正義の遺産〜後日談




 老人は僅かに顔を上げると、眼を細めて眼前の美女を見た。

「久方振りであるのう、アスナート殿」

 美女の名はアスナート。ユニコーンの森に住むエルフの女性であり、大陸有数の優れた精霊使い且つ魔術師である。

「ご無沙汰しております、マナ・ライ師」

 そして老人の名はマナ・ライ。間違い無く大陸最高の魔術師である。

「此度は如何なる用件で参られたのかな?」

 深い皺と見紛う、細い眼窩の奥に穏やかな光を湛えながらマナ・ライが問う。静かだが揺るぎ無い威厳を伴う声で在った。その声を聞けば、人種・善悪など全てを超越してあらゆる魔術師が言い知れぬ感情に身を震わすと言う大賢者の言葉に、さしものアスナートもほんの僅かの瞬間身じろぎをする。

「実は――」

 本来遠くユニコーンの森に住む彼女が、遥々ここオランまでやって来た理由をとうとうとマナ・ライに説明する。

 彼女の弟子達が行った行動と下した判断を。

 その選択を取った弟子達に対する自分の喜びを。

 そして、全ての中心にいた1人の若い神官の想いを。

「――なるほど」

 全てを聞き終えてマナ・ライがゆっくりと、大きく肯いた。

「アスナート殿は良い弟子をお持ちであるのう」

「はい、私もそう自負しておりますわ」

 数百年の永い刻を生きてきたエルフの女性は、しかし一瞬うら若い乙女の様にはにかんだ笑顔を浮かべた。

「――心得た。シルベラには儂から話を通しておこう。『彼の品』はオランの魔術師ギルドが責任を持って管理する」

 およそ考えうる、この世で最高の保証にアスナートは小さく安堵の息を吐く。

「ありがとうございます、マナ・ライ師。――では、私はこれで失礼致しますわ」

 深々と頭を下げると、その場を立ち去ろうと背を向けるアスナートだったが、

「アスナート殿」

 その背中へマナ・ライが声を掛けた。再び向き直るアスナート。

「何でございましょう?」

「是非一度その弟子達を連れてここを訪れるが良い」

 その眼は偉大なる魔術師のそれではなく、まるで孫が遊びに来るのを楽しみに待つ好々爺の様であった。

「ええ、喜んで」

 アスナートは満面に穏やかな笑みを浮かべて答えたのだった。

 

「何だとッ!アレを無断でオランの魔術師ギルドに送っただとッ!?」

 リファールのファリス神殿を治めるその男は、普段の穏やかな表情をもかなぐり捨てて怒鳴った。

 たった今、任務に対する報告を行った若い女性神官に対して。

「お前は自分が何をしたか分かっているのか!?あれは至高神の正義を行う我等の象徴とも言える品なのだぞ!」

 後ろに控える神官の仲間達は一様にうんざりした表情を浮かべていた。

「その事は承知しています、しかしッ!あれは世に出てはいけない物なのだと、私は思います!人が…例え名にかの目的の為とは言え、他者の意志を完全に奪う事が本当に至高神の正義を行うに相応しい事なのでしょうか!?」

 神官――リュカ・ヴィルタネンは必死の想いを込めて自らの正義を訴えた。しかし神官長や周りに控える他のファリス神官達は硬い態度を崩さない。徐々にリュカの表情に失望が浮かんでいく。それでも彼女は諦めずに説得を続けた。だが――

「リュカ、君がどう言い訳しようと君の行為はファリス神に対する重大な反逆だ。我々リファールのファリス神殿は君を破門する」

 息を呑むリュカ。何か言おうと口を開き掛けるが、今度は彼女の仲間達が黙っていなかった。

「待てよ、てめぇ!!ふざけた事ほざいてんじゃねぇぞ!!」

 少年とも少女とも思える中性的な美貌の魔術師が真っ先に爆発した。

「自分の意志を捨てさせるような真似をする事が貴方達の正義なの!?」

 背の高い女戦士がそれに続く。

 更には少年の面影を残す若い戦士や半妖精の精霊使い、戦の神や大地母神に仕える異教の司祭達までもが彼女の信ずる正義と言うものを弁護する。

 幾多の冒険を経て様々な人の想いや生き方、更には自身が重い物を背負って来た彼等の言葉はその一つ一つが机上の空論と教えられただけの一面的な正義を振りかざす神官達を圧倒していた。

「貴様等はデルヴァの森でモンスターへ正義を説いていると聞いた事がある。私は神を信じる者の気など理解出来ん。ましてやファリスの神官など信仰の名を借りた思想的奴隷集団だと思っているがその話を聞いて貴様等はまだマシな方なのだと思っていた。しかしどうやら完全に私の買い被りだった様だな」

 エルフの精霊使いの辛辣な言葉に、神官達は一言も返す事が出来なかった。

「リュカ、もう良いだろう。この様な愚か者達にはお前の方から見切りをつけてやったらどうだ?」

 しかし、エルフのその言葉にリュカは首を横に振る。

「ありがとうございます、シーズィ。けどやはりここは私の居場所ですから。きっと皆さん分かってくれますから。だって同じファリス神を信じているんですもの」

 強い意志をこめたリュカの言葉にシーズィは呆れたような、しかしどこか安堵したような不思議な表情を浮かべて小さな溜息を吐いた。

「神官長様、私はこれからも自分の信じる正義を貫いて行きます。それが私のファリス神への信仰ですから」

「…我々は自分達がファリスの正義を行使していると信じている。だが君がファリスの奇跡を行えると言う事は、君の言う正義もまたファリスの教える正義に背かぬ物なのであろう。よかろう、破門は撤回する。真のファリスの正義と言うものを君のこれからの行動で見極めて行こう」

 あくまで尊大に語る神官長の言葉に、仲間達はまだ何か言おうと口を開くがリュカがそれを遮る。

「良いんです。この方達もこれまで自分の正義を信じて行動なさって来たのですから。むしろ今簡単に意見を翻されないと言う事は、彼等が心から至高神に帰依し秩序と正義を願って生きて来られた証しなのですから」

 そう言うとリュカは神官長たちに向かい、深く頭を下げて執務室をあとにした。

 後日、任務放棄の罰として街の清掃奉仕を行うリュカの姿があった。その顔は決して暗い物ではなかった。

 

 そして――岩山に覆われた遺跡の奥深く、銀色の盾と繊細に織られた旗を手にした異形の巨人が面白そうに顔を歪めて独り呟いていた。

「我が仕えし神よ、光の主よ。貴方の創り給うた卑小な存在は、中々面白い存在です。きっと何時の日か彼の者達は、貴方の望む正義と言うものを体現して行く事でしょう」

 そして巨人は静かに眼を瞑る。

 彼が再び眼を醒ます時、世界はどうなっているのかはまさに神のみが知る事で在った。







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