傷舐め |
「瀬戸口くん、皮は全部きちんと剥いて下さい」 俺のぎこちない包丁さばきを見て、壬生屋がピシリと言った。 ああもう、俺はお前さんやバンビちゃんとちがって家事なんて普段やってないんだよ。 そう言い返してやりたいのをグッとこらえて、おとなしくざるに放りこんだジャガイモをもう1度手に取り、ところどころ残った皮 を剥いていく。 ちら、と壬生屋の方を見ると、実に手馴れた様子でにんじんの皮を剥き、等間隔で切っている。 むう、以前速水のバンビちゃんの調理を見た時も思ったが、こいつら、やっぱり出来る。 人には出来る事と出来ない事がある、ってのは俺が常にキモに命じていることだが、それでも壬生屋の様な名人と一緒に料理をする ってのは自分が非常に無能に思えてしまうってもんだ。 まったく、交代制で夜食の準備、なんて善行司令が言い出した時にいやな予感はしたんだ。 案の定俺は壬生屋と組まされている。司令の言い分としては「家事調理経験の無い人はある人に教えてもらいながら作業して下さい 」だそうだが、あの目は違う。絶対、この状況を楽しんでやがる。狐め。 速水は速水で芝村の姫さんと組めたモンだから嬉々として司令の言いなりだし。 まったく、バンビちゃんもあの姫さんの何が気に入ったのかね。いや、気に入っているのはどちらかって言うと姫さんの方か? 「瀬戸口くん! 手を止めず、真面目にやってください!」 とりとめのないことを考えていたら怒られた。 いやまあ、確かに真面目にやっていない俺が悪いんだが、こうもピシリピシリと言われるとまるで母親にでも怒られているような気 になって来る。 「瀬戸口くん、聞いているのですか?」 「え、ああ、聞いてるって。すまん、ちょっとお前さんの包丁さばきに見惚れてた」 「え、な、なッ……!」 矛先をかわす為にするりと言葉をこぼす。 あながち嘘でもなかったんだが、見る間に真っ赤になっていく壬生屋の顔を見ていると面白くなってくる。 こうなると調子に乗るのが、俺の悪いクセだ。 「そ、そんな、わたくしの手際など、大したことはありません」 首まで真っ赤だよ、こいつ。 うーん、いかんいかんと思いつつ、口の端に乗せた言葉はもうとまらない。 「いやいや、大したもんだって、ホント。そういえば繕いものとかも得意だったよな」 「あ、あれは、いえ、普段からやっているだけですから……」 ぽしょぽしょと消え入るような声で、顔を真っ赤にして俯いてしまった。 それでも手だけは律儀に包丁を動かしているのは流石だ。 「普段からやってるってことの方が凄いさ。いや、前々から思っていたが、壬生屋は絶対良い嫁さになれるぞ」 「えッ ――― あ、痛ッ」 あ。 しまった、調子に乗り過ぎた。 俺の台詞が意外だったのか癇に障ったのか、包丁を動かしたまま壬生屋はこちらに顔を向けてしまい、その拍子に指先を切ってしま ったようだ。 「大丈夫か? 悪い、俺がペラペラ話しかけたからだな」 「い、いえ、大した傷じゃありませんから」 そう言われてはいそうですか、と気にせずにいられるほど俺は図太くない。 傷を負った壬生屋の左手を手に取る。 「あ、あのッ、瀬戸口くん?」 怪訝な顔をする壬生屋に構わず傷口を改める。 大して深い傷じゃあないが、人差し指の甲側にスッと一文字に切れている。 むう、しかしこいつの指って、剣の稽古とかしている割にはしなやかだよな。 しなやかで白い指先についた傷は、ちょっと目立った。 傷が目立つということが、俺の心をちくりと動かす。 「せ、瀬戸口、くん。本当に、大丈夫ですから……」 耳まで真っ赤にして視線を逸らしたまま壬生屋がか細い声で言った。 いや、まあ、大丈夫ではあるだろうけれど。 だからといって放っておくってのは俺の気がちょっとだけすまない。 ちょっとだけ。 だから、俺はちょっとした謝罪のつもりで。 「ん、まあ、コレぐらいなら、舐めときゃ治るな」 「 ――― あ」 そういって、壬生屋の指を口に含んだ。 口の中に広がる鉄の味。 舌に触る柔らかい感触。 「……………………」 ……………………な、なんだ、ふと気付くと沈黙が周囲を支配しているぞ。 こう、もっと軽いノリでありがとうございます、とか、それかいつも通りのフケツですッ! が来ると思ったのに。 「あ、あの……」 「え、あ、ああ、す、すまん、いやなんだ、ほら、もう血ぃ止まったから」 く、くそ、なんで声裏返るんだ、俺は。 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「……………………」 ち、沈黙が重い。 迂闊だ、迂闊だったぞ瀬戸口隆之。 ああ、もう、これじゃまともな料理なんぞ、出来やしない! |