鬼狩人 第六話





 右掌を開き、右耳の後ろに構える。
 意識を研ぎ澄まし、低くゆっくりと息を吸う。
 呼吸を止め、腕を一閃させる。
 腕を振り切ると同時に、左側からガラスの砕ける音が聞こえた。
 
「……あら?」
 
 そのままの姿勢で柏木耕一(かしわぎ こういち)は首をかしげる。
 
「『あら?』じゃないよこの馬鹿弟子」
 
 そう言いながら耕一の後頭部に蹴りをくれたのは、当然師である月篠雅草(つきしの がそう)だ。
 
「まったく……瓶切りをやらせるのはまだ早かったかね」
 
 耕一の左側、道場の壁に激突して粉砕したビール瓶の破片を見て、雅草はふう、とひとつため息をついた。
 
 
 
 
 
 耕一が月篠流古武術草雲館道場に通うようになり、すでに半年が経過していた。
 雅草の厳しい教練に耕一はよく耐え、入門当初に比べてその技量は飛躍的といって良い進歩を遂げた。
 それまで格闘経験が皆無といって良いはずの耕一だが、その内包する『ちから』のせいもあって今ならばかりそめの客と対峙してもおさおさと引けは取るまい。
 そして今、雅草は耕一に対し、格闘技としての月篠流ではなく、退魔の技としての月篠流を教えることにしたのであった。
 
「いいかい、何度も言う様にだ。あんたの身体的な能力のポテンシャルは、はっきり言ってあたしを上回っている。ただ、それを生かしきれていない。正確に言えば、生かす術を知らないんだ」
 
 そう、雅草が言う様に、それは耕一が何度となく聞かされた台詞であった。
 
「具体的に言えば、あんたは力を使うときにそれを分散しすぎている。そうだね、例を挙げよう」
 
 道場の床の間に掛けられていた刀を手にとって、すらりと抜き放つ。本身だ。
 
「刃ってのが何故斬れるか。わかるかい?」
「え?」
 
 いきなりの哲学的とも取れる雅草の質問に、耕一は間の抜けた顔をする。
 
「質問の仕方を変えよう。刀は、刃の側では斬れるが、峰の側では斬れない。せいぜい、押すか砕くか殴るかだ。何故か?」
「あー……それは多分、刃の方が峰に比べて薄い、いや、鋭いからだと……」
 
 子供のような理論だが、雅草の質問の意図するところをつかみかねた耕一にはそう答えるのが精一杯であった。
 
「ま、いいだろ。大体あってる。じゃあ、何故その鋭いほうの刃では『押す』でも『砕く』でも『殴る』でもなく、『斬れる』のか?」
「え、ええと……」
「初歩の物理学だよ」
 
 現役大学生である耕一を揶揄する(世間一般では『馬鹿にする』とも言う)様に雅草が言ったその言葉で、耕一はようやく質問の内容が哲学的なものではなく理論的なものだと理解した。
 
「つまり、掛けられた力に対し、力を加えられた先の表面積が少ないため、その密度が増して力の比率が強くなるから、ですか?」
「60点。理解するのが遅い」
「う」
「まあいい、理屈はともかく、感覚では理解しているということで、赤点は勘弁してやろう」
 
 何気なく手にしていた刀を軽く振る。
 空気を幾許も震わせずに、その切っ先が美しい弧を描く。
 それに半瞬遅れて耕一の耳に切り裂かれた空気が鳴ったのが聞こえた。
 
「それが、あたしがなんども言っている『力を収束する』ってことだ。手足を刃と化すと言い換えればいいかね」
 
 流れるような動作で刀を鞘にしまう。
 月篠流は普段無手の修練を基礎としている流派であるが、本来は六百余年前、室町時代にさる陰陽師の露払いとして創設された武術だ。
 古来より魔を討ち、妖を祓い、鬼を狩るためにはあらゆる神器名剣の類が用いられてきた。そしてそれは月篠の調伏師も例外ではない。
 刀、槍、弓、棍、果てはそういった武器以外にもさまざまに聖別された品、近代では銃火器や化学製品なども用いられることがある。月篠に限らず、現代もなお戦っている退魔師、調伏師、エクソシストの多くはそれらの道具を使うことが少なくない。
 月篠の技にも得物を使う技術は数多存在する。もっとも、現代では逆に武器を持ち歩くにはおのずと制限があるため ――― 退魔師の多くが高度に政治的な擁護を受けている場合があるとは言っても、常に超法規的措置を受けられるわけではないのだ ――― それらの技術を常に使えるとは限らない。
 それに、やはり最後の最後、究極的に頼れるのは己の五体であるというのは洋の東西、時代の新旧を問わず共通の認識であるようだ。
 大陸、中国の武術などでは『武器は手足の延長』という思想もある。徒手の武術を修めた者は、すべからく得物を持った場合にもその技術をいかんなく発揮出来るということらしい。
 そういう意図もあってか、雅草はまずは耕一には徒手での技術を徹底的に教え込むつもりのようだ。第一、月篠の技を教えているとは言っても耕一を本気で退魔師に仕上げるつもりも今のところはないのだし、何より武器を使うことを教えても常に武器を携帯させるわけにはいかないではないか。
 暗器(小型で隠匿・携帯に優れた武具の総称。主に暗殺に用いられる)という選択肢もあるが、雅草は暗器が嫌いだった。それが便利で有用であることを認めるにやぶさかではないし雅草も用いたことは一度ならずあるが、それでも暗器の技術を耕一に教える気にはなれない。
 
「それじゃあ次の問題だ。急所を撃つのに効果的な打突の形は?」
「急所にもよりますが、多くの場合は貫手、一本貫手ですか?」
「その理由は」
「今の刃の説明と同じく、打突に用いた部分が鋭ければ鋭いほどかかる力が大きくなり、結果として多くのダメージを与えられるからです」
「よし。分かるかい、あたしが口をすっぱくして力を収束しろ、と言っている意味が」
「はい」
「実例を挙げよう。この間だ……もう三ヶ月前になるか。あんたを鬼と戦わせたろ」
「はあ」
 
 草雲館に通うようになってよりの耕一にとって『初陣』でもある戦いのことは無論忘れるはずもない。
 その華々しいとは言えぬ戦果 ――― 有体に言えば惨敗したことも。それゆえの、耕一の歯切れの悪い返答だろう。
 
「あの時、あんたの打撃はあの鬼にはほとんど効いてなかった。に比べ、あたしの打撃は確実にダメージを与えていた。腕力ならあんたのほうが遥かにあたしより勝っているのにね。何故か、と思わなかったかい?」
「思いました。でもそれは、純粋な技術の差かと……」
「どういった技術だい」
「たとえば正確に急所を撃ちぬく技術とか……」
「30点」
「げ」
「まあそれもある。あたしの拳の精密さに比べたら、あんたのそれは豆鉄砲並だからね。ただまあ、それでも腕力の差がその差も半分ぐらいは埋めてくれるはずだ」
 
 にしては、あの鬼に与えたダメージは『半分』も埋めていたようにはとても思えない。
 その思いが顔に出たのか、雅草はにやりと唇だけで笑って続けた。
 
「あんたは、自分の腕力 ――― を含めた全身の力を全部拳に乗せてないんだよ」
「乗せてない?」
「そう。あの時も言ったね。あたしたち、この星の上で生きとし生ける ――― いや、生きていないものですら、すべての“在る”存在は目に見えるもの、見えないもの、実にさまざまな力の影響を受けているって」
「はい」
「目に見えない力って言っても、別に“氣”とかそういう良くわからんようなものじゃない。ま、一番概念としてわかりやすく、重要なのは重力だね」
「重力……ですか?」
「打撃の威力を決めるのはなんだと思う? 良く言うだろ、体重を乗せるとか。そいつはつまり、どこまで自分の体重を打撃の威力に転化しているか、ってことさ」
「はい……」
 
 この辺りに至り、耕一はちょっと理解しきれているか不安になってきたようだ。
 愛弟子の間の抜けた不安顔を見た雅草は、軽くため息をつくと説明の仕方を変える。
 右拳を引き、右腰の横につける。拳の関節面を上にしている、空手などに見られる正拳突きの形だ。
 寸時を置かず、そのまま拳を内側に捻りながらまっすぐ突き出す。
 軽く打ったとしか思えぬ突きであるにかかわらず、風を切る音が少し離れたところに立っている耕一の耳にまで届く。
 
「今のが、いわゆる一般に知られている空手の正拳突きだ。そしてこれが……」
 
 今度は右半身を引き、右拳を顎の下右側、左拳を高さは同じくやや前に構える。
 ボクシングで言うアップライトスタイルだ。
 構えた次の瞬間、雅草の左拳がピッという小気味よい音と共に前方の空間を薙ぎ、次の瞬間右拳が肩から射出され空を裂く。
 左ジャブから右ストレート。一般にワン・ツーと呼ばれるボクシングの基本コンビネーションだ。
 
「こいつがボクシング。そしてこれが……」
 
 それから雅草は耕一の眼前で古今東西のさまざまな武術の技を繰り出して見せた。
 どれもこれも、片手間にやった程度ではたどり着けない境地に達しているのは素人目にも明らかな技の切れだ。
 その技のうちどれを受けても、常人はただでは済むまい。
 
「今見せたのは、古代より練り磨かれてきたいくつかの武術達の基礎の打撃技だ」
「はあ……」
 
 不覚にも雅草の表演に見とれていた耕一が間の抜けた声を返す。
 
「わかるかい? つまり、自分の体重というスカラーを何処まで打撃力というベクトルに純粋に転化できるか。そういうことなんだよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


つづく       




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