義妹(いもうと)〜蒼い瞳の少女〜



 その日、少女は牢獄から救い出された。

 不意に彼女の目の前に現れた、1人の聖女とその仲間達の手によって。

 そして聖女は少女の姉となった。

 少女の名は、マリィ・クレアと言う。

 

 子供達の超能力を開発して戦士として育てようとしていた、ローゼン・クロイツ学園が焼け落ちた日、美里葵はそこで出会った少女マリィを自分の家へと連れて帰った。それまで学校の名を借りた牢獄に閉じ込められ、本来子供が親から与えられるべきものを一切与えてもらえなかったこの少女に、もう一度心からの笑顔を取り戻して欲しいと願っての事だった。勿論、家族に猛反対されるのも覚悟の上である。その夜、葵は両親にマリィの事を説明した。無論自分達の持つ《力》や鬼道衆については伏せておいたが。

「――なるほど。その子の事情は良く分かった」

 父が難しい顔で葵の話に頷いた。その隣では母が神妙な顔で2人を見つめている。

「お願い、お父さん、お母さん!この子は今までずっと辛い思いをして来たの!だからせめて、これから先の人生では幸せを感じて欲しい。人並に喜びを感じる生き方をして欲しいの!この子にはその権利があるの!!それにはこの子が失くしてしまった家族と言うものを知って欲しいの。それに…マリィは私の大切な友達だから…」

 最後の言葉は、隣で怯えた表情でじっと座っているマリィの顔を見て、彼女を安心させる様にその柔らかい金髪を撫でながら告げた。マリィは蒼い瞳に僅かに喜色を浮かべて、葵の腕に身体を預ける。その様子を見ていた父が、軽い咳払いを1つしてマリィへ話し掛けた。

「ゴホン――ああ、マリィちゃんだったね?確かに君の境遇には同情するし、ウチの娘も君の事が好きな様だ。だが、それだけでは君を我が家の家族として認めるわけにはいかない」

「お父さんッ!?」

 葵が思わず立ち上がって父を睨む。

「待ちなさい、葵。――マリィちゃん、もし君が私達と、いや葵と一緒に暮らしたいと思うなら1つだけ条件がある。それが守れるのなら、君を家族の一員として認めよう」

「…条件…?…アノ、マリィに出来ル事ナラ…。マリィも葵の事好キダカラ…」

 葵の父の言葉に、笑顔を再び不安で曇らせながらも、おずおずとした口調でマリィが答えた。

「うむ、それはね――」

 父は意味ありげに言葉を切ると、ニヤリと笑って続けた。

「これから先、私の事を『パパ』と呼ぶ事。君はウチの娘になるんだからね?」

「勿論、私の事は『ママ』よ?」

 母まで同じ様な表情で言葉を繋ぐ。

「はははッ、何しろ葵は小さい時から私達を『お父さん』『お母さん』と呼んでいたからね。知り合いの娘とかが父親の事を『パパ』と呼んでいるのを聞く度、羨ましくてねぇ」

 葵もマリィもポカンとした表情で父の顔を見ていたが、やがて葵が嬉しそうに笑った。

「ありがとう、お父さん」

 マリィはまだよく事情を飲み込めていない様だったが、葵の態度から自分が家族として認められた事を察し、ようやく強張った顔を和らげた。

「じゃあ、言ってごらん、マリィ?」

「エ…?アッ…アノ…………パパ…ママ…サンクス…」

 恥ずかしそうにもじもじしながらも、嬉しそうにそう答えるマリィを、葵は微笑ましい気持ちで見ていた。悪夢は終わったかに思えた、が――

 その夜、マリィは夢を見ていた。

――フン、この落ちこぼれが――

 金髪の少年が彼女を罵倒する。

――ヤーイ、ヤーイ、落ちこぼれ〜――

 黒人の少年があからさまな侮蔑をぶつける。

――貴女はここにいるべき人間ではないわ――

 かつては優しい笑みを浮かべていた少女さえも、冷たい言葉を投げ掛ける。

――貴様のような落ちこぼれが、学院を出て生きていけると思うのか――

 そして本来父代わりであるはずの老人は、常に恐怖の対象でしかなかった。

――止メテ…、止メテ…――

 必死に懇願しようとするが、何故か声が出て来ない。

 何時しか彼女は、冷たい手術台の上に裸で拘束されていた。メスや注射器を持った無数の手が彼女へと伸びて来る。

――イヤ…、止メテ…、イヤッ…!――

 彼女に出来るのは、ただ声にならない叫びを上げるだけだった。

――死ね、裏切り者――

――FUCK YOU!――

――裏切り者は死になさい――

――拾ってやった恩を忘れた裏切り者め!貴様は完全な失敗作だ。ワシが直々に殺してくれるわ!!――

 かつては仲間と呼んだ人間達が、次々と憎しみのこもった眼で彼女を睨み付ける。やがてマリィの全身に、鈍く光るメスが突き立てられた。

「イヤアアアアアーーーッ!!!!」

 マリィの上げた絶叫が響き渡った。

「どうしたの、マリィッ!?」

 隣の部屋で寝ていた葵が、悲鳴を聞き付けて部屋へと飛び込んできた。しかし、当のマリィはそれさえも気付かぬ様子で、その顔へ恐怖を張りつけたままガタガタと震えていた。葵は咄嗟にマリィの隣へ駆け寄ると、その小さな身体を抱き締めた。

「大丈夫だから。もう、大丈夫だから」

「…ミン…ナが、怖イ顔で…マリィを睨…ンデルの…。…落チコボレって…裏切リ者…って…。ソシテ…注射が…メスが…マリィの身体に…刺サルノ…!」

 震える声で独白するように話すマリィ。瞳から涙を溢れさせたその顔は、完全に怯え切っていた。

「もう大丈夫だから。もう、貴女を傷付ける人はいないから。私が傍に居て上げるから。一緒に寝ましょう?ずっとこうしていて上げるから。だから安心して」

 葵が新しい妹の頭を優しく抱きかかえ、胸に埋めさせる。まだ震えていたマリィだったが、暫くそうしている内にようやく安心したのかそのまま葵の胸で眠りに就く。葵はそのあどけない寝顔を見ながら、少女にこれほどまでの恐怖を植え付けていたローゼンクロイツと言う組織に、改めて強い怒りを感じていた。

 翌日、葵はマリィを桜ヶ丘中央病院へ連れて行こうとしていた。かつて歪んだ愛情の暴走により、悪夢の世界に囚われた自分を助けてくれた女医と看護婦見習いなら、義妹を苛む恐怖を取り除き、狂気の犠牲となった身体も治療してくれる、そう信じたのである。

 しかし、その事をマリィに告げると、彼女は異様なまでに怯えた表情で病院へ行く事を拒否した。

「イ、イヤッ!病院はイヤッ!!オ医者サン怖イッ!何時モ、何時モ、注射トカ手術トカ…マリィ、モウ嫌ナノッ!!」

 マリィの言う病院とは、おそらくローゼンクロイツ学院内部に設置されていた独自の医療機関なのであろう。本来人の命を救い、心を癒す場所であるはずの病院は、この幼い外見を持つ少女にひたすら苦痛と恐怖を与え続ける地獄であったのだ。葵はその事に憤りを感じつつも義妹の肩を抱き、優しく微笑んで言った。

「マリィ、その病院の人達は先生も看護婦さんもみんなとっても良い人ばかりなのよ。それに看護婦さんの1人は私達の大切な仲間――ううん、お友達なの。すごく優しい人。そんな人が私の妹に酷い事をするはずなんか無いでしょ?ねぇマリィ、私の事信じて?」

 葵がじっとマリィの目を見つめる。義姉の優しい眼差しにマリィは思わず頷いていた。

 

「いらっしゃ〜い♪」

 2人が桜ヶ丘の入り口をくぐると、パタパタと一人の看護婦が走り寄って来た。彼女――高見沢舞子は葵の姿を見とめると、一際顔を嬉しそうにほころばせた。

「わぁ〜い、美里さんだぁ〜。こんにちはぁ〜♪あれぇ?この子はぁ〜?」

 舞子がマリィを見て興味津々と言った顔になる。

「あの、私の妹なの」

「え?」

 舞子は一瞬驚いた顔を見せるが、すぐに先程以上の笑顔でマリィに笑い掛けた。

「こんにちはぁ〜。私ぃ高見沢舞子ぉ〜。貴女のお名前はぁ〜?」

「…マリィ…マリィ・クレア…コノ子はメフィスト、マリィのオ友達…」

 マリィがおずおずと答える。

「マリィちゃんって言うんだぁ〜、可愛いお名前ぇ〜。メフィストちゃんもよろしくねぇ〜。ねぇねぇ〜、舞子も貴女のお友達になっても良いかなぁ〜?」

「マリィと…友達…?」

「うん!」

「わぁ〜い!良かったぁ〜、お友達ぃ〜♪」

 屈託の無い高見沢の笑顔に、マリィがつられて知らず知らず微笑んでいる事に葵は気付いていた。

(やっぱりここへ来て、彼女に会わせて良かった)

 そして、義妹がより多くの笑顔を見せるようにと願う。

 その後高見沢の案内で2人は院長の岩山の所へ通された。

「おや、久し振りだねぇ」

 岩山は来たのが葵達だけだと分かると、面白く無さそうに鼻を鳴らした。

「で?何の用だい?」

 訊きながらじろりとマリィを一瞥する。マリィが思わず身をすくめる。

 葵はマリィの事を詳しく岩山に話した。聞いている内にみるみる岩山の顔に怒りが浮かんで来る。横にいた舞子もその表情を曇らせた。

「…ネオナチか。フン、下らない選民思想で人の心も無くしちまった外道どもが、未来を担う子供達にそんな事をしていたとはね。で?その子の心と身体を癒せって?」

「この子は…マリィは長い間辛い思いをして来ました。普通の子供が友達と遊び、両親に甘えているような時でも暗い牢獄で人を殺す訓練やその《力》を強めるための訓練ばかりをさせられて。学院から解き放たれた今でさえ、その恐怖がこの子を苛んでいます。私はせめてこの子に心からの笑顔を取り戻してあげたい。ごく当たり前の幸せと言うものを教えてあげたい。そう思っているんです」

 岩山はじっと葵の顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐いて言った。

「――分かったよ。出来る限りの事はやって見よう」

「それじゃ――」

「ただし!ワシが面倒見てやれるのは身体を元に戻してやるまでだ。それだって一朝一夕に出来る事じゃない。1年2年かかるかも知れないし、もしかしたら一生そのままかも知れん。もっとも引き受けるからには最善を尽くすがね。だが心の方はお前達の領分だ。お前やお前の仲間達がこの子にどう接するかでこの子の心の傷も変わって来るだろう。その自信が無ければ初めから面倒を見ようなんて考えない事だね。」

「たか子先生きっつぅ〜い」

「お前は黙っておいで!」

 気の毒そうに口を挟む舞子を一喝し、岩山は葵の答えを待った。やがて葵がしっかりと頷いた。

「分かりました。それでは院長先生、よろしくお願いします」

「良いだろう。身体の方はワシに任せな。ま、心の方はあまり心配する必要は無いと思っているがね」

 そう言うと、岩山は女性に対しては珍しく優しい顔で笑った。葵も笑みをこぼす。と、

「…アノ…先…生…」

「ん?なんだい?」

「…アリ…ガトウ」

「…フッ、ああ任せときな。おやつも用意して待ってるよ」

「ウン!」

「あぁ〜ッ!たか子先生、舞子もおやつ食べたぁ〜い!」

「あー分かった、分かった!その代わりお前がこの子を家まで送り迎えしてやるんだよ!」

「はぁ〜い♪じゃあマリィちゃん明日からよろしくねぇ〜」

「ウン、ヨロシク舞子オネーチャン」

 無邪気に喜ぶマリィ。葵は改めて2人に感謝していた。

 

 その帰り道、姉妹は数人の男女に出会った。彼等も葵達に気付いたのか、ショートカットの小柄な少女がこちらへ手を振って見せた。

「ヤッホー、葵ッ!」

「うふふ、どうしたの?みんな揃って」

「へへッ、さっき雪乃からカラオケでも行こうって電話があってさ。それでひーちゃん達を誘って来たトコなんだ。で、葵の家に電話したら桜ヶ丘に行ってるって聞いたから迎えに来たんだよ」

 小柄な少女――小蒔が相変わらずの笑顔を振り撒いて言う。

「よぉッ、チビ!元気そうじゃねぇか」

 木刀を持った青年――京一に声を掛けられて、マリィがビクッと反応する。

「コラッ、京一!チビじゃなくてマリィちゃんって呼べ!」

「まったくお前は…。だが本当に元気そうで良かったな」

 小蒔に殴られる京一を尻目に最も大きな身体の青年――醍醐がマリィに笑い掛ける。

「ねッ!マリィちゃんも一緒に行こうよッ!」

 凄く良い事を思い付いた様に、小蒔が顔を輝かせて言った。

「…マリィも…?良イノ…?」

「当ったり前じゃないか!キミもボク達の仲間なんだからさッ!ね、ひーちゃん?」

 小蒔の言葉に前髪を長く伸ばした青年――緋勇龍麻がにっこりと笑って頷いた。

「改めてよろしく、マリィちゃん」

「…ウン」

「あれ?ひーちゃんに顔見て朱くなってるぜ、このチビ」

 余計な事を言って再び小蒔に殴られる京一を見て、マリィがクスクス笑う。そんな様子に葵は、義妹の心が癒される日も遠くはないと確信していた。

 











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