シュプールのフロント前には奇妙な物があった。高さ30センチほどの石作りの像なんだが。
「真理、あれ、なんだと思う?」
「何って……いたち、が鎌をもってるわよね」
ぼくは、
A 「いたちが鎌持ってかまいたちっ!」
B 「シュールで、アバンギャルドで、すばらしい芸術性を感じさせるね」
C 「あれって、小林さんの趣味?」
ぼくは、
「いたちが鎌持ってかまいたちっ!」
と、ギャグをとばした。
しばし沈黙。
「ばか?」
真理の冷たい言葉と、視線が痛い。どうやら見事にはずしてしまったようだ。
階上で女の子達が騒いでいる。例の3人組だ。
「どうしたんですか?」
眼鏡の子、亜希ちゃんが手に持っていた紙切れを無言で差し出す。
”今夜12じ、かまいたちが、あらわれる”
ぼくと真理は思わず顔を見合わせた。広告の端をちぎったらしい紙に乱暴な文字が踊っている。
「廊下に落ちてたの。なんか、あたし気持ち悪い……」
ぼくが、もっと良くみようと顔を近づけた時、横からさっと手が伸びて、紙切れを奪った。
「小林さん」
「く、くだらない、いたずらだよ。まったく、昨日の子供かな、ああ、気にしないでくれ。なんでもないから」
そう言っている小林さんの顔は、なんとなく青ざめていると思った。その思いは真理も同じだったらしい。
「どうしたの? 叔父さん。なんだか、変よ」
「い、いや、なんでもないよ。そうだ紅茶かなにか、いれてあげよう」
小林さんは早くこの話題を切り上げたいようだ。
ぼくは
A ズバリ、指をさして
「小林さん、あなたはこの紙切れについて何かを知っていますね?」
と、言った。
B なんだか真理に追いつめられる小林さんがかわいそうになって
「もういいじゃないか、どうせいたずらだよ」
と、言った。
C 「紅茶はもちろんフォートナム&メイソンで、アッサムを濃くいれて砂糖無 しのミルクティにしてくださいっ!」
と、紅茶通をきどってみた。
ぼくは、なんだか真理に追いつめられる小林さんがかわいそうになって
「もういいじゃないか、どうせいたずらだよ」
と、言った。
「でも……」
真理はまだ納得しないようだったが、それ以上追求しない事に決めたようだ。
それを区切りに、小林さんは、紙切れをポケットにねじこむと、率先して階段を降りていってしまった。
夜、真夜中、11時50分。ぼくはどうしても夕食の時のことが気になって、目覚ましをかけて寝たのだ。そして、全身の筋肉が悲鳴をあげるなか、また、まぶたが万有引力の法則に従いそうになるなかを、ベッドからぬけだし、ゆっくりと階段を降りた。
思った通り、廊下のつきあたり、小林さん夫婦の部屋に明かりが見える。
ぼくは、
A 足音を忍ばせて近づいた。
B 普通に歩いてドアをノックした。
C ほふく前進をした。
ぼくは、足音を忍ばせて近づいた。ドアのすぐ前まで近づいたとき、何か、を研ぐような音がきこえた。
そう、例えば包丁とか、ナイフとか、刃物を。
ぼくの頭の中に、くっきりとある一つの像がうかんだ。
A 山婆だっ! 小林さんは山婆だったんだっ!
B かまいたちだっ! 小林さんはかまいたちだったんだっ!
C 刃物マニアだっ! 小林さんは刃物マニアだったんだっ!
かまいたちだっ! 小林さんはかまいたちだったんだっ!
って、いくらなんでもそんなことがあるわけがない。ぼくは、好奇心に耐えかねてドアを開いた。すぐ側に立っていたらしい奥さんの今日子さんと眼があう。
次の瞬間シュプール中に今日子さんの悲鳴が響きわたった。
それにもひるまず部屋に飛び込んだぼくが見たものは……
「小、小林さん」
小林さんは確かに刃物、鎌を研いでいた。しかしそれは通常の鎌より二回り以上小さい物だった。そのすぐ横にはあの、フロントにあったかまいたちの像がある。研いでいたのはそのかまいたちの像の鎌だったのだ。
予想外の光景に思わず立ちすくむぼくの前で、小林さんは絶叫をあげて、近くに置いてあったたらいをひっくり返した。
「もう、だめだぁーっ! シュプールはもう終わりだーっ!」
あわせて今日子さんが、せっけんやブラシをなげつけながら、泣いている。
「もう、だめよーっ! おわりよーっ!」
「だめだーっ!」
「だめよーっ!」
「だめだーっ!!」
「だめよーっ!!」
ぼくはせっけんまみれ、水浸しになりながら、ひたすらみんなが起きておりてくるのを待ち望んでいた。
30分後、どうにか落ち着いた小林さんは、ぽつりぽつりとかまいたちについて話をしてくれた。この地方に昔からあったかまいたちの民間信仰のこと。それが時代とともに招き猫のような存在となり、このあたりのホテル、ペンションはみな飾るようになったこと。それが恐ろしく霊験あらたかだったこと、等々。
「ところがこれには、大事なお務めがあったんだ」
かまいたち様の大事なお務めとは、1月に一度本尊を汚れ落としするとき、他の複製品も同じ日、同じ時間に洗うというものだった。
しかも、その洗っているところを、他人に見られてはいけない……
まったくとんでもないお務めもあったものだが、それが民間信仰というものなのかもしれない。
「じゃ、あの紙切れって!」
いきなり亜希ちゃんが手をたたいて立ち上がった。
”今夜12じ、かまいたちが、あらわれる”
「そう、近くの同業者の友人が教えてくれたものを、私が落としたんだ……」
つまり、”あらわれる”は、現れるではなくて、
洗われるだった!!
ぼくの頭は、雪原のように真っ白になった。小林さんのかまいたちという心の拠り所を壊してしまったという罪悪感もあるが、それ以上に脱力感がひどい。
「ニホンゴって、難しいな? なあ、真理」
真理は遠い眼差しのまま、応えた。
「そうね……」
かまいたちの夜 終
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