最終話 父








 目を覚ますと、真っ白い天井が見えた。

(ここは…何処だ…?)

 京一は必死に記憶の糸を手繰り寄せる。

(…そうだ、確かひーちゃんの親父さんと闘って…俺が負けたのか…?)

 しばらくボーっと頭を巡らせていると、

「よう、お前も目が覚めたのか」

 声の方を振り向くと、醍醐が自分と同じ様にベッドに寝かされていた。その向こうには壬生の寝ているベッドも在る。

「醍醐ッ、これは――ッ、痛ッ!!」

 慌てて身体を起こそうとすると、そのあちこちで鋭い痛みが走る。

「お、おい、お前は俺達の中で一番重症だッたんだぞ!無理をするな」

 醍醐が驚いた様に声を掛ける。

「ヘッ、これぐらいどうって事ねぇぜ。それよりひーちゃんはッ!?」
「…恐らく、最後の闘いへ向かっただろうね」

 壬生が虚空を見つめるような眼で答えた。

「…なら、俺も――」

 言って、京一が再び起き上がろうとする。

「おい!そんな身体で何処へ行くつもりだ!」

 醍醐が慌てて制止しようとするが、京一は構わずベッドを抜け出した。

「俺は――あいつを護るって決めたんだ。一年前のあの闘いの時から、あいつの背中を預かるのは俺の役目だ。他の奴に任せておけるかよッ!」
「だが、何処へ行ったら良いのか分かっているのかい?」

 壬生が冷静に問う。

「心配いらねぇさ。何となくだけどよ、あいつが呼んでる気がするんだよ」

 痛む身体をものともせず、京一がすっかり身支度を整える。

「フッ、そうかも知れんな。俺達はずっとそういう星の下に生きて来たんだからな」

 醍醐が小さく笑みを洩らし、自らも起き上がる。

「なら、何時までもこんな所に寝ている訳にはいかないね」

 壬生がそう言って、点滴の針を引き抜いた。

「ヘッ、ならとっととあいつの面を拝みに行くかッ!」

 それから暫く後、

「みんなぁ〜、身体の具合はどぉ〜?」

 様子を見に来た舞子は、部屋がも抜けの殻となっているのを見て、しばしきょとんとした顔をしていたが、やがてサァッと血の気の引くのを感じた。そして――

「たかこ先生〜〜〜!!」

 病院内に舞子の叫び声がこだました。


 


「フッフフ…、現れないのではないかと心配してしまったぞ、龍麻――」

 龍麻達5人が寛永寺に駆け付くと、そこに1人の男が待ち構えていた。その男こそ、一連の事件の張本人にして、龍麻の実の父親――緋勇弦麻である。そしてその姿は、龍山と道心がよく知る18年前の姿そのままであった。いや、一見同じではあるが――

「久し振りだな、新井龍山、楢崎道心。貴様等のような老いぼれまで来るとは、さては長く生き過ぎてそろそろ黄泉路への旅に出たくなったか?」

 かつて優しかったその眼差しは、邪な欲望と狂気に彩られ、周りを暖かく包んでいた陽気は、触れる者に苦痛と狂乱を誘う瘴気と化していた。

「なんと…弦麻、お主…ッ!」
「こいつぁ、まるで『凶星の者』じゃねぇかよ…」

 そう、その雰囲気はかつてこの東京(まち)の命運を賭けて龍麻達『選ばれし者』と闘った、『凶星の者』柳生宗嵩に酷似していた。

「何を驚く?貴様等の事だ、俺の身体にヤツの《力》が加わっている事ぐらい、既に気付いているのだろう?ならば俺の氣がヤツに似たとして何の不思議がある」
「…弦麻、よもやお主…?」
「フン、何時までお喋りをしているつもりだ?俺を斃しに来たのではないのか?」

 弦麻が龍山の言葉を遮り、口元に嘲笑を浮かべる。

「――その通り。死んで行った人達の為にも、護るべき大切な仲間達の為にも、僕は貴方を止める為に来たんだ。例え貴方が僕の父でもッ!!」
「ならば、斃して見せろ、この俺を。そして、大切な者とやらを護って見せろ、お前の《力》でッ!!」

 それが――父と子、互いの命を賭けた闘いの始まりとなった。

「いっけーッ!!」

 小蒔がまず、牽制の矢を射る。しかし、なんと弦麻はそれを指で掴み取った。

「エッ!?」
「これが選ばれた者の《力》だと言うのではあるまいな?」

 つまらなそうに言いながら、その矢を2本の指で折る。

「小手先の技で俺を斃せるなどと思うな。全力で掛かって来い。そして――もっと俺を楽しませろ」
「ほな、これならどうやッ!?グアン・ジー・ヂャン!!」

 劉の掌から生み出された光の波動が弦麻の身体を撃つ。が、その光は弦麻の左腕の一振りであっさり霧散する。

「ンなアホな…………まあ、どっちにしろ今ので斃せるゆうんは思うてへんかったけどな」
「…お前は確か客家の…?」
「へへ、覚えていてくれはりましたか。ワイは客家の劉弦月。長老、劉蒼月(りゅう・つぁんゆえ)の孫息子や。弦麻殿より1字貰うたこの名前はワイの誇りです。だから、これ以上その誇りを汚さん為にも、ワイはここであんさんを、ワイ等客家の恩人である弦麻殿を斃すんやッ!!ほあたたたたッッ!!アタァッ!!」
「……ならばその誇りを胸に抱いて死ね。ハァァァァ――ッ!!」

 劉の渾身の氣を込めた最強の奥義までもあっさりと吹き散らし、逆に弦麻の放つ『黄龍』の《力》が劉に迫る。躱せるタイミングではない。

(…アカン、ワイもここまでか…)

 劉の表情に諦めの色が広がる。が、

「死なせないッ!!」

 目の前に龍麻が飛び出し、その《力》を真っ向から受け止める。

「ア、アニキッ!?」
「もう、誰も死なせない。誰一人仲間を傷付けさせないッ!!」

 じりじりと均衡していた2つの《力》だったが、不意に弦麻の放ったそれが掻き消える。

「ほう、対極の力を持って、我が陰の《力》を相殺したか」
「貴方が斃した僕の仲間には、僕達と表裏一体の技を持つ男がいる。彼と共に闘う内に、対極の力と言うものはもう一方をより高める事も、逆に完全に相殺する事も出来ると知った。なら僕の持つ、陽の『黄龍』の《力》で、貴方の陰の《力》だって打ち消せるはずだと思ったんだ」
「フッ…フフ…フハハハハッ!!面白い、まこと面白いぞ。流石は我が息子。そうだ、もっともっと俺を楽しませるが良い!」

 さも可笑しそうに笑う弦麻の姿は、まるで闘いそのものを楽しんでいるようであった。

「…やはり…」

 龍山がぽつりと呟く。

「…ああ、そうだな…」

 それを道心が受けた。

「ど、如何したのッ!?お爺ちゃん達ッ!?」

 小蒔がそんな2人の様子に気付いた。

「あやつは、弦麻は修羅道に堕ちたのじゃ」
「ヤツは昔から純粋な求道者だった。常に力を追い求め、自らをより高みへと昇らせる事を範として来た」
「だが、力を求める事は諸刃の剣、恐らくあやつは柳生の《力》を封じた際に、その残留思念に冒され、破壊的な欲望だけが増幅されたのじゃろう」
「今、あそこにいるのは人間じゃねぇ。人の形をした鬼よ」

 苦渋を滲ませて2人の老人が交互に語る。

「そ、そんなッ…!」
「だが、それも元はと言えば我等の罪ッ!」
「せめて俺等の手で引導を渡してやるぜ、なあ弦麻よッ!!」

 2人が老人とも思えぬ素早い動きで2手に分かれると、それぞれが異なる印を結び呪法を唱える。

「バン・ウン・タラク・キリク・アク…」

 龍山が符を構えて呪いを口にすれば、

「ナマクサマンダバサラナン・センダマカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン…」

 道心が不動明王法を示す真言(マントラ)を紡ぎ出す。
 そして――2つの《力》が同時に弦麻へ向かって走った。弦麻は龍麻と劉の2人を相手していた為に――もっともそれは子供の相手をするかのようなものであったが――ほんの僅かに反応が遅れた。

『常世へ還れ、我が友よッ!!』

 龍山の術が弦麻の動きを封じその場へと繋ぎ止め、道心の放つ神聖な輝きが弦麻の身体を打ち据える。凄まじい力だった。

「…す…すご…い…」

 小蒔が思わず感嘆の声を洩らす。

「ぐおおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 その力にさしもの弦麻も苦悶の声を上げる。

「…弦麻よ、まさか息子の様に思っていたお前ぇと闘うハメになるとはなぁ…」
「だが…わし等がそっちへ逝くのもそう遠くはないじゃろうて、少しの間迦代さんと2人で待っていてくれい…」
「もっとも俺達ゃあ、お前ぇ等のいる極楽へは行けねぇかも知れんがよ…」
「ふぉッふぉッ、確かにの…」
「…それじゃあ、そろそろ終わらせるぜ」
「うむ…さらばじゃ、弦麻ッ!!」

 溢れんばかりに哀惜を込めて、2人の老人がかつての友へ別れを告げる。同時に2人の《力》が一段と輝きを強める。一瞬の後に光の華が散った。

「やったッ!?」

 小蒔が歓声を上げた。が、

「くはははははは!!」

 光が消えた後、そこには何事も無かった様に弦麻が立ち、哄笑を響かせた。

「…なんと…あれを受けて無傷だと言うのか…」
「…これが『黄龍』の《力》かよ…」

 呆然として呟く2人は既に激しい疲労感を伺わせ、肩で息をしている。先程放出した《力》により、かなりの消耗をした様子だった。

「ふっふふ、老いたな龍山、道心。18年前ならば俺を斃せていたであろうがな。今のお前達の《力》では全く効かん、とまでは言わんがその程度で俺を斃すことは出来ん」
「チッ、全く年は取りたくねぇモンだぜ…」

 息を切らせながら道心が呟く。

「フッ、自分達の老いを味わったら、一足先に冥土で待っていろ」

 弦麻が両手をそれぞれ龍山・道心へと向けて、その掌へと氣を溜める。そして今まさにそれを撃ち出そうとした瞬間、

「おっとぅ!ワイ等の事を忘れていたんとちゃうかッ!?爺ちゃん達には手ぇ出させへんでぇッ!!ホァタァァッ!!」
「本命は僕だろッ!?相手を間違えるなよッ!!せりゃあッ!!」

 一瞬の隙をついて劉と龍麻が同時に仕掛ける。普通ならば躱せるタイミングではないのだが、弦麻は劉の振り下ろす青龍刀の刃を白刃取りで止めると、蹴りで龍麻の動きを牽制し、素早く体を入れ替えて龍麻の拳を受け止めた。弦麻が酷薄な笑みを浮かべる。と、

「鬼哭飛燕――ッ!!」
「なッ!?」

 小蒔が渾身の氣を込めて放った矢が、弦麻の右肩へ深々と突き刺さる。

「へへッ、ボクだっているんだからねッ!」

 弦麻が初めてその顔に怒りを露わにした。その一撃は彼の右腕の腱を断ち切ったらしく、それはだらりと垂れ下がったまま全く上がらない。

「引っ込んでいろ、小娘ッ!!」
「あうッ!!」

 弦麻の放った氣の塊をまともに受けて吹き飛ぶ小蒔。

「小蒔――ッ!!」
「人の心配をしている暇があるのか?」
「き…貴様ァァァァァ――ッ!!」

 逆上する龍麻の繰り出す攻撃を、左腕1本で捌いていく弦麻。

「アカン、アニキッ!そないな大振りな攻撃、隙だらけやッ!!」

 しかし、劉がそう叫んだ瞬間には、龍麻は蹴りをはじき返されて体勢を大きく崩した。

「フン、これで終わりとはつまらんな」

 口元に嘲るような笑みを浮かべて、弦麻が必殺の一撃を繰り出す。一瞬死を覚悟する龍麻。しかし、衝撃は横から来た。劉が彼を突き飛ばしたのだ。弦麻の拳が劉を捕らえる様子を、龍麻はまるでコマ送りのような緩慢なイメージで見ていた。そして――ようやく彼の身体が動いたのは劉の胸から鮮血が噴き出した時であった。

「弦月――ッ!!」

 崩折れる劉の身体を慌てて抱きとめる。

「弦月ッ!!」
「へへ…ッ…これであいこや…。ええか…何時ものアニキなら絶対…勝てるんや…。だから頼むで…これ以上弦麻殿に…その名前を汚させたらアカンのやッ!!」
「ああ、約束するよ。必ず勝つから最後まで見ていてくれ、弦月ッ」
「龍麻よ、弦月の事は俺達に任せな」

 何時の間にか傍まで来ていた道心が、劉の身体に手を添えて言う。

「緋勇よ、嬢ちゃんの方も大丈夫じゃ。後はお主に任せる。わし等の事は気にせず、思い切って闘うのじゃッ!!」

 そちらでは同じ様に小蒔を抱き起こしながら龍山が声を掛けた。

「道心先生、龍山先生、小蒔と弦月をお願いします」

 龍麻は2人に軽く礼をすると、弦麻へと向き直った。

「フッ、別れは済んだか?安心しろ、残りもすぐに後を追わせてやる」

 弦麻が左腕1本で構えを取りながら、不敵に笑う。

「止めるさ、もう誰も傷付かない様に」
「さっきも同じ事を言っていたのではないのか?」
「…さっきまではまだ正直迷いがあった。貴方を父と思って闘っていたから。けど、今からは違う。敵として斃すッ!!」

 そして再び龍麻が動いた。
 先程までとは比べ物にならない、鋭い拳撃を繰り出す。それは一撃一撃が明確な殺気を孕んだ、まさに必殺の拳であった。

「フフッ、良い眼だな。流石は俺の息子だ。さぞかし良い修羅となるだろう」
「戯言をッ!!」

 今だ余裕を崩さない弦麻に、龍麻の殺気が更に膨れ上がる。

「いかん、このままではあやつまで修羅道に引き込まれかねん」
「龍麻ッ!弦月が何と言ったか忘れたのかッ!?自分の闘い方を思い出せッ!!」

 しかし、殺意に駆られた龍麻には、道心の激も耳に届かない。ただひたすらに拳を打ち出して行く。だが彼の渾身の攻撃も、弦麻には全く届かない。

「フ…ン、正直少しばかり期待外れだったが…。まあ、そこそこ楽しませてはもらったか。所詮お前は1人では何も出来んと言う事だな。そろそろ楽にしてやろう」

 弦麻が左手に氣を凝縮させる。

「さらばだ」

 しかしその言葉と重なって、龍麻に取り聞き慣れた声が響いた。

『ソイツは1人じゃねぇぇぇぇッ!!』

 咄嗟に弦麻は溜めた氣を使って、声と共に飛んで来た勁の威力を殺す。
 2人がそちらを向くと、予想通りの顔が並んでいた。

「へへッ、蓬莱寺京一・見参ッ!!」
「龍麻ッ、大丈夫かッ!?」
「フッ、本当に探し当てるとはね。今回ばかりは僕も君の事を見直したよ、蓬莱寺」

 そこにいるのは、重傷を負って病院で寝ている筈の京一・醍醐・壬生の3人であった。

「きょ、京一ッ!醍醐ッ!壬生ッ!ど、どうしてここにッ!?」
「バーカ、『どうしてここに?』じゃねぇよ。ったく、お前らしくもねぇ闘い方しやがって。お前がそんな様子だから俺達ゃゆっくり寝てもいられねぇんだよ!」
「ハハハ、元から寝ているつもりなど無かっただろう、お前は」

 珍しく醍醐が茶々入れする。面白くも無さそうに口を歪める京一だったが、龍麻の傍へと駆け寄り、その肩を叩いてにやりと笑って言った。

「いいか、ひーちゃん。俺とお前がいて負けた事なんか今まで一度だって無ぇんだ。一緒にお前の親父さんを外法の闇から助け出してやろうぜ」
「京一…」

 龍麻が肯く。その顔は何時もの彼の表情に戻っていた。

「へへッ、それでこそ俺の相棒だぜ。――よっしゃあ…行くぜぇッ!!」
「フハハハ…今更死に損ないが2人や3人増えたところで何が出来るかやって見ろ!」
「なら僕から行かせてもらうよ…龍牙・咆哮ッ!!」

 壬生が跳ぶ。

「その技が通じない事は――ぐおッ!?」

 またも壬生を蹴りを弾き飛ばそうとした左腕は、しかしまともにその威力を受けて吹き飛ばされる。見ると肘から先がおかしな方向へと曲がっていた。

「き…貴様…ッ!」
「これでも拳武館最強の暗殺者とまで呼ばれたんだ。そう何度も同じ手を食らうとは思わないで欲しいな。あの時貴方が陽気を持って僕の氣を相殺した事には気付いていた。だから今度は逆に初めから陽気を持った蹴りを放ったんだ。本来の技では無いからいくらか威力は落ちるが、そこそこのダメージはあった様だね」

 軽く髪を掻き揚げながら壬生が言う。

「いくら貴方が強いとは言え、その両腕じゃもう勝ち目は無いよ。僕達としても出来ればこれ以上貴方と龍麻を闘わせるような事はしたくないからね。この辺でもう終わりにしてくれないかな?」

 だが弦麻は怒りに燃える眼で壬生を睨み付けて怒鳴った。

「腕が使えなくなったくらいで、俺が闘えぬと思うなッ!!」

 弦麻の身体が金色に輝き、壬生へ向かって光が走る。

「あの《力》は…!避けろ、壬生ッ!!」

 京一の声に反応して壬生が横へ跳ぶ。しかし間一髪で直撃は免れたものの、その凄まじい《力》の余波を受けて壬生が体勢を崩して地面へと叩き付けられた。

「壬生ッ!!」
「……大丈夫だ、僕の事は気にしないで闘ってくれ」

 とは言え、まだ傷の完治していない身体にはかなりきつかったらしく、その声には精彩がない。

「今終わらせるから、待っていてくれ壬生」

 弦麻へ顔を向けたまま、龍麻が言った。壬生は龍麻の顔を見て肯き、その場に腰を据えた。その姿には絶対の信頼が伺える。

「じゃあ、行くよ。京一、醍醐。――父さん=Aこれが最後だ」

 龍麻達が静かに動く。弦麻は一気に《力》を放出させ切った為に、その動きには先程までの鋭さは無い。それでも身を捻り、右足に炎を纏ってもっとも近くへ寄っていた醍醐へ叩きつけようとする。だが醍醐が雷(いかづち)を走らせた蹴りでその一撃を止める。

「さっき壬生が言った筈です。同じ技は何度も通じないと。火気には木気を持って相生と成す。これも五行の理でしたね?」
「雄矢の奴め、何時の間に…」

 龍山が弟子の思わぬ成長振りに目を瞠る。弦麻の蹴りは、醍醐によって完全に止められた。そして――

「そして水気は火気を剋す!――陽炎、細雪――ッ!!」

 そこへ京一が木刀を振り下ろす。

「うがぁぁぁッ!!――おのれ…おのれぇぇぇッ!!」

 再び弦麻が『黄龍』の氣を溜める。だが今度は龍麻が動いた。

「京一、醍醐、2人の力を借りるよ」

 龍麻の言葉に、2人が肯いた。

「うむ――いくぞッ!!」
「よっしゃッ!!」


『唸!!王冠のチャクラ!!』


 醍醐と京一の掛け声に合わせ、龍麻の額に2人の氣が送られて行く。


『破ァァァァァァァッ!!』


 そしてそれを気合と共に一気に爆発させた。

「うおおおぉぉぉぉぉッ!!」

 清廉な氣が弦麻の身体を包み、彼の絶叫と共に何かどす黒い物がその身体から剥離して行くのが見えた。

「あれは…柳生の怨念か…」

 呟いたのは誰だっただろうか。
 光が消えた時、そこに立つ弦麻の瞳に狂気は無かった。ゆらりとその身体が揺れ、がくりと崩折れる。

「父さんッ!」

 咄嗟に龍麻が父を受けとめる。

「ひーちゃんッ――!」

 京一が何か叫ぼうとしたが、龍麻が黙って首を横に振る。そしてゆっくりとその身体を地面に横たえた。

「フッ…強くなったな…」

 険のとれた顔で弦麻が微笑み、息子へと声を掛ける。

「父さん…」
「弦麻ッ!!」

 龍山と道心もその傍らへと歩み寄る。その後ろには小蒔を抱き上げた壬生と、道心の術で不完全ながら傷の塞がった劉の姿もある。

「…龍山老師、道心先生…我が息子をここまで導いて下さって、本当にありがとうございました…」
「何を言う。お主の息子ならわし等の孫も同然じゃ」
「おめェが戻って来た様で、俺達の方が喜んでらぁ」

 2人の言葉に弦麻がクスリと笑う。

「ありがとう、ございます…ではもう一度だけ我侭を聞いては頂けませぬか?」
「何じゃ?」
「この先龍麻が…私の息子が道を誤りそうになったら、その都度道を照らし正しい方向へと導いては頂けますまいか?」

 全員が息を呑む。その言葉が何を意味するかを察して。例えそれが避けられ得ぬ運命であるとしても。

「馬鹿野郎ッ!何時までもそんな事を年寄りにやらせるんじゃねぇ!てめぇの息子だろうがッ!てめぇが、生きててめぇ自身で面倒を見やがれッ!!」

 道心が怒りの声を上げる。しかし弦麻は静かに首を横に振った。

「…出来れば私もそうしたいのですが…残念ながらその時間は無い様です」

 そう言って左腕を僅かに持ち上げる。その手を見て一同は再び絶句した。その手首から先が無くなっていたのだ。正確に言うと今も少しずつ先の方から塵となり、地面にたどり着く前には完全に消えて無くなっている。

「…この糞餓鬼が…2度も俺達より先に逝くかよ…」
「すみません」

 弦麻が苦笑する。

「と…父さん…」
「フッ、情けない顔をするな。私は18年前、既に死んでいたのだ。だがもう逢えぬと思っていたお前に再び逢う事が出来、その成長振りを目にして何の悔いがある。――もっともその為にお前には随分と辛い思いをさせたな。…18年前、私が世界やお前を護る為に命を懸けていたという事に嘘は無い。だが、もしかしたらあの時℃рヘ柳生との闘いそのものを望んでいたのではないか。闘いを望む私の心が、柳生の持つ闇に囚われたのではないか。そして私自身、その事に喜びを感じていたのではないか。ならば――私は修羅だ。…良いか龍麻、こちら側には来るな。私の様にはなるな!――修羅道に堕ちた人間の行き着く先など、地獄だけだ…」

 長い独白が終わり、弦麻は大きく息を吐いた。今や彼の身体は胸から上が僅かに残っているに過ぎない。腕も肩から先は無くなっていた。

「あと1つ、心残りがあるとすれば…あの娘だな…。お前と闘いたいと言う私の欲望に巻き込んでしまった、あの娘…」

 弦麻がそう、呟いた瞬間――

『弦麻ッ!!』

 彼の名を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、その少女綺堂朱羅が走ってくるのが見えた。その後ろには葵やマリィ、その他の仲間達の姿も見える。

「朱羅…か…?」
「弦麻ッ!」

 再び朱羅が叫んだ。だがその手が抱き締めようとする寸前、僅かに残っていた弦麻の身体が風に溶けて消えた。最後に一言、

『済まぬ』

 とだけ言い残して――

「いやあああぁぁぁぁぁ!!」

 朱羅の悲鳴が響き渡った。


 


 およそ2時間後、龍麻は意識を取り戻した小蒔を送って帰路についていた。
 あの後、朱羅は子供を産んで一人育てることを語った。『黄龍の器』である龍麻が生きている以上、その子は普通の人生を歩めるに違いない。龍山と道心の2人もその子を育てて行く為の手助けをすると言っていた。

「身体を大事にして元気な子供を産んで欲しい。その子は血を分けた僕の兄弟なのだから」

 龍麻がそう言うと、朱羅は小さく鼻を鳴らすと照れ臭そうに小さく肯く。
 また京一達3人は桜ヶ丘に戻るなり、院長にこってりと絞られ、1週間入院が延びる事が決定した。更には劉もそれに加わる事になる。岩山が怒りながらも何処か嬉しそうなのは、おそらく龍麻の気のせいでは無いのだろう。
 そうして2人、言葉も交わさず歩いていたのだが、ぽつりと小蒔が口を開いた。

「…ひーちゃん、行くんだね…?」

 龍麻がハッとして小蒔を見る。

「…何時…気付いた?」
「分かるよ…ひーちゃんの事だもん」

 務めて明るく言おうとするその顔は、僅かに歪んでいる。

「…ゴメン、でも…僕はどうしても父さんの護った地を…」

 その言葉は、胸に飛び込んできた小蒔によって遮られた。

「分かってるッ!分かっているから…必ず帰って来てねッ!?何時までだって待っているからッ!必ず…必ずボクのところへ帰って来てね、ひーちゃんッ!!」

 既に完全な涙声となって小蒔が訴える。その身体を優しく、やがて強く抱き締めて龍麻が答えた。

「…帰って来るさ。僕の居場所は小蒔の傍だけなんだから…」

 そして自然と2人の言葉が途切れ、唇を重ねる。

 長い、長いキス。

 小蒔の頬を伝わる涙が、龍麻の顔までも濡らすが、気にもせずに抱擁を続ける。長い間そのまま影は1つに重なっていた。


 


――10日後――

 空港のロビーに彼等は立っていた。
 龍麻は京一や劉と共に搭乗のチェックを済ませて、見送りに来た仲間達を振り返る。

「元気でね、龍麻」

 葵がにっこりと微笑む。

「しっかりな」

 醍醐が龍麻の右手を握りながら言う。

「龍麻、身体に気をツケテネ!」

 マリィはちょっぴり寂しそうな様子である。

「へへッ、今度帰ってきたら、最高のライブを見せてやるぜッ」

 雨紋が不敵に笑う。

「あーあ、またイイ男が減っちゃうわ」

 藤咲がつまんなそうに――そして何処か寂しそうに――愚痴る。

「ダーリン〜舞子の事忘れないでねぇ〜?」

 舞子は既に大泣きしている。

「お前が帰って来る頃には、俺ももっと強くなっておこう」

 紫暮が相も変らぬ道着姿で言う。

「ヘッ、戻ってきたらまた勝負しようぜ」

 村雨がコインを指で弾きながら笑う。

「まあ、これで秋月様の護衛に専念できますね」

 皮肉気な御門の言葉の裏には何が意味されているのか。

「ご主人様…くれぐれも身体など壊されませぬよう…」

 芙蓉はそう言うと深々と頭を下げた。

「おい、京一ッ!龍麻くんに迷惑懸けるんじゃねぇぞ!」
「劉様もお身体には気をつけて…」

 織部姉妹の言葉に、京一と劉が正反対の反応を示す。

「元気でな、師匠ッ!」
「何処へ言っても俺達の正義の心に変わりは無いぜッ!」
「頑張って来てね、コスモグリーン」

 相変わらずの3人組の様子に、龍麻が苦笑をもらす。

「そんな事があったなんて、僕ちっとも知りませんでした。お役に立てなくて残念です」

 霧島が悔しそうな口調で言う。

「私も…でも、せめてお見送りだけは来たいなって思って、無理やりスケジュール空けてもらっちゃいました」

 さやかがそう言って小さく舌を出す。

「アミーゴ酷いネ、ボクに内緒にしているナンテ!」

 アランは天を仰いでオーバーアクション気味に叫ぶ。

「本当よね、こんな特ダネ黙っているなんて許せないわ!」

 アン子は本気で腹を立てている。

「如月さんはこのところ留守にしている様で、連絡がつかないんだが、戻って来たら残念がるだろうね」

 壬生が苦笑する。

「龍麻さん、本当に身体には気をつけて下さいね?」

 看護婦の卵らしく、そう言う紗夜は、さりげなく壬生の傍に寄り添っていた。
 やがて仲間達の声が止み、自然と視線が2つに集中する。
 すなわち、龍麻と小蒔。葵が隣に立つ小蒔の背中をそっと押した。ハッとして小蒔が数歩前に出る。少しの間俯いていた小蒔だったが、やがて顔を上げて龍麻を見上げ、にっこりと笑う。

「…エヘヘッ、身体に気を付けてね、ひーちゃん。ボクは大丈夫、今日は泣かないって決めてたから。大丈夫…だから…」

 僅かに声が震えてきた小蒔の身体を思わず抱きしめる。

「じゃ、行って来る」

 囁くような龍麻の声に、その胸の中で小蒔が小さく肯く。
 やがて身体を離すと、龍麻は仲間達に手を振り搭乗ゲートへと消えた。小蒔は笑顔を崩さぬままでその姿を見送った。その肩をそっと抱き締め、葵が小蒔へ声を掛ける。

「……よく…我慢したわね、小蒔」

 その瞬間、堰を切った様に小蒔が号泣した。何度も龍麻の名前を呼び、葵の胸に顔を埋めて泣き続けた。葵は慈愛に満ちた微笑を浮かべて、何時までも小蒔を抱き続けていた。


 


――4年後 新宿某交番――

「あああ!つっかれた〜。じゃ、お先に〜!」

 勤務時間が終わり、私服に着替えた小蒔が同僚に声を掛ける。

「あ、桜井さん!上がりなら一緒に食事でもどうですか?」

 同期の男性巡査が小蒔を誘う。どうやら小蒔に気がある様子で、今までにも幾度と無く声を掛けている男である。

「ゴメンね、ボクデートの誘いには乗らない事にしてるんだ」

 小蒔がちょっと済まなそうな表情で言って手を振る。

「もしかして桜井さんて彼氏がいるんですか〜?」

 ちょっと悲しそうにその巡査が聞く。

「えーッ!?でも小蒔に彼氏の話なんて聞いた事無いけどな〜」

 横にいた先輩婦警が口を挟む。

「あ、でも今日2人乗りしていた高校生、実は好みだったんじゃない?」

 言われて母校の制服を着た、双子らしい少年達を思い出す。

「ち、違いますよ!ただ…ちょっと知ってる人に感じが似ていて、懐かしかっただけです」

 何故か顔を朱くして反論する小蒔。

「あ〜、じゃあその人が彼氏なんだ?」

 益々朱くなり、小蒔が小さく肯く。その様子に先程の巡査はがっくりと肩を落とす。

「と、とにかく、お先に失礼しますッ!」

 慌てて出ようとする小蒔を、もう1人の先輩婦警が呼びとめた。

「そう言えば貴女を訊ねて人が来てたわよ」
「え?」
「パトロールに行っているって言ったら、コレを渡してくれって」

 そう言いながら、小さく折りたたんだメモを渡して来た。

「誰だろ?」

 怪訝な顔でそれを読む小蒔の顔がみるみる変わった。

「どうしたの?」

 しかし心配するような先輩の声にも答えず、

「やっぱりこれで失礼します!!」

 とだけ言って飛び出した。メモをしっかりと握り締めて。それにはこう書いてあった。

『僕達が初めて出会ったあの場所で――緋勇龍麻』

 自然と滲む涙を乱暴に拭いながら、小蒔が走る。


 


 真神学園まではあと少し――








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