The other of Gryps war 3話『スラム街の少女』





 ティターンズ北米治安軍による、カラバの新造戦艦『アンヴァル』襲撃から1昼夜が明けた。その北米治安軍の旗艦である、ガルダ級超大型輸送機『ハイウィンド』の艦橋(ブリッジ)はピリピリと緊迫した空気に包まれていた。

「――それで貴殿はおめおめと逃げ帰って来た訳だ、ジェシカ・ラング大尉?」

 部隊の指揮官であるブラッド大佐は、冷ややかに、それでいてあからさまな侮蔑と激しい怒りを含んだ口調でジェシカを叱責した。

「貴殿の実績を見込んでわざわざユーラシア極東部より貴殿を呼び寄せた私に対し、貴殿は初っ端から泥を塗ってくれた訳だ。非常に残念な話だよ、大尉には期待をしていたのだからな」

「…………」

「ン、何か不満があるような顔だが?しかし不満に思っているのは私の方なのだよ。貴殿の不甲斐無さに対してね」

「言っておくが敵の損害は全て私の手によるものだ。そこまで言うのなら、もう少しマシな部下を寄越して欲しいものだな。アレだけいて1人の敵も倒せず、よくティターンズを名乗っている。上層部が北米治安軍よりも、オーガスタのブラン少佐の方を頼りにしていると言う噂も頷ける話だ。部下がこれでは指揮官の程度も知れると言うものだろう」

 ブラッドの目に怒りが走った。プライドが高いだけに侮辱には耐えられない性質らしい。

「貴殿は確か、敵の残りは全て自分で倒すと、大言を吐いて他の者を帰したと聞いている。それがこのザマなら、初めから部下と一緒に逃げ帰ってくれば良かったのではないかな?」

「……確かに敵の力を侮っていた所があったのは認めよう。だが足手まといを引き連れて戦う人間の身にもなってもらいたい。私が残らなければ誰が敵の追撃を食い止めたと言うのだ?安全なところで踏ん反り返っているだけの、お偉い大佐殿には到底分からん苦労かも知れんが」

「――良かろう、次の時には腕利きの部隊を貴殿の下に回そう。但し、そこまで言うからには次に結果を出せなかった時の覚悟は出来ているのだろうな?」

「……言われるまでも無い」

 ジェシカはそう答えると、踵を返して艦橋を後にした。

「ラング大尉」

 ジェシカが艦橋を出ると、ルナが立っていた。

「失せろ。今は他人と話しをしたくない気分だ」

 しかし、通り過ぎようとしたジェシカを、ルナが引き止めて言った。

「大尉、次の戦闘にも私を出撃させて欲しい」

 その言葉にピクリと反応すると、ジェシカは初めてルナに振り返った。

「なんだと?」

「もう1度、私を戦わせて欲しいと言った」

 ジェシカは天を仰ぐようにして大きく溜息を吐くと、今度は肩を竦めて苦笑を浮かべた。

「貴様のような素人を、もう一度連れて戦えだと?それは何かの冗談か?それともブラッド辺りから、私に嫌がらせをしてこいとでも命令されたか?だとしたら大した効果だ」

 しかしルナは、いたって真剣な表情でジェシカを見つめていた。

「…………私はただ、経験を重ねて強くなりたいだけだ。そして、勝ちたい敵がいる」

「敵、だと?昨日戦っていたパイロットの事か?……私も少しだけ手を合わせたが、不思議な相手だった。パイロットとしての腕は未熟に思えるのに、妙にこちらの動きを読んだような攻撃をしてきた。私に当てられるパイロットは、そうは多くないのだがな」

「…………」

 考え込むような仕草をしながら呟いているジェシカを、ルナは黙って見ていた。やがて再び顔を上げたジェシカが彼女を見返した。

「良いだろう。次の出撃にもお前を連れて行くと約束しよう。但し─―」

「何だ?」

「連れて行く以上足手まといになられては困る。実戦的な戦いと言うものを教えてやろう。ついて来い」

「感謝する。だが、今からで良いのか?」

「不満か?戦いは何時起こるか分からんのだぞ?」

「いや、望むところだ」

 互いに目を合わせてニヤリ、と笑みを浮かべると、2人は連れ立って歩き出した。

 

『本艦は、間もなく、着陸体勢に入ります。各員、着陸の準備を行ってください。繰り返します。本艦は─―』

 通信士(オペレーター)であるラ・ミラ・ルナの声が、『アンヴァル』艦内に響き渡り、およそ1週間に及ぶ『航海』が終わりを告げようとしている事を知らせていた。

 ティターンズの治安維持軍による襲撃を撃退してより数日、その間再度の攻撃は行われず、『アンヴァル』は順調に北米大陸到着を果たしたのである。

「うーん!」

 クレアは着陸が終了するなり外に飛び出して、久しぶりに味わう大地の感触を存分に満喫していた。大きく伸びをし、降り注ぐ陽光を全身で浴びる。補給を受ける場所が海に面した地だったため、時折頬を撫でる潮風が心地良かった。

「やっぱり海は良いなぁ」

「フフフ、さすがにコロニーに海は無いものね」

「え!?あ、艦長!」

 何時の間にクレアの後ろに来たのか、突然掛けられた声に驚いた彼女が振り向くと、すぐ傍にラビニアが立っていた。

「でも、このまま地球に人が住み続けたら、きっとこの海もいつかは死んでしまうわ。人はそろそろこの星から飛び立つ時が来ているのかも知れないわね」

「でも決して離れようとしない人達がいる」

「そうね。けれど彼等がそうやって優しい地球(ママ)の腕で甘えている限り、人はこの星が育んで来たあらゆる命を道連れに滅びの道を歩き続けるでしょうね」

 そう言って遠くを眺めるラビニアの横顔を、クレアはただ黙って見つめていた。

「そうだわ、クレア」

「え?あ、あの、ハイ?」

 不意に向き直ったラビニアと目が合い、妙にどぎまぎしながらクレアが答えた。

「あら、どうしたの?顔を赤くして」

「な、なんでもないです!」

「そう?まあ、良いわ。それより『アンヴァル』の補給に思ったより時間が掛かりそうなの。それで明日の昼まではこの街に滞在する事になるから、今日1日は自由に過ごして良いわよ」

「え!?本当ですか!?」

「直接戦うパイロット達には、普段かなりのプレッシャーを掛けさせているものね。あまり羽目を外さない程度に楽しんでいらっしゃい。デニス大尉なんて真っ先に飛び出して行ったわよ。まあ、行き先は想像がつくけれどね」

 それを聞いた途端、数日前デニスに言われた言葉を思い出し、クレアの表情が曇った。

「あの……ちょっと良いですか?」

「何?」

「艦長は何故、デニス隊長を『アンヴァル』のメンバーに選んだんですか?」

「クレアは彼が嫌い?」

「私は……あの人はカラバに相応しくないと思います。あの人の戦いには理想が感じられません。自分の楽しみの為だけに戦うなんて、ただの人殺しです」

「そうね」

 クレアはラビニアがあっさり同意したことに驚いた。

「なら─―!」

「彼がああなったのは私の所為なの」

「え!?」

 驚くクレアを前に、ラビニアはポツリポツリと話し始めた。

「彼も決して最初からああいう人ではなかったわ。根っからの軍人ではあったけど、普段は朴訥で子供好きな優しい人だった」

「艦長、デニス大尉とは親しかったんですか?」

「親しい、と言う程ではなかったわ。少しの間、彼が私の部下として働いていただけ。その頃、彼の故郷に近い場所に駐屯していたの。小さな田舎町だけど温かい人が多くて、よく基地まで野菜やなんかを差し入れしてくれたわね。けれど、ある時そこにジオンの軍隊が攻め込んできたのよ。今でこそソロモンの英雄なんて大層な呼ばれ方をしているけど、当時の私はまだ士官学校を出たばかりの新米指揮官でね、初めて見るMSの前に成す術も無かった。結局基地は壊滅し、彼の故郷も戦火に蹂躙された。そして彼の家族も……。それからね、彼が残虐な行為を行うようになったのは」

「で、でも、それは艦長の所為なんかじゃ……!」

「ありがとう。でも、やはり私はけじめを取らなくてはいけないのよ」

「けじめ……?」

「彼があんな風になってしまった原因が戦争にあるのなら、この戦いを通して昔の彼に戻って欲しい。戦う事の本当の意味というものを思い出して欲しいのよ」

「戦う、意味……」

「そう。ねぇ、クレア。あなたはこの戦い、エゥーゴ・カラバとティターンズのどちらに正義があると思うかしら?」

「え?それはやっぱりティターンズの非道に対抗しようとしているエゥーゴやカラバの方だと思いますけど……?」

「ウフフ、ハズレ。答えはどちらも悪、よ。戦争に正義なんてものは無いの。元々は上の人達による利害のぶつかり合いなのだから当然ね。ティターンズにだって高い理想を持って戦う人はいるでしょうし、カラバにだってゴロツキみたいな人間はいる。その事を知らずに、無闇に反連邦を唱える人が多過ぎるのよ。良くも悪くも、地球圏の秩序は連邦政府の手で保たれている事を忘れてね」

「それじゃあ戦う意味なんて何処にあるんですか?」

「さあ、ね。私にも分からないわ。でも、現実に戦いが起こっている以上、それは何処かに意味があることなのよ。たとえ始まりがお偉方の私欲だとしても、戦う兵士だって人間なんだもの。意味も無く命なんて懸けられる筈は無い。もしかしたら、その真の意味を理解したとき、人は本当にこの星から自立出来るのかも知れないわね」

「……そう言えば、艦長は何故カラバに入ったんですか?確か艦長は地球生まれだって聞きました。ティターンズに入ればかなりの地位を約束された筈です」

「そうねぇ─―バスクのハゲが嫌い、って言うのじゃダメ?」

「え?…………プッ、アハハハハハハハハハ!!も、もう、艦長ったら!私は真面目に……アハハハハハ!!」

 一瞬きょとんとしたクレアの口から、直後に爆笑が続いた。ラビニアに抗議をしようとするが、ツボに入ってしまって言葉が続かない。彼女もバスク・オム大佐は相当嫌いらしい。結局話をはぐらかされたまま一頻り笑い転げてしまった。

「あー、可笑しかった」

 目尻に浮かんだ涙を拭うクレアに、ラビニアが優しく声を掛けた。

「私がカラバに入った理由は何時か教えてあげる。それよりも今日はゆっくり街で羽を伸ばしていらっしゃい。但し、21時までには艦(ふね)に戻るようにね」

「あ、ハイ。じゃあ、行って来ます」

 そう言って敬礼を1つすると、クレアは背を向けて走り去った。その後ろ姿を優しい眼差しで見送りながら、ラビニアは小さく呟いた。

「可愛い子。――もう少し、あの子の成長を見守るまでは」

 何故かその瞳には、哀切の情が浮かんでいた。

 

 クレアとラビニアが話しをしていた丁度その頃、バーツは『アンヴァル』の格納庫(ハンガー)へと来ていた。

 きょろきょろと辺りを見回しながら歩くバーツの姿を見つけ、正式に整備班として軍属に組み込まれたミンミが駆け寄ってきた。

「バーツ中尉、こんな所でどうしたんですか?」

「ン?ああ、ミンミか」

「ミンミか、じゃないですよ。ここは色々な機械が散らばっていますから、余所見をして歩くと危ないですよ」

「ンなこたぁ、お前ェに言われるまでもなく分かってるよ。それよりお前は何してんだ?街へ遊びに行ったりしねぇのか?」

「何言ってるんですか!自由時間があるのはパイロットの人達だけですよ。僕達整備班はびっちり仕事です。特に明日の朝はバーツさんの専用機が搬入されるんで、そっち方面での対応だって大忙しなんですから」

「あ、そうだったのか。――って、俺の専用機だと!?」

 寝耳に水の言葉に、バーツが目を剥いた。

「艦長から聞いてないんですか?」

「……そう言えば艦橋(ブリッジ)出る時に何か呼び止められた気もしたが……。どうせ羽目を外すな、とかつまらねぇ注意事項だと思って無視しちまった」

「まったく……」

 手を腰に当てたミンミが、呆れ顔でバーツの顔を見上げた。

「中尉は元々その機体のパイロットにする事を見込んで勧誘したらしいですよ。スペックは高いけど、それに比例して高度な操縦技術を要求されるからって。はじめはデニス大尉に話が行っていたらしいんですけど、あの人は『そんな訳の分からないMSには乗りたくない』って言って断ったらしいです。その点中尉なら、テストパイロットに誘われた事があるくらいの腕前だから新型機の運用には最適だったんじゃないですか?」

「なるほどねぇ……。ン?っつう事はやっぱ無理かねぇ」

 右手で頭をポリポリ掻きながら、バーツがぼやいた。と、そこへ─―

《バシャッ!!》

「うおッ!?」

 いきなり後ろから水を浴びせ掛けられ、バーツが目を白黒させた。かなりの量を掛けられたのか、頭のてっぺんからつま先までびしょ濡れになってしまっている。

「な、何しやがるッ!」

 怒鳴りながら振り返ると、バケツを手に持ったケイの姿が目に入った。

「何をするか、だって?それはアタシの台詞だね。アンタ、一体何を考えているんだい?格納庫(こんなところ)でタバコを吸ってるなんて」

「ああ?」

 言われて見てみると、確かに今まで頭を掻いていた右手で、しっかりとお気に入りの葉巻を持っていた。

「アッと、これはその……へへッ、すまねぇな」

 慌てて葉巻をジーパンのポケットに押し込みながら奇妙な笑顔を見せるバーツ。

「不気味ですよ、バーツさん……」

 とミンミが小声で言うのも無理は無い。

 ケイも半ば呆れた様に、半眼で彼を見る。

「なんだい、その顔は。愛想笑いのつもりかい?まるでゴリラが歯を剥き出して威嚇しているように見えるよ」

「ひでぇなあ、へへへへ。ま、そんな事よりよ、今日は随分と暑くねぇか?」

「そうかい?まあ、ここは何時も暑いからね。もっとも今のアンタは結構涼しそうに見えるけどね」

「いや、それは……。けどよ、こんな日はビールをキュッと飲むと美味いんだろうなぁ?」

「まあ、そうだろうね」

「だろ?だったらよ、これからムードの良い店でどうだい1杯?」

 ケイの顔が益々呆れたものに変わる。

「アンタはこの光景が見えていないのかい?アタシ達は仕事をしてるんだよ?」

「おっと、勿論仕事が終わった後でさ」

「ずっと仕事だよ」

「寝る前のちょっとだけで良いんだ」

「次の日に響くから、寝る前にはアルコールを飲まない事にしてるんだ」

「なら……ああ、畜生!分かった、もう良いよ!」

 ついに万策尽きたのか、バーツは頭を掻き毟りならがそう叫ぶと、ガックリと肩を落として歩き出した。その背中を見てケイが吹き出した。そしてクスクスと笑いながら格納庫(ハンガー)の片隅にある小さな冷蔵庫に駆け寄り、中からビールの缶を2本取り出すとその内の1本を、

「バーツ!!」

 と声を掛けて、振り向いた彼に放り投げた。

「え?おわッとっと!」

 危うく手を滑らせ掛けたものの、何とか受け止める。それを見てケイは、びっくりしているバーツに向かってもう1本のビールを掲げ笑い掛けた。

「まだ仕事が残っているから、この1本だけだ。それでも良いかい?」

 数瞬の間、割れた顎をひくつかせていたバーツだったが、やがて顔に喜色を浮かべると、

「勿論だぜ!」

 と走り寄ってきた。

「良し。それじゃあミンミ、今から10分間休憩にするよ。他のヤツ等にも教えてやんな」

「ハイ!」

 元気良く返事をすると、ミンミは格納庫の奥へと走って行った。

「じゃあ乾杯といくかい!」

「アンタは飲んだらとっととシャワーでも浴びて着替えをしなよ?パイロットに風邪なんか引かれちゃあ、全員の命に関わるんだからね」

 ずぶ濡れにした本人にしれっとした顔で忠告されては、バーツも苦笑するしかなかった。

「ま、でもよ、どうせならシャワーを浴びた後はそのまま裸でベッドに潜り込みたいもんだね。お前さんの部屋にある、よ」

「シートに画鋲を置かれたりしたくなかったら、あんまり調子に乗った事は言わないことだよ」

「あ、あははは……じょ、冗談だって。そんな怖い顔してちゃあ美人が台無しだぜ」

 思い切り冷ややかな目でそう言われ、バーツは笑って誤魔化した。

「フン、調子の良い事だよ」

 だが、その声は決して不快そうではなかった。

 

『アンヴァル』を出ておよそ1時間。クレアはサンフランシスコの街をぶらついている内に寂れた通りへと足を踏み入れていた。それまでの洒落たオフィスビルや小奇麗なショップなどは殆ど無くなり、薄汚れたバーや壁の塗装が剥がれた木造のアパート、放置されたままの廃ビル等が狭い区画に無秩序に建てられている。路地に面したビルの壁にはスプレーで下品な落書きがされており、辺り一帯がすえた臭いを発していた。

「んー、道間違えたかなぁ?――キャッ!?」

 呟いて今来た道を戻ろうとするクレアに、路地の横から飛び出してきた小さな人影がぶつかった。バランスを崩して尻餅をつく。

「あたたた……」

「悪かったわね。でもこんな所をボーっとしながら歩いているのも悪いのよ」

 見ると小柄な少女がこちらを見下ろしていた。黒人の血を引いているらしく、浅黒い肌を持った美少女である。年の頃は14〜5歳だろうか。頭の右横辺りでまとめた髪やアニマルプリントの施されたパーカー等で幼さを感じさせるものの、その顔つきは厳しくどこと無く人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。

「あ、あの……」

 しかしクレアが声を掛ける間もなく、少女はくるりと背を向けると再び走り出した。

「あ……行っちゃった。……まあ、良いか」

 気を取り直してまた別の場所に向かおうと、立ち上がって埃を払っていたクレアだったが、ふとある感触に気付いた。

「あれ?ポケット……」

 そこにあった筈の財布の感触が消えていた。

「え?え?」

 混乱して中まで手を突っ込んでみるが、やはり無い。他のポケットも調べてみたが同様の結果に終わった。

「まさか、さっきの子……!?」

 ようやく先刻の少女に財布をすられた事に気付き、慌ててクレアは少女の去った方向へと走り出した。10分程走り続けたところで通りを歩いている少女を発見した。

「ちょっと!ねぇ、キミ!」

 走りながら呼び止めたクレアの声に気付き、少女が振り返る。そして彼女の姿を見とめると、今度は全力で駆け出した。

「あ!ちょっと、待って!!」

 慌てて速度を上げ、後を追うクレア。しかしスピードは少女の方が速く、何より彼女には地の利があった。すばしっこい動きで狭い路地の、普通に歩いていたら気付かないような細道や、茂みに隠れた塀の穴など、ありとあらゆる抜け道を駆使して逃げ回る。クレアも必死で追い縋ったものの、結局最後にはその姿を見失ってしまった。

「……ハァ……ハァ……ハァ……。逃げられちゃった」

 さして残念そうでもないような声で呟くと、クレアは思わず笑みをこぼした。

 財布自体は別にどうでも良かった。現金が少しばかりの他には、特に大切な品を入れていた訳でもない。それよりもこれだけ見事に逃げ切られると、却ってすっきりした気分になってしまった。

「良い運動になったよ」

 そう言うと、クレアはトコトコと帰路についた。しかし、暫く歩いてふと気付いた。

「ここ……どこ?」

 どうやら必死で追いかけっこをしている内に、本気で迷子になってしまったらしい。

「私、この歳で迷子になっちゃうなんて!」

 思わず頭を抱えるクレア。

「取り敢えずどこか通りに出なくちゃ」

 やがてこのまま呆然と立ち尽くしていても埒があかない事に気付いたか、ひとまず気を取り直して歩き始めた。しかしおぼろげな記憶と直感だけで進んでもまともに歩ける筈が無い。次第に彼女はより寂しい場所へと歩いてきていた。

「あ〜あ。こんな時こそ、戦っている時みたいに『こっち!』って感じで道が分かれば苦労しないのになぁ」

 等と愚にもつかないぼやきを口にしていると、不意に人の声が聞こえた。

「やった!」

 これで帰られると、クレアが声の方へ近付く。しかし、近くに行くにつれ、声がおかしな様子を持っている事に気付いた。

「ちょっと、やめてってばッ!」

「おいおい、人様の懐狙っておいて随分じゃあねぇか?」

「そんなの知らないって言ってるでしょ!?」

「だから身体検査をして確かめてやるって言ってるんだよ!」

「汚い手で触らないで!」

 鈍い音。

「うぐッ!」

 くぐもった声。

「あんまり調子に乗っているんじゃねぇぜ。俺達が何時までも下手に出ていると思っているのか?」

 ビーッ、と何かを引き裂く音が聞こえた。

「キャアァァッ!!」

 同時に悲鳴が上がった。

「ヘッ、こんな所に隠してやがったか。――それにしても良い眺めだぜ」

「クッ……!」

「泥棒なんて薄汚ェ真似をするからいけねぇのよ。へヘッ、身体はまだガキっぽいがこっちはもう随分長いこと溜まってるんだ。財布の利息代わりに楽しませてもらうぜ」

「いやああああぁぁぁぁッ!!」

 今まさに、何者かによって陵辱を受けようとしている女性がその場にいるのは疑いの余地が無い。しかも女性の声には聞き覚えがあった。

「さっきの子!」

 慌てて声の方へ駆け寄るクレア。そこは小さな廃ビルの中だった。半分ほどが瓦礫で埋まっているフロアの中心では彼女の予想通り、先程の少女と3人の男達がいた。少女は上着を引き裂かれ、上半身を露わにした状態で男達に押さえ込まれている。しかも彼女の左頬は大きく腫れていた。

「アンタ達、何をしてるの!?」

思わず叫んだクレアの声に、全員が一斉に振り返った。少女が小さく「あっ」と声を上げた。そしてクレアは男達の服装を見て驚いた。

「連邦軍の兵士!?」

「なんだ、お前は?」

男の1人が剣呑な眼差しをクレアに送る。どうやらそれが少女を殴った男らしい。

「連邦の軍人が子供に寄ってたかって恥ずかしくないの!?」

 しかしクレアに答えたのは男達ではなく、少女の方だった。

「アナタこそ関係無いでしょ!?怪我でもしない内に早くどこかへ行ったら!?」

そう言いながらも少女は、気丈に男達を睨み付けていたが、肩を震わせている状態では、それが虚勢である事は一目瞭然である。

「何言ってるの!こんな状況で見過ごせる訳無いでしょ!?」

「おい、姉ちゃんよぉ。言っておくが、別に俺達が悪い事をしてるわけじゃあねぇんだぜ?ただそこの嬢ちゃんが俺の懐から財布を盗みやがったからよ、きっちりと躾をしてやるってのが大人の務めだろう?」

「アンタ達みたいな人間がいるから……ッ!!」

「なんだ、お前も躾られてぇのか?」

 そう言って下卑た笑いを浮かべる連邦の軍人達。その顔にクレアは、先日のデニス以上の嫌悪感を覚えた。

 一方男達の方は、相手が女1人と甘く見たか、1人が少女を押さえつけ残る2人がクレアを捕まえようと無造作に近付いてきた。

 と、不意に男達の視界からクレアが消えた。そして次の瞬間、

「ハァッ!」

 と言う気合と共に、前にいた男が仰向けに転倒した。深く腰を落としたクレアが、右腕を軸に大きく足を回して男に足払いを掛けたのだ。ゴツッと言う鈍い音をさせて、それっきり男は動かなくなる。

「野郎ッ!」

 もう一人の男が気色ばんで殴りかかってきた。

 クレアは慌てず身体を反転させて肘を突き出した。その肘がちょうど突っ込んできた相手の顎に突き刺さる。この男もまた、一撃で意識を失ってしまった。

「ち、畜生ッ!」

 仲間2人が倒されたのを見ると、少女を押さえつけていた男は彼女を放してさっさと逃げ出してしまった。

「は、初めからその気ならこれくらい─―」

 先日デニスに絡まれて何も出来なかった事が頭に残っていたのか、若干震える声で誰にともなく言うが、途中でハッとして少女を振り返る。

「大丈夫?」

 破れた上着で前を押さえ蹲っている少女に駆け寄りながらクレアが訊いた。しかし少女は黙したまま、一言も発しない。クレアの脳裏に、まさか手遅れだったのでは、との予感がよぎった。と、

「平気よ。まだ何もされていないから」

 不意に少女がポツリと言った。

「よ、良かった」

 安堵の息を漏らしながら、上着を少女に掛けてやろうとするクレア。しかし少女は彼女の手を振り解いた。

「放っておいて!……助けてくれた事には感謝してるけど、アナタだって連邦軍じゃない」

「え!?ど、どうして─―」

「――分かったのかって?……さっきアイツ等をやっつけたのって、アレ連邦軍で教えている軍隊格闘技でしょ?父さんが昔よく練習しているの見てたから知ってるのよ」

 少女の顔が僅かに懐かしそうな表情に変わった。

「キミのお父さんも連邦軍の人なの?」

しかし、クレアが質問を口にすると彼女はまたすぐに表情を強張らせた。

「そうよ、貴方と同じね。でも父さんはその連邦軍に見殺しにされたのよ!あんなに連邦の為に戦い続けていたのに……」

「え?そ、それってどういう事?」

「アナタには関係ないでしょ!?」

 そう怒鳴ると少女はそれっきり口を噤んでしまった。

 長い沈黙があり、もう彼女が何も話してくれなさそうだと思ったクレアは、少女に「気をつけてね」と一声だけ掛けてその場を立ち去ろうとした。と、それまで頑なに押し黙っていた少女が不意にクレアを呼び止めた。

「ちょっと待って!」

「何?」

「あの……助けてくれてありがとう。それと、これは返すわ」

 言って少女がポケットから何か出し、クレアの方へと放り投げた。それはクレアが彼女に掏られた財布だった。

「私の……お財布……?」

「それ、取り返そうとして追って来たんでしょう?」

 そこまで言われて、クレアはようやく彼女に財布を掏られた事を思い出した。

「そう言えばそうだっけ」

 頭を掻きながらばつが悪そうにクレアが呟いた。

「忘れてたの?」

「だって、キミがあんまり上手く逃げ回るから、段々追い駆ける事が楽しくなって来ちゃって……」

「それで最初の目的を忘れたの?」

 あまりに子供っぽいクレアの言い訳に、少女は目を丸くして彼女を凝視していたが、暫くするとプッと吹き出し、そのままクスクスと笑い出した。

「アナタって変な人」

 自分よりも10は年下と思われる少女にそう言われ、益々ばつの悪い顔になるクレア。とはいえ、自分でも改めて考えると間抜けな気がしていたのだが。

「もう、そんなに笑わないでよ─―」

 自分も照れ笑いをしながら言い掛けたクレアの表情がハッと変わると、

「伏せてッ!」

 と叫びながら少女を押し倒した。

《チュンチュンチュンチュンチュン!!》

 一瞬遅れて彼女達の立っていた辺りのアスファルトに幾つもの穴が開く。

「な、何……ッj!?」

 状況を呑み込めない少女に代わってクレアが頭を上げると、1機のMSが機銃から硝煙を上げて立っていた。いや、下半身が戦車と化しているその姿に立っていると言う形容は正しくないであろうか。それでいて上半身が旧ジオン公国軍のザクそのものであるこの戦車型MSは、通称ザクタンクと呼ばれており脚部の故障したザクと、同じくジオン公国の陸上兵器であったマゼラ・アタックを組み合わせて造ったリサイクルMSだった。

 一年戦争終結後、連邦軍がジオンから接収し拠点防衛や作業用に配備していたが、このサンフランシスコでも幾つか使用されていたらしい。

 元は前線での急造MSであるため、まともなMSとの戦いに対応できる代物ではないが、相手が人間であればそれが絶対的な脅威となる事は言うまでも無い。キュラキュラとキャタピラを動かして機体の向きを変え、再び機銃の狙いをクレア達の方向へと定めたMSから声が響いた。

『このクソ女ども!さっきは虚仮にしやがってぶっ殺してやる!!』

 それは先程クレアに撃退された連邦兵の声だった。

「女の子に乱暴しようとしたのを止められた腹いせにMSで攻撃してくるなんて正気なの!?」

 悪態を吐きながらも身体を起こして2人が逃げ出すと同時に、ザクタンクが機銃を乱射する。彼女達のいた辺りの瓦礫が砕け散り、コンクリートの破片がパラパラと背中に降りかかった。

「ほら、キミも逃げるんだよ、早くッ!」

 クレアは恐怖で足が竦んでしまって動けない少女の手を引っ張って無理やり立たせると、そのまま彼女の腕を引いて走り出した。そして走りながら少女に訊いた。

「ねぇ、アナタさっきみたいに抜け道とか教えて!MSじゃあ入ってこれないような細い路地とか」

 しかし少女はガクガクと頭を振るだけで言葉も出せない。何とかクレアに付いて足を動かすのが精一杯のようである。もっとも只の民間人がMSに銃を向けられるなど普通ではあり得ない事なのだから無理も無い。

 仕方なく彼女を引っ張りながら闇雲に走り出したクレアだが、すぐに袋小路へと追い込まれてしまった。

『もう逃げられねェぞ?ヘヘッ、ゆっくりと握り潰してやるぜ』

 ザクタンクが土木建築用に取り付けられた巨大なマニピュレーターを2人に向かって伸ばしながら近寄ってくる。キャタピラがひび割れたアスファルトを削る音を、クレアは絶望的な思いで聞いていた。

《パパパパパッ!!》

 クレアが覚悟を決めかけた瞬間、乾いた高音が辺りに響き、それに続いて火花を散らしながら肘からポッキリと折れていく腕が見えた。

『誰だッ!?』

 首を上に向けてモノアイを目まぐるしく動かし、自分に攻撃してきた輩を探すザクタンク。クレア達も咄嗟に顔を上げて音の聞こえた方角に目をやる。と、1機のMSがその姿を月下に晒していた。それは彼女達に攻撃を加えていたザクタンクと同じように、全体的なシルエットは旧ジオン軍のザクに酷似していながら異様なフォルムも備えたMSだった。

 見慣れたザクの頭の代わりには3連装のカメラアイを光らせた三角形の頭部。ピンと立ったアンテナが高い通信機能を示している。背中に展開したバインダーは排熱の為か、或いはセンサーの役割をしているものか、しきりに角度を変化させていた。

 前大戦中に開発されたMS−06のバリエーションの1つで、フリッパーの名を持つこのザクは非常に高度な索敵・通信機能を備えており、連邦軍に接収され7年を経た現在でも各所でその姿を目にする事ができる一流の偵察機であった。

 反面火力は低く、本来は戦闘向きとは言えない機体であるが、さすがに相手が同年代で作業用のリサイクルMSとあれば戦闘力で劣る物ではない。また、フリッパーのパイロットも卓越した技術を持っているらしい。低い攻撃力で確実に効果の挙げられる場所を狙って撃ち込んでいた。

 結局ザクタンクの男は殆ど成す術も無く無力化されてしまった。フリッパーのパイロットが外へ出るよう合図をすると、男が渋々コックピットのハッチを開く。クレアが瓦礫の中から拾い上げた針金を手錠代わりに男の両手を拘束するのを確認すると、フリッパーのパイロットも姿を現した。

「やあ、無事だったかい?」

「お、女の人……?」

 2人に笑い掛けながら降りて来たのは、まだ若い女だった。美人だがどこかワイルドな印象を受ける。全体的な雰囲気や意志の強そうな眼差しはケイと似ている、とクレアは感じていた。

「アンタだって女だてらにカラバのMSパイロットなんてやってるだろう?」

「な、なんで私がカラバのパイロットって事を知ってるの!?」

 少女がハッとした表情で口を挟んだ。

「アナタの顔、テレビで見た事あるわ!確か、ニュース番組のリポーターか何かやってた」

「アタシはノーラン・ミリガン、本職はフォトジャーナリストさ。もっとも、ヤバイ所にも平気で行くってんで、場合によってはTVのリポーターを依頼される事もあるけどね。さ、アタシの方は自己紹介が済んだよ。今度はアンタ達の名前を訊かせてくれるかい?」

 そう言われてクレアは、自分達も互いの名前を知らない事を思い出した。少女もその事に気付いたらしい。

「……レイチェル。レイチェル・ランサム」

 少女がそう名乗ると、クレアも2人に向けて自分の名前を言った。

「クレアにレイチェルだね。ま、宜しく」

 そう言ってノーランが差し出した右手を、クレアは警戒しながら握り返し尋ねた。

「助けてくれた事は感謝してるよ。でも、まだアナタが私の素性を知ってる理由を聞いていない。それに何故私達に接触してきたかも」

「勿論説明はするさ。けどその前にソイツをどうにかする方が先じゃないのかい?」

 ノーランが顎を杓った先には、ザクタンクに乗っていた連邦の兵士が転がされていた。

「ゴロツキでも一応は連邦の兵士だからね。きちんと話を付けて置かないと、下手すりゃこっちが犯罪者にされちまうよ」

 そう言うとノーランはジャンバーのポケットから携帯電話を取り出し、どこかの番号を押した。暫し電話の相手と談笑すると、やがて再びポケットに電話をしまった。

「どこへ電話したの?」

「ルオ商会さ。ちょっと知り合いがいてね。あそこならこの街のお偉いさんにも顔が利くからね」

 恐る恐る訊いたレイチェルに向かって、ノーランはそう説明しながら安心しろと言う風に軽く片目を瞑ってみせた。

「さて、と。それじゃあアタシがアンタ達を、正確にはクレア、アンタを助けた理由を説明しようか」

「じゃあ最初に私がカラバの人間だって知ってた理由を最初に教えて。アナタは自分がジャーナリストだって言ってたけど、カラバは構成員の数や素性を明らかにしていないよ。何故アナタが知っているのか、場合によっては腕づくでもでも聞かせてもらうからね」

「そんなに怖い顔することないだろ。アタシは命の恩人だよ?――やれやれ、しょうがないね。アンタは多分、誰か仲間内に情報をリークしたヤツがいるって疑っているんだろう?残念ながらその予想は外れだよ。簡単な事さ。アンタ達がティターンズのヤツ等とやりあってるの見つけてから、ずっと尾けていたんだからさ。今日だってアンタが艦から出てくるのを見て付いて来たって訳さ」

「尾けたって、どうして……?しかも私を見かけてわざわざ付いて来たってどう言うこと!?あ、もしかして今日の事全部……!」

「ああ、見せてもらったよ。コイツの性能ならかなり遠い場所からでも観察出来るしね。もっとも、そのおかげでさっきは駆け付けるのが少しばかり遅れたんだけどさ」

「何故、そんな事……」

「アンタに興味があったから、ってのはダメかい?」

「ふざけないでよッ!」

「ふざけちゃいないさ。アンタに興味があるって言うのは本当だよ。但し、アタシの相棒がだけどね。――アンタ、ニュータイプなんだって?」

「えッ!?」

「フフフッ、図星を突かれた、って顔してるよ。別に驚く事じゃあないさ。アタシの相棒もそう言う力があるってだけの事だよ。最初はティターンズの方に面白いヤツがいるって感じたらしいんだけどね」

「ティターンズ……?ルナ・シーンの事!?一体アナタ達は何が目的なの?」

「言ったろ、アタシ達はマスコミだって。目的は取材さ。もっともティターンズの連中には面白くない内容になりそうだけどね」

「取材?ニュース番組の?」

「そう。テーマはティターンズの実態を暴こうってモノだったのさ。それであの『ハイウィンド』を張ってたんだけどね。艦長のブラッドとか言うヤツは相当評判が悪いようだしさ。あんなに嫌われている士官は、ティターンズの中でも少佐のジャマイカンぐらいのものだろうね。確かにバスクもいやなヤツだけど実力はあるからね。虎(バスク)の威を借りているだけの能無しが嫌われるのは当然だけどさ。そう考えると実力はあるそうなのにジャマイカン並に嫌われているブラッドって男は相当曲がった性格しているんだろうさ。まあとにかく、知り合いのジャーナリストがジャブローに潜っているから、そっちは巧くやってくれるだろうさ。だからこっちはこっちでティターンズに対する抵抗勢力の方を取材することに方向転換したんだ。ま、アンタに興味が湧いたからって言うのが大きな理由なんだけどね」

 馴れ馴れしくクレアの肩に手を置きながら、ノーランは笑ってそう言った。

「そうだ、アタシの相棒にも会ってくれるかい?」

 一瞬躊躇したクレアだったが、ノーランに敵意が無いのは分かったのか頷いた。

 と、何時の間にかレイチェルが厳しい表情でノーランを見ているのに気付いた。

「どうしたの?」

 しかし、クレアの問いにも少女はプイとそっぽを向いただけだった。

 

 10分後、フリッパーの掌に乗せられて移動していた2人は、郊外の空き地にいた。

 そしてその真ん中には1機の飛空挺が止まっていた。緑色の機体の中央には大きなコンテナが装着されており、高い空輸能力がある事を示している。機体に比べて大きすぎるそのコンテナを持ち上げる揚力を得るために、ジェットエンジンではなく4基のホバークラフトが備わっていた。その機体を見て、クレアは思わず声を上げていた。

「ファット・アンクル!」

 その名の通り、太った中年男性のような丸みを帯びたその飛空挺は、紛れも無く一年戦争におけるジオン軍の陸上部隊を支えた輸送機ファット・アンクルだった。

「あ、貴方達ジオンの兵士だったの!?」

「相棒はね。アタシは元々サイド7の生まれさ。あのホワイトベースにも乗ったことがあるよ。ジャブローへ行ってる知り合いってのも、その時知り合ったのが最初だね。もっとも向こうはその後軍人になっちゃったんで、再会したのはホンの2,3年前さ」

「じゃあ、その相棒って言う人は?」

「それは今本人が降りて来るから、直接聞いたら?」

 ノーランの言葉通り、数分後細身の青年が降りて来た。クレアよりも1つか2つ年下だろうか。顔立ちは整っているが、やや気弱そうな印象を与える青年である。だがクレアはその瞳の中に、確かにルナ・シーンと同質の不可思議な存在感を感じていた。

「初めまして、僕はルロイ・ギリアム。元ジオンの人間だ」

 ノーランとルロイはコンテナの一部を改造した居住スペースへと2人を案内した。そして彼女等が椅子についたのを見ると、ルロイは初めてそう言葉を発した。

「クレア・ヒースロー。キミが私を呼んだの?」

「そうだ。僕が、ノーランに頼んでニュータイプである君を連れてきてもらった」

「何故?」

「ニュータイプは引き合う。だからこれは必然な事なんだ」

「言ってる意味が分からない!」

 クレアはこの青年の言葉に言い様のない苛立ちを感じ始めていた。

「僕は一年戦争時、ジオンのニュータイプ研究機関であるフラナガン機関にいた。そこでララァ・スンと言う女性に出会い、シャア・アズナブルに出会い、そして戦場でアムロ・レイに出会った。僕は彼等が共に歩むようになれば、きっと人類の革新が起こり得ると感じていた。しかしララァが死に、3人の心が交わる機会は永遠に失われてしまった。クレア・ヒースロー、僕は待っていたんだ。君のようなニュータイプが再び現れて人に希望を見出してくれる事を。そのために僕は地球圏へ戻ってきたんだ」

「そ、そんなに急に言われても……」

 口篭もるクレアに、ルロイは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

「答えを急ぐ必要はない。君のこれからの出会いや、時にある別れの中でゆっくりと戦う意味を見出していってくれれば良い。僕達は君の傍でそれを見させてもらう」

「え?傍でって……」

 怪訝な表情のクレアの肩がポンポンと叩かれた。見ると何時の間に後ろに来たのか、ノーランがにんまりとした笑いを浮かべていた。

「つまりさ、アンタ達の艦にアタシも乗せてもらうって事」

「ああ、そう言う事……って、えええぇぇぇぇぇッ!?」

 一瞬納得しかけた彼女の言葉の語尾は、自身の驚きの声に掻き消された。

「ちょっと、そんな勝手に!大体私の一存で決められる事じゃないし」

「心配要らないよ。ウランバートルの基地には既に話を通してる。あの所長、マリアだっけ?喜んでOKしてくれたよ」

 言いながらノーランがひらひらと一枚の紙をちらつかせる。おそらく正式な取材許可証であろう事は想像に難くない。

 その時の情景があまりにハッキリと脳裏に浮かび上がってしまったクレアは、それ以上何も言えなくなってしまった。

 その後ファット・アンクルで送ってもらったクレアはラビニアに事情を説明した。現場の判断としてラビニアが民間人の乗船を断ってくれるのを期待しての事だったが、結局彼女もあっさりと許可を出してしまったのだった。

「但し、この艦に乗るからには軍属として扱わせて頂くわよ、ノーランさん?人が足りない時にはMSに乗ってもらう事もあるかもしれないわね。先程のお話だと、かなりの技術をお持ちのようですし」

 少々意地の悪い目付きで牽制する様に言うラビニアの言葉にも、ノーランは怯む事無く答える。

「まあ、仕方ないね。こっちも元々それぐらいは手伝うつもりだったし。他人任せにして墜とされたんじゃかなわないからね。そうと決まったら─―っと、アンタを送って行かなきゃならなかったね」

 途中で言葉を切ると、ノーランは傍らに立つレイチェルを見た。ルロイがファット・アンクルを真っ直ぐ『アンヴァル』へ向かって飛ばせたので、必然的に一緒にいたレイチェルも連れて来てしまっていたのだった。

 しかし彼女はノーランの言葉には答えず、ラビニアの方へ顔を向けて言った。

「アタシ……アタシも一緒にこの艦に乗せて!」

「ちょ、ちょっと、レイチェル!?」

 突然のレイチェルの申し出に、横で聞いていたクレアの方が驚いた。真正面からラビニアを見つめる瞳は、とても冗談を言っているようには見えない。

「どう言うことかしら。理由を説明してもらえる?」

 しかしラビニアのその問いにもレイチェルは何事も口にせず、ただ黙ってラビニアの眼を見ていた。

「どうやら深い事情があるようね」

 腕を組み、じっと考え込んでいたラビニアだったが、やがて顔を上げると頷いた。

「良いわ。許可しましょう」

「艦長、危険じゃないんですか!?民間人の女の子を艦に乗せるなんて」

「別に彼女にまでMSに乗ってもらおうとは思っていないわよ。それにクレア、アナタの話では地元の連邦兵とも揉めたそうじゃないの。ならそのまま街に留まっている方が余程危険ではないかしら?」

 ラビニアの言葉にクレアがハッとなる。確かにその可能性は失念していた。ああいうならず者同然の兵士がもういないとは限らないのだ。

「納得してくれたみたいね。それじゃあ今後レイチェルは軍属として扱います。取り敢えずは廊下のお掃除でもして頂こうかしら?」

 ラビニアがそう言うと、レイチェルはペコリと頭を下げ、無言で艦橋(ブリッジ)を後にした。

「それにしても、まさかジオンの方とこうして会うなんて思わなかったわ」

 レイチェルの後ろ姿を見送っていたラビニアだったが、やがてノーランの後ろに立つルロイに目を向けると楽しそうに言った。

「ジオンの人間がそれほど珍しいですか?今のアナハイムにだってジオンの技術者は大勢いますよ?」

「確かに元ジオニック社の方達には何人かお会いしているけれど、アナタのような戦士の方とは初めてね」

「……1つ言っておきます。地球圏へ戻ってきたジオンの軍人は僕だけではありません。いずれ、アナタ達も彼と出会う事があるかも知れません」

「彼って誰の事?」

 思わず口を挟んだクレアの顔を再び見ると、ルロイが静かに答えた。

「今は言うべき時ではない。けれど、きっと君は彼と出会うよ、クレア。いや、直接出会わなかったとしても、彼の意志に触れる事が必ずある。そして、それは君にとって凄く意味のある事だ。だから、その時が来たらしっかりと見極めて欲しい。何が君にとって一番正しい事なのかを」

 ルロイの謎めいた言葉が、クレアの耳にいつまでも残っていた。

 





店先に戻る  書庫TOP  寄稿SS選択  SS選択