百戦常勝は




レムイェンの市街からさほど離れていない丘の上に小さな墓が建てられている。
墓標はマーファ様式らしく、新しいものではあるが華美な装飾などは施されておらず、ただ、『絹、ここに眠る』と流麗な字で書かれているのみであった。
もう時刻は夕暮れ時であと数刻もすればあたりは夕闇に包まれようという時、セリア・フォーティリスはその墓の前で瞑目していた。
(絹、優しい娘・・・セリア達のような魔術師の犯した罪のほうがずっと大きかったのに、全てを背負って・・・)
その時不意がさり、と草を踏む音が聞こえた。気配に振り返ったセリアの視線の先にはここに葬られている人物の弔事を一手に引き受けたマーファの神官、砧滋がいた。
「セリアさん、こんな時間までどうして・・・」
心配顔でたずねる滋に対し、セリアは苦笑しながらまた視線を墓に戻して
「理由は滋ちゃんと同じだと思うわ・・・」
と言いながら滋のために場所を空けた。
滋もまた墓の前でしばし顔を伏せ瞑目していたがやがて顔を上げて
「帰りましょう」とつぶやいた。
「そうね、でもその前に滋ちゃん、セリアの話を聞いてくれるかしら?」
「は、はあ」
元来が積極的に出られる性格ではなく、その上人の頼みごとを断れないお人好しである滋がそれを断れるはずもなく、二人は墓の見える場所に腰をおろすことになった。
「セリアが軍学者になりたかったということは滋ちゃんも知っているわね・・・」
そしてセリアは話を始めた。

セリアの生家、フォーティリス家はレムイェンでも屈指の軍学者の家系であった。
7代前の当主、オールト・フォーティリスは兵法書「闘戦経」を著したし、セリアの父、リオン・フォーティリスもまた、昔はデュナン家に仕え軍師を務めていた。
ただ、リオンは何か思うところがあったのか、セリアの生前に役目を辞し、市井で主に武芸者等に学問を授ける、いわゆる塾を開いた。
セリアが生まれると彼は彼女に賢者としての教育を施し、また多大な金額の授業料を払ってまで魔術師の学院にも入門させた。ただ、彼は一つだけ、軍学や兵法に関することのみはまったくセリアに教育を施さなかった。祖父がよく話す昔話等で軍学者に憧れを抱いていたセリアはそんな父に反発し、喧嘩が絶えなかったが、リオンは頑としてセリアに兵法を教えなかった。そして二年前、セリアは父との大喧嘩の末、家を飛び出してしまったのである。

「滋ちゃん、セリアのお父様が何故セリアに兵法を教えなかったか分るかしら?」
「いえ、僕には・・・」
「それはね、セリアが女だったからなんだってずっと思っていたわ。お父様の口癖はいつも『女には軍学者は務まらん』親子でそんなことで喧嘩しているなんて滋ちゃんには想像もつかないかもしれないけど」
滋が黙っているのを確認してセリアはその先を続けた。
隣に座った滋の肩がかすかに震えたのには気が付かない。
「でもきっと本当はセリアのことを思ってのことだったんです。今回のことでよく分りました。戦というのは理想論だけではどうしようもないことが・・・そしてセリアがいかに世間知らずだったかということも。学者馬鹿というのは本当に良く言ったものですね」
今回のこと、というのは近隣の村で発生した悲しい事件のことだった。古代王国の実験の犠牲となり、知能を得て人間に憑依しなければ生きていけなくなってしまった蟻の一族を、皆殺しにしたうえにその一族の女王をミネド公の裁断で斬首にした。
そしてそのことをセリアは古代語魔法の使い手としてそのことを深く気に病んでいた。
「源一郎ちゃんやミネド様にも教えられました。村の人たちの感情というものを考慮しなければならないのだということを。例えそれが勝者の側の勝手な理屈であっても、それが戦というものですから。でもセリアの感情はそれを認めることが出来なかった。恨みは戦を呼ぶだけだと正論のみを振りかざして・・・セリアの心は軍学者としては弱すぎるのです。だからセリアは軍学者として失格です」
戦というのは所詮強者が弱者を犠牲にするものなのである。勝者の理論のみが通り、敗者は省みられない。また、古代王国の魔術師は戦のために動物を人間にするという禁を破ることまでしでかしている。戦にはこの種の暗い部分が常につきまとう。それを知らず、それを認めず、理想論だけを述べるのは愚かと言うほか無い。
「そんなこと・・・無いですよ・・・」
慰めにはならないと知りつつ滋はそう言った。家を飛び出すほど思い詰めた夢をあきらめるというのはどれほど辛いだろう。
「いいのよ。それにセリアは夢を諦めたわけではないですもの」
しかし滋の心配とは裏腹にむしろさっぱりした顔でセリアは続けた。
「セリアが読んだ兵法の中にね、『百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』という言葉があるの。セリアはこの言葉に憧れたの。兵法を極めれば、行き着くのはこれだって。そうすれば世の中から無益な戦乱を無くすことが出来るんじゃないかって思ったの」
そこまで言ってセリアは唐突に話題を変えた。
「滋ちゃん、絹ちゃんのこと、どう思った?」
「それは・・・ミネド様に裁いて頂くのを提言したのは僕なんだし・・・割り切らなきゃって・・・・・でもやっぱり納得なんか出来なくて・・・どうしたらいいか分らなくって・・・くそっ・・・」
滋の声がだんだん涙声になっていく。
彼にも彼なりの葛藤があった。村人を殺した一族を放っておく訳にもいかず、さりとて絹たちの置かれた状況は理解しすぎるほど理解できている。
マーファの神官として色々と悩んで出した結論がミネド公の裁断を仰ぐことだった。
「ふふ、やっぱり滋ちゃんは滋ちゃんね」
「どういうことですか、それは?」
茶化されたと思ったのか滋が不機嫌になる。
「あ、ごめんなさい。ただ滋ちゃんの優しさが嬉しかったから。絹ちゃんもそういうところが好きになったのかもしれないわね」
「え?い、一体なんのことですか?」
またさらに一転して慌てふためく滋を見てひとしきり笑ってからセリアは真顔に戻った。
「彼女は人間に憧れていた。立場の違いからあんな悲しいことになってしまったけど、きっと人と良い関係を作れたはずです。だからセリアは彼女の遺志を継ぎます。セリアは立場が違っても共存の道を選びたいの。それが『戦わずして人の兵を屈する』最良の道だと思うから。避けられない戦いもあるでしょうし、ただの幻想なのかもしれないけど、それでもセリアは・・・」
「そう、そうですよね。マーファ神も無益な争いは好まれませんよね・・・」
そして数瞬、重い沈黙が流れる。
「さて、変なこと話しちゃってごめんなさい。他に相談できそうな人がいなくって・・・」
その重い沈黙に耐えられなかったかのようにセリアが立ち上がりながら言う。
「いえ・・・結局、僕は何もできなかったし・・・」
そう言って滋も立ち上がる。と、前を歩いていたセリアがいきなり振り返った。
「滋ちゃん、あなた本当に自分が何もできていないと思う?」
真顔で詰め寄ってくるセリアに多少たじろぎながらも滋は言い返した。
「だって僕は結局・・・絹のことだって・・・何もできなくって!」
「それは違うわ。絹ちゃんだってセリアだってあなたの優しさにはかなり助けられているのよ。絹ちゃんが最後に、生まれ変わったらまず滋ちゃんみたいな人に会いたいって言っていたでしょう。滋ちゃんはマーファの神官なのだし、もうちょっと自信を持ってもいいと思うわ。セリアが保証してあげるから、ね。優しすぎるせいでいつも貧乏くじを引いているけど、滋ちゃんはそうじゃなくちゃ、ね」
「は、はい!」
常日頃から不幸だのなんだのと呼ばれていたことも忘れて滋は元気に返事を返した。
「それじゃ、行きましょう。今度絹ちゃんと会うときに笑って会えるように、
今はセリア達にできることをしましょう」
「そうですね。僕たちにできることから、ですよね」
そして二人は墓を後にした。丘を下る途中セリアはいま一度墓を振り返りつぶやいた。
「もう、あんな悲しいことはたくさん。古代語魔法は人を不幸にするためのものではないのだから・・・セリアはきっと見つけてみせます。どんな立場であれ共存できる道を・・・お互いが理解できればそれはきっと可能なはずだから・・・そうでしょう?絹・・・」

古くからの兵法に言う、その城を攻むるは下の策なり、その人を攻むるは中の策なり、そして、その心を攻むることこそ上の策なりと・・・
心を攻める、すなわち兵を戦わせずに目標を達成すること。
セリアはその上の策を目指すことを選んだ。それがただの理想論であったとしても・・・






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