困ったなあ。 |
がたんごとん。 がたんごとん。 電車が揺れる。 その揺れはとても心地よくて ――― おかしい。 なんで俺はこんな状況に陥っているんだ。 右肩にかかる重量の原因をなるべく見ないようにしながら、瀬戸口隆之は内心で呟いた。 その重さは、しかし決して不快なものではない。 制服の布地越しにも伝わるかすかな温かさと、距離が近い為に鼻腔をかすかにくすぐる甘い香りも、不快ではない。 問題なのは、それらを瀬戸口隆之に与えているのがよりにもよって壬生屋未央だ、ということだ。 電車に並んで腰掛けたまま、壬生屋は瀬戸口の肩にもたれかかってすっかり眠ってしまっている。 本来ならば望むべき状況だろう。瀬戸口は女性が好きだし、壬生屋未央はれっきとした女性だ。 疲れた女性のうたたねに、自らの肩を貸すぐらいは瀬戸口は喜んでする。 しかし駄目だ、この状況はまずい。 壬生屋だけはまずい。 瀬戸口は確かに女性が好きだし、理由が無くとも無条件で世の全ての女性の味方になれるという自負がある。 しかし壬生屋未央という女性だけは駄目だ。 今の状況は、甚だよろしくない。何故にこうなってしまったのか。 電車がレールの上を走る音に混じり、かすかに聞こえる壬生屋の寝息が彼女が完全に眠っていることを伝える。 よし、冷静に考えてみよう。 うん、考えるのは悪い事じゃない。物事にはすべからく原因があって、その原因を辿れば大概の事象は納得のいくものになる。 頭の中の冷静な部分でそう考え、現状に至るまでの今日の出来事をなぞり返す。 ここのところの激しい戦闘が原因で深夜にまで作業に及ぶ整備士の為、1組 ――― ラインの面々が交替で午後の授業が終わると同時に夜食や栄養ドリンクの類を買い出しに行くのが最近の通例となっていた。 うん、ここまではいい。 今日の買い出しの当番がたまたま瀬戸口と壬生屋だった。 うん、これも問題はない。 しかし新市街の商店が、今日に限って休みだと速水が教えてくれた。 間髪入れず、加藤が上熊本の方に簡単な食品を安く提供している個人商店があるとふたりに伝える。 ここだ。この辺りからおかしい。 しかしその時点ではふたりとも特に気にせず、加藤から貰った地図を手に大人しく市営バスに乗って熊本駅へ向かう。 熊本駅で待つこと数分、鹿児島本線に乗り上熊本へ。 バス、電車内の壬生屋は、いつになく無口だった。 そういえば自分も口数が少なかったように思う。 いつもであれば軽口の応酬から追いかけ合いに発展していてもおかしくないのだが。 互いに無口のままの車内は、妙に居心地が悪かった。 いや、そうじゃない。居心地が悪いというのではなく、むしろ逆で、なんだか安心はするのだがそれに慣れていない為に緊張するというか ――― ともあれ上熊本の駅で降りて、加藤手製の地図に苦労しながらも言われていた店を見つけ、そこで買い出しを済ませて駅へ向かって……そして、電車に乗り、こうなった。 戦時下ということもあってかまだ夕方だというのに乗客の姿はほとんど無く、ふたりは座席に並んで腰掛け、あまつさえ大量に買い込んだ食糧を座席に起くことまで出来た。 そして電車が動き出して間もない頃、そう、2分ほども経った頃だろうか。 特に何をするわけでも無く、未だ慣れぬ言葉の交わされない空気と時間を持て余していた瀬戸口の右肩に、ふわりと柔かい重さが加わった。 ぎょっとして自らの右肩を見る瀬戸口。 他に何者もあろうはずも無く、そこには当然のように、壬生屋未央の頭部があり、そしてかすかに聞こえる規則正しい寝息。 ああ、そうか、俺みたいなオペレーターと違って、パイロットは機体整備と同時に肉体の訓練もしているから疲れてるんだろうな。 瀬戸口の中の冷静な部分はそう理解した。 が、瀬戸口の中の冷静でない部分 ――― まあ、実際はこちらの冷静ではない部分が瀬戸口隆之という意識のほとんどを占めていたのだが、ともあれそちらの部分は一瞬ではあったが軽くパニックに陥った。 なんというか、実に慣れていないために。 女性に甘えられるのも甘えさせるのも、瀬戸口は好きだし、慣れている。 だが、壬生屋は例外中の例外だ。甘えたことも無いし、甘えさせたことも無い。 そもそも瀬戸口と壬生屋は特に仲が良いというワケではない。つもりだ。 顔を合わせれば軽口の応酬からの口喧嘩に至るのは日常茶飯事で、時には壬生屋の木刀でしばかれたことも数限り無い。 確かに、忌避しているというワケではないし、嫌いか、と言われればそうではないと言える。 瀬戸口自身、壬生屋とのやりとりはこれで結構気に入っている部分がある。周囲がどう見ているかは知らないが。 瀬戸口にとって、壬生屋未央という女性は、まあ、つまるところ気の合う喧嘩相手、という位置付けであるのだろうか。的確ではないが、この言いまわしが最も近いような気がする。 要するに、このように肩を貸して寝かせるようなことは想像も想定もしていなかったしできない存在だったのだ。 困っている。 肩にかかる重みそのものにも困っているし、その重さを何故かはねのけられない自分にも困っている。 むう、とひとつ唸り、しかし視線は前方だけを見ている。 困った。 既に降りなければならない熊本駅はとうに過ぎ、他の乗客も全て降りてしまい、車両内には自分達だけだ。 「 ――― 困ったなぁ」 既に夕日が差し始めた車両の中で、瀬戸口はそれでも壬生屋を起こせないまま、電車に揺られていた。 がたんごとん。 がたんごとん。 電車が揺れる。 その揺れはとても心地よくて ――― |