第四話 四神〜中編〜








1999.7.6      新宿.東京.



「…………痛ぅ……」

薄暗い部屋の中に、うめき声が響いた。

「……流石は朱雀、か……」

声の主は弓部道治。最前まで、マリィと醍醐と戦っていた青年だ。
その右手首から先は包帯に包まれている。
ふと、道治の背後で人の気配がした。

「……鏡か」

そちらを振り返るでもなく、道治が呟く。

「……手……どうしたの?」

こちらも、振り向かれもせずに気づかれたことをいぶかしむでもなく、道治の妹・弓部 鏡が兄に問い掛ける。

「ちょっとした火傷さ。朱雀の炎をまともに受けたからね。完全には流しきれなかった」
「私の施術がゆるかった?」
「いや、鏡の術は完全に機能していたよ。でなければ、僕は消し炭になっていた。相手が……朱雀の《力》が僕らの思惑よりも上だった、ということだよ」
「………………」

穏やかに、世間話でもするように妹へ言う道治だが、鏡は相変わらずの沈んだ表情のまま、その包帯に包まれた手を取った。

「鏡?」
「……兄さんばかり傷ついている」
「……………………」
「私はいつも安全な場所で ――― 兄さんは、いつも敵と一人で戦って、傷ついて、殺して ――― 」
「だが、鏡の《力》があればこそ、僕は一流の呪術師と互角以上に渡り合えるんだよ」
「でも……私の我が侭なのに」
「言い出したのが鏡だった、ってだけのことさ。僕だって、そのうち言い出していた」
「……………………」
「さて、と…………」

会話を打ち切るかのように、道治が立ち上がる。

「あと二つ……残っているからね。鏡、頼むよ」
「……分かった」





1999.7.6      ICU.桜ヶ丘病院.新宿.東京.



「龍麻、練習の機会はない。醍醐の身体には、それに耐え得る体力も時間も無いんだ」
「分かりました」

白衣に着替えさせられ、ICUで治療を受けている醍醐雄矢のもとへ向かいながら、岩山たか子女医は緋勇龍麻に手順を説明していた。

「難しくはない。理論的にはな。万物が流転し、大いなる輪となっているのはお前も知っているだろう。《氣》もまた然り。今の醍醐はその大いなる《氣》の輪が途切れ、自らの肉体を維持することすら出来なくなっている。これを元通りにするには、ゆっくりと時間をかけて醍醐自身の力で体内の《氣》の巡りを元に戻すのが一番良いのだが、今はそれが許される状況ではない。だから、少々荒っぽいこの方法を取る」
「はい」
「先ほども言ったが、お前の宿星、黄龍の器が持つ五行は土行だ。土行は金行、つまり白虎の宿星である醍醐へと《氣》を流す。そうやって流れた《氣》を水行、玄武の宿星を持つ如月へと流す。木火土金水の五行思想は知っているな?」
「は、はい、大体は」
「ならば良い。この流れを、外部から強制的に働きかけることによって人為的に創り出し、醍醐の体内の《氣》の巡りを正常な物に修正するわけだ」
「ええと……?」
「バイパスだよ、龍麻」

風水に関しては龍麻よりも一日の長がある如月翡翠が、いまいち呑み込めないと言った顔の龍麻に噛み砕いた説明をする。

「今、醍醐君の体内の《氣》が乱れているのは理解できるだろう? ならば、その乱れた《氣》ごと、正常な流れで押し流してしまおうと言うことさ。そうすれば、醍醐君の身体には正常な流れの《氣》が残る」
「あ、ああ、なるほど。やっと分かった」

如月の説明でようやく合点がいったのか、龍麻が何度も肯く。
と、何かに気づいたように龍麻が足を止める。

「それって……もしかして、乱れた《氣》の流れを如月の身体に送り込む、と言うことか?」
「そうだが?」
「そうだが、って、それじゃあ今度は如月が大変なことになるだけじゃないか!?」
「龍麻、醍醐君は《氣》だけではなく、肉体も重傷を負っているんだ。僕は幸い ――― と言うのもおかしいが ――― 肉体も《氣》も正常だ。《氣》が乱れたとしても、死ぬようなことにはならない」
「だけど!」
「いいかげんにしろ、龍麻」

なおも食いつく龍麻を、岩山院長がたしなめる。

「血が足りない患者に、貧血になるからと言って輸血をしない馬鹿がいるか? 安心しろ、如月はわしが責任を持って治す。だが、今のままでは醍醐の命は保証できん」
「……………………」
「龍麻、僕と醍醐君の命を天秤にかけているんじゃないんだ。醍醐君の命と、僕のほんの少しの健康。どちらが重いか、君なら分かるだろう?」
「……すまない、如月。先生、お願いします」
「フ、いいさ。君のそういうところを補う為に、僕たち四神が在る……僕は、そう思っている」

ICUの扉をくぐる。
ピン、ピン、という規則正しい機械音が響く。
明かりが仄かに室内を照らす程度なのは患者へ無用の刺激を与えぬ為か。
その、時の流れが停滞したような部屋のベッドに、白虎の化身・醍醐雄矢は巨躯を横たえていた。
ベッドの横では桜丘病院看護婦見習いの高見沢舞子が醍醐に掌をかざしている。常は葵以上の柔らかい笑顔を絶やさぬ彼女だが、今回ばかりはその表情に険しいものが宿っている。
表情だけではない。室内がもう少し明るければすぐに分かっただろうが、彼女の顔面は蒼白で、唇は蒼を通り越して白くなっている。包帯に包まれてはいるものの規則正しい呼吸を続けている醍醐よりも具合が悪そうに見える。
先程醍醐の病状を伝えた後、一足先に病室に戻って高見沢を背後から支えている比良坂紗夜の唇からは、音にならない声が漏れている。
呪歌。彼女は《力》を歌に乗せ、さまざまな効果を顕現させることがかなう。恐らく、高見沢の《力》をサポートする為、延々と歌い続けているのだろう。醍醐の眠りを妨げぬよう、だが効果を確実に表すように。
2人を見た瞬間、龍麻は自分で自分の首を縊りたくなった。先程の自分の迷いは、醍醐だけではなくこの2人をも苦しめていたのではないか。
自己嫌悪にとらわれ掛けた龍麻を、岩山女医が引き戻す。

「龍麻、いいか。さっき言った方法を使うには、2人の《力》を止めなければならん。強弱ではなく、乱れの無い正常な《力》の流れを流すことが肝要だからだ。そのため、余計な《力》の干渉は防がねばならない。だが、見て分かる通り醍醐の命は2人の《力》でかろうじて保たれている状態だ。機会は一度、それも一瞬。いいか?」
「……はい」
「如月は自己護衛の念を解け。だが気をゆるめるなよ。龍麻から醍醐を通る事によって、《氣》は爆発的に増幅する。それも、乱れた《氣》だ」
「ご心配なく。そういった訓練も積んでいますから」
「うむ、ならば良い」

では、と岩山院長が準備にかかろうとした時、龍麻が口を開く。

「如月、玄武に変じた方が良いんじゃないか? その方が如月自身の《氣》のキャパが大きくなると思うんだけど……」
「ああ、それはそうなんだが……それをすると、君や醍醐君の《氣》に影響しかねない。大小ではなく、流れ、性質を重んじるこの方法では、むしろデメリットのほうが大きい」
「そうか……」
「いいな、発勁の要領だぞ、龍麻。高見沢、比良坂、話は聞いているな?」

岩山女医の言葉に、2人の看護婦見習いがこくりと小さく頷く。
どうやら極限状態にありながらも、院長の言葉は耳に入っていたようだ。
まさにその時、周囲の空気が変わる。
桜ヶ丘のICUは霊的処置を施してあるが故に外界からの霊的な干渉を極力受けぬようになっている。にもかかわらず、ここにいる全員が ――― 醍醐を除いて ――― 感じ取れるほど、その変化は劇的に起きた。

「これは……!?」
「流石は東の頭領、御門晴明……これほどに早く、そして見事に五行の干渉を防いでくれるとは思わなかったよ」

不意の変化に驚く龍麻に、岩山院長の言葉が回答を与える。

「いいかい、いくら御門の若様がずば抜けた陰陽師でも、桜ヶ丘の結界を越えた上で五行を抑えるのは容易じゃない。今すぐに始めるよ! 龍麻、如月、準備はいいかい?」
「はい!」
「いつでもどうぞ」

院長の言葉に合わせ、龍麻と如月も醍醐に掌をかざし、半眼になる。
規則正しい機械音と比良坂の唇から漏れるかすかな旋律だけが、再びICUを支配した。





1999.7.6      桜ヶ丘病院玄関前.新宿.東京.



「良いですか、今言った通りの手順で、周囲の水氣を貴方に集め、《氣》の流れを止めます」

しとしとと降りしきる雨に濡れるのも構わず、御門晴明は病院の外でアラン蔵人に説明をしていた。

「オーライ、分かったヨ」
「では、青龍に変じて頂けますか」
「何でだイ?」
「説明を聞いていましたか?」
「聞いていたヨ?」
「……その上でわからないのですね。良いですか、今は雨が降っています。水氣が強い、ここまではいいですね?」
「ダイジョーブね」
「私たちが今からするのは、この周囲の《氣》の流れを止める事です。つまり、限りなく五行の属性を0にすると言う事。その為には際立って強い五行が存在するとやりづらいのです。ここまでもいいですね?」
「……まだダイジョーブね」
「そこで、今強くなっいる水氣を弱めようという事です。その為に、水氣が流れやすい木氣の宿星を持つ貴方に周囲の水氣を流して、五行の平均化をなそうというのです」
「分からないけど、分かったヨ!」
「……まあ、いいでしょう……青龍に変じて頂きたいのは、そうする事によって貴方の《氣》の器が大きくなるからです。器が大きい方がより多く流し込めますのでね。よろしいですか?」
「、ともかくセイリューになればOKネ?」
「そういう事です。では頼みますよ」

アランの精神集中を邪魔しないよう、と言うよりも、御門自身も術式の準備にかかる為、距離を開ける。

「Huuuuuuuuuu…………」

それを知ってか知らずか、アランは半眼となり集中する。
気負った様子はない。自然体、最も《氣》の巡りを良くする体勢だ。

――― ただ陽気なだけの人、という訳ではないようですね。

内心で感心するのにも皮肉を混ぜるのは、彼のいつからの癖だろうか。
と、思う事すらせず、御門もてきぱきと準備をはじめる。
五行の平均化、しかる後、一時とは言えその干渉を無効にする ――― この世の中のほとんどの行いがそうであるように、言うのは簡単だ。
だが水が高きから低きへ流れるように、夏が終わり秋が来るように、夜が明けて朝が来るように、つまり当然の事象としてある事柄を覆すのがどれだけの困難であるか。多少なりとも常識をわきまえているものであれば想像が付く。
もっとも、その事を御門に言ったとて、彼はいつもの皮肉な笑みを浮かべるだけだろう。彼は常人には到底不可能な事を涼しげにやってのける、それだけの才能と実力を持っているのだから。
その、やや薄めの唇から言葉が漏れる。
ただの言葉ではない。それ自体が力を持っている、呪だ。
直接的な効果をもたらすのではなく、自らの精神に働きかける。集中力を人為的に高める、術式の前段階だ。
喩えるならばさながらあらゆる電波・光波・電磁波を捉えるレーダーのように、御門の全神経が高まる。

「Haaaaaaaaaaaaaa!」

御門のすぐ側で《氣》が爆発的に高まる。
アランの身に東方の守護聖獣・少陽青龍が顕現したのだ。
全身をくまなく覆う蒼いオーラは美しい紋様を画いている。その紋様の一つ一つが青龍、つまり龍種の鱗を現しているのだ。
巨大な、そして凄烈な《氣》の奔流に御門も動きを止める。

――― いつ見ても、凄まじいものですね、四神とは……もっとも、その《力》の巨大さと頭の働きは正比例とはいかないようですが。

彼なりの賛辞を心の内だけで贈り、青龍と変じたアランに声をかける。

「よろしいですか、アランさん。早速始めますよ」
「オーライ」
「では、気を楽にして下さい。抵抗なさらぬよう……そうですね、目を閉じて200まで数えて下さい。声に出さないで結構ですから」
「OK!」

アランの景気の良い返事に応じ、御門はいつのまにか手にしていた杖を構える。

「…………オン!」

短く、小さく、だが鋭く、御門が気合の声を発する。
空気が哭いた。
降りしきる雨粒の一滴一滴に至るまでが、ギシリと軋む。

「……………………!!」

アランの身体が跳ねる。
急激に己が内に加わえられた《氣》の奔流に、肉体が過敏な反応を示したのだ。

「Ga…………ha……!」

だがそれでも、御門は術式を止めない。
大気が捻じれ、五行の歪みが生み出す力場は容赦無く2人を襲う。

「uh…………aaaaaaAAAAAAAAAA!」

アランの苦鳴が夜空に響く。
その声に乗って蒼い燐光が一際強く輝く。

「喝ッ!」

御門の鋭い声が、アランの苦鳴もろとも空間の歪みを断ち切る。
一転して、周囲が静かになる。
音が無いのではない。だが、確かに先程までとは異なり、静寂が桜ヶ丘病院を包んでいる。

「……ふう……」

杖を握る手に力がこもる。
略式の術で、強引に五行の干渉を抑えているのだ。どれだけの過負荷が御門の心身にかかるか、想像に難くない。
その御門の横で、アランは凄まじい形相で自らの内に流れ込む水氣の圧力に耐えている。いくら彼自身の五行である木氣と相性のいい水氣とは言え、その許容量ギリギリまで強制的に流し込まれているのだ。苦痛以上の苦しみが、彼を襲っている。
《氣》を視認出来る者であれば、あるいは視えただろう。アランを包む蒼いオーラが、まるで破裂寸前の風船のように臨界に近付いている事が。
青龍と化したアランの許容量の、その限界にまで、御門は周囲の水氣を流し込んでいるのだ。

「……さて、私たちに出来るのはここまでですよ。龍麻、後は……」





1999.7.6      裏庭.桜ヶ丘病院.新宿.東京.



「雨紋クン、どう?」

弓を手に傘を差して病院周辺を見回っていた桜井小蒔が、こちらは同じく傘を手に、片手に槍を手にした雨紋雷人に尋ねる。

「こっちは異常無しだ。ッても、相手が如月サンや御門サンみてえに高等な隠行を使えるンなら、自信はねえが」
「こらこら、そんな事でどうするのッ!」
「けどよ、実際この病院にはかなりの結界が張られてンだろ? その結界をぶち破って侵入してくるンなら、俺様でも分かるって。心配ないと思うけどな?」

雨紋の言う通り、ここ桜ヶ丘病院にはかなり格の高い結界が張られている。それはとりもなおさず院長である岩山たか子女医の霊格の高さを表すものだ。
だが。

「油断はダメ! 敵は ――― ゆんべ、っていったっけ ――― 四神と黄龍の成す結界を破ってひーちゃんに呪いをかけたんだよ? もしかしたら、この病院にかけられている結界だってたやすく破るかもしれないんだから!」
「ンな、考え過ぎ……とも言えねえか。事実、龍麻サンは呪いをかけられて、醍醐サンは酷い目に遭ってるンだしな……もういっぺん、見回ってくるわ」
「ウン、お願い。ボクも向こうを……」

――― !!

2人の反応は同時。
傘がうち捨てられ、雨紋が瞬時に構えを取る。その時には既に、小蒔の弓からは矢が放たれていた。
夜の闇と雨によって遮られた視界の彼方から形容し難い、だが確かに人のものではない声が聞こえる。
そしてその声が届くより先に感じる、紛れも無い人ならざるモノの気配。

「魑魅!」
「何時の間にッ!」

二の矢をつがえる小蒔と、小蒔の射線を遮らぬようその斜め前に構える雨紋。

「桜井サンの言う通り、この病院の結界もアテには出来なかったってことか……」
「今回ばかりは、予測が当たって欲しくなかったけど……ね!」

体内の氣を丹田に集め、練り上げて勁と成し両の腕を通じて弓と矢に纏わせる。弓を引き絞ると同時に勁を火氣に転じ、そして闇の中へと放つ。

「火龍!」

放たれた矢は一筋の炎と化し、闇を貫いてその先に潜む異形を撃った。

Syugaaaaaa!

火氣を纏った矢を受けた異形がおぞましい叫びを上げて炎上する。
その炎に照らされて、周囲の魑魅の姿が浮かび上がる。

「へッ……こんなにぞろぞろと来てやがったか! 桜井サン、援護頼むぜ!」
「行くよ、雨紋クン!」

立て続けに小蒔が矢を放つ。
放たれた矢の数はそのまま魑魅の死骸の数となる。
小蒔の矢が魑魅の群れを足止めしている間に,雨紋が間合いを詰める。

「派手に行くぜッ!」

数十体の魑魅に囲まれながら、どこか楽しげな雨紋の声が響く。
縦横に振るわれる愛槍からは紫電が飛び散り、本来の間合いを遥かに凌駕する範囲の魑魅を屠っていく。
雨紋の《力》は雷。
小蒔が炎を、如月が水を操るように、雨紋は己が勁を雷と成して操る事が出来る。
それに加えてその若さにそぐわぬ槍術の見事さ。元来、槍はその間合い、柔軟性、刺突という殺傷力の高い攻撃性から武器の王とも言われる。
『剣道三倍段』という言葉がある。これは、剣道は得物を使うと言う特性から他の徒手空拳の武術よりも勝っている、ということだ。つまりは徒手の武術で剣道に勝とうとするには三倍の段位が必要、という意味なのだが、槍術はまたその剣の更に三倍は強いと言われている。
古来戦場で名を馳せた豪傑達の多くは槍(もしくは槍に類する長得物)を好んで使ったと言う。戦場での働きを『槍働き』、大将首に最初に斬りかかる事を『一番槍』と言う事などからも、その強さ=戦闘面での有用さが分かる。
なお、更に弓は槍よりも重視されている。武家の事を『弓矢の家』と称するのはそれの名残でもある。が、それは余談。
ともかくも、その弓と槍を駆使し、更には《力》をも使いこなす2人の前に、魑魅の群れは瞬く間に切り崩されていった。

「この前みたいに無限に湧いて出たらどうしようかと思ったけど……」
「ああ、今回はどうやら、個数限定タイムセールらしいな」

軽口を交える余裕も出てきたまさにその時。

「……!?」
「今……なンか、変な……」

2人は仲間内でも《氣》を読む術に長けているわけではない。だが、それでもいまし方起きた周囲の《氣》の流れに起きた異変は感じ取る事が出来た。

「ウン……御門クンが五行を封じた……のかな?」
「ああ、なるほど。てこたあ、もうじき醍醐サンの治療も終わるってこったな」
「そうだね。もうひと踏ん張りだよッ!」
「っしゃあぁぁッ!」

一際強く大きく、雨紋の身体が紫電を放つ。
雷撃と愛槍に撃たれて魑魅が弾け飛んでゆく。

「いっけーッ!」

小蒔の矢が光を纏う。
鬼哭飛燕。
一矢、そのただ一矢が、魑魅の群れを根こそぎ消滅させる。
龍麻のように《氣》を勁と成してそのまま放つのではなく、小蒔のそれは矢に纏わせる、あるいは込められて敵に放たれる。
収束され、純度を上げられた小蒔の勁は彼女が放ちうる限界以上の密度を持って敵を貫き、光さえ伴うその余波は充分すぎる威力を持って周囲の敵をも薙ぎ払う。
2人が感知し得た魑魅の気配は、すべて消滅した。
ほっと一息ついた、まさにその瞬間。

「あぶねェ、桜井サンッ!」

雨紋のその叫びより速く、小蒔は飛びのいていた。
いつのまにか小蒔の背後に忍び寄っていた巨大な何かが、小蒔に殴り掛かったのだ。

「ちッ、まだいやがったかッ!」

小蒔が間合いを空ける隙を作る為、雨紋が槍をしごいて襲い掛かる。
だが、戦闘中で集中力を研ぎ澄ましていた2人に気取られもせずに小蒔の背後に回り込んだこの魑魅 ――― であろう、恐らく ――― は、油断ならない相手だ。
牽制の為、深入りせずに刺突を繰り出す雨紋は、改めてその魑魅の姿を確認した。

――― ナンつうか……この魑魅ってのを生み出した野郎は、相当のサイコだな。

内心でそう毒づくほど、その魑魅の姿は異様であった。
身の丈は3m近くもあろうか。魁偉、と言うにふさわしい、筋骨隆々たる肉体だ。
だがその腕は身体の右側に2本、左側に1本。その全てが常人で言うところの左腕の形をしている。
そして頭は首の上に横向きに、右側を下にしてくっ付いている。それ以外の形状がまともな人間のそれである分、余計におぞましい。

「そういう風に生まれさせられたお前に罪はねえが……俺様には、護らなきゃならねえ、護りたいものがあるンだッ!」

その異形に一抹の哀れみを抱くも、すぐさまそれを否定して雨紋が連撃を繰り出す。
異形が素手なのに対し、雨紋は槍という長物を持っている。だがそれでも、リーチでは雨紋が若干有利なだけに過ぎない。相手の懐に入ってしまっては、たちまちあの丸太のような腕に吹き飛ばされるだろう。
力比べでは到底かないそうも無い。では、若干有利な間合いと、恐らくはこちらが勝っているであろうスピードで引っ掻き回し、小蒔の必殺の一矢に賭ける。
その雨紋の試みは、背後の弓師に通じていたようだ。

「雨紋クンッ、3時!」

その叫びが耳に届くや否や、雨紋は弾けるように右側に飛びすさる。
雨紋が一瞬前までいた位置を、小蒔が狙い済まして放った矢が貫いていく。
矢は寸分も狙い違わず、異形の右目 ――― 右、と言うか、下 ――― を貫く。

「Syaaaaaahhhhhhhhgggg!!」

形容し難い声を上げ、異形がその場に膝を突く。
小蒔の弓の腕前は、出場の機会にこそ恵まれなかったものの高校弓道会では全国区だ。その小蒔が《力》を乗せて放った矢だ。眼球を貫き、絶対急所である脳髄に到達していると思われた。

「やったぜ、桜井サン!」

そう思われたのだから、雨紋がそう叫び、小蒔も緊張を解いたのは無理も無い。
だが。

「Guruaaaaaaaahhhhhhhh!!」

雄たけびと共に、異形は再び立ち上がる。

「マジかよ!?」
「アレで動けるのッ!?」

だがそれでも、狂ったような異形の猛攻を防いだ雨紋の腕前と、次の矢をつがえた小蒔の冷静さは称賛に値する。

「チィィィ! コイツ、速ぇ!」

3本の腕から繰り出される、予測も付かない連撃に雨紋が徐々に追い込まれていく。
異形の動きの激しさに、小蒔も援護の矢を撃てずにいる。

「調子に……乗るンじゃねェ!」

気合の叫びと共に、雨紋が刺突を繰り出す。
間合い・速度・バランス、文句の付けようが無い一撃。
だが、その刺突が届く寸前、異形の姿が消えた。

「 ――― ウソだろッ!?」

消えたのではない。それが分かったから、雨紋は恐怖した。
消えたのではなく、消えたように見えるほど、素早く動いたのだ。
雨紋の背後、小蒔の目前へ。

「 ――― えッ?」

雨紋を援護しようと、両者の挙動を遠間から見ていた小蒔は反応しきれていない。

――― ヤベェッ!!

異形の腕が振り上げられる。
小蒔が弓を引き絞る。
間に合いそうに無い。
だが、雨紋の身体が、それらに先んじて動いた。
反応ではなく反射で。
その右手から投擲された槍は、空気を裂いて飛来し、今まさに小蒔の頭に振り下ろされようとしていた異形の腕を貫く。

「Guruaaaaaaaaaaaaaahhhggggggggg!!!」

必殺の一撃を放とうとした腕を、逆に使い物にならなくされた異形は耳障りな叫び声を上げる。
その目前で、小蒔は逆に冷静に弓を引き絞る。
体内の《氣》を勁と成し、火氣へと転じて矢に収束する。
先程放った『火龍』と同じ、だが比べ物にならないほど、激しい熾炎が鏃に込められる。

「これで終わりッ……九龍烈火ァァーッ!」

超至近距離から放たれた、九条の炎に貫かれて、異形は驚くほど呆気なく、その身を大地に伏した。

「……やった……かな?」

それでも油断無く、小蒔が間合いを取って矢をつがえる。
だが、それが取り越し苦労だという事を証明するかのように、異形の身体は淡い光を放って消滅する。
跡に一枚の、焼け爛れ、破れた符を残して。

「式……だったのか?」

槍を手に取り、その石突で地面に落ちた符を突ついて雨紋が呟く。
だが、こういう方面に関しては素人同然の2人なので、この場では答は出ない。

「みたいだね……こういうのは、御門クンに任せた方がいいかな」

矢を二本、器用に箸のように使って、符をつまみあげながら小蒔が言う。
こういった物に迂闊に手を触れるのは、流石に控えたのだ。

「それより、さっきはアリガトねッ。雨紋クンが槍を投げてくれなかったら、ボク危なかったよ」
「へへッ、ま、俺様も命は惜しかったしな」
「? どういう事?」
「桜井サンに、毛ほども傷が付いたら俺様が龍麻サンに殺されるって事」
「なッ、ばッ、何言ってんだよッ!」
「照れない照れない。今更さ」
「そ、そういうこと言ってんじゃなくってッ!」

ぎゃいぎゃいと言い合いながら、2人は再び病院周辺の警護に戻った。





1999.7.6      ICU.桜ヶ丘病院.新宿.東京.



――― 発勁の要領で、だが『撃つ』のではなく『流す』つもりで……

醍醐の左胸、左肺から心臓に向けて左掌を押し当てながら、龍麻は以前共に戦った劉 弦月から教わった活勁のコツを反芻していた。
無論、教わっただけで修行もせずに出来るほど、活勁は簡単な術ではない。弦月ほどの才能を持つものが、血のにじむ努力の末に体得できる高等技術なのだから。
だがそれでも、そのわずかに聞きかじったコツに頼るしか、龍麻はすがる術を持っていなかった。
醍醐と、ことによれば如月の命をも、龍麻の放つ勁が握っているのだから。
その龍麻に、力無く垂れ下がる醍醐の左手を握り締めた如月が声をかける。

「龍麻、気負うな。いつも君が言っている事だぞ。出来るか分からない事なら、出来ると信じて挑め、と」
「…………ありがとう、如月」

如月は、決して饒舌ではない。むしろ寡黙だ。
その激励の内容よりも、その如月が龍麻を言葉で励ましてくれた行為自体に、龍麻はいくらか楽になる。
意を決し、枕頭にたつ岩山女医に声をかける。

「……先生、タイミングをお願いします」
「うむ。いいな、カウントは3だ。0と同時に高見沢と比良坂は施術を解け。龍麻はそれと同時に勁を送り込むんだ。いいね」
「はい」

岩山院長の言葉に龍麻は返事をし、如月はゆっくりと頷き、2人の看護婦見習いは微かに首を縦に振った。

「いくよ! 3!」

静かに深く息を吸う。

「2!」

ゆっくりと大きく息を吐く。

「1!」

鋭く短く息を吸い、止める。

「0!」
「哈ッ!」

強く、だが静かに龍麻が勁を放つ。
高見沢と比良坂の身体が崩れ落ちる。
醍醐の体が大きく仰け反る。
如月が息を殺して苦鳴を堪える。
すべては同時に行われた。

「どきな!」

荒々しく、岩山院長が龍麻の身体を退け、醍醐に触診を開始する。
勁を放った事以上に、今までに無い緊張感から、龍麻は全身に汗をかいていた。
だがそれでも、岩山女医の挙動から目がそらせない。
それは常に超然とした表情を苦しげなものに変えている如月も、疲労と緊張の極致から糸が切れたようにへたり込んだ2人の看護婦見習いも同様だった。
皆、息一つしない。
自分が何か余計な事をしてしまえば、それだけでこの状態が崩壊しそうだったから。

「………………………………」

永遠にも思える数秒。
規則正しい機械音が、やけに鼓膜を打つ。

「……ふう。上手く行ったようだね」

岩山女医のその言葉が聞こえるに至って、ようやく一同は大きく息を付いた。

「よ…………良かったぁ……」
「初めてにしては上出来だ、龍麻。ただ、醍醐の肋骨が3本ばかり折れているが。お前の勁は、人間の身体に透すにはあまりに強すぎる」
「えッ! だ、大丈夫なんでしょうか?」
「常人なら1週間は入院だが、内臓にも影響はないようだし、この骨折自体は3日もあれば完治できる。その為に美里を呼んでもらったのだからな」
「そ、そうだったんですか」
「ともあれ、良くやった。醍醐はもう心配ない」
「ダーリン、お疲れ様ッ♪」

真っ青な顔で、それでもいつもの明るい笑顔で高見沢が龍麻に抱き着いてくる。

「高見沢こそ、お疲れ様……ありがとう。醍醐を助けてくれて。比良坂も、本当にお疲れ様」
「えへへッ」
「いえ、私は高見沢さんのサポートでしたから……」

龍麻の素直な謝辞に、高見沢はますます笑顔を明るくし、比良坂は頬を染めてうつむく。

「如月……大丈夫か?」
「ああ……と言いたいところだが……」

如月自慢のポーカーフェイスも、完全に苦悶の表情にとって変わられている。
それでも膝を付く事すらせず、毅然と二本の足で立っているのは流石は飛水流の継承者と言うところか。

「すまない……僕は、いつも皆に辛い目を……」
「本気で怒るぞ、龍麻……この場合、僕が言って欲しいのは謝罪じゃない。分かるかい?」
「……ありがとう、如月」

龍麻のその言葉に、如月は青い顔で、それでも確かに微笑んだ。

「さあ、高見沢と比良坂は仮眠を取りな。ワシはこれから如月とアラン、醍醐の応急処置をする」
「如月と……アランもですか?」
「今、アランは御門の術によって周囲の水氣をすべて、その身に受けている。いくら青龍と言えどオーバーヒート寸前のはずだ。早く行って止めさせて……む?」

岩山院長がそこで言葉を切ったのは、不意に周囲の五行が正常に戻ったからであった。

「これは……御門が施術を解いたのか?
「フン……あの若様もやるじゃあないか。今し方、龍麻の放った勁を感じ取ってこちらの治療が済んだ事を知ったね」





1999.7.6      ロビー.桜ヶ丘病院.新宿.東京.



ICUから仮眠室へと向かう比良坂と高見沢を見送り、龍麻がロビーに戻った時には、既に小蒔と雨紋、御門がロビーへと集まっていた。アランはソファに寝かされている。マリィは先程と変わらず、葵の膝枕で眠ったままだ。
如月はあのままICUのベッドで院長から応急処置を受けている。

「皆、お疲れ様」

開口一番、龍麻は皆をねぎらった。
その言葉に最初に反応したのは御門だった。

「龍麻、まだその言葉は早いでしょう。とりあえず、アランさんも治療室へ運んだ方がよろしいのでは?」
「うん、それを頼もうと思っていたところ。雨紋、運ぶのを手伝ってくれないかな? ICUに連れて行くんだ」
「ああ、お安い御用だぜ」

龍麻と雨紋がアランを担いでICUへと行くと、小蒔が先程拾った符を御門に見せる。

「御門クン、これがさっき言った符なんだけど……何か分かる?」
「ふむ、見せて下さい」

小蒔が恐る恐る矢で摘んで差し出した符を、御門は無造作に手に取り、しげしげと眺める。その無造作ぶりに、小蒔は逆に拍子抜けした。

「手で触っても平気なの、それって?」
「人によります。私は大概の術は返せますから平気ですが、まあ貴方達は素手では触れないのが賢明ですね」

さらりと言ってのける御門に、小蒔は一言も無かった。
だが、その御門の表情が徐々に険しいものに変わっていく。

「……御門クン?」
「これは……いや、しかし……」
「何か分かった?」
「……いえ、まだはっきりとは言えません。ですが……敵は、私が思っていた以上に、したたかなようですね……」
「どういう……こと?」

小蒔の言葉には応えず、御門は指を一つ鳴らす。
メラメラと音を立てて、符の残骸が炎上する。

「……どうやら、本気でお相手せねばならないようですね……弓部 ――― 」

その呟きは、符の燃え上がる音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。





1999.7.6      新宿.東京.



「 ――― ッ!」

雨に打たれて夜道を歩く弓部道治の右手が、突然弾けるような動きを見せた。
まるで、熱い鉄塊に触ったかのように。

「……流石は御門晴明……今世紀最大と言われる天才陰陽師、か……」

見れば、その包帯に巻かれた右手の人差し指からは血が滲んでいる。新しい傷のようだ。そう、今まさにつけられたかのような。

「あんな残骸から呪詛返しをするとは、ね……侮っていたわけじゃあないけど、気を引き締めないとな」

略式の印を組み、呪詛返しの元となった符と自分との因縁を断つ。

「でも……まだ、彼らは僕の掌の上から出てはいない」

中性的な、繊弱にも見える美貌に、不似合いなほどに不敵な笑みが浮かぶ。

「まだまだだ。まだ、踊ってもらわなきゃ……ねえ、鏡 ――― ?」

重い雲の垂れ込める夜空を見上げて、道治は静かに、そして優しい声で呟いた。





1999.7.6      新宿.東京.



暗い部屋。
一人。弓部 鏡は、一人。

「……一枚の鏡……」

胸元にかざされた左の掌が、淡い燐光を放っている。
何か握られているわけではない。開かれた掌は、それ自体が淡く光っている。

「……二枚の鏡……」

同様に、左手と向かい合わせに開かれた右の掌にも、また燐光が宿る。

「…………でも、私は一人……」









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