生くらいで、長い髪をだらしなく伸ばした痩せぎすの男。
その男は舐め回すような視線で2人を見ると、言った。
「俺の名は藤木凍矢。――へッ、高校生じゃあねぇ様だが、2人とも中々イイ女じゃねぇか。この俺が天国に昇るような気持ちってヤツを教えてやるぜ」
そして再びイヤらしい笑い声を上げる。
「…てめぇかぁ…!!」
雪乃が怒気を含んだ声で言った。
小蒔も鋭く睨むと弓を番える。
「てめぇ見てぇな変態野郎は、ぶっ飛ばしてやるッ!!」
だが、普通なら大の男でさえも気圧される雪乃の怒声に藤木は全く動じた様子も無く言った。
「オイオイ、変態野郎は止めてくれねぇか?言っとくけどあの女どもはみぃんな悦んでたんだぜ。それこそ失神するほどになぁ。クククッ、お前等も今は粋がってるが、俺に抱かれりゃああの女どもみたく自分から腰を振っておねだりするようになるぜぇ。もっとも、俺は嫌がる女の顔も大好きだけどなぁ」
「てめぇッ!!」
「ボクはお前見たいなヤツ、絶対許さないッ!!」
元々気の短い2人は、その言葉に完全に頭に血が昇ってしまい、周りの状態に気が廻らなくなっていた。
シュルルッ!
「うッ!!」
「わッ」
突然何かが2人の身体を足元から這い昇り、手足を絡め捕ってしまった。
「ヘッ、単純な女どもだぜ。俺の《力》は女を悦ばすだけじゃあねぇんだぜ。その女を捕まえる為に、紐みてぇな細長いものを自在に操る事が出来るんだ。クククッ、さあ、たっぷり愉しませてやるぜぇ」
藤木がそう言って2人に近寄って行く。
「…くッ…兵庫ッ…!」
「ひーちゃん、助けてッ!」
その声を聞いて藤木の足が止まった。
「へええ、お前等男みてぇな言葉遣いのクセに、一丁前に男がいるのか。クククッ、面白ぇ。なら、そいつ等の前で愉しむってのも悪かぁねぇよなぁ」
「なッ!」
「そ…そんなッ!」
目を見開く2人に向かって藤木は言った。
「お前等の内1人、今から逃がしてやるから男を連れて戻ってきな。そうだな、お前がいい」
シュルルル…
藤木がそう言うと、小蒔の身体を縛めていた紐が不意に足元に落ちた。
「早く行きな」
「ふざけるなッ!お前なんかボクが斃してやるッ!!」
手をさすりながら小蒔が激しい怒りを込めて言う。
だが、藤木は口元に嘲笑を浮かべると、
「お前、その女が人質になってること判ってンのか?俺はここからでもそいつを縛っている紐を操って、絞め殺す事だって出来るんだぜ」
「うぐッ!」
藤木がそう言うと同時に、雪乃がくぐもった悲鳴を上げた。
「や、止めろッ!」
「分かったら早く行くんだな。言っとくが俺は辛抱強い方じゃあねぇからな。あんまり遅いと待ちきれずにこの女、頂いちまうかも知れねぇぜ」
そう言って嗤う藤木を悔しそうに睨むと、
「待っててね、雪乃。ひーちゃんと紫暮クンを連れてすぐに戻ってくるからッ!」
後ろを向いて駆け出して行った。
「さあ、楽しみに待つとしようぜ、姐さん」
雪乃に近寄って顎を持ち上げる藤木。
「ペッ!」
その藤木の顔に向かって雪乃が唾を吐きかけた。
「テメェ…!」
一瞬凄まじい怒気が藤木の顔に宿るが、すぐに笑みを浮かべて言った。
「ヘッ、まあいい。後でそのツラをたっぷり泣き顔に変えてやるからなぁ」
ドスッ
「うッ!!」
腹部に重たい衝撃を受け、雪乃の意識は沈んで行った。
一方、小蒔が龍麻達を見つけた時は、丁度紫暮と合流していた所だった。
「どうしたんだ、小蒔?雪乃は?」
龍麻に問われ、小蒔は今までの事を話した。
「なッ!?」
「そ…そんな…」
「…………」
「ゴメン、ひーちゃん、雛乃、それに紫暮クンッ!ボクが…ボクが…!」
「…小蒔様のせいではありませんわ。きっと私がいても同じことになったでしょう」
雛乃が静かに言う。
「そうだよ、小蒔。それより雪乃を助ける事を考えよう」
そして泣きじゃくる小蒔を優しく抱き寄せるようにして龍麻が言った。
「…雛乃…ひーちゃん…」
「とにかく、その場所に行こうッ!」
その時、終始無言だった紫暮が突然駆け出した。
「紫暮ッ!」
3人も慌てて後を追った。
道すがら、小蒔の案内で4人は先程小蒔と雪乃が襲われた場所へ到着したが、そこには誰もいなかった。
「…そんな…ッ!遅かったのッ!?」
足元にただ1つ残された雪乃の薙刀を手にしながら、小蒔の顔が青ざめる。
だが、その言葉を龍麻が冷静に否定した。
「いや、小蒔の話を聞いた限りでは、2人が襲われてからまだ2時間と経って無い。そんなに早く乱暴するつもりなら、始めから小蒔を放したりしないだろう。女の子を1人捕まえた姿なんて人目を引くからね。おそらく何処かへ姿を隠しているだけだろう」
「じゃあ、何処へ…。雛乃ッ、心当たり無い?」
「…いえ…、私はあまりこちらの方へは足を運んだ事が無いものですから…」
小蒔の問いに、雛乃が今にも泣き出しそうな表情で答えた。
(やっぱり辛いよね…。あんなに仲が良い姉妹なんだもん。ゴメン…雛乃…)
雛乃の様子を見て、小蒔が再び罪悪感に捕われる。
と――
「――ある」
『エッ!?』
突然声を上げた紫暮に、思わず3人の声が重なる。
「この先に鉄筋の廃ビルが在る。以前俺がこの辺を見まわった時には誰も居なかったが、近くに人気の無い所と言えばそこぐらいだ」
「分かった。そこへ行ってみよう」
龍麻が即座に賛意を表す。
更に小蒔と雛乃もそれに頷く。
「よしッ、行くぞッ!」
はたして4人が到着した時、薄暗いビルの中で藤木とブラウスの胸元をはだかれた雪乃の姿が在った。
「よぉ、あんまり遅いんでそろそろ剥いちまおうかと思ってたとこだぜ。さて、どっちがこの女の彼氏だ?そっちの優男か?ン?てめぇ、何処かで見たな?まぁ、いいや。それより筋肉ダルマの方か?」
「貴様ッ!!」
紫暮が激しい怒りをあらわにする。
「へぇ、どうやら筋肉ダルマの方らしいな。おい、もうちっと男の趣味を磨いたらどうだ?」
「てめぇみたいなクソ野郎に、アイツを悪く言われる覚えはねぇな」
ガッ
次の瞬間、雪乃の顔を藤木の拳が殴りつける。
「ぐッ!」
「全く、口の減らねぇ女だぜ」
「雪乃ッ!!貴様ァッ!!」
「へッ、何だよ。早く俺にぶちのめされてショータイムを拝みてぇってか?安心しろよ、すぐに見せてやる。そしたら次はその女だ。おっと良く見りゃもう1人女が増えてるじゃねぇか。クククッ、タイプは違うがまたイイ女だなぁ。安心しな。ちゃんとお前も可愛がってやるからよぉ」
シュルルルルッ
4人の足元から数本の紐が蠢いたが――
「たあッ!!」
ボゥッ
龍麻の放った巫炎がその紐をことごとく焼き尽くした。
「ヘヘーンだッ!何度も同じ手を食らうわけないだろッ!諦めて雪乃を放せッ!」
龍麻の横で藤木に指を突き付けるようにして小蒔が言う。
「て、てめぇ等ぁ…!いい気に為るなよ。こっちには人質が居るんだぜぇ」
藤木がそう言うと同時に雪乃を縛っていた紐の内の1本が、雪乃の首に纏わり付き、更に他の1本が胸元へと滑り込む。
「あうッ!…て…てめぇ…!」
「へへへッ、粋がっていても所詮てめぇは女なんだよぉ。今からそれを思い知らせてやるぜぇ。この俺の《力》でなぁ。おっと、お前等は動くなよ。おとなしくそこで見物してねぇと、この女の首が千切れるまで締め付けてやるからなぁ」
凄みを利かせて藤木がそう言った。しかし――
「やって見ろッ!!」
紫暮だった。
「…何だとぉ?」
「雪乃は俺達の前で貴様の好きにされるくらいなら死を選ぶ女だ。だが、もし雪乃を死なせれば俺は貴様を絶対に許さん。たとえ今、護りきる事が出来なくとも必ず仇を取るッ!」
「…兵庫…」
「畜生ッ!舐めやがってぇ!なら、殺してやるッ!てめぇ等全員、ぶっ殺してやるッ!」
藤木の怒声とともに、更に無数の紐が、コードが、針金のようなものまでが襲い掛かってくる。
「ハッハーッ!今度はさっき見てぇに燃やしたり出来ねぇゼぇ!」
そう藤木が勝ち誇った瞬間――
バリィン!!
彼の背後にあるガラス戸を打ち破って突入して来たのは、紫暮だった。
「何ィッ!?」
ここへ来る前、あらかじめ2重存在を出現させて裏手へ回していたのだ。
紫暮は一瞬呆然とする藤木を殴り飛ばすと、雪乃の身体に絡みついた紐を悉く引き千切り助け出した。
「無事か、雪乃」
「…サンキュ、兵庫。――さぁて、人の身体を散々好きにしてくれたよなぁ。たっぷりと礼をさせてもらうぜッ!!」
「姉様ッ!これをッ!」
「よっしゃあッ!行くぜッ!奥義・臥龍閃!!」
草薙の巫女である雪乃の技でも、最強の威力を誇る攻撃を受け藤木が吹っ飛んだ。
「…久しぶりに見た…雪乃が本気で怒ったトコ…」
「…やっぱり、彼女は怒らせない方がいいね…」
小蒔の呟きに、龍麻が顔を強張らせて答えた。
「ヘッ、まだ終わりじゃねぇだろ?今のは手加減してやったんだからな」
軽やかに薙刀を回して雪乃が言う。
(…手加減って、あれで…?)
図らずも龍麻と小蒔は同じ事を考えていた。
横では雛乃が姉の勇姿をうっとりした表情で見ている。
と、その時――
「グルロオオオオオォォォーーーッ!!」
突然起き上がった藤木が、凄まじい咆哮を上げた。
そして――
その姿を異形の存在(もの)へと変えていった。
角が生えてきた頭は山羊と狼を掛け合わせたような形となり、下半身が獣毛に覆われる。更には全身が筋張って肌の色が黒ずんできた。
『なッ!?』
雪乃が、雛乃が、そして紫暮が同時に驚きの声を上げる。
「ひーちゃん、こいつやっぱりッ!!」
龍麻が頷く。
「小蒔ッ、龍麻くん、おまえ等何か知ってるのかッ!?」
「話は後だッ!行くぞッ!」
紫暮が言って両脇へと廻りこむ。
そして巨体に似合わぬしなやかな動作で右足を伸び上がるように高く上げると、2人の紫暮が同時にその踵を叩きつける。
『しゃァァァァッ!!』
「グオオオオッ!!」
一瞬"藤木"の身体が揺らめく。
しかしその直後、"藤木"の両手から黒い光――と言うものがあれば――が迸り、両脇に居た紫暮を凄まじい衝撃が襲った。
『おうッ!!』
数メートルも吹き飛んだ紫暮の身体が、コンクリート剥き出しの壁に叩き付けられる。
「兵庫ッ!てめぇッ!!」
怒りも露わな雪乃が"藤木"の懐へ飛び込む。
そして雛乃が後に続いた。
「行くぜ、雛乃!!」
「はいっ、姉様」
「今こそ、草薙の力、見せてやる!!」
雪乃が気合を吐くと同時に、雛乃の身体から清浄な氣が立ち昇った。
そしてそれに雪乃の闘気が、絡み合うように混ざり合って行く。
やがて、2人の間に神聖な輝きを放つ、光の帯が現れた。
さながら、聖なる《力》を秘めた一振りの剣のように。
そして――
『奥義・草薙龍殺陣!!!!』
2人の声に答えるように、光が"藤木"の頭上に振り下ろされた。
「ウガアアアアアアッ!!」
大気をも振動させるような絶叫が上がる。
そしてそこに、
「おりゃああーッ!!」
止めとばかりに龍麻の『秘拳・鳳凰』が炸裂した。
「―――――――!!!!」
既に声にならない悲鳴を上げると、"藤木"はゆっくりと人の姿に戻っていった。
「…ハァ、ハァ…。…あの野郎…俺の《力》は無敵だ…なんて言って…騙しやがって…。…待てよ…?」
そして、藤木は龍麻の方をキッと睨んだ。
「…そ、そ…うか…。…て…てめぇ…、てめぇはああァァァーーーッ!!」
そこまで言って、藤木はこの世から消えた。
「アイツ、最期に何を言おうとしたんだろう」
小蒔が龍麻に寄り添い、不安そうに言った。
「…分からない…。だけど、何があっても負ける訳にはいかない。人をこんな風にしてしまうような奴を、許して置けるはずがない!」
「…ウン!そうだねッ!よーし、ボクも頑張るぞッ!」
迷いの無い龍麻の眼を見て、小蒔も気合を入れる。
「おい、ところで一体今、何が起こっているんだ?」
その時、雪乃に肩を借りて立ち上がった紫暮がそう言った。
幸い、余り深い傷は負っていないようだ。
「実は――」
龍麻と小蒔は、最近起こっている事件を3人に話した。
「――そんな事が…!」
流石に3人とも、驚きを隠せないようだ。
「ああ、だからこの先何か起こったら、それは《力》を持つ者の仕業と思っていいだろう。それも自分から目覚めたのではなく、誰かによって与えられた《力》を持つ人間の」
沈黙が流れる。
「…よっしゃあッ!そう言う事ならオレも協力するぜ、龍麻くん」
「…雪乃…?」
「ああ、大体水臭いぞ龍麻。もっと早くに頼ってくれるものと思っていたがな」
「紫暮…」
「私達は何時だって貴方様の御力に為りたいのですから」
「雛乃も…、ありがとう皆」
「馬鹿野郎ッ!オレ達の間で気を使う必要が無いって言ったのはお前だろッ!?」
「そうだったね、ならいざと言う時は遠慮無く力を借りるよ」
「おうッ!この紫暮兵庫、何時でも身体を張ってお前の盾となろう」
「エヘヘッ、でも紫暮クンが身体を張るのは相手が違うんじゃないの?」
雪乃をチラッと見ながら、小蒔が悪戯っぽい目で言った。
瞬時に、雪乃と紫暮が朱くなる。
「ば、馬鹿ッ!」
「お、俺達は別にそういう関係では…!」
「誤魔化したってダメですよーだ。雪乃からみぃんな聞いちゃったもんね〜♪」
「ゆ、雪乃ぉぉぉッ!」
「わ、悪りぃ兵庫ッ!だって、小蒔がしつこいから…」
「2人とも純情だなぁ」
その光景を見て龍麻が呆れたように呟く。
隣では雛乃がクスクスと笑っていた。
「さッ、ひーちゃん、それじゃあそろそろ帰ろッ!ボク達の新宿(まち)にさ――」
男はその様子をずっと見ていた。
そこでは無い場所に居ながら。
「…刻が満ちるまで、まだもう少しか…。フッ、じきに見せてやろう。《力》の使い方によっては、人が『黄龍の器』をも越えることが出来ると言う事を。龍麻よ――」
前に戻る
次に進む
話数選択に戻る
SS選択に戻る
茶処 日ノ出屋 書庫に戻る
店先に戻る