「どうするつもりだ?」
男が尋ねた。
年の頃は20代後半、筋肉質だがしなやかに引き締まった身体は虎か豹を連想させる。
「…………」
尋ねられた方の男は答えない。
まだ若く顔には少年の面影が残るが、不必要なまでに痩せた身体と青白い肌、ぎらぎらと禍々しい光を宿らせた瞳が狡猾な老人のようなイメージを与えている。
突き出た広い額が印象的だった。
「貴様の心に宿るどす黒い怨念、我が《力》を与えるにふさわしいと思ったのだが、どうやら買いかぶりだったかな?」
男は全く表情を変えず更に問う。
「ふ、ふざけんじゃねぇッ!あれは亡霊どもが間抜けだっただけだッ!今度は、今度こそはこの俺様が直々に出向いて奴らを全員血祭りに上げてやるッ!」
少年が怒気を込めた台詞を吐くが、男の発する氣に呑まれているのは明白だった。
「…いいだろう。もう一度だけチャンスをやろう。おまえに与えた『外法』の力、見せるがいい。火怒呂よ―――」
「どしたの?ひーちゃん、ここんところあまり元気ないね」
いつもの帰り道、小蒔が微かに沈んだ表情を見せる龍麻に心配そうに言った。
「あ、うん。やっぱり小蒔には分かっちゃうか。実は最近よくない事件が続いたからね」
「そっか…そうだよねッ。比良坂さんも葉桐くんも大切な人を失くした悲しみを利用されて、そんなのって絶対許せないよッ!」
「うん、それにその前の滝沢君や肥田君に《力》を与えた奴との関係も気になるしね」
「ウン、そうだねッ。でもやっぱりひーちゃんには暗い顔なんて似合わないよ。ねッ、今度の日曜日、二人でどっか行こッ?」
こんな時小蒔が傍にいてくれて良かったと、龍麻は心から思う。
今も1年前も常に彼女の笑顔に、挫けることのない明るさに支えられてきた。
勿論他の仲間の誰1人が欠けても、あの闘いに勝てなかっただろうとは思う。
だがやはり自分は、彼女の笑顔を絶やさぬ為に命を賭したのだと改めて感じていた。
「どしたの?ボクの顔じっと見て」
少し照れ気味に小蒔が訊く。
「いや、小蒔がいてくれて良かったなっておもってた所だよ」
龍麻は素直な心情を口にする。
「も、もう!からかわないでよッ!」
顔をわずかに朱くしながらも、小蒔が怒ったように言う。
「アハハ、それより日曜日何処行こうか?」
「ベーッ、意地悪なひーちゃんなんて嫌いだよッ!1人でどこか行けばッ!?」
プイとそっぽを向くと、小蒔は1人でずんずん歩き出してしまった。
そんなちょっぴり拗ねた様子も愛しく感じる。
龍麻は思わず小蒔に駆け寄り、背中から抱き締める。
そして耳元で囁くように言った。
「からかってなんかいないよ。僕は小蒔が傍にいてくれて嬉しいって、心からそう想っている。君がいるから戦える。全てに対して勇気が持てる。それだけは疑わないで欲しい」
「……ウン……」
「ありがとう。それじゃあ、日曜日何処へ行こうか?」
「ウン、あのねボク―――」
と、その時――
「緋勇先輩ーーッ!!」
驚いて慌てて身体を離す龍麻と小蒔。
「葉…桐…?」
かつて自分が着ていた物と同じ学生服を身につけた少年を見て、龍麻が呟いた。
「緋勇先輩ッ!桜井先輩も、お久しぶりです!」
「はは…相変わらず元気いいね」
「ハイ!おかげさまで!ところでお2人は今度の日曜日お暇ですか?」
「エッ?」
「日曜日…?」
思わず顔を見合わせる龍麻と小蒔。
「あっ、もしかしてデートでしたか?」
「ちょ、ちょっと葉桐君、キミ面と向かってそんな風に言われたら恥ずかしいだろッ!?」
「え?でも恋人同士なんだから別にいいじゃないですか」
「恋人同士でも恥ずかしいモノは恥ずかしいのッ!」
そう言って自分の言葉に気づき更に顔を朱くする。
「君達話が進まないよ。――葉桐、日曜日何かあるのかい?」
苦笑しながら龍麻が割って入る。
「アッ!そうでしたッ!実は俺今度の日曜ボクシングの大会なんです。バンタム級で選手登録されてるんで、是非先輩達に来て頂きたいと思ったんですが…」
龍麻達が再び顔を見合わせる。
「うーん、でも今度の日曜日は小蒔と出掛ける約束だからなぁ」
「…そう…ですよね…」
目に見えてがっかりした表情の光輝。
「ところで小蒔、僕今度の日曜日ボクシングを見に行きたいんだけど」
「ウン、ボクもそう思ってた」
「…え…それじゃあ?」
「頑張れよ。2人で応援するから」
光輝の顔がたちまち輝く。
「ハイッ!絶対優勝しますッ!!じゃ、俺帰ってこれからジム行くんで失礼します!」
そう言うと光輝は走り去った。
光輝の姿が見えなくなってしばらくしてから、思い出したように龍麻が言った。
「そう言えば良かったのかい?小蒔、何処か行きたいところが在ったんじゃないか?」
「エッ?あ、アレはね…エヘヘッ、ひーちゃんと一緒なら何処でも良いって言おうとしたんだよッ!」
小蒔はそう言って照れくさそうに笑った。
そうした2人の様子を物陰から見ている少年がいたことに、龍麻は気付かなかった。
「ヘッ、ボクシングか…。いいねぇ、見るだけじゃつまらねぇだろ。たっぷりと楽しませてやるよ、緋勇龍麻――」
―日曜日
会場は高校生の大会とは思えないほどの熱気に満ちていた。
光輝は1年生ながら順調に勝ち進み、次で準決勝というところでそれは起こった。
『グルルルルゥゥゥッ!』
『ウガァーーーッ!!』
『ウオオオォォアアアァァッ!!!!』
会場のいたる所で選手、役員、観客の区別無く、異様な叫び声を上げて暴れ始めたのだ。
「こ、これは…!?」
「ねぇ、ひーちゃん!これ、この人達って…」
「ああ、似ている…。去年豊島区で起きた集団発狂事件…」
「で、でもあれって、あの何とか言う憑依師とかって奴を斃して、解決したはずじゃ無いのッ!?」
「…わからない、確かにあの憑依師はあの時に斃したはずだ。それにおそらくあいつは柳生に唆されていた.。だとすれば失敗した奴を柳生が生かして置くはずは無いと思うんだけどな…」
そこへ光輝が駆け寄ってきた。
「緋勇先輩ッ!これは一体ッ!?」
「僕達にもよくわからない。だが気をつけろ。皆正気を失っているぞ」
『グワーーーッ』
そうしている内に彼らにも何人かが襲い掛かってきた。
「いいか、彼らは操られているだけだ!なるべく傷つけないようにするんだ」
「は、ハイッ!」
光輝の拳が唸り、小蒔の矢が飛び、龍麻の勁が輝く。
僅かの間に大半の人間が床に倒れ伏していた。
「いいか、気を落ち着けろ。興奮すると彼らの様になるぞ」
「ウンッ、分かってる」
「は、ハイッ」
と、その時何処からか声が聞こえた。
『ヒャーッハッハッ!やはりこんな雑魚共じゃ無理かッ!』
「誰だッ!?」
龍麻が辺りを見回すと、観客席の最上段に1人の少年が姿を現わした。
青白く痩せた身体、狡猾な光を宿した細い眼、そして突き出た広い額、何処かで見覚えの在る容貌だった。
「お前は…?」
「ヒャハハ、こうして逢うのは初めてだな。俺は豊島区狗狸沼高校1年、火怒呂影寅――手前ぇ等に斃されて死んだ、火怒呂丑光の弟よ」
「なッ!?」
「兄貴は最強の憑依師として、火怒呂一族の再興を賭けて闘ったが、手前ぇ等のおかげで全ては水の泡と消えた。俺はそんな兄貴の遺志を継ぎ手前ぇ等をぶっ殺す!」
「何勝手な事言ってるんだよッ!あいつは皆を獣に変えたり、酷いことばかりしていたじゃないかッ!!」
小蒔が憤る。
「強い者が弱い者を支配するのは当然じゃねぇか。もっとも俺の《力》じゃあ憑依師としては兄貴におよばねぇからな、今まで仇を討つことも出来なかったけどよ。だが今の俺は違うぜ。今の俺にはより強い《力》が在る。ただ動物の霊を憑依させるだけじゃねぇ。この《力》が在れば霊を実体化させたり、霊の形を変えて別人と思わせる事も出来るんだぜ」
「…何だとッ…!?」
自慢実に語る火怒呂の言葉に光輝が反応する。
「…貴様、今の言葉もう一度言って見ろ…!」
凄まじいまでの怒気を含んだ言葉に、しかし火怒呂は薄笑いを浮かべて言う。
「霊を実体化させて、俺様の操り人形に出来るって言ったんだよ。もっとも手前ぇのダチはちぃっとばかり掛かりが悪かったからな。クソも役に立たなかったけどよ」
そう言って高笑いを上げる。
「貴様―――ッ!!」
「それじゃあ、比良坂さんのお兄さんの姿をした霊もキミの仕業だなッ!?」
「ああ、あいつももう少し使えると思ったんだがな。あの女の兄貴だと思い込ませ易いように、わざわざ妹を心配している霊を探し出して変化させたんだぜ」
「なッ、何でそんな酷いことをするんだッ!!」
「言っただろう。これは復讐なんだよ。そのために他の奴等がどうなろうが俺の知ったことじゃねぇ!!」
小蒔の言葉に火怒呂が声を荒げた時――
『なるほど…やはり君は生かして置くべき人間ではないな…』
聞きなれた声が響いた。
「壬生!」
壬生がゆっくりと入り口をくぐる。
「これで4対1…。君が操れる人間はもう居ない。さあ、この状況を如何するんだい?」
皮肉を込めた口調で壬生が言う。
「悪いが彼女にあんな哀しい涙を流させた君に対して、僕は一切の手加減をするつもりは無いよ」
静かだが激しい怒りが壬生の身体から迸る。
「君はさっき《力》を貰ったと言ったが、それは誰だ?」
龍麻が静かな口調で訊いた。
「けッ、言う必要はねぇなぁ。手前ぇ等あんまり調子に乗るんじゃねぇぜ。兄貴の使った八岐大蛇が最強の霊だと思うなよ。この国には大蛇すらも凌駕する最強の蛇霊が居るんだぜ。《力》を手に入れた今の俺は、そいつを自分の力として使いこなす事だって出来る。行くぜ――出でよ、九頭龍ッ!!」
火怒呂が叫ぶと同時に、彼の身体が黒い輝きに包まれた。
「こ、これはッ!?」
数瞬の後、火怒呂の身体が異形へと変化していた。
顔を鱗が覆い、胸・腹・肩・肘・そして両手が蛇の頭になる。
下半身はまさに蛇のそれだった。
口からは長い舌が伸び、大きく突き出た牙からは絶えず紫色の液体が滴っていた。
「ヒャーハハッ、どうだ見たか手前ぇ等!まずは緋勇龍麻、手前ぇを血祭りに上げてやる。桜井小蒔、壬生紅葉、手前ぇ等はその後だ。そっちのガキ、手前ぇもついでに殺してやらぁ。その後はかつての手前ぇ等の仲間達を一人ずつ地獄へ送ってやるぜぇ。楽しみに待ってな。ヒャーハッハッハ―――ウガッ!?」
――我が名は九頭龍―――
「な、何だッ!?」
――この地を統べる旧き神の末裔なり―――
「バッ、馬鹿なッ!九頭龍は俺の思い通りに操れるはず…ッ!」
――我を目覚めさせるは誰ぞ―――
「ま、まさかッ!あの野郎ッ、この俺を騙しやがったのかッ―――!!」
――我が名は九頭龍、最強の蛇神なり―――
そしてもう一度それの身体が黒く光り、次の瞬間その瞳に人の意思は見られなかった。
「…どうやら意識を食われたようだね」
「《力》を求めすぎたのか…」
壬生の言葉に龍麻が頷きながら言った。
そしてそれが動き出した。
「ひーちゃん、来るよッ!!」
小蒔の言葉が合図になったかの様に戦いが始まった。
「せやぁッ!!」
「いっけーッ!!」
「イヤァァァッ!!」
龍麻の拳が、小蒔の弓が、壬生の蹴りが唸りを上げる。
だが必殺の1撃ともなりえるその攻撃はどれもあまり有効なダメージを与えることが出来ない。
「でやあぁぁッ!!」
1歩送れて光輝が踏み込む。
が、『ひゅおッ――』と風を切る音がしたかと思うと、火怒呂≠フ太い尾がまともに彼の体を叩きつけた。
「葉桐ッ!!」
「う…ぅあ…」
息はあるようだが起きあがってくる様子が無い。
「クッ…小蒔、壬生、こいつには全力を出し切らないと勝ち目が無い。2人の命預かるよ」
「ウンッ!ボクは何時だってひーちゃんと一緒だよ」
「フッ、君にはとうに命を預けていたはずだよ」
龍麻の言葉に2人が頷く。
だが悲壮感は無い。
3人が同時に駆け出した。
「これで、終わりさ。龍牙・咆哮ッ!!」
「必殺ッ!!鬼哭飛燕ーッ!!」
「いやあぁぁーッ!!」
壬生の蹴りから激しい衝撃が、小蒔の弓から目映い閃光が、そして龍麻の腕から金色に輝く氣の奔流が飛び交う。
そしてそれらが全て、火怒呂≠フ身体の1点に向かって収束した。
火怒呂≠フ身体が一瞬輝き、そして――
『ギシャアアァァァァァーーーッ!!』
凄まじい絶叫を上げて四散した。
「…終わった…な…」
「ひーちゃん!葉桐くんも無事だよッ!」
「そうか、良かった。それより壬生、君はどうしてここに…?」
「フッ、実は今度の1連の事件、館長に報告をしたんだ」
「鳴瀧先生に?」
「ああ、それで館長もなにか大きな事件の前触れではないかと予測してね。だから僕にしばらく暗殺業から離れて、この件に対する調査を命令されたんだ。そのために君たちを探していたら、たまたまこの場面に出くわしたと言う事さ」
「そうだったのか…ありがとう、助かるよ」
「フッ、別に礼を言われる事じゃないよ。とにかくこれから僕は独自に事件を調査して見る。何かわかったらまた連絡するよ」
「ああ、よろしく頼む」
「ネッ、じゃあそろそろ帰ろッ!――ボク達の新宿〈まち〉にさッ」
「…あれほどの復讐の念があれば、もしやとは思ったのだが…。フッ、所詮は小物か。まあいい、全ては予定通りだ。もう少し楽しませてもらおうか、龍麻よ――」
男はそう呟くと、満足そうな笑みを浮かべた。
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