四月
旧校舎前に一人佇む彼を見つけたのは……まあ、偶然であった。
「緋勇クン、なにしてんの?」
空には一番星が出ている。転校したてで部活にも入っていないのに……こんな時間に、誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。
「桜井さん……今まで部活だったの?」
その顔に笑みは浮いていたが……どうにも固い。それに瞳が笑っていない、そこから読み取れるのは恐れ、怯えといった負の感情。無理して微笑んでいるのが丸分かりであった。何故?の疑問は大きくなる。
「うんッ!大変なんだよ今の時期、新入部員の事とか新しい練習メニューとかやんなきゃいけない事たくさんあって」
ようやく区切りがついて、さて帰ろうとした時教室に忘れ物したのを思い出し……窓から彼の姿を見つけたのだ。ちなみに一緒に仕事をしていた副部長は、彼氏が待っててくれていたからと言って、とっとと先に帰ってしまった。今度友情についてじっくり語り合おうと考えている。
目の前の彼はこちらの話を笑って聞いていてはいるのだが、やはりどこか様子がおかしい。その姿はどこか弱々しく……泣きたいのを我慢している子供を連想してしまう。
「……何を……悩んでいるの?」
その問いかけに驚いた顔をする緋勇。だが彼女にはそうとしか見えなかったのだ。
「どうして、そう思う?」
声が震えていたかもしれない、心の中を見透かされた気がした。軽口で誤魔化そうかとも一瞬考えたが、こちらを見つめてくるあまりに真摯で心配そうな瞳に嘘をつきたくはなかった。
「どうしてって、そうとしか見えなかったから…いつものキミらしくないって言ったら失礼かもしれないけど」
彼女の知る 緋勇龍麻。教室で京一と笑いあっている彼、重い荷物を運ぶのを手伝ってくれた彼、お花見でマリア先生の質問に照れながら答えていた彼、その後の戦闘で皆を庇うように刀を持った男に向かって行った彼……少なくとも知る範囲での彼と今目の前の彼は別人の様だった。
「そうか……」
しばらく無言、静かに重くなりつつある空気を変えようと、何か話すべく口を開きかけた彼女に
「……怖くって」
『え?』唐突にかけられた言葉は意表を突いた。
『うそ、震えてるの?』初めて見る…まだ知り合って一ヶ月程なのだが…その姿に心を打たれる間にも告白は続く。
「……帰りがけ、この校舎の前を通って……転校してから今日までの事を思い出したら、急に怖くなって、動けなくなったんだ…桜井さんが声をかけてくれていなかったらずっとあのままだったかもね」
<桜井さん>という呼ばれ方に不満があるが、今はそれどころではない。
『怖い』
昨日もたしか同じ言葉を彼から聞いた。
京一の『日本刀と拳で渡り合うなんてお前も相当肝が座ってんな』という奇妙な賞賛に対して苦笑混じりに『怖かった』と言い返していた。
その時の言葉には余裕があったのに……今の彼の言葉は明らかに違う、重い。
「何が怖いの?」
恐る恐る訊ねる。
本当に何を怖がっているのだろう?あんなに強いのに。
つい先日の闘いを思い出す。まるで踊っているかのような身のこなしと凄まじい破壊力を持つ技の数々、それにこちらを気遣う精神的な余裕もあった。あれを見る限り命を無くす可能性を考えての恐怖心ではない……と思う。だとしたら一体?
「わからない」
「へっ?」
返ってきた答えにキョトンとする小蒔。からかわれているのだろうか?笑うべきか怒るべきか?だがその瞳の真剣さは変わっていない。どうやら本気で言っているようだ。
「……この前の闘いで、もし加減を間違えていたら刀を持った人の命を奪っていたかもしれない事や、武を学ぶ者としてそんな命の遣り取りを心の奥で楽しんでいた事……皆が大怪我したらっていうのもあるか…色々あってそれが混ざり合って…闘いへの覚悟は決めたはずだけど……情けないな」
上手く説明できず、もどかしそうな様子。その憂いの見える横顔は端正であり、寂しげ。その不安は周りの雰囲気も暗くしていた。普通の人ならいたたまれなくなっているだろう。
しかし小蒔は何の感情も示さずその正面に立ち……、
むに
おもむろに彼の両頬をつまみ軽く引っ張る。
まったくの想像外の行動に龍麻の反応できずされるがままであった。
「ふぁ、ふぁくらひふぁん?」
「うーん、面白い顔までハンサムっていうのは反則っぽいなあ」
何か納得していないような口調、そこから感じ取れるのは、
「まあ眉間のしわが無くなっただけでも良しとしよう!」
「ふぉくわってふ?」
「……ゴメン、ちょっとわかんないや」
それでも頬を放そうとはしない。多分『怒ってる?』と言ったのだろうと解釈して……正解だった……話を続ける。
「……あのね緋勇クン、キミが悩んだり怖がったりしている事は、一人で考えてどうなるってもんじゃ無いよ、多分」
「…………」
「葵も醍醐クンもそうだけどさ……なんで一人で悩もうとするの?五人もいるんだよ、旧校舎でおかしな<力>の持ち主になったのは……そりゃあさ、ボクだって答えを知っているわけじゃ無いけど、一緒に悩んだり怖いのを慰めあったりするぐらいは出来るんだよ!一人で怖いのを我慢しているよりよっぽどマシじゃない?」
「…………」
「それとも、そんなにボクって頼りないのかな」
感情が高ぶってきたのか瞳が潤んでいる。慌てて首を振る龍麻、だが両頬をつままれているので小刻みにしか動かなかった。
小蒔の言葉はまだ続く。
「それにさっき『覚悟は出来ている』っていったよね」
「…………」
「キミがどうかしちゃったらボク泣くからねッ!」
「!?」
「泣いて、喚いて、周りが迷惑するぐらい取り乱すからねッッ!!」
「むーッ……」
「キミがどれくらいの『覚悟』をしているか知らないけど、周りのミンナはそんな『覚悟』全然出来ていないんだから!ちゃんとそうゆう事も考えてよ、わかった!?」
こくこくとやはり小刻みに首を動かしうなずく龍麻。
「うんッッ!!」
それを見てようやく手を放す小蒔。その顔に満足げな笑みが浮かぶ。が、彼の頬が真っ赤になってしまったのを見てそれは心配と後悔の表情に変わる。
「ゴメンッ!!痛かった?」
確かに龍麻の頬は赤くなった。最初はずっとつままれていた為、そして今は包み込むように両頬を押さえる小蒔の掌の温かさに。
「なんか、ボクらしくないな」
弟達を叱る時と同じ事をクラスメートにしてしまった、それもついこの間転校してきた男の子に。お説教ってガラでも無いのに!
ああは言ったけど、一人で悩みたい時もあるとは思う。でも緋勇クンの辛そうな顔を見ていたらほうっておけなくなっちゃって、お節介かもと思いつつあんな事しちゃって……なんでだろ?友達だから、仲間だから、かな……それとも……?
「ま、いいかッ」
少なくとも彼の気は楽になったようだった。挟まれたその顔に暖かい笑みが浮かんでいる。憂い顔も悩ましげな顔も確かに整っているのだが。
「やっぱり笑顔が一番いいよ、うん」
小蒔の断言にひたすら照れる龍麻。まあすでに顔は赤くなっていたので気づかれはしなかったが。
彼女の言葉は確かに彼の心を軽くしていた。自分でも驚くくらいに。
そう、彼にしてみれば色々初めての体験だった。同い年の女の子に叱られたのも、その怒った顔、泣きそうな顔、そして笑顔や心配そうな顔をこんな近くで短時間に見たのも、面と向かって笑顔を誉められた事も……そして……何か不思議な感覚が胸に宿った事も。
よくはわからないが悪い気分では無い。
「ありがとう、桜井さん」
自然に出てくる感謝の言葉。そして、自然に出てくる、その人のためだけの心よりの笑顔。いつもより更に柔らかく……やっぱり心が暖かくなる。
『うわぁ…』
小蒔は自分の頬が熱くなってくるのを自覚した。自分の手が彼の頬を包んでいる事が急に恥ずかしくなってきて慌てて放す。
「い、いいよお、お礼なんて!それよりッッ!!」
照れ隠しの為か話題を替えようとするがどうも声が上ずってしまう。
「その『さん』づけで呼ぶのやめてほしいな、同い年なのに堅苦しいよ」
……親友の一人に『様』づけで呼ぶ子もいるのだが、そちらは半ば諦めている。彼女らしいとさえ最近では思いはじめていた。しかし彼には……
「なんか先生や後輩に呼ばれてるみたいでさ、呼び捨てでいいって」
「……えっと……さくらい?……」
「……だいぶ無理してるでしょ」
「まあ、ね。何か偉そうだし」
「そだ、名前で呼んでよ、京一みたいにさ。ボクもキミの事『龍麻クン』て呼ぶから、ね、いいでしょ?」
「かまわないけど……小蒔…さん」
「ありゃ…まあいいや、直に慣れるよ」
苦笑混じりにうなずく小蒔。気がつけば辺りはもう暗くなっていた。
「そろそろいこうよ、龍麻クンッ!犬神先生にでも見つかったら思いっきり怒られちゃうよ」
「そうだね……ラーメンでも食べに行こうか、なんかお腹空いてきた」
「あ、賛成!!ボクもうお腹ぺこぺこだよ」
「そうだ、今日は奢るよ。お礼も兼ねて」
「へへへ、サンキュ!でもお礼言われるようなことじゃないよ。ボク達、その…」
『友達だろ?』
と言いかけ何故か言いよどんでしまう。自分でもよくわからないが、なんとなく……。
「えッ?」
「う、ううん、何でもないよ。さあ、行こうッッ!!」
言いつつ駆け出す小蒔。
自分の中に不可思議な感情が芽生え始めている事にまだ彼女は気づいてはいなかった。
小蒔がその感情を意識するようになるのは、彼の事を『ひーちゃん』と呼ぶようになってからである。
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