その日は龍麻にとって特別な日ではなかった。
何か事件があるわけではなく、戦闘もない、ごく平和な日常。夜に京一と遊びに行く約束があるが、まあこれもその日だから、という訳ではない。
だから一人暮らしの彼の部屋のチャイムが鳴った時も『京一、早いな……』と思ったし、ドアを開けた先にいた彼女達を咄嗟に理解する事も出来なかったのである……。
それを見た瞬間の印象は
『裏密、分裂したのか……』であった。
いつのまにそんな技を?やはり紫暮のを研究したのだろうか。でもまだ未完成なんだな、身体のサイズが違うし……
ここまで考えて、そんな事あるかい!と自分の心にツッコミを入れる。ついその格好に気を取られてしまったが、それを着ているのは
「Trick or treat!!オニイチャン」
「うふふ、こんばんは龍麻」
彼のクラスメートとその可愛い妹であった。
とりあえず魔界の伝道師の勧誘では無い事にホッとしたが、幾つかの疑問が出来る。
「ドウシタノ?困った顔してるヨ?」
「いや……二人して突然黒魔術にでも目覚めたのかなあと……」
「別に私達ミサちゃんに弟子入りした訳ではないのよ」
だとすると彼女達の着る黒いローブは何なのだろうか?尖がり帽子にホウキまで持っているし……何故?
「ダッテ今日はハロウィンだよッ」
「ボランティアで行っている施設でこれからパーティーがあるの」
そこまで言われて何となく納得するがどことなく理解できない。
ハロウィンと言われてもイマイチピンとこないのだ。そういったイベントがある事は知っていたが、それまで彼の周りでそれを実行している人はいなかった。龍麻もその風習を知ってはいるが具体的にどんな日なのか、そもそも祝い事の日なのなど細かい所は全然解っていない。確か仮装して家を回っておかしもらって、とその程度か。
「ネエネエ、龍麻!似合う?」
「行く前に『龍麻を驚かせるんだッ』て、もう大ハシャギなの」
まあマリィも喜んでいるようだし良しとしよう。何に対して許しを与えているのか自分でもよくわからないけど。それはともかく、
「よく似合っているよ、マリィも葵も」
「サンクス、龍麻」
「ありがとう、ちょっと複雑な気もするけど」
確かに魔女の格好が似合うというのは誉め言葉として微妙なものがある。しかし実際によく似合ってはいたのだ。肩に乗せたメフィストが程よいアクセントとなっているマリィも、何か独特な雰囲気を醸し出している葵も。裏密のミサちゃんは似合い過ぎだが。
その後しばらく話し込み一緒にパーティーに行かないかという誘いを約束があるからと断って……
「さ、そろそろいきましょ、マリィ」
「ウンッ!ア、ソウダ龍麻、Trick or treat?」
「えっと…それって」
「<イタズラかお菓子か>よ……お菓子ってあるかしら」
そういわれるとちょっと困る。お菓子、甘い物は時々食べたくなる事もあるが、買い置きしておく程ではない。何かなかったか?確かその棚の中に……。
あったのはポテトチップスとポップコーン。別にHPが回復する訳でも旧校舎で拾ったのでもない、この前京一達が来た時買ったのだが結局食べなかったのだ。
「これくらいしかないけどいいかな?」
「エヘッ、アリガトッ!」
「ごめんなさいね、いきなり押しかけておいて」
素直に喜ぶマリィと詫びる葵を見送って……部屋に戻る龍麻。今まで全然意識してなかったけど、ハロウィンって結構楽しいかもしれない、仮装とかも面白そうだし。と心の内では思い始めていた。
次の訪問者は十数分後。
『今度こそ京一か?』と思いながら開けたドアの先にいた彼女を……今度は理解できた。
「とりっくおあとりーとッ!!」
これには見覚えある、確かカボチャ大王。馬鹿でかいカボチャの頭に白いシーツ(実際そうなのだが)の身体、手にはランタンを持っていて火炎系の呪文を……あれ?何か違うような……ま、いいか。
「……で、小蒔もハロウィン?そんなにメジャーだったんだこの風習って」
「あ、よくわかったね。これで顔隠していたのに」
言いつつカボチャの頭を取った中身はやっぱり彼のよく知るクラスメート。最近では<大切な>とか<気になる>という言葉がついてくる。
「声でわかるって、あと背丈でもね……もしかしてパーティー?」
「ウン、葵に誘われてて結構前から準備してたんだ!ひーちゃんも誘おうかって思ってたけど、なんかその日は京一と遊ぶって話しを聞いたから」
その時誘われていたら自分は果たしてどうしていただろうか?男の友情は大切だが誘惑に負けて京一に涙を飲んで貰ってたかも……いや、いくらなんでもそこまで薄情でも無いぞ、でもこちらを断るには……
過ぎた事、しかも仮定の話しでなんとなく思い悩んでいる彼を不思議そうに眺めていた小蒔だったが、思い出したかのように再び喋り出す、手に持った紙袋……ランタンではなかった……を突き出すようにして。
「それでね、これ沢山作ったからおすそ分けしようかなって」
そこに入っていたのはカボチャのプリンにカボチャの煮物にカボチャ羊羹。全部カボチャで全部手作りのようだった。
「ありがとう、凄く嬉しいよ……もしかしてその頭?」
「これはハリボテだよ。施設の子供達にプレゼントするカボチャランタンを作ったらくりぬいた中身が大量に余っちゃって。おかわりはまだ家にたくさんあるから、気に入ったらまた持ってくるよ」
彼女の言葉は本当に嬉しかった。心情的にも、単純になりやすい食生活的にも。
なにかこの感謝の気持ちを表したいのだが、何か恥ずかしくて上手い言葉が出てこない。小蒔の方も嬉しいという言葉と彼の柔らかい笑顔に胸を突かれ、急にカボチャ大王の姿でここにいる事が照れくさくなってしまっていた。
「じゃ、じゃあボク行くから、容器とかタッパはまた今度取りに来るね」
再びカボチャの頭を被ろうとした小蒔の手を静かに押さえ
スッ
軽い、ほんの一瞬
でもその時、確かに彼の唇は彼女の頬に触れていた……
「!!!!!!!」
真っ赤になり固まる小蒔。その手からカボチャ頭が落ちたが気にも止めない。今、自分の身に何がスゴイ事が起こったのだ。細かい事など気にしていられない。
「トリック オア トリート……いたずらかお菓子か」
彼女を固まらせた当人は静かに話し出す。一見冷静そうに見えるが同じように真っ赤になった顔が彼の胸中を能弁に物語っていた。
「今貰ったお菓子は絶対あげたくなかったから、いたずらの方にした」
ぬけぬけと恥ずかしい事を口走っているが、内心ではもうパニック寸前である。
「気持ち、伝えたかったから……」
これは本心、だが何故その方法をこういった形にしたのかは……自分でもよく分かってはいない。大体今伝えるべきは感謝の気持ちなのに。
対して小蒔は変わらず無言。ようやく硬直も解け、黙ってカボチャ頭を拾い、静かにこちらを見返してくる。その表情は、固い。
『やっぱ怒ってるだろうな、あんな事したんだから無理ないけど……嫌われた、かな』
考えていく程悲しくなっていく、自業自得とはいえ……謝っても許してくれないかな……でも、本心は偽れないし……
深みに嵌まっていく、まともに彼女の顔を見れない、どう、しよう……
チュッ
「…………え?」
一瞬頬に感じる柔らかい感触、今のって……
我に帰って前を見ると、変わらず小蒔が立っていて……先ほどより更に、耳まで朱色に染まって俯いている。
「……ひーちゃん、あのね……」
その声は小さかったが龍麻の心に直接響いてきた。
「……あべこべだと、思うんだ。お化けがお菓子をあげて、イタズラされるのって……だからさっきのは、イタズラの仕返しっ……それで……」
スッ
今度は見逃さなかった。
小蒔が何かを決めた顔をして、そのまま近づいてきて、そして……
チュッ
今度の感覚は反対側の方から、やっぱり一瞬で……柔らかい。
「……これはボクの、伝えたい気持ち……じゃーねッッ!!」
逃げるように走り去っていくその後ろ姿を……龍麻はぼんやりと見送る事しか出来なかった。
『伝えたい気持ち……感謝の気持ちじゃあないよな……』
混乱しているのか、かなり惚けた事を考えながら……。
そして
「?何やってんだ、ひーちゃん」
「ん、ちょっとな」
京一が部屋に入った時、龍麻は何かを制作中だった。
大分汚れた(この前京一がこの上でこぼしたコーヒーの染みが大きく残っている)シーツになにやら目やら口やらを描いている。これで目の所に穴を開け外を見えるようにして、頭からすっぽり被れば即席ゴーストの完成である。
「今日は如月の家で麻雀するんだろ?その時ちょっと驚かせようと思って」
ハロウィンだし、と付け加えられる言葉に首を傾げる京一。
「純和風でクリスマスさえ祝って無さそうなアイツにハロウィンが通じるか?」
「それならそれで仲間のいきなりの仮装に忍者がどんな反応をするかを楽しむってのでもいい」
「なんかえらくテンション高いな……そんなにハロウィンって楽しいか?」
「ああ……特に今年から、なッ!」
どこか嬉しそうに作業を進めるその横には、小さめのカップに入った食べかけのプリンが置いてあった。
こうして、龍麻にとってハロウィンは『特別な日』となったのであった……。
「……ところでひーちゃん、結局ハロウィンって一体どんな日なんだよ?」
「………さあ?」
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