『敵襲ッ!敵襲だッ!畜生、裏をかかれたッ!奴等、地下水路を利用してこっちに先回りしていやがった!起きろッ、起きてくれッ!敵襲ッ!』
けたたましい声が静かな夜のしじまに響く。本体に連絡に行ったはずの兵士だ。他の見張りが起こすまでもなく、俺達は跳ね起きた。
地下水路、と彼は言った。テロリスト達は堤防を破壊して水位を低くし、普通では通れないはずの水路を通り道として本隊の追撃を避けたのだ。
『嘘…今までで一番多いじゃないのさ!?』
ヴァネッサが動揺する。無理もない、こちらのルーンマスター達は精神力を回復する暇すら与えられなかったのだ。
『やべェぜ、こりゃァ…射撃準備だッ、さっさとしやがれェ!』
デニムが叫ぶが早いか、スキップ達射撃隊が遮蔽物に隠れながら陣形を展開する。間も無く、双方は遠距離戦の様相になっていった。
だが、数が違い過ぎた。こちらのほうが相対的に技術が熟練しているため圧倒的な差こそ出なかったが、じりじりと不利な状況に陥っていく。
『デニムッ!このままじゃどうしようもない。俺達が奴等の勢いを抑えておくから、裏から廻って挟撃してくれ!』
スキップが滑車を素早く巻きながら叫ぶ。スキップから案を出すというのは珍しいことだった。
『遠回りしてるうちにお前ェ等が全滅しちまうじゃねェかッ!正面から突っ込まねェと間に合わねェ!』
デニムが叫び返す。そう言っている間にも、またこちらの隊の一人が倒れた。
『矢が当たっちまうよ!俺達に仲間殺しをさせるつもりかい!?』
『だがッ!』
まだ言葉を続けようとしたデニムを、スキップのやけに静かな言葉がさえぎった。
『信じてくれ。全滅はしない。させるものか。それに、もうこの方法しかないんだ。分かって、くれるだろう?』
スキップは、何かを決意したような、何かを覚悟したような、そんな眼をしていた。
『…くそォッ!分かったよ!だが死んだら俺が許さねェからなッ!…戦士隊、ついてきやがれッ!!』
デニムが呼びかける。射撃隊を援護するにしきれず歯噛みしていた戦士隊は、意気揚々として従った。
『ヴァネッサも、行くんだ。奴等にいつでも攻め込まれかねないこちらよりは、向こうの方が安全だ』
スキップは静かに言葉を続ける。
『う、うん…アンタさ、負けそうなら逃げなよ?』
若干いつもらしい、だが気弱な口調でヴァネッサは言った。スキップが無言で頷く。
俺達別働隊は焦りの為、わき目も降らず敵の後方へ向かって行った。
だが、最後尾であった俺は遠目に見てしまったのだ。
多数の矢に四肢を撃たれ、ダンスでも踊るかのように撥ねるスキップの姿を。
藪の音で、ろくに会話をする暇もない。だがどちらにせよ、俺には会話をする気すら起きなかった。
膝がかすかに震えていた。スキップがこの世にいないかも知れないと言う実感が、足元から背中に這い上がるかのように気持ち悪い感覚とともに思い起こされた。
『アンタ、顔色悪いよ?こんな状況だからさ、気持ちは分からないでもないけどさ…』
ヴァネッサが俺に近づいて様子を伺う。彼女を始め、俺以外の皆はスキップが撃たれた事実を知らない。
『あ、ああ。大丈夫。』
俺はそう返事をするのが精一杯だった。ヴァネッサは心配そうな顔をしつつも走り続ける。
しばらくして藪を抜けると、テロリスト達の姿が見えた。前列はもう戦っている。
俺は奴等を見た瞬間、狂気に意識を支配された。
その狂気は最早止められなかった。止めるつもりも無かった。
スキップ。仇は討つ。
視界が、鮮烈な赤に染まった。
敵味方の血の色だった。
前の射撃隊を突破する為に集中していたテロリスト達は、奇襲に少なからず混乱した。
だが、ただでさえ体力が消耗している俺達にとっては、手に余る人数だった。
俺は殺意に彩られた頭の中で、首の無い死体や殺された母子、そして射たれたスキップの映像をリフレインしていた。
それは、まるで狂気を自分のなかから搾り出そうとしているような行為だった。そうでもしなければ、俺がこの人数に圧倒されて殺されるような気がした。
友人の死までダシにするのか、俺は?
頭のどこか、ほんのかすかなところで俺は自嘲した。
近接してきた敵を体当たりで飛ばし、転倒したところをハルバードで突く。柔らかい皮鎧を通し、槍の部分が肋骨の下あたりに食い込む。相手の痙攣する感触までが、柄から感じられた。
普通の精神状態であれば、生々しい感触にひどい嫌悪感を抱き兼ねない。だが今の俺にはためらいなど無かった。
不意に、俺の横っ面を風がかすめる。敵の射撃隊が放った矢だった。
馬鹿な、射撃隊は向こう正面の自軍で手一杯ではないのか。
一瞬、嫌な予感が脳裏を走った。
全滅、したのか?
言葉無き質問に応えはない。風を切る矢の音だけが返答した。