目を覚ますと夜だった。
おもむろに辺りを見回す。
微かな月明かりの中でも、どうやらそこが病院らしいと言う事が分かった。
何故自分がここにいるのか、必死で頭を巡らす。
(――そうだわ、確か台東区の目黄不動へ宝珠を封印して――)
その直後からの記憶がない。ただ、不思議な夢を見ていた事だけは憶えていた。
自分は着物を着てまるで江戸時代の姫君のような姿をしていた。
何時も元気な親友はやはり動き易そうな裾の短い着物で、弓を片手に元気に走り回っている。
剣の達人である赤毛の青年は、何時もの木刀を真剣に持ち替えて、それでも普段と同じく飄々とした態度で縁側に腰を下ろしている。
仲間達のまとめ役とも言える巨漢の青年は、まるで何処かの修行僧のような出で立ちで、相変わらずの生真面目な態度を崩さない。
そして自分のすぐ隣には、長い前髪で目の前を覆った青年が、武芸者のような姿をしながらも何時もながらの穏やかな微笑で自分を見つめていた。
決してありえない筈の、しかし何故か懐かしさを伴う、泡沫(うたかた)の記憶。
例えて言うなら、そう――生まれる前の遠い過去の物語。
だが見知らぬ過去への追憶は、長くは続かなかった。
「誰ッ!?」
不意に自分の間近に現れた人影に、思わず声を上げる。その影は静かに彼女に歩み寄り、その姿を露わにする。月に照らされたその姿に、彼女は思わず息を呑む。――すなわちそれの顔を覆う鬼面を目にして。
「き…鬼道衆…」
仲間達の中でも優れた癒し手である彼女は、反面自ら戦う術を殆ど持たない。今、目の前にいる人物が彼女を殺そうとするなら、それは赤子の手を捻るようなものであろう。しかしその鬼は、自分の刀を横に置いて害意のない事を示すと、彼女に向かって話し掛けた。
「それがしは鬼道5人衆が一人風角様の配下であった、旋角(せんかく)と申す者。美里の姫君に我等が主からの言伝を持って参上仕った。我等が主の申すに、姫君が主の下に参るならば、貴殿の御仲間達には以後一切の手出しはせぬ。答えは明日(みょうじつ)正午まで待つゆえ、よく考えてお答えを召されいとの事。確かにお伝え致した。では、これにて御免」
一息に自分の言いたい事を伝えると、旋角と名乗る鬼はその名の通り、旋風(つむじ)の様に唐突に姿を消した。
彼女は鬼の気配が完全に消えた事を悟ると、大きく1つ息を吐き、そしてそれが語った言葉を反芻する。
(……私がその人のところへ行けば……)
彼女は自分の大切な人達へと思いを馳せる。
常に優しく自分を包んでくれていた両親。
弓道部の主将を務めるショートカットの少女は、高校入学以来の一番大切な親友だ。彼女の明るさがあったからこそ、内気な自分が今まで頑張って来れたのだと思う。
木刀を手にした青年は、普段は陽気で軽薄そうなイメージを受けるが、その実誰よりも仲間の事を思いやる優しさを持っている事を知っている。
巨漢の青年は見た目に拠らずすごく繊細な心の持ち主で、幾度も傷付きながらもその辛さを乗り越える逞しさも持っていた。
派手な金髪の少年は、ただ自分の生まれ育った街を護りたい為に戦うと言っていた。
無邪気な看護婦見習いの少女は、人のみならず死者さえもその優しさで癒している。
優しさゆえに永く苦しんだ少女は、ようやく深い霧の中から光の下へと足を踏み出した。
魔術を使う不思議な少女は、いざと言う時は何時も自分達の力となってくれた。
優れた武術家である青年は、常にその態度を持って信を得ようとしている。
この街を護る使命を持つと言う青年は、その頑なな心が最近和らいで来ている事に気付いているだろうか。
メキシコ人とのハーフの青年は、悲しい過去を持ちながらも常に笑顔を忘れない。
双子の巫女達は、全く正反対の性格ながらも互いに人一倍の強さと優しさを兼ね備えている。
ずっと辛い思いをして来た異国の少女は、今では彼女の大切な妹である。
1人で新聞部を切り盛りしている少女は、《力》を持たないながらも自分に出来る範囲で彼女達に協力してくれていた。
美貌の担任教諭は、何時も自分達の身を案じてくれていた。その優しさと温もりを忘れたことなどない。
無愛想な生物教師は、無関心を装いながらも、常に生徒達の事を気に掛けている事が分かる。
美しいジャーナリスト、彼女が持つ情報がどれだけ彼女達を助けてくれたであろうか。
そして――その思いは何時しか1人の青年の事を思い描いていた。誰よりも強く、誰よりも優しく、常に自分を支え続けてくれた彼。知り合って僅か半年余りの彼に対する自分の想いに気付かぬほど彼女は鈍くなかった。
誰もが決して失いたくない大切な仲間。愛する人達。
自分が九角の元へ行って安全になったからと、喜ぶ仲間は1人もいないだろう。むしろ皆怒るに違いない。ましてや九角達が約束を守るとも限らないのだ。
(でも…それでも、これ以上みんなが傷付く事が無くなるというのなら――)
しかし、そうとは考えてもこのまま仲間達と過ごしたい、そう考える自分がいる。それは彼女のエゴなのか、それとも――
翌朝、親友の少女が登校前の見舞いに訪れた。一見普段と同じに見えるその様子に、実は心から自分の事を心配している様子が見て取れる。
(だって、一番大切な親友だもの)
そう考えた時、彼女は決意した。表面上は何時もと変わらぬままで。
例え皆から怒りを買ったとしても、例え皆に2度と再び逢う事が叶わぬとしても、彼等が傷付くよりずっと良いに決まっている。
そう、思った。
やがて正午になり、昨夜の鬼が姿を現わす。
「美里の姫君よ、返答はいかに」
低い声で問う鬼に、彼女はしっかりした声で答えた。
「共に――行きます」