その日、アン子こと遠野杏子は原稿に追われていた。
と言っても特別なことではなく、彼女は常に何がしかの原稿に追われているようなものなのだが。
常と違うのは原稿をまとめる場所。
いつもならば真神学園新聞部の部室か自宅で行うのだが、今日はたまには気分転換を、と大通りのビルの二階にある喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらの作業だ。
この店は意外な穴場で、他にも書類をまとめるサラリーマンやレポートをやっている学生の姿が見受けられる。
コーヒーは1杯¥500と割高だが味は悪くなく、お代わり自由な上に何時間居座っても文句を言われないのだから居心地は良い。
そんなこんなでアン子は原稿が煮詰まるとこの店の窓側の席に来て原稿を睨みながらゆっくりとした時間を過ごすのだ。
「やっぱり、この程度のネタじゃ、今回の新聞の売り上げは見込めないわね……」
誰にともなくアン子が呟く。
「う〜ん、でもネタを探す時間はない……となると創るしかないかしら」
事実の捏造。
彼女に言わせると創造、らしいのだが、確かに実際には1の事実を5ぐらいに言うだけであってまるっきり嘘ではない。
無論、真実とも大きくかけ離れる訳だが……
「京一のアホがケンカ……駄目ね、この程度じゃ売れないわ。あ、じゃあ醍醐君と決闘とか。無理よねえ、あのアホはともかく、醍醐君がそんな事するはず無いのは校内の誰もが知ってるし……美里ちゃんのセクシーショット……もっと無理。ミサちゃんに心霊特集組んでもらうとか……それじゃあオカルト研究会の会報じゃないの。緋勇君と桜井ちゃん、深夜の密会発覚! ……出来そうだけど、いまさら、ってカンジだしねェ……」
友人たちをダシに一人勝手な『事実の創造』にふけっていると、ふと窓の下を見覚えのある人物が通りかかった。
「ん? アレは……京一じゃない」
窓、と言うか壁がガラスと言った方が似つかわしいい造りなので、外を歩く人間は良く見える。
アン子がふと下を見下ろすと、確かにそこを所在無げに歩いているのは蓬莱寺京一であった。
「フッフッフ……アホが木刀背負ってやってきたわ」
鴨がネギ、の活用だろうか。
「さあ、京一、新宿の街でこの遠野杏子様のネタになる騒動を起こすのよ!」
いつのまにか手にしたカメラを構えて盛り上がるアン子の背後に、確かに赤い炎が轟々と燃えていた。
と、それまで何をするでなく突っ立っていた京一が動き出す。
「む! 駄目よ、ここからのカメラアングル切っちゃ!」
などというアン子の勝手な声が聞こえた訳ではないのだろうが、京一は程なく足を止める。
足を止めたところには人待ち顔の女子高生が一人。
渋谷の神代高校の制服に身を包んでいるところを見ると、学校帰りに新宿に遊びに来たのだろうか。
ファインダー越しにアン子が見ているとも知らず、京一はその女生徒に話し掛ける。
いきなり声をかけられた女生徒はやや驚いたようだったが、
二言三言言葉を交わす内に苦笑とも取れる笑顔を浮かべる。
「な〜に、あの馬鹿、学校帰りにナンパぁ? ほんっと、救い様の無い馬鹿ね」
アン子がぶつぶつと言っている間も京一のナンパは続いていたが、どうやら女生徒は待ち合わせの時間潰しに京一に付き合っただけらしく、待ち合わせの相手とおぼしき別の女生徒が来るとさっさと行ってしまった。
後に残された京一はくやしそうに舌打ちをすると、再び辺りを見回し始める。
「プッ……あの馬鹿、断られてるし。あ、しまった。今のシーン,撮っておけば良かったな〜……ま、次のチャンスがすぐ来るわ」
常に前向きな思考を心がけるアン子の言葉通り、京一は一人歩きの女性と見るや手当たり次第に声をかける。
「お、また行ったわね」
「あー、だめだめ、見るからに待ち合わせじゃない。さっきから時計気にしてるの、気付かないかなぁ?」
「相手、全然気の無い顔してるのに、あの馬鹿もくどいわね〜。私だったらはたいてるわよ」
「まだ行くのォ? いい加減、諦めりゃイイのに……」
およそ、小一時間も続いたろうか。
不作なナンパに飽きもせず、京一は声をかけまくっている。
「まったく……何してんだか……」
既にアン子はシャッターを切るのを放棄し、ただただファインダー越しに京一が右往左往する様を見ている。
「……ホント……何してんだか……私……」
ナンパを続ける京一を見るたび、なんだか胸が重くなってくる。
普段、ファインダー越しに見る光景はどのようなものであっても客観的に見る自信があったのに。
いや、たとえ客観的に見れなかったとしても、何故ナンパをする京一を見て胸が重くなるのか。
ただの被写体、ネタの対象なのに。
「…………バッカみたい…………」
沈み切った表情でカメラをしまい、机の上に広がった原稿を片づけて店を出る。
結局、原稿は全然進まなかった。
このままでは差し障りの無い記事でお茶を濁すこととなるが、それでも今は原稿を書く気が起きなかった。
店の入り口を出て階段を降り、ビルから出る際に周囲をうかがう。
別に、京一に見付かってもどうと言うことはないのだが……何だか今は京一の顔を見たくない。
顔を伏せ、そそくさと建物を出るアン子の耳にその声はやけにはっきり聞こえた。
「どうした、坊主? 迷子か?」
突然聞こえてきた京一の声に、思わずビルの陰に隠れてしまう。
そっと顔を出して声の方向をうかがうと、京一がべそをかいている少年に語りかけている様が見えた。
「どーした、泣いてちゃわかんねえぞ。お前も男なら、しゃきっとしろい」
諭すように言う京一にも、少年はべそをかいたままだ。
京一はやれやれ、とばかりに天を仰いで一つ息をつくと、その場にしゃがみこんで少年の視線に自身の視線の高さを合わせる。
「坊主、かーちゃんとお出かけか? とーちゃんか?」
「ぐすッ……ママと……」
「よし、んじゃ、このカッコイイお兄ちゃんがママを捜してやる。だから泣くな。な?」
「ホント……?」
「ああ。お兄ちゃんはカッコイイから、嘘はつかねえんだ」
京一の訳の分からない言葉に、しかし少年はにっこりと笑って
「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
と元気良く言った。
「おし、良い返事だ。お前、名前は?」
「ねんしょうぐみ、とおのきょういち、です!」
「とおのきょういちぃ? なんだ、なんかアレな名前だな……ま、奇遇だな。お兄ちゃんも京一って言うんだ。同じ名前のよしみでヨロシクな」
「うん!」
京一が差し出した手をしっかりと握って、きょういち少年はこれまた元気良く返事をした。
手を繋いで歩き出す二人のキョウイチを、アン子は何故か隠れながら後を追った。
通りを端までゆっくりと歩き、また引き返す。
そんな事を二往復もしたろうか、やがてきょういち少年に疲労が見え始めた。
「どうしたきょういち、ちっと休むか?」
「んーん……だいじょうぶ」
「そうか? 喉乾かねえか?」
「うん、ありがとう。でもだいじょうぶだよ」
「そっか。きょういちは強いな」
「えへへ」
という会話を交わしつつ、再びきょういちの母を捜しての往復が始まる。
既に当たりは夕日に染まっており、夕食の買い物の主婦の姿もまばらだ。
「……お前のママ、なかなか見付からねえな」
「うん……」
最初に2人が出会った場所に座り込んで、キョウイチ×2が話し込む。
「ママ、何を買うかとか言ってなかったか?」
「えーと、えーと……わかんない」
「う〜ん。家の電話番号……わかんないよな」
「うん、わかんない」
「まいったなあ……」
「アンタ……ホンットに馬鹿ァ!?」
突然、アン子が京一に詰め寄る。
「うぉわっ!? なな、なんだ、アン子か、いやそうじゃなくてなんでアン子がここにいるんだよ!?」
「ッたくもう、さっきから見てればあっちをウロウロこっちをウロウロ、アンタ、ホントに母親捜す気あるの!?」
「んだとぉ!?」
突然現れたお姉さんとお兄ちゃんとのいきなりの激しい口喧嘩に、きょういち少年は目をぱちくりさせている。
「アンタの頭ン中にはなにも入ってないの? いくらこの通り限定だってウロウロウロウロしてるだけで互いに捜し合ってる人間が会える訳ないでしょーが!」
「ン、ンなこと言ったってよ……」
何故かのっけからハイテンションなアン子の剣幕に、京一は反論もままならず押されまくる。
「落とし物やら道聞いたりとか、迷子とかにうってつけの場所があるでしょーが!」
「へ? あ……交番か」
「ったく……あんたと同じ高校に通ってると思うと、情けなくなってくるわよ」
散々に言われ放題の京一だが、今はともかくきょういち少年を母親のもとに連れて行くことが先決だ。
2人の言い合い ――― というよりもアン子の剣幕 ――― にきょとんとしたままのきょういち少年を連れて、京一とアン子は通りの外れにある交番へと向かった。
「恭一!」
きょういち少年を伴い、交番に入ると母親とおぼしき女性が出てくるところだった。
「ママ!」
きょういち少年が女性にしがみつく。
きょういち少年 ――― 恭一の母親ははぐれて間もなく交番を訪れ、その後捜しては再び交番を訪れ、を繰り返していたらしい。
「バイバイ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。ありがとー!」
何度も頭を下げて礼を述べる母親に、逆に恐縮してしまった京一とアン子に恭一が元気良く礼を述べ、手を引かれて帰っていった。
「……素直な子だったね」
「ああ。なんかひーちゃんみてえだな」
「多分、あんたと同じ名前なのが、あの子の唯一の欠点ね」
「るせー」
アン子の軽口に対する京一の反応の鈍さは、恐らく何となくほっとしたからであろう。
お巡りさんから『ご苦労様』とのねぎらいの言葉を受け、何となくこそばゆく思いながら交番を出たところで、アン子が口を開く。
「それにしてもさ、あんたが子供好きだなんて意外だったわ」
「別に、好きじゃねえよ」
「なら、なんでわざわざお母さん捜したりしたの?」
「なんで、って……別にいいだろ、そんな事」
「ふ〜ん……」
下から覗き込むようなアン子の視線を何となく気恥ずかしく感じ、目を逸らす。
と、その時京一の脳裏に今まで引っかかっていた疑問が再び頭をもたげてきた。
――― そう言えば、なんでアン子、あそこで都合よく声かけて来たんだ? なんかずっと見てたようなことも言うし……
その疑問をぶつけようと、京一が口を開く。
「なあ ――― 」
「あーッ! いっけない、もうこんな時間! 近所の写真屋さん、しまっちゃうじゃない! それじゃ、私今日中に現像してもらうフィルムがあるから、これでッ!」
「お、おい」
「じゃーねッ!」
1人でまくしたて、やけに説明的な台詞を残してアン子が駆け抜けていく。
後にはぽつねんと、京一1人が残された。
「……………なんだったんだ、一体……………」
その夜。
「…………よく撮れてはいる、けど…………」
京一のナンパ失敗のスナップの数々を机の上に広げて、アン子が思案顔で独り呟いた。
ここはアン子の自室。
新聞の編集作業で夜遅くまで起きている、時には徹夜することも珍しくないので、両親は夜更かしをとやかく言わない。
一時期の、引込み思案だった頃に比べれば、今の快活すぎるほどに行動的な彼女の姿は両親にも嬉しいものなのだろう。
ともあれ、あの後なじみの写真屋に駆け込み、ちょうど撮りきったフィルムの現像を依頼し、完成仕立てのスナップを受け取って帰宅して今に至る。
「『蓬莱寺、ナンパ失敗の数々!』 売れるわよね、きっと」
そう、きっと売れるだろう。
京一には下級生を中心に意外とファンが多い。
そして同数かそれ以上に、同級生の男子を中心に敵も多い。
その両層からの売り上げが見込めるであろう今回の見出しは、アン子のブン屋魂を激しくくすぐる。
「売れるだろうけど……でも……ね……」
一枚だけ、別に分けておいたスナップをちらりと横目で見る。
「…………フン、今回は、恭一君に免じてなかったことにしてあげるわよ」
フィルムの最後の一枚、恭一の手を取って夕日の中を歩く京一の写真に、アン子は憎まれ口を叩いた。
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