雨宿り



「ちッ、ついてねえな……」

昇降口から雲が重く垂れ込める空に恨みがましい視線を送って、蓬莱寺京一が呟いた。
今朝方家を出るまでは雲一つ無い晴天であったのだが、午後から急に風と雲が出始めて夕方、下校時には夕立と相成った訳である。
常ならば一緒に帰っている級友たちは今日は皆所用で先に帰っており、犬神教師に掴まって説教をうけていた京一のみが雨に祟られてしまったというわけだ。

――― こういう時に限って醍醐は紫暮んトコに顔出しにいってるし、小蒔は雛乃ちゃんトコと合同練習だったか。美里は……今日は生徒会もないって言ってたしな、もう帰ってるだろ。ひーちゃんはどうせ小蒔と一緒に行ったんだろうし……はぁ〜、ついてねえ。

いっそ諸羽に電話して傘を持ってこさせるか、とも思ったが、さすがにそれは思いとどまった辺り、まだ京一にも『尊敬される先輩』としてのプライドが残っていたらしい。
辺りを見やるが、置き傘の一本も無い。
この天候で残っているはずも無いのだが、なんだか無性に腹が立つ。
雨足は強く、夕立だというのに一向に止みそうにない。
これはもしかしたら夜半まで続いてしまうかも……

「仕方ねえなァ……走るか」

意を決し、雨の中京一は走り出した。





駆け出して5分で京一は後悔した。
――― ……やっぱ、諸羽に傘持って来させりゃ良かったかな。

だがこの状況では電話をかけるのもおっくうだし、何より傘が届くのを待つのに良い場所が無い。
その辺りのコンビニで傘を買おうか、とも思うのだが、今月はやや懐具合が淋しいのでやめた。
500円前後の傘すら買えない辺り、真に淋しいことが伺える。

――― ええい、水の神様にでも祟られたか、俺? 水っていやあ如月だな。そうか、如月のせいか。あのヤロウ、今度痛んだ和風ピザ食わせてやる。

八つ当たりも甚だしいことを考えつつ走っていると、ふと公園まで差し掛かった。
あまり大きくはないが木立などもある公園だ。

――― ちょっと雨宿りしてくか。もしかしたら傘でも落ちてるかも……

浅ましいことを考えつつ、公園に入る。
雨をしのげそうな遊具こそないが、多少なりとも雨を防いでくれそうな大き目の樹が目に入ったので、そちらに向かう。
足元の泥を気にして歩調をゆるめた時、聞き慣れた声が耳に届いた。

「ちょっと、しつこいわね!」

――― んぁ?

聞き慣れた声と、そのいつもと違うただ事でない調子に思わず足を止め、声のした方向を見やる。

――― ありゃあ……アン子じゃねえか。こんなところでなにやってるんだ?

聞き慣れた声の主、遠野杏子は二人連れの男に声をかけられているようだった。
すかさず、気取られぬように近づいて聞き耳を立てる。

「いいじゃねえかよ、ちょっとぐらい付き合ってくれたってよォ」
「そうそう、こんな雨の中、外で歩いてるよりはあったかいところで茶でも飲んだ方がマシだぜ?」

――― はは〜ん……世の中には物好きなのもいるモンだな。よりにもよってアン子をナンパかよ。顔も悪いが、趣味も悪いな、あいつら。

心の中でも二言多い京一である。
第三者が呑気なことを考えているとも知らず、アン子の方は真神一回転が速いとも言われる口先で二人のナンパ男を黙らせている。

――― あーなっちまったらもうナンパどころじゃねえな。ま、俺にゃ人のナンパを見ている趣味も邪魔する趣味も無いからな。この辺りで退散……

と、京一が背を向けた時。

ぱしんっ!
「きゃッ!」

何かをはたくような音と、滅多に聞かれないアン子の悲鳴が聞こえた。
慌てて振り返る京一の目に、地面にへたり込むアン子が入った。

「ごちゃごちゃうるせえんだよ、このアマ! おとなしくついてくりゃあいいんだ!」

どうやらアン子がまくしたてた言葉の中に、男の逆鱗に触れるものがあったのだろうか。
思わず手を出してしまい、その事自体に逆上したのか男の語気が荒い。
1人が地面に放り出されたアン子の傘を踏み折り、のしのしと近寄る。
気は強いがさすがに殴られることにはなれていないアン子は、さすがに声が出ないようだ。
と、そのアン子に近づいた男が急に転んだ。

「うわぁ!?」

派手に顔から泥の中に突っ込んだ男の近くに立つ影が一人。
言わずと知れた蓬莱寺京一である。

「ったく……男のクセに女に手ェ上げてんじゃねえよ。カッコワリィ」

気配と足音を殺して瞬時に間合いを詰め、男の足を払ったその動きは非凡なものであったのだが、武道家でない上に激昂している男二人は気付かなかったようだ。

「テメエ、邪魔する気か!」
「それ以外のなにに見えるんだ? お前ら、顔と趣味だけじゃなくて頭も悪いんだな」

京一の外見は、はっきり言って優男だ。
顔立ちはむしろ洗練されたと言って良い整った風貌で、髪の毛を軽く脱色して短ランを着ているあたりは優等生にこそ見えないが、背も抜きんでて高い方ではないし、着痩せする性質だから服を着ている以上は華奢に見える。
つまり、要約して言えば『弱そう』に見えてしまう訳だ。
もっとも、それも京一の目に宿る不敵な光を見るまでのことだろうが、間の悪いことに激しい雨で二人の男にはその光は確認できなかったようだ。
結果として、二人の男は京一の喧嘩を買った。

「カッコ付けやがって……」
「1人でどうにかなるとでも思ってるのか、あぁ!?」

京一はそれに答えず、紗の袋に包まれたままの木刀をアン子に放り、

「持ってろ」

と告げ、男たちに向き直った。

「ちょっとムシャクシャしてたんだ……久し振りに、ただの喧嘩を楽しませてもらうとするか。行くぜッ!」





一流の剣客は、例え無手でも十全にその強さを発揮するという。
相手が素人ということもあったのだろうが、ともあれ京一は自身が一流の剣客たるに相応しいことを簡単に証明してみせた。
ものの2分とかからずに二人の男を敗走させ、アン子に向き直る。

「ちぇ、手応えのねえ……おいアン子、大丈夫か?」
「……え、あ、う、うん」

京一の立ち回りを呆然と見ていたアン子は、声をかけられてはっとしたように言う。

「あーあ、あいつら、逃げる時に傘持って行きやがんの。おい、ちょっとそっちの樹の下に入ろうぜ」
「……そ、そうね」

やけに素直なアン子に少々拍子抜けしつつも、樹の下に入る。
多少は雨を防げるが、それでも完全にとは行かない。

「…………………………………………」
「…………………………………………」

何とはなしに、無言の時が流れる。
アン子はハンカチを取り出して服や髪を拭うが、ハンカチ自体濡れているのであまり効果はないようだ。
京一は何気なくそのアン子の方に目をやって、慌てて目を逸らす。
雨に濡れた制服の背中越しに、下着の線が透けて見えてしまったからだ。

――― ア、アホか俺は。相手はアン子じゃねえか。たかがブラの線が透けて見えたぐらいでなにドキドキしてんだ。

「あのさ」

静寂を破ったのはアン子だった。
心中を見透かされたような気がして、京一はやや焦り気味に答える。

「な、なんだよ」
「なんで木刀使わなかったの? アンタの腕なら、やりすぎないで叩きのめすことも出来たでしょうに」
「バカ言え。あんなやつらに振るったら、俺の剣が汚れる」
「へ〜え、一応、気にはしてるのね」
「ンだその言い方、馬鹿にしやがって」
「しっつれいね、これでも真剣に感心してるのよ」
「…………フン」
「…………フンだ」

再び訪れる静寂。
雨は一向にやむ気配を見せない。

「おい」

今度は京一が無言の時を破った。

「なによ」
「ほれ」
「ナニ、これ? ……飴?」
「飴なんか渡すか。俺らが普段使ってる薬だよ。ひーちゃん心配性だから、いつも仲間全員に一個ずつ持たせてんだ。呑んどけ」
「薬、って……アタシ、怪我なんかしてないわよ」
「殴られたろうが、さっき」
「あー、あれ? あんなの別に……」
「一応顔だろが。気にしろよ、女なんだからよ」
「あ〜ら、珍しい」
「うるっせえなー、素直に言うこと聞いとけ」
「はいはい、呑んどくわよ」

そうこうしている内に、雨がやや小降りになってきた。

「お。これなら……行けないこともねえな。どうせ濡れちまってるし」
「そうね」
「んじゃ、行くか」
「行くか、って……アンタの家、反対方向でしょ?」
「送ってってやるっつってんだよ。帰り道にあいつらが待ち伏せしてたりしたら、俺も寝覚めがワリィ」
「なにも奢らないわよ」
「期待してねーよッ」

ちょうど雨足は弱まり始め、軽口を叩き合いながら二人がアン子の家の近くにつく頃には雨はほぼ完全に上がっていた。

「おー、すっかり晴れたな。帰りは傘借りようかと思ってたけど、ちょうど良かったぜ」
「なにアンタ、傘借りるつもりだったワケ? あつかましいわねー」
「ここまで送ってやったのに、その言い草か!?」
「あーはいはい、いいから帰んなさいよ。もう大丈夫だから」
「ちッ……やっぱ無視しときゃ良かったぜ」

アン子のすげない態度にさすがにカチンと来たのか、京一が踵を返す。

「そうだ、京一!」
「あー?」

背中にかけられた声に首だけ振りかえる。

「……そ、その……アリガトね。さっき……ちょっとカッコ良かった……よ」

うつむきながらぼそぼそといったアン子の声は、京一の耳にはかろうじて届いた程度だったが、その内容を判別するのには苦労はしない大きさだった。
にもかかわらず、京一が

「……なんだって?」

と聞き返したのは、やはりその内容が余りに予想に反したものだからであろうか。
京一の問いかけに、アン子は頬を紅潮させながらもいつもの調子で

「さっさと帰りなさいよ! 馬鹿でも夏風邪は引くんだからねッ!」

とぴしゃりと言い、家に向かって駆けていってしまった。

「……フン、相変わらず素直じゃねえんだからよ、アイツは……」

京一の機嫌が少なからず直っていたのは、雨が上がったせいばかりではなかった。




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