ここは、とある館の大広間。
一癖も二癖も有るような侍たちが、大酒を飲んで騒いでいる。
その中に、御剣もいた。
まわりの者たちとは少し様子が違う。…はっきりいってしまえば、孤立しているのである。
輪の中心でも外側でもないようなところで、独り酒を黙々と飲んでいた。
付き合いとはいえ、こういう社交場は、彼にとってはあまり心地の良いものではなかった。
御剣ほどの、名の売れた者となると、どうしても、悪い虫・・媚びへつらうような者が寄ってくる。
それがどうも、実直な彼の性格には、そぐわないのだ。
「早く退散してえなあ・・」
やっとお開きになった。よかった。これでゆっくり眠れるというものだ。
ただ、飲んだ酒の量は多いので、明日の朝がひどいだろう…
部屋に備え付けてあった寝具を広げ、横になった。
…寒い…
ちゃんと寝具を上にかけているのだが…
寝れん…
誰かに頼んで、もう一枚借りよう。そう思い立ち、障子を開けた。…すると…
人が、障子の向こうに、座っていた。
「…!!」
女であった。
綺麗な女だ。…月の光に照らされて、白い顔と、肩まで下ろした黒い髪が際立ち、ずいぶん艶めかしい。
かと思えば、着ている小袖の薄い桜色が、彼女を可憐な娘にも見せた。兎のような…
…夢でも、見ているのか?俺は…ずいぶん酔ったものだ…
彼は、眼をこすりながら口を開いた。
「お…驚いた…して、何用かな?」
女は、すこし微笑んで答えた。
「御館(主君)様からの遣いでございます。今晩は冷え込むのでこれを・・」
そういうと、女は、持っていた寝具を彼に差し出した。
「かたじけない。感謝する。御館にこの旨伝えてくれ。」
…何か、変だ…
用は済んだはずなのに、女はそこを立ち去ろうとしない。
しかも、ゆっくりと、部屋に入ってきたのである。
「…………」
…ないわけではない。主人が客人のために、夜、女の使用人を遣わせるということは。
…だが…それにしては、どうも…
「…腑におちんな。」
御剣は、女の顎をつかんでこう言った。
「…なぜ、完全に気配を殺してここへ来る必要がある??障子を開けるまで気づかなかったぞ・・
商売柄、人の気配は常に読んでいるんだ俺は…」
「…」
「…忍び、だな?」
「…」
女は黙ったままで、彼を見ている。
「その、人を見下したような眼…それに、ずいぶん背丈もある…お前…どこかで…」
「…注目の的だな。」
「!?注目??うを!」
知らず知らずのうちに大きな声でしゃべっていたのだろうか。ましてや開いた障子はそのままであった。
先程までの、一癖も二癖も有りそうな宴仲間が様子を見に寄ってきていたのだ。
「ほお…御剣殿、お堅いなりしてようやる…」
「いやいや、案外…その、な。」
ああ・・なんたる失態!…
「申し訳ないが、取り込み中でな…用がないのなら失礼する」
御剣はきまりわるそうに障子を閉め、野次馬どもの気配が遠のくのを待った。
緊張感がそがれた。
「で、何用だ?タキ…。まさかここで刀を抜くとは思わんがな。」
「探りを入れに来ただけさ。私もこの館にちょうど用があったものでな…」
「ふん。探りねえ。まあ、見てのとおり、例の剣の手がかりは一向につかめぬ。…満足したか?」
「別に、お前の口から聞かなくても、様子を見ればすぐにわかる。まあ予想通りといったところだな」
…けっ。何が予想通りだ。腹の立つ女め…
「では私はこれで消える。…せいぜい風邪を引かぬことだな。」
「大きなお世話だ!」
…腹の立つ女。いやみな女。性格の悪い女…
女狐。
自分の彼女に対する感情は、これに尽きる。
しかし…
障子を通して入ってくる月の光は、彼女の印象を変えていた。
…美しい女…
たとえるならば野菊…いや、もっと鮮やかな花…
そして、昼間なら絶対に言わないような台詞を、彼は口走っていた。
「まあ待て…夜は、これからだぜ…」
……時が一瞬凍った。
彼女は、信じられぬ、といった顔で、彼を見つめていた。
言うんじゃなかった。思いっきり馬鹿にされる。
彼は後悔した。彼女の反応を一瞬恐れた。
凍った時を溶かしたのは彼女だった。目線を下にそらし、くすくすと笑い出した。
「くく…お前が、この私に、そんなことを言うなんて…面白い…」
やはり言うべきではなかった…俺って奴は…
しかし、彼女の次の行動は、彼の想像の範囲を超えていた。
「私に背を向けろ。御剣…」
「背を向ける?」
…いぶかしげに…それでも言うとおりにしてみた。
否、そのほうが都合が良かった。彼女に自分の困惑した顔を、これ以上見られるのは堪えられない…
すると、彼女は、後ろから、ぎゅっと彼を抱きしめた。
…暖かい…
しかし、女のぬくもりに陶酔している場合ではない。
「どういうつもりだ!?お前…」
我に返った彼は、思わず叫んでいた。
「御剣…」
今度は彼女が、吐息まじりに、優しく耳元で囁いた。
「な・・なんだ…」
「……寝てな!」
その声を聞いたか聞かないうちに、御剣の視界は天地が逆になった。すごい音がして、頭をおもいきり床にぶつけた。…彼女が得意とする投げの一種である。
この音のせいで、また、先程の野次馬が寄ってきた。…もしかしたら皆、気配を殺して一部
始終を見ていたのかもしれない…
「激しい痴話喧嘩のようだな…」
「どうせ浮気がどうとかだろ…」
野次馬は好き勝手言って退散していった…
多喜は、その場を速やかに去っていた。
月の光…
魔の光だ…
いや、狐に化かされたのかも…
御剣は、仰向けになり、天井をぼうっと見つめ、そう思った。
一方多喜は、動きやすいいつもの忍び装束に着替え、館の近くの森の木の上で、睡眠をとろうとしていた。
訓練された彼女にとって、夜の寒気は問題にはならない。
しかし…今夜ばかりは、まわりの気候を気にするどころではなかった。
「あの男…いったい、何を考えているんだ…」
これまで、数々の修羅場をくぐりぬけてきた彼女である。その恵まれた容姿ゆえに、行く先々で、心無い誘いの言葉をかけられたこともある。
「あの男も、所詮は同類なのか…」
…残念だ。
…残念?なんであの男のことを残念がる必要がある??
これでは、まるで自分が…あの男に…
そんなはず…そんなはずはない。絶対に…
彼女は、ふつふつと沸いてくる不思議な感情に苛立った。
月の光は、彼女だけでなく、彼の違った一面をあのとき照らしていたのかもしれない。
…いや、もしかしたら、もっと以前から…?
…疲れた…
今宵は兎のように眠ろう。毒気のない、普通の女のように…
そして明日からは、もとの自分に戻るのだ…。
…そして二人は再会した。
そこには月の光はなく、曇ってはいるが太陽が少し顔を出す程度である。
「ひさしぶりだな!…この間、この俺を虚仮にしてくれた借りはきっちり今日返すぜ!」
「ふん、なに寝ぼけたことを…。おまえが変な気を起こしたからだろう。…そんなに私を意のままにしたいのなら、まず私を打ち負かせてみな。…まあ、無理な話だろうがねえ。ふふっ。」
「…言いたいことを言ってくれるじゃねえか。…まあいい。…俺がお前を女狐から兎にしてやるぜ!」
「兎…?ふふ、それも良いかもしれないな…だが、もはやそんな私は私ではない…」
「どうかねえ。あの晩俺の前に現われた兎も、お前の一部分じゃねえのか??」
「…!!」
己の目的を遂行しようとすればするほど、戦うさだめにある二人…
邪剣は、これから心を通わせるかもしれない男女の仲まで阻んでしまっているのかもしれない。
しかし、邪剣が間接的にこの二人をめぐり合わせたとも言える。
わざわざ苦しい感情を、味わせてくれる…
…だから、邪剣なのか…。
二人とも、一瞬同じことを考えた。
そしていつもの、修羅のなかの二人に戻る…
{終わり}