鬼狩人外伝・1 永遠の夜





 治安が良い、とはお世辞にも言えない。
 だがそれでも、人の流れが途絶えることはない。
 危険で魅力的な、活気と熱気に溢れた街 ――― その街の、少しだけ入り組んだ路地にその店はある。
 店があると言っても、看板は出ていない。今時珍しい、分厚い樫材で造られたやけに重厚な趣きの戸が、往来の客を威圧するようにそこにあるだけだ。
 戸を押し開きいて中に入ると、それだけでカウンターのみの狭い店内を一望できる。6人も座れば満席になるだろう。
 薄暗い店内には静かにブルースが流れている。
 低く緩やかなその音色が、店内を深く深く、蒼に染めていた。
 それは晴天の蒼ではなく、深海の青。
 深く、穏やかに流れる海流の蒼が、ブルースという音の形を借りて店内を染め上げているようだった。
 カウンターの中に1人の女がいた。見た目の年齢はまだ若く、20台の半ばに見える。
 整い過ぎるほど整った、彫刻のような端正な美貌の持ち主だ。しかし、彫刻にしては瞳に意志と覇気が溢れ過ぎている。
 退屈そうにカウンターに肘をついている様はお世辞にも行儀が良いとは言えないが、それでもなおこの女の纏うどこか貴族然とした雰囲気は損なわれていない。
 有閑に飽いた深窓の令嬢……というよりは、親に止められて悪童との戦争ごっこに行けなくなった不満顔のお嬢さま、といった面持ちなのは、淫靡とも言える妖艶な美貌に似合わぬ若々しい表情のせいだろうか。
 
「毎度のことだけど、暇な店だねえ」
 
 戸を押し開いて入ってくるなり、月篠雅草は店主であるカウンターの中の女性に声をかけた。
 
「うっさいわね。その暇な店に来るあんたも暇人じゃないのよ」
「違いない」
 
 店主と毎度のやり取りを交わし、雅草はスツールに腰掛ける。何気ないその動作も、見る者が見れば微塵も隙がないことが見て取れるだろう。そう、例えば今、この店に小銃を持った一個小隊が押し入ってきたとしても、雅草にかすり傷はおろか塵ひとつ、触れさせることはかなわないだろうほどに。
 手慣れた動作で店主の女性がロックグラスを取り出し、アイリッシュ・ウィスキーを注いで雅草の前に出す。雅草とはまた別の意味で、こちらの動作にも隙がない。雅草の動作が研ぎ澄まされ洗練された武道家のものであるのに対し、店主のそれはぶっきらぼうには見えても同じく研ぎ澄まされ、洗練された優雅さを伴う、貴族のそれだった。
 水も氷も足されない、生のままの琥珀色の液体を雅草はくいと喉に流し込む。アルコールが喉を焼く感触が液体の降下と共に食道から胃に到達するこの感覚が、雅草はたまらなく好きだった。
 これまた何も言わない内に皿に盛られたスライスレモンを一切れつまみ、口に運ぶ。
 
「そういえばさ、モリガン」
 
 レモンの果肉で口を湿した雅草が店主に語り掛ける。
 
「この間話した、あたしの弟子。昨日、“仕事”をさせたんだよ」
「へえ……って、まだ教え始めて3ヶ月ぐらいじゃなかった?」
「そのぐらいだね」
「ふーん。告別式はいつ?」
「なんだい、告別式って」
「その御弟子さんの。一応顔出すわよ。お香典は2枚で良い?」
「待ちなって。勝手に殺すんじゃないよ」
「あーら。死ななかったの、たった3ヶ月の稽古しかしてないのに?」
「殺させなかったんだよ」
「へぇ……“鬼狩人”雅草が、ねえ……」
「なんだい、その顔は」
「べつにぃ? 狩りの場で誰かを庇うなんて、って思っただけよ」
「ふん…………」
 
 苦笑未満の表情を浮かべ、雅草は半分ほど残ったグラスの中の琥珀を一気にあおった。
 


了       




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