良くある非日常#2




日の出が過ぎてから一刻あまりが経過していた。
冒険者の宿の屋号である『日ノ出屋』という名にふさわしく、ここでの朝の光景は辺りの風景とも調和してなかなか見栄えが良い。
木々の間では鳥がさえずり、太陽が柔らかく草木を照りつける。
しかし、そんな朝方の爽やかな空気を台無しにする(いや、その光景すら戦慄を演出するためではないかとも思える)、濃密な血の臭いがあたり一面に漂っていた。
そして外見にはただの紅い塊にしか見えない物…いや、者が店の前にいた。というか、転がっていた。

『い…いり…ナ…どノ…』

見る人がよく見れば、彼がリファール屈指の実力を持つマイリー神官、ドンその人であることをかろうじて認識できたであろう。
ドンは一刻前にはそのドワーフ特有の恵まれた体格を存分に発揮し、極めて健康的に(少々独特ではあるが)毎朝の日課を満喫していたはずであった。
だが今やその心身には生気のかけらも見受けられない。
まるで衣擦れ音のようなか細い声を出すのが精一杯であった。
だが、声さえ出ればドンには充分に過ぎる。

『ま…まイリーの…御名に…おい…テ…』

前言の通り、ドンはリファール屈指の神官である。すなわち、瀕死の重傷でもかなりの確率で瞬時にして癒すことが可能なのである。
通常、日常の怪我などで易々と神の奇跡は起こし難いが、この場合は例外であろう。

怪物との戦闘でも滅多に得ることの無い傷をつけられることが日常と、誰が認め得るであろうか?

ドンが呟いてからしばらくすると、燐光とともに紅い塊が生気を取り戻した。立ち上がり更になにか呟くと、ドンを覆っていた血のベールが瞬く間に消え、頑健なドワーフ本来の姿が表れた。

『ふう。イリーナ殿も毎朝容赦無いのう。じゃがこの圧倒的な攻撃力こそまさに勇者の証!』

普通の人が聞いたら呆れ返るか、頭の打ち所が悪かったのだと思ってしまうだろう。
自身を攻撃されておいて、非難するどころか賞賛しているのだから。
だがその頑なな意志こそが、現在の実力を築くに至ったのであろう。

汗と、もとは血であったと思われる水でびしょ濡れの体をタオルで拭い、ドンは日ノ出屋に赴いた。
入ってすぐ入り口辺りを見回すと同時に、ドンは怪訝な顔をした。
更に床やテーブルの下を探し回る。半裸のマッチョなドワーフが床を這いまわる姿は、必ずしも快いふうには見えない。

『な、ない…儂が神殿から預かった、箱が消えてしもうたッ!』

しばらく探した後、顔を蒼白にしながらドンが叫んだ。

『ああ、それならさっきイリーナの嬢ちゃんが持ってったぜ?あんたのだったのかい?そいつはまあ…悪い事をしちまったな』

少しばつを悪そうにしながら、店主コウ・ヒザクラが言った。
彼とて、イリーナが一旦興味を持った物をやすやすと本人に返すわけがない(しかもドンの物であったならば)ことくらいは認識している。

『流石イリーナ殿、抜け目が無い!…なんて場合ではないわい!な、なんとかして取り返さんと…』

ドンは思うさま狼狽しながら思考を必死に巡らせた。

『相手がイリーナ殿である以上、自ら頼んで取り戻せそうもないのう…こっそり取り返し…いや、それでは生命の危機が…では誰かに頼むか…それ以前にうっかり開けられたらやばいんじゃ…鍵はかかってるとはいえイリーナ殿ならば簡単に開けそうじゃしさすがイリーナ殿いやそうじゃなくて早く取り戻さんと』

ドンが数分以上(半裸で)呟いていた言葉の概略は以上である。店主もちょっと引いている。

『ここで考えていても埒が開かんわい!と、とりあえず当たって砕けろじゃ!いりぃなどのぉぉぉぉぉぉ』

いつもであれば冷静かつ適切な意見でパーティを導くドンも、イリーナのこととなると前後が見えないようである。
ドンはイリーナの部屋に一直線に向かって行った。残された店主は、渋い顔をしながら一言だけ呟いた。

『どうでもいいけど、せめて服着ていけよ…』

と。






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