そして彼女は道を違えし




 夜半過ぎ。新月も近い今宵は晧々と照らす明かりも頼りなく、静けさを際立たせる。
「・・・ッ」
 不機嫌そうな表情で彼、桐生源一郎は明かりの乏しい中、帰路を進んでいた。ちなみに彼は表情の示すまま、機嫌を害しているわけではない、常日頃から世の中に不満を抱いていそうな面構えなのだ。
「・・・ッ」
 時々呼吸を乱すのもまた、いつもの事と言えるかもしれない。源一郎はここレムイェンの多くの若者がそうであるように、六道一刀流を修めんと励む剣士なのである。
 六道一刀流。レムイェン、イーストエンドの小国・ラオシェンが一角にて最も普及する剣術。長きに渡った戦乱を終え、諸侯として立つミネド・デュナンを頂点と戴く刀技。
「・・・ッ」
 彼が時々呻き声を漏らすのは、その身が痛むからだ。鍛錬の際に受けた数々の打撲――決して不名誉な理由の怪我ではないのだ。防具は着用するものの竹刀ではなく木刀にて打ち合うからには、このような鈍痛はそれこそ茶飯事と言える。
「・・・ッ」
 源一郎は決してレムイェン道場内で弱い方ではない。いや、寧ろ門下生達の上から数えるべき剣腕の持ち主だった。
 鍛錬を怠ることなく、基本となる動作の繰り返しに根をあげることもなく、教えを請うことを恥だと思わない姿勢で万事に望む。
 そして何より、彼は他の弟子達と比べ物にならない程の実戦経験があった。実戦で培われた判断力と勝負勘、それらが彼を凡夫と一線を画するものとしていた。
 しかし、それが彼の生傷を増やす原因でもある。
 時として師範代をヒヤリとさせる剣閃の担い手、その源一郎に稽古をつけることの出来る人間が限られてきたのだ。はっきり言えば師範代以上の人物達――主に師範となる――腕に覚えある剣士達と打ち合えば・・・。
「・・・痛ッ」
 端々に発生する痛みとそれに等しい充足感を共連れに、源一郎は暗闇の中を急がず歩んでいた。

 剣士たるもの、闇をも貫く『目』を持たねばならぬ・・・これも鍛錬の一環ということで、源一郎は明かりを持たず、
「ッ!!」
「えええええあああああああ!?」
 突然飛び出した人影もまた、提灯すら下げずに夜道に出ていたらしい。それも前方不注意で疾走していたようで、のんびり歩いていた彼と衝突寸前の危機だったのだが、両者が期せずして巧みに回避を行ったことで激突の悲劇は生じなかった。
 こんな夜道に危ない、と源一郎が文句のひとつも言おうと相手を確認――
「ああああああああ桐源!!」
 するまでもなかった。彼女はそのけたたましさを以って彼に正体を悟らせたからだ。その上でよくよく観察すれば成るほど、影は小柄だった、いや、より正確を期するなればかなりの小柄だった。
「・・・ああ、なんだ、シーラか」
「呼び捨てにするなァァァァァァァァ桐源んん!!!」
「なら、『様』の方がよかったか?」
「どっちもお断りよォォォォォォチキショー!!!!」
 小影は彼の知己、シークレア・マイエンだった。彼の肩までもない身長のどこにその元気が詰まっているのか、というくらい力一杯全身で抗議する姿は中々にして仲間達に好評を博している・・・もっとも彼女からすればいい迷惑的評価であろうが。
 ちなみに彼女が非常に嫌がる『様』という呼称の発祥は謎である。彼女の先祖がアレクラストから渡ってきた支配層の人間で、彼女自身の父親もレムイェンの太守であるミネド・デュナン直参の武将に仕える神主・・・つまりはそれなりの地位にいる人物の娘だから・・・という説が有力だが真相は定かではない。しかしこれだけは言える、その呼び方には敬意の欠片も存在しない・・・。
「まあそれはそれとして、だ」
「勝手に納得するなァァァァァァァァ!!!!」
「どうしてそんな格好をしている?」
 月明かり寂しい下でも、シーラが普段の装いではないことがわかる。常の彼女が纏うような洋人のそれではなく、黒を基調とした一切の無駄がない装束・・・いわゆる『黒装束』であった。
 こんなものを着込んでいるのは、隠密たる『手』か、もしくは――
「シーラ・・・お前、何をしていた?」
「ああん乙女のプライベートに口を突っ込むなんて無粋よ桐源」
 くねくね、と身をよじらせるシーラ。しかし源一郎の目は、その額に流れる汗一筋を捉える。そして彼女の持つ技術――それも卓越、と言うに大袈裟ではないそれ――。
「まさか――」
「ああっこんなところで和んでる場合じゃなかったんだった!!」
 追求を阻む意図はなかっただろう、彼女は咄嗟にそこまでの演技が出来る人間でないことを彼は知っている。少なくともその程度の付き合いではあった。
 キョロキョロと挙動不審な姿勢をすること数秒、傍らに詰まれているそれに目を留める。迷いなく、シーラはそれにダッシュする。
「桐源よけーな事をしちゃダメだからねェェェェェェェ・・・・・・」
 けたたましい気配だけを残し、彼女はそれを都合良いように少し動かす。そして刹那の躊躇いを乗り越えてそこに入り込んだ。
「うう冷たい・・・」
 何か嘆きに近い声と、チャプン、と音が離れた彼にも届く。彼女は何を思ったか、突然道の脇に置かれた消火栓に身を沈めた・・・らしい、耳に届いた情報から察すれば。
「いったい、何を・・・」
 彼の抱いた疑問、というより当惑に答えが返る。いや――答えがやってきた。

 ドヤドヤ・・・無数の人影が大挙する。容姿等には差異があるものの、風体は共通している。着崩した感じの様相、そして腰に2本差の大小――本物の刀でないにしても――。
 浪人、いや、
「ゴロツキ、か」
 彼の持った第一印象は口から漏れ出すことなく、噛み殺された。形だけ『武士』を気取り、実のところヤクザ者と変わりない連中をそう呼称する。息を切らせているからには、間違い無く疾走を強いられていたに違いない。
「追跡、していたのだろうな」
 凡そのところ事情を察した源一郎に彼らが気付いた。剣呑な目付きを無遠慮に向け、
「おい、そこの男、ひとつ物を尋ねる」
 とても物を尋ねる態度には思えない。
「この辺りに小柄な黒服の影を見なかったか」
 全くもって無礼な彼らに、源一郎は片眉を上げるのみ。
「おいてめェ、聞こえてんのかよォ!」
 それを不快に思った一人が彼に突っかかり、
「!」
 身体が固まる。ほんの少し、源一郎が『氣』を込めて睨んだ・・・それだけのことでゴロツキは全身が強張ったのだ。
(コイツ・・・本物の剣士だ・・・!)
 その認識が今更ながら彼らの間に駆け抜ける。その驚異が染み渡るのを確認したかのように、
「で・・・俺に何か用か?」
 相変わらず(いつも通りに)不機嫌さを纏う彼。ゴロツキ達からすれば、それは自分たちが怒りを買ったと思うに不思議のない表情であった。彼らは一様に首を横に振る。
「め、滅相もない。だ、ダンナ、失礼しましたッ!」
 強者には恥も外聞もなくへりくだる――それは彼らの生き方そのもの。一斉に踵を返し、ゴロツキ連中は闇に向かって駆けて行った。
 やがて夜がその静けさを取り戻した後。
「ダンナ・・・」
 源一郎は黄昏ていた。彼をダンナと呼んだ男は髭面の、どう見ても30過ぎだった。桐生源一郎は当年16・・・。

 ザバー。
「ううううう冷たい冷たいィィィィ」
 寸劇を桶の中で観察していたシーラ。季節は夏に未だ届かぬ春先の夜半に、いささか早過ぎる行水であったようだ。
「ああでも何とか連中もいなくなったから良しとしようでも冷たいィィィィ」
 服のあちこちを軽く搾る。
「シーラ」
「何桐源」
 ボタボタボタボタ、としたたる水。
「今のゴロツキは何だ?」
「でも上手いトコロに消火栓があって助かったわこれも日頃の行いの賜物ねそうに違いないわ」
「何故お前はあんな連中に追われていた?」
「ああもう腰を冷やしたりするのは乙女としては良くないのにー」
 両者の会話は一向に噛み合わない。
「人の話を聞け」
 ぽむ、と源一郎はシーラを窘めるかのように、彼女の頭に手を乗せる。
「何をする桐源ー!!」
 じたばた、と暴れ出すシーラ。身長の低さにコンプレックスを持つ彼女は、それ故に子供扱いされることに断固と抗議する。特に、彼女の仲間達は何かにつけ彼女の頭を撫でようとするのだ。どちらかといえば子供扱いに対する彼女の抗議そのものが「面白可愛いから」皆はシーラをからかうのだが、そのカラクリに彼女は未だ気付いていない。
「話をする気になったか?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん手をどけろォォォォォォォォチキショー!!!!」
「話をする気になったか?」
「年長者に対する敬意を払えェェェェェェェチキショー!!!!」
「話をする気になったか?」
 この問答はもう暫く続けられた。

「うえええええんイジメだチキショー・・・」
 しくしく、と擬音を背負った仕草で白々しく、シーラは濡れ鼠なままで尋問されていた。身体にフィットした衣装が水分を吸って張りつき、決して貧弱ではない彼女のラインを浮き出させていたが扇情的に見えないのは彼女のもつ雰囲気故だろう。
 やや視線を彼女から外し気味で、源一郎は先ほどからの問いを再開した。
「それで、さっきのゴロツキは何だ?」
「あれはそのいわゆる用心棒ってヤツよ」
「用心棒?」
 ピクリ、と片眉が持ち上がる。ゴロツキ達は過剰反応したが、仲間たるシーラはまるで気にしない。あれは頷く行為と同じであることをよく知っていたからだ。
「うんそうあんな顔してそれなりに仕事熱心に追跡してくるんだからいやっはっはまいっちゃったわね」
「何処の用心棒だ?」
「周藤屋よ周藤屋」
 その店名はそれなりの名であった。周藤屋、先の大戦で成長した『成り上がり』である。
 ここまで聞けば、事情を悟るのは簡単だろう。だから源一郎もそれ以上の確認はしなかった。
「で、シーラ。お前はどうして周藤屋に盗みに入ったりしたんだ?」
「だって私シーフだもん組合にもお金納めてるし」
「いや、そうではなくてな・・・」
 返された答え、正しく、そして的外れなそれ。思わず溜息が口をつく。次に彼が言葉を発するに時間をかけたのは、おそらく言いまわしを考えていたからだろう。口の回転速度については、源一郎はシーラに遠く及ばない。
「シーラ、お前は冒険者もしているな」
「何を今更言ってんのよ桐源」
「それなりの成果を挙げているよな」
「まあそーね『笑う鬼亭』ではそれなりに上手く仕事してる方じゃないかしらん?」
「危険を伴う仕事だ、当然報酬も」
「儲けが少ないと泣けるわよね」
「加えて、お前は自宅に住んでいたよな?」
「うん」
「生活が苦しいわけないだろうに、どうして盗みなんかをする必要がある?」
「秘密」
 即答の否定、その言葉に源一郎はじろり、とシーラを睨む。
「乙女のひ・み・つ♪」
「・・・」
 奇妙な膠着状態が満ちる。夜更けに見詰め合う男女といえば艶もあろうが、二人の間にたゆたう空気は色事というより醒めたそれ。
「とと取り敢えずお礼は言っておくわじゃあね桐源お金も重いし風邪もひくから私帰るね」
「お、おい――」
 空気と視線から逃げるようにして、シーラはしゅたと挨拶を一方的に残してその場から走り去った。
 小影もすぐに闇に紛れ、残されたのは不可解さを胸に留めた源一郎のみ。
「私欲に走る人間だとは思わなかったんだがな・・・」
 少し冷えた気がする。身体がではなく、心の片隅が。



 道場の稽古は毎日あるわけではない。師範代以上の人間はレムイェンの役職を背負う立場の者が多いからだ。未来を担う若者達を育てることも重要だが、今日という日を過ごさないと歴史は綴られない――つまりはそういうことだった。
 源一郎の場合はだいたい自主鍛錬を黙々と詰もうとするのだが、この日は彼にとっての日常ではなかった。彼は剣を振らず、こうして街中を歩き、
「買い物れり〜☆」
 その袖口にはひとりの少女がぶら下がっていた。ぶら下がる、という比喩は二人の身長差からして言い得て妙かもしれない。
「今日は源ちゃんが付き合ってくれて嬉しいれり〜☆」
 発する気配は陽。少女のそれは見知らぬ者をたじろがせるかの如き勢いであったが、当の源一郎は鈍感なのか慣れなのか平然としていた――袖口の伸びることは少し気にしていたが。ぴょこん、と飛び跳ねるにつれて少女の髪がフワフワと揺れる。
 少女は桐生恢依、源一郎の実妹である。敢えて実の、と言ったのは両者の年が僅か一歳しか違わないことを信じる第3者がいないであろうことへの配慮である。老け顔の源一郎と、年齢より下に見られるだろう恢依。足して2で割れば、とは誰の言だったろう。
「それで、何を買う予定だったんだ?」
「えっとね、色々れり☆」
 舞い上がった様子の返事に、源一郎は頭痛を湛えた。色々・・・この表現が持つ真なる意味、女性が使った場合の意味・・・それを彼は骨身にしみて知っていた。足腰の鍛錬か、と思うほどにあちこち歩き回った挙句、何ひとつ買うことの無い――そのような目にどれだけの回数付き合わされたか。
 そもそも『付き合ってくれて〜』というのも正確さに欠ける。朝寝床から出た瞬間、外に待ち構えていた彼女が間断なく『今日は練習お休みれり☆ 恢依に付き合うれり〜〜〜☆』と、道場の予定を熟知した上での連続攻撃に彼が屈したというのが真相なのだ。根底に『剣を志すために家を出た自分に付き合ってここにいる妹への配慮』があるとはいえ、これは決して稀有な事態ではない。
「まずはあそこの服から見るれり〜☆」
 掴まれた袖口をぐいいと引っ張られ、彼の足も前に出ざるを得ない。やれやれ、と今日一日の運命に諦めのついた源一郎だったが
「おや、源さんじゃないか」
 聞き覚えのある声にふと足が止まる。本来膂力で彼は妹のそれに劣るはずもない、反射的に踏みとどまった彼の制止を不意に受けて「きゃっ☆」と恢依がつんのめる。姿勢を崩した妹の体重と勢いを片手に加えられる結果になった源一郎、必死になってたたらを踏み耐える。僅か数秒のやり取りであったが、周囲かれすれば充分目立つ。そして彼を呼び止めた声の主はくすり、と笑みを浮かべ、
「相変わらず仲の良いことだね、源さん、恢依ちゃん」
 紅を基調とした華服を、これまた大胆なスリットを惜しげもなく入れた装いで纏っている彼女。口調といい姿勢といい、どことなく『姐さん』といった風情だが、顔の輪郭にはお人好しが透けて見える、そういった美女である。
 ミルダ・マリスン、ハーフエルフの気風よい仲間。
「ミル姉こんにちはれり☆」
 ちょこん、と頭を下げる恢依、そして丁寧に会釈する源一郎。どこまでも対照的な兄妹であった。

 店のあちこちを行き来する恢依を温かく(そして巻き込まれないように)見守っている源一郎。
「恢依ちゃんの見立てを手伝ってあげないのかい、源さん」
 彼の心中を知ってか知らずか、からかうように囁くミルダ。
「ミルダさんも買い物だったのでは?」
 不器用に話題を逸らそうとするのが涙ぐましい。
「ああ、あたしはチャッチャと済ませたんだよ」
 ヒラヒラ、と手荷物を示す。彼女もお洒落を楽しむ女性であるがそれはそれ、自分に何が似合って何が似合わないかを、年若い恢依よりはずっと理解しているのだろう。品を眺めるのも嫌いではないが、行動派のミルダとしては気に入った物は早々と買ってしまうのだった。
「あれくらいの年頃は、買い物そのものに出掛けるのが楽しいわけだし、妹想いの源さんとしては黙って付き合うのが兄らしい態度なわけだね」
 からかいとも褒め言葉とも取れる物言いに、源一郎は不機嫌さを濃くして頷くしかなかった。

「源ちゃん、次に行くれり〜☆」
 グイグイと引っ張られ、連行される源一郎は抜け殻に近い。ちなみにここまで恢依は何一つ買い物をしていなかったりする。
 恐るべし。
 それはともかく浮かれた恢依が注意力散漫になっていたのと、前方を己の荷物で遮られていた彼女の接触はその時の起こった。
「きゃっ」
「えええええあああああああ!?」
 激しい衝突というわけではない、せいぜい『トスッ』という程度のはずである。しかし相手はぶつかった衝撃以外の理由を以って、悲鳴と共に崩れ落ちた――手荷物の雪崩に飲み込まれたがために。
「ああっ、だ、大丈夫れり?」
「大丈夫なわけないィィィィィィィへるぷみー・・・」
 焦る恢依に戻ったのは、案外元気な返事だった。大玉のキャベツやトマトといった野菜の山を掻き分けてスックと立ち上がったのは言わずと知れた
「様だったれり」
「様言うな桐恢」
 両手一杯で抱えるのがやっと、という風情だったのはシーラ。
「抗議は後で目一杯するとして荷物拾うの手伝って桐恢桐源ミル姉」
 彼女の胴回りよりも太いような籠から零れ落ちたのは全て食糧だった。それを抱える分と背負う分・・・いずれにせよ尋常な量ではなかった。誰もが思っただろう、
「これだけの食べ物をどうするんだ(どうすんだろう、どうするれり)、シーラ(様×2)?」
 取り敢えず丁寧にひとつひとつを拾い上げ、元の籠にきちんと入れ直す。
「しかし凄い量の食物だな・・・」
 単なる感想ではない、そこには質問の符合が含まれていた。昨夜の行為といい、シーラに見出された不可解な行動。そこに何かスッキリしない感情を彼は心地よく思わなかった。だからこそ尋ねたわけだが、
「あんまり重たいものを上に詰まないでよね潰れるから」
 気付かない、もしくはそのフリをしてシーラはテキパキと慣れた手つきで荷を詰める。
 さらに問いを発しようとした源一郎の気配を察したのか、ミルダが突然こんなことを言い出した。
「トガリネズミっていう、ネズミでは小型のものがいるのよね」
「?」
 シーラは首を傾げる。その話の意図が全くわからなかったからだ。
「このネズミは行動量が凄くてね、消費するエネルギーが普通じゃないらしくてさ」
「??」
 シーラだけでなく、源一郎も恢依も手を止めて聞き入る。ミルダはシーフである以上にセージたる知識を豊富に持っていた。おそらく彼女らの知らない知識を披露しているのだろう。
「だからトガリネズミは、自分の活力・代謝を支えるために、自分の体重の10倍以上の食べ物を一日に食するそうな」
 やや沈黙。
 そして。
「こんなにひとりで食べないわァァァァァァァァァァァァァァチキショー!!!!!!!」
 意味するところを瞬時に理解しての絶叫が、ふたつの笑い声を掻き消した。



 そこは広くとも、あちこちに痛みの目立つ東屋だった。
「こっちこっち早く運んでね桐源」
 ミルダの誘導尋問(?)に屈した(??)シーラは、とうとう誤魔化してきた事柄について口を割ったのだ。
「あたしもギルドで聞いてたんだけどさ、様はどうして商家からの盗みをするんだい?」
 源一郎から聞くまでもなく、同じシーフギルドに所属しているミルダにはシーラの動向は耳に届いていたらしい。即ち、
『成り上がりの商家を狙ってひとり働きをする』シーラの働きぶりについて。
「うーん話せば長いしアレなんだけどそれから様って言うなミル姉」
 そう言って困った素振りの彼女。それは有言前に実行したりする彼女には極めて稀な行い。暫しの逡巡の末、
「じゃあ取り敢えず見てもらうのが早いと思うから着いてきてついでに荷物持ってね桐源」
 と、連れてこられたのがここ、というわけだった。買い物地獄から解放されたにもかかわらず、今はこうして荷物地獄に遭遇している源一郎。不用意に他者の秘密を探った報い、というには大袈裟だが、彼の自由は未だ回復せず。
「ここは・・・?」
「家よ家」
 彼らの戸惑いなど頓着せず、シーラはそのまま門を(門扉は片側が無い)潜る。3人もそれに続き、
「来たわよォォォォォォォォ!!」
 シーラが何事かを奥に告げる。
 そして。
 近付いてくる足音と、歓声。
「わーい!!!」
「来てくれたんだクレア姉ー!」
「待ってたんだよ僕たちー」
 途端に大勢の子供たちに囲まれる。下は5歳くらいから、上は13歳くらいまでの子供たちが10名以上。それが東屋の奥にいたらしい。
「今日は私が腕によりをかけて御飯をつくるから期待してねみんな」
 わーい! と歓声が再び。彼女らがどのような関係かは傍観者たる源一郎達にはわからない、しかし彼女が子供たちに慕われているということはそれだけのやり取りで充分に理解できた。
「桐源桐源早く荷物運び込んで運び込んで」
「あ、ああ」

 事情からすれば簡単なことだった。近年までラオシェンに吹き荒れていた戦乱の嵐、それが各地に残した傷痕は深く、ミネド公の治世となった今でも社会に影として残る部分は決して少なくない。
 彼ら子供たちもそのひとつ。
 親を失い、孤児となった子供たち。たとえ戦乱が収まり善き人物が上に立とうとも、彼らの親御が生き返るはずもない。
 失われたものが戻ることはないのだ。
 そして、善政が全てに行き渡ることも。
「ちょ、やめ、助けとくれよー!!」
「ははっ、みんな、ミル姉をやっつけるれり☆」
 子供たちと戯れる女性二人、ひとりは子供たちと完全に一体となり、もうひとりはそのパワーに押されているらしい。
 それらの様子と、傍らで(意外に)器用に包丁を操るシーラとを等分に見やっていながら源一郎は話を聞いていた。なお、彼が子供たちと遊んだりしないのはとても簡単な理由からである。
「あのおじさん、怖いよー」
「怖いよー」
 そういった理由で、彼は本来の目的である事柄に触れる機会を得た。シーラの不可解な行動の理由。
 彼女は料理の準備をこなしながら語った。
「私は昔から神主になるべく教育を受けていたのよそして私自身も頑張ってたつもりだったし」
 父親は武将に仕える神主であり、姉もまたその家に恥ずかしくない修行を積んだ女性だった。
「まだ戦火が収まりきってなかった頃私は父様に連れられて姉様と施療院を回ったことがあったのよ」
 みじん切りにする動作が既に意識せずに可能なのは、かなり手馴れた作業である証。それはそうだろう、マイリーの司祭、それも女性となると、剣後の守り(銃後、のこと)を取り仕切るのは彼女達の仕事であるからだ。幼少からの修行の成果だろう。
「そこで色々な手伝いとかをしたんだけど――」
 言葉を切った。その行為に源一郎は驚きを隠せず、思わずシーラを凝視してしまった。
 たたみ掛けるように話す彼女が言葉を切る、そんなシーラを、彼は、見たことが無かったからだ。
「桐源は神様の助けは絶対だと思う?」
「ん?」
 それは、意外な台詞だった。神の奇跡を少なからず行使できる人間が言うことなど、思いもよらない・・・。
「私はあの時マイリー神の力をお借りして怪我してた人達の治癒をしていたのよ」
 タン、と包丁が止まる。
「でも、ある子供が私に、こう話しかけてきたの――お姉ちゃん、お腹すいたよ、って」
「・・・」
 何も言わず、彼はただ聞いていた。
「その時思ったの。確かに神様の力は人を助けてくれる、傷を癒したり心を支えてくれたりする。でも」
 少し俯く。
「神様への祈りだけでは、子供達の飢えを癒してはくれない・・・ってね」
 源一郎は見た。憂いを湛えるシーラの横顔を、為すべきことを見出したその瞳の光を。それは、いつも童女のように振る舞う彼女とは違う、大人のそれだった。
 しかし一瞬で消え失せる、まるで見間違いかと思うほどに。
「後はまあ言うまでもないわよね自分の出来る範囲で出来ることに挑戦しようかなーなんて思ってシーフになったわけ」
 卵を攪拌しながら気楽に後を続ける。お金を得るのに、様々な方向で調達が可能な職として――家族にどれほどの反対を受けたのだろうか、そのことは語られなかった。
「ちなみに今まで狙った店っていうのは戦乱でひと儲けした店なのよだって少しくらい世の中に還元してくれてもバチは当たらないでしょねえそう思わない?」

 ふう、と一息つく。源一郎は己の見たことが全てではない、ということを改めて思わされた。
 彼は『道』を見出すために剣を振るう。そこに何があるのか、何が待つのか、彼には未だわからない。
 だが、彼女は既に『道』を見出していた。それは彼女が今まで進んでいた道をも違える程のものだった・・・。

 ぽむ。
「・・・」
 妹と変わりないような言動と振る舞いを見せていた彼女に敬意を――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん何をするうううううううううう桐源ー!!!」
 唐突に頭に手を置かれたシーラはいつものように抗議する。それは全然全く少しもちっともこれっぽっちも敬意を払う行いには見えないだろう。
 なれば気付くはずもない、彼の不機嫌そうな表情が、この時やや笑みに近いものであったことなど。
「離せェェェェェェェェェもう白状したじゃないよォォォォォォォォォチキショー!!!!」
 今日も青空に谺する、それはいつもの風景・・・。




幕降後

「源ちゃん・・・」
「!?」
 後頭部に突き刺さる殺気に思わず首を竦めながら振りかえる。そこには獲物を狙うかのような目つきで兄に視線を這わせる妹が。
「か、恢依?」
 流石に今日は荒影(クロスボウ)を携えてはいなかったが、それに勝る視線の矢が兄を射抜く。
「源ちゃん、何か様に優しいれり・・・!」
 妹は理解してしていた、常日頃に比べて、先の「ぽむス」が優しさに満ちていたことに。
「あ、あのな・・・」
「源ちゃんの・・・源ちゃんのばぁかぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜! うわーん!!!」
 不可解に代わり、これはこれで新たな憂鬱が胸の残ったかもしれない・・・源一郎は受難を抱えた。


御粗末   




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