数日降り続いた雨が上がり、久し振りに晴れやかな青空が広がっていた。
暖かな陽光は降り積もった雪を融かし、春の兆しをひしひしと感じさせる。
もう何日か経てば鶯の囀りも聞こえて来るだろう。
そんな小春日和のとある一日。
ここ皇神学院高校ではちょっとした波乱が在った。
伝統ある同校の華道部において、随一とも謳われていながら滅多に姿を現わす事のない3年の村雨祇孔が部室を訪れたのだ。
しかも枯れ色の和服をきっちりと着込み、何時ものだらけた印象は全くない。
鬼気すら感じられるほどに真剣な顔付きと、その一部の隙もない完璧な作法は、まるで華道の大家を思わせる。
数瞬の間を取り、おもむろにその手が動いた。
大胆に、繊細に、鋏を入れられ、力強く、たおやかに、花瓶に生けられる花達。
普段は部活に顔を出さない村雨に対し、良い感情を持っていない部員も少なくはないのだが、今はただその腕前に目を奪われるばかりだった。
やがて村雨が鋏を置いた時、そこには1つの世界が出来上がっていた。
白を基調とした作品は決して華美ではないものの、優しく暖かい美しさが子供を包み込む母親の姿を思い起こさせる。
そして、結局終始無言のまま村雨はその花を持って部室を後にしたのだった。
「それにしても菊の花が中心なんて、まるで仏花みたいだったわね」
と、言うのは彼の手前を見ていた後輩の言である。
一方村雨は、とある小さな墓の前に来ていた。
墓前には古ぼけた手鞠が供えてある。
村雨はその隣に先ほど生けた花を並べて置いた。
「婆さん、コイツは俺からの手向けだ」
村雨達は戦いの後、僅かに残ったサトの骨を拾い集め、彼女の夫と娘の眠る墓へと埋葬したのだった。
墓前に腰を下ろすと、線香に火を点けながら村雨は話し掛けた。
「婆さんが殺そうとしたアイツな、あの後すぐに父親が迎えに来て精神病院に放り込まれたらしいぜ。代議士の父親にとってよ、不祥事起こした上に心をどっかに失くしちまった息子なんざ邪魔なんだとよ」
小さく頭を振る。
「この国はよ、大人も子供も何かが間違っちまってるよな。アンタが何もかも嫌になってあんな《力》に身を委ねちまうのも確かに判るさ。だがよ─―いや、今更言っても仕方ねぇ事だよな。ただこれだけは知っていてくれ。俺達はこの国を覆う、絶望ってヤツを撥ね返す為にいるんだ。――『アイツ』に、そう教えられたからよ。だからもう少しだけ見ていてくれねぇか?そっちで旦那や娘さんと一緒によ」
長い独白にも似た語り掛けを小さな笑いで締め、村雨は立ち上がった。
振り向くと今まで話題にしていた人物が駆けて来るのが見えた。
「やっぱりここだと思ったよ」
供え物らしい果物を左手に提げた龍麻が微笑む。
村雨もつられて笑みを浮かべる。
「何をニヤニヤしているのです?お前のそんな顔は見苦しいですよ、村雨」
「ご主人様、そのような物は私がお持ち致します」
「このクッキー、私が作って来たんですけど一緒に供えても良いですか?」
「つくづく嫌味な男だな、晴明?」
「良いって、芙蓉。これくらい僕が持つよ」
「晴明様への無礼は控えなさい!」
「お前に嫌味を理解出来るだけの知能があるとは驚きでした」
「勿論だよ。美味しそうなクッキーだね。今度僕にも作ってよ」
「馬鹿が移るといけないので相手にするのは止めなさい、芙蓉」
「ったく、主従揃ってロクなもんじゃねぇ」
「御意」
「え…あ…あの、ハイ!ぜ、是非!」
5人の声が入り乱れて墓前が急に賑やかになる。
村雨にはそれが彼等なりの心遣いである事はよく判っていた。
やがてそれぞれに墓前へと祈りを捧げた。哀しみのあまりにその身を闇に堕とした老婆の冥福を願って。
そして─―
「じゃあ皆で何処かへ遊びに行こうよ」
と言う龍麻の提案に従い、一行は出口へと向かった。
ただ村雨だけは途中で振り返り、
(――あばよ、婆さん)
心の中でもう一度だけ別れを告げた。
そしてそのまま何処までも青い空を見上げて呟いた。
「春も近ぇな─―」